たつた良子のページ

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大島青松園に行って

2017年05月29日 | 日記
5月19日(金)
 山田、上村、私の3名で、5月19日から21日の3日間、香川と岡山で「第13回ハンセン病市民学会総会・交流IN香川・岡山」が開かれました。
私たち県議団は、3日間参加したかったものの、日程の都合上、19日の大島会場でのシンポジウム、フィールドワークのみに参加してきました。
 
 ハンセン病市民学会は、「ハンセン病に対する偏見や差別を解消し、ハンセン病問題における歴史の教訓を、これからの社会のあり方へと引き継ぐことを目的として、2005年5月に発足した市民団体です。ハンセン病回復者、市民、研究者、医師、弁護士、社会福祉専門家等多くの方が会員に参加。「交流」「検証」「提言」を活動の三本柱として、毎年5月ハンセン病療養所所在地を中心に各地で総会、シンポジウム、分科会を開催しています。

 ハンセン病患者は、国策としての過酷な強制隔離政策の下で人権を奪われてきましたが、大島青松園へは、隔離政策が終わっても、船でしか通うことが出来ません。地理的な「隔離」を感じざるをえませんでした。



シンポジウムでは、大島青松園入所者の磯野常二さんと、自治会長の森和男さんから、大島青松園の過去と現在についてお聞きしました。
設備も人の配置も不十分な島で、水の確保にさえ苦労してきたことや、入所者が入所者を世話し、最後の火葬まで入所者がやってきたことなど、「療養所」という名に値しない、過酷な生活をされてきたことをお聞きしました。
 中でも、磯野さんは小5の時に、森さんは小3の時に、家族と離れ大島に来たことをお聞きし、ふと、ちょうど同じ年頃の孫達の顔が浮かびました。離れる方も離さなければならなかった親たちも、どれほどつらかっただろうと、胸が痛くなる思いで聞きました。


 ハンセン病は感染力が弱く、治療薬も確立し、治る病気であるにもかかわらず、日本政府は隔離政策を止めようとしなかったことに、大きな怒りを覚えました。

 シンポジウムでは、四国医療専門学校と善通寺市の中学校の生徒さんから発言がありました。これまで大島青松園で学んで来たことを活かし、ハンセン病の悲しい歴史を風化させることなく、差別、偏見のない人権尊重の社会を目指すとの思いを発表されました。若者たちの力強い思いに触れ、目頭が熱くなりました。


シンポジウムの最後に、「香川集会アピール 大島と未来をつなぐ、私たちの行動宣言」を白川よう子さんが力強く読み上げました。

白川よう子さんとともに。山田、白川、上村、私

シンポジウム終了後、青松園の野外施設などをめぐるフィールドワークに参加しました。

島外に出られなかった入所者のために、ミニ88カ所めぐりの小道がもうけられていました。

風の舞
なくなられた人を火葬にしたあと、骨壺に収めた残りの骨を納めているモニュメント。天上・天下をイメージし、せめて死後の魂は風に乗って
自由に解き放たれますように、という願いが込められているといいます。


松の古木
「青松園」の名のとおり、松の古木が何本も、どの木も、どんなに折れ曲がっても、天に向かっていました。なくなられた多くの方々も含め、入所者の方々は、何年もこの松を見てきたのだろうと思います。