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雀庵の「常在戦場/43 岐路に立つ習近平」

2021-06-30 07:18:56 | 日記
雀庵の「常在戦場/43 岐路に立つ習近平」
“シーチン”修一 2.0


【Anne G. of Red Gables/329(2021/6/28/火】昨秋に近所の創作料理&バーが閉店した。旦那が退職金で始めた趣味のような店で、儲けようという気迫が窺えなかったが、コロナ禍ですっかり客がいなくなって「もういいや」となったようだ。


その後釜に中華料理店ができつつあり、今は内装工事の最終段階、職人衆が必死で終日作業している。7月1日(友引)オープンかと思ったが、保健所の検査が必要だから7月7日(同)あたりかもしれない。


この職人衆は中国語で会話している。ビックリした。普通なら内装はできる限り既製品を利用するが、全て手作り。14畳ほどの広さだが、随分カネをかけている感じで、これまたビックリ。中国人経営の店のようだ。我が街は急速に人口が増えているから駅前は新しい飲食店がどんどんできている。安田峰俊著「さいはての中国」を思い出した。序章「中国人による中国人のためのチャイナタウン 埼玉県西川口」から。


<「すごい、安田さん、どう見ても完全に中国人ですよ!」 西川口駅の改札口で張(チャン)に褒められた。彼は20代前半の在日華僑2世の学生であり、今日の取材を手伝ってくれることになっている。2018年6月、小学館の雑誌「SAPIO」の小企画だった。


最近この街には中国人が増え、特に駅南西部の繁華街はほとんど中国の地方都市みたいになっている。私の担当記事では、この街で半日間「中国人」としてふるまい、普通の日本人では見られない街の裏側を見てみることにしよう――とまあ、そういう取材なのである。


「その格好、自分で決めたんですか?」「うん。いくつか自分の会社を持っているような、中国人の30代の実業家に化けた」


私の服装は、ユニクロの臙脂色の薄いパーカーと無印良品のジーンズ、靴は黒のアディダスのスニーカー、ただし左腕に巻いているのはレンタル屋で調達したオメガの高級時計だ。靴は新品で、髪の毛は切りたての短髪をジェルで固めている。


振る舞いも重要である。別に根拠はないが、常に自信ありげな態度で、大振りの身のこなしをしながら、ちょっと顔をしかめつつ手元のiPhone Xをいじっていると、当世の勝ち組の在日中国人ぽく見える。幸か不幸か、私の体型が小太りなのも助かる。


「僕は君の親戚の兄ちゃんなんかで、カネを払う人間。中国語の発音でバレると困るから、あまり喋らない。君は下宿先を探す留学生の振りをして、色々聞いてみてくれ」「なるほど了解しました」


目指したのは駅の近くにある中国系のQ不動産だった。数か月前に別の取材で訪れた時には、私が“日本人だった”せいか「中国のお客さんなんて一人も来ませんよ」と、けんもほろろにあしらわれた店である。


近年の西川口は駅南西部を中心に中華料理店をはじめ中国系商店が急増。今や多くの在日中国人の故郷である中国東北部(旧満州)や福建省の料理をはじめ、重慶のラグメン・・・と、中国各地の味が揃うようになった。


日が落ちると極彩色のネオンがギラギラと輝き、中国国内の田舎町をそのまま持ってきたような、怪しい熱気に満ちた街に変貌する。川口市の中国人人口は3年前と比較して25%増の約2万人に達した。


「中華料理店は最近数年以内の出店が大部分だね」、Q不動産は社長以下ほとんどの社員は中国人で、西川口に店舗を構えて5~6年目である。


「この街の中国人かい? うーん、やっぱり学生さんが多いね。都内の学校に通うのに便利だし、中国人にとって暮らしやすい街だからね。家族連れのサラリーマンも住んでいるよ」・・・>


中国人向けのアパート、マンション、レストラン、ネットゲーセン、KTV(カラオケ)などなど・・・「西川口チャイナタウンの一番ディープな通りは、中国の田舎町を丸ごとコピーして持ってきた、と形容した方が正しい。中国人的ライフスタイルをここまで貫けるほど、中国そのままの場所なのだ」と安田氏は“認定”する。


関東地方では2000年頃まで「外国人街」は横浜と池袋のチャイナタウン、新大久保のコリアンタウンくらいしか知らなかったが、今や、西葛西のリトルインディア、大泉町のブラジリアンタウン、高田馬場のリトルヤンゴン(ミャンマー)、池袋・新宿・松戸のベトナム人向け商店街、竹ノ塚のリトルマニラ、蕨市のワラビスタン(イラン系&トルコ系クルド人)、大和市のいちょう団地(ベトナム、ラオス、カンボジア人コミュニティ)・・・があるそうだ。


川崎駅近くには日本鋼管の土地を不法占拠して造ったコリアタウンもあるが、“ヘイト野郎”と難癖をつけられそうだから小生はさっさと通り過ぎることにしている。そういう日本人が多いようで閑散としているが、朝鮮料理自体が飽きられたのかもしれない。韓流も何やら下火で・・・閑話休題。


かつては日本人も「日本は狭すぎる、俺の居場所はない、広い大地で頑張ってみよう」と世界に“雄飛”したのだから“移民にNO!”とは言えないが、移民先と母国日本の戦争は未だに深い傷を米国の日系社会に残している。羅府新報2021/6/17「ゴー・フォー・ブローク記念切手:式典開き日系兵の功績たたえる ロサンゼルスで発行開始」から。


<19世紀後半の日本の開国以後、特に西海岸に日本人が多く移住して、飲食業・宿泊業等に従事する移民が日本人町を形成した。ロサンゼルスやサンフランシスコ、カナダのバンクーバー近郊スティーブストンなどの日本人町は特に古参である。


19世紀末から20世紀前半にかけて大量の日本人が移住して町が発展したが、1920年代にはアメリカが日本人移民の受け入れを制限して流入が減り、第二次世界大戦でアメリカ・カナダが日本と開戦する1942年頃には両国政府の日系人強制収容政策により、どの日本人町もほぼ消滅状態に陥った。


このときコロラド州知事であったラルフ・ローレンス・カーは一貫して公然と日系人の強制収容に反対し、州民に対して呼びかけた。


『現在、日本語を話す人達は皆、大変つらい立場にある・・・もし戦争におけるコロラド州の役目が日系人10万人を受け入れることであるなら、コロラドは彼らの面倒を見る』


カー知事は各州で市民権を拒否されていた数千人に及ぶ日系アメリカ人と在住日本人をコロラド州に受け入れた。同州デンバー市内の古い日本人町、サクラ・スクウェアには1976年にカーの胸像が建立され、礎石にはこう刻まれている。


『第二次世界大戦中の集団ヒステリー状態で、アメリカを他国とは違う国に成らしめている気高き道義を他の権力者達が忘れてしまった中で、コロラドの州知事ラルフ・L・カーは賢明さと勇敢さを持って迫害されていた少数民族の日系アメリカ人を強く弁護した。カーは言った、「彼らは忠誠なアメリカ人である」「敵と同じなのは人種という点だけである」と。


自分の政治生命の終わりとなるやもしれない行動であるのに、戦争に対する州の努力に参加させるべく日系人をコロラドに歓迎した。敵意に満ちた西海岸から何千人もが保護を求めてコロラドに移り、留まってコロラドの市民生活、文化、経済に多く貢献した。


カー知事の博愛の恩恵を受けた者達が、彼の断固としたアメリカ精神に感謝の意を表して、また彼が支持した大切な民主的理想は偏見や無知から永遠に守られるべきだということを永遠に忘れないためにこのモニュメントを建てる。1976年8月21日』


第二次世界大戦の日系陸軍兵士の功績をたたえ発行された切手「Go For Broke」の記念式典が4日、発行第一号都市のロサンゼルスで開催された。JANM(全米日系人博物館)のアン・バロウズ氏は、参列した二世退役軍人に、「あなた方がいなかったら、われわれはここに存在していないだろう」と語りかけ、また、記念切手を発行した米国郵政公社(USPS)に感謝の意を表した。


また、「この切手の発行は、アメリカで反アジアの憎悪が高まっている中、これ以上ないほどタイムリーで有意義である」と述べた。


USPSを代表して登壇したダニエル・ヒライ氏は、第二次世界大戦で戦った3万3千人以上の二世陸軍兵士の勇気と犠牲に敬意を表し、「ハワイで育った私は、二世陸軍兵士の活躍を聞きながら育った。彼らの信念は『Go For Broke』。全力で勝つために全てを賭けて努力するという意味のスラングだが、危険を冒して困難に立ち向かった彼らの姿は、私のキャリアにもインスピレーションを与えてくれた」と自身のエピソードを交えながら話した>


「二つの祖国」、日本人は偉かったし、素晴らしい米国人もいたのだ。


習近平の中共では在外華人に「中共の手足となれ」と圧力を強めている。在日の中共移民は習近平の命令に逆らえば虐待される、日本に敵対すれば大反発を食らう・・・上記の日系2世の生き方は我々日本人をも感動させる、それを学ぶべきだろう、難しい問題だが・・・


「唐人網」2021/6/29「狼か羊か? 中共の駐米大使が交代」から。


<中共の「戦狼」外交官の一人が米国を去ることになりました。彼の後任は「狼」なのか、それとも「羊」なのか、多くの人が関心を寄せています。


中共の崔天凱駐米大使は6月21日、8年余りの任期を終え、近く離任することを明らかにしました。崔氏は談話の中で「中米関係は現在重要な岐路」に立っていると述べています。


各メディアは、中共外交部の秦剛副部長が後任として就任すると報じています。


ディーン・チェン氏は保守系シンクタンク「ヘリテージ財団」のアジア研究センターの中国政治・安全保障担当上級研究員です。チェン氏はボイス・オブ・アメリカとのインタビューで、「新大使の就任に伴い、ワシントンはより激しい衝突に直面する可能性がある」と語っています。


チェン氏のこの発言は駐米大使候補の秦剛氏の強硬な主張を受けたものです。今年2月9日の記者会見で、ドイツ人記者の質問に対し、秦剛氏は次のように答えています。


「あなたは今、中国は『戦狼外交』を行っていると言ったね。いくつかの国は、根拠もなく中国を中傷し、誹謗しているが、彼らこそ『戦狼』どころか、まさに巨大な『悪狼』なのだ」


秦剛氏が外交官としてのキャリアをスタートさせたのは、今から30年ほど前の1992年でした。駐英中共大使館の公使を経て、2018年に外交部副部長に昇格しました。近年は習近平総書記が海外訪問する際は頻繁に同行しています。


時事評論家の唐靖遠氏は、秦剛氏が駐米大使に就任した後、戦狼になるか、それとも羊としての姿勢を取るのかを定める要因は、習近平氏の二国間政策にあると指摘しています。


「習近平氏が外交において挫折感を感じていれば、手を引いて目立たないようにすることもできる。最近の例では、中国共産党のプロパガンダにおいて論調を変え“羊の皮を被る”ように命じた」


秦剛氏は以前、米空軍のB-52戦略爆撃機を「張り子の虎」と表現しました。秦氏は中共軍への信頼も表しています。「中国人民解放軍は、赤い房の飾りがついた槍を持った、ただのボーイスカウトではない」と。秦剛氏がいつ大使に就任するかは、現在明らかになっていません>


習近平は今さら「ボクは戦狼ではありません、大人しい熊猫パンダです」とは言えない。しかし、秦剛を引っ込めて大人しい人選をすれば「習近平は大言壮語、口先だけの奴」になってしまう。


店も人間も表向きはカッコイイとかオシャレの方がいい。しかし、中身が伴わなければファンは増えないどころか減るばかりだ。求心力を維持するためには戦狼を演じ続けなければならない、しかし反作用で包囲網はどんどんきつくなる、孤立は深まる、政敵は大喜びだ・・・振り上げた拳の下ろし場所をどうするか、それが問題だ。To be, or not to be, that is the question.


毛沢東は「我に利あらず」と乞食部隊を連れて辺境に逼塞し10年やり過ごした。待てば海路の日和あり。習近平は毛沢東を超えるために最低15年はお隠れ遊ばすといい。なーに、プーチンの豪勢な竜宮城で楽しく過ごせば15年なんてあっという間、玉手箱を貰って北京へ凱旋すべし。皇帝の玉座があなたを待っている。あなたはついに1000年王国の神になる、偉大なる習主席、万歳!・・・
目安箱:ishiifam@minos.ocn.ne.jp
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