中露北を包囲し自滅させるべし
“シーチン”修一
【雀庵の「大戦序章」393/通算824 2025/令和7年4/29 火曜】 政府の公式サイトによると今日から「昭和100年プロジェクト」が始まった。曰く――
<2025年は昭和元年からちょうど100年目にあたります。この節目に「昭和100年プロジェクト~昭和から100年、そして未来へ」を始動します。戦争から戦後の復興、高度経済成長、バブル経済など昭和は激動の時代でした。
現在では国民の約7割が昭和生まれ、約3割が平成以降の生まれとなり、昭和を知らない世代も増えています。昭和を動かした政治以外のいろいろな出来事を、今の時代に生きる人々に伝達していくために、昭和100年を新たな側面から表現し、幅広く発信していきます>以上。
現在は「第三次世界大戦」の熱戦前夜である。単なるお祭りにならぬことを期待したい。
・・・・・・・・・・・・・・
産経2025/令和7年4/28 シンガー・ソングライターのさだまさし氏の「月曜コラム 山笑う春に思う」は秀逸だった。氏と小生は同世代、両親は大正か敗戦前の昭和の「大日本帝国」臣民だろう。WIKIにはこうある。
<さだ まさし(1952年4月10日~)は日本のシンガーソングライター、俳優、タレント、小説家。本名、佐田雅志(読み同じ)。長崎県長崎市出身。さだ企画所属。國學院大學、東京藝術大学客員教授。
フォークデュオのグレープでメジャーデビューし、「精霊流し」が大ヒット。ソロシンガーになってからも「雨やどり」「案山子」「関白宣言」「道化師のソネット」「親父の一番長い日」「北の国から〜遥かなる大地より〜」など、数々のヒット曲を生み出す。2019年10月6日時点で、日本で最も多くのソロ・コンサートを行った歌手でもあり、その回数は4400回を越えている。
トークの軽妙さは大きな魅力とされており、自身のコンサートではMC(司会進行役)でもお客を楽しませ、また、テレビ・ラジオ番組のパーソナリティーやMCなどとしても活躍。政治・社会問題に対する持論も度々展開しており、生まれ育った長崎および日本への強い愛情と世界平和を希求する思いを発信し続けている。小説家としても活動し『解夏』『眉山』などの作品を発表している>
・・・・・・・・・・・・・・・・
さだまさし氏は売れていない頃はアルバイトでペンキ塗りをしていたそうだ。ペンキといえば・・・小生はその頃は独房での体調不良もあって保釈され、東京都目黒区鷹番三丁目にある東急電鉄「学芸大学駅」の業者向け建材店(後になって知ったが、自殺した横浜市大中核派の先輩、奥浩平が憧れた革マル派シンパの女性の実家!)に勤めていたのでペンキも売っていたが、小生を中核派に誘った同志の「T」も親からの仕送りが途絶えて学芸大学駅の隣町の「祐天寺」でペンキ塗りをしていた。
(頭脳明晰で横浜市大特待生だった「T」はその後、大学を中退(小生同様、多分除籍)、苦労しながらやがて九州で手広く事業を推進していたが、数日前からJT(日本たばこ産業)のPCが壊れて今は「休業を余儀なくされている」と嘆いていた。メディアにとってJTは大スポンサーだから報道しないようだ。「長い物には巻かれろ」がルールだろう)閑話休題。
小生はさだまさし氏とは不思議な縁があるようで、「関白宣言」以来、何となく氏には親近感がある。以下、産経掲載のさだまさし氏の「山笑う春に思う」から転載する。
・・・・・・・・・・・・・・・
<三春(さんしゅん)の季語に「山笑う」がある。針葉樹林の山々の濃い緑の中に広葉樹の若く浅い緑が霞(かすみ)のように湧き、そこに桜色がまだらに散りばめられて仄(ほの)かに艶めく光景は本当に山が笑うようでまことに人の言葉は美しいと思う。
これは北宋の画家、郭熙(かくき)の「春山淡冶(かくき)にして笑うが如く」が語源と言われ、この人の文から、夏は「山滴(したた)る」秋は「山粧(よそ)う」冬は「山眠る」という見事な表現が千年の時を超えて今に伝わっている。
人の言葉はこのように広く味わい深く、人に伝わってほしいものだ。中国文化との繫(つな)がりが、彼の文言の行間を愛(め)でられる程に深くて長いという証(あかし)だろうが、外来語の良きものを母国語に取り込み千年も共に暮らし育ててきた先人の志の成果だろう。
文章の本当の深さ美しさはその行間に潜む。言葉の狭間(はざま)に眠る湿度や温度の気配、色合いなどの景色、時の流れ、言葉によって享受出来(でき)る心の情景まで掘り起こして感じることを「行間を読む」というのだが、もうそれが難しい時代になった。
コンプライアンス、ガバナンス、ハラスメント、エビデンスと、こちらが正確な理解が出来ないような英単語を、哀れなほど拙(つたな)い日本語に散りばめられて喋(しゃべ)られると、何やら本音をはぐらかされるようで、ついあなたどこの国の方ですかと尋ねたくなる。
外国語が文脈を伴わずに単語だけ輸入されるのは「属国文化の特徴」と言うが、これは日本が文化的にもアメリカの属国であることを示すもののひとつ。
だが日本人の日本語が下手になったのには他にも原因がある。行間が読めず人との会話が下手な理由は、文章を読まず人と話をしないからだ。従って漢字が読めず語彙も乏しい。他人と没交渉でも生きられる社会は人の心から体温と思想を奪う。受験など点数が全てという社会制度にも多々問題があるが、その制度で出世した人物にとってはそこが拠り所(よりどころ)だから決してそれを変えようとしない。こうして社会は劣化して行く。
新聞も読まずテレビも観ず、ラジオを聴かなくても情報に囲まれているという薄気味悪い時代。しかもそれらの情報には巧妙な噓(うそ)や下衆(げす)な邪推や曖昧な伝聞まで含まれる上、責任も取らず検証さえしないから流言飛語が野放しになる。こんな無責任な情報と「報道」とは次元が全く違う。
新聞のコラムだから言うのではない。新聞を読む人が減ったことは日本語にとっても報道にとっても極めて深刻なのだ。新聞を読む人が減れば新聞社は良い書き手を育てることが出来ない。良い書き手が減れば良い読み手は育たない。こうして我々は国語からこの国を失いつつある。(さだまさし 昭和27年生まれ。音楽、小説など幅広いジャンルで活躍>以上
・・・・・・・・・・・・・・
小生思うに「暗愚はやがて国を亡ぼす」。「寄せては返す波の如し、○○につける薬なし」とも。プーチンや習近平、北朝鮮の威嚇的な乱暴狼藉により、自由民主陣営は「このままでは亡国になる、戦時に備えるべし」とようやく危機感を高めるようになってきた。中露北を包囲し、自滅させるべし。
・・・・・・・・・・・
*読者諸兄の皆さま、御意見を! https://note.com/gifted_hawk281/ または ishiifam@minos.ocn.ne.jp までお願いいたします。小生の記事は以下でもお読みいただけます。
渡部亮次郎 「頂門の一針」<ryochan@polka.plala.or.jp>(ここ1か月ほど音沙汰がなく心配しています)
必殺クロスカウンター ttps://www.mag2.com/m/0001690154.html
https://blog.goo.ne.jp/annegoftotopapa4646
ishiifam//1951@outlook.jp
“シーチン”修一
【雀庵の「大戦序章」393/通算824 2025/令和7年4/29 火曜】 政府の公式サイトによると今日から「昭和100年プロジェクト」が始まった。曰く――
<2025年は昭和元年からちょうど100年目にあたります。この節目に「昭和100年プロジェクト~昭和から100年、そして未来へ」を始動します。戦争から戦後の復興、高度経済成長、バブル経済など昭和は激動の時代でした。
現在では国民の約7割が昭和生まれ、約3割が平成以降の生まれとなり、昭和を知らない世代も増えています。昭和を動かした政治以外のいろいろな出来事を、今の時代に生きる人々に伝達していくために、昭和100年を新たな側面から表現し、幅広く発信していきます>以上。
現在は「第三次世界大戦」の熱戦前夜である。単なるお祭りにならぬことを期待したい。
・・・・・・・・・・・・・・
産経2025/令和7年4/28 シンガー・ソングライターのさだまさし氏の「月曜コラム 山笑う春に思う」は秀逸だった。氏と小生は同世代、両親は大正か敗戦前の昭和の「大日本帝国」臣民だろう。WIKIにはこうある。
<さだ まさし(1952年4月10日~)は日本のシンガーソングライター、俳優、タレント、小説家。本名、佐田雅志(読み同じ)。長崎県長崎市出身。さだ企画所属。國學院大學、東京藝術大学客員教授。
フォークデュオのグレープでメジャーデビューし、「精霊流し」が大ヒット。ソロシンガーになってからも「雨やどり」「案山子」「関白宣言」「道化師のソネット」「親父の一番長い日」「北の国から〜遥かなる大地より〜」など、数々のヒット曲を生み出す。2019年10月6日時点で、日本で最も多くのソロ・コンサートを行った歌手でもあり、その回数は4400回を越えている。
トークの軽妙さは大きな魅力とされており、自身のコンサートではMC(司会進行役)でもお客を楽しませ、また、テレビ・ラジオ番組のパーソナリティーやMCなどとしても活躍。政治・社会問題に対する持論も度々展開しており、生まれ育った長崎および日本への強い愛情と世界平和を希求する思いを発信し続けている。小説家としても活動し『解夏』『眉山』などの作品を発表している>
・・・・・・・・・・・・・・・・
さだまさし氏は売れていない頃はアルバイトでペンキ塗りをしていたそうだ。ペンキといえば・・・小生はその頃は独房での体調不良もあって保釈され、東京都目黒区鷹番三丁目にある東急電鉄「学芸大学駅」の業者向け建材店(後になって知ったが、自殺した横浜市大中核派の先輩、奥浩平が憧れた革マル派シンパの女性の実家!)に勤めていたのでペンキも売っていたが、小生を中核派に誘った同志の「T」も親からの仕送りが途絶えて学芸大学駅の隣町の「祐天寺」でペンキ塗りをしていた。
(頭脳明晰で横浜市大特待生だった「T」はその後、大学を中退(小生同様、多分除籍)、苦労しながらやがて九州で手広く事業を推進していたが、数日前からJT(日本たばこ産業)のPCが壊れて今は「休業を余儀なくされている」と嘆いていた。メディアにとってJTは大スポンサーだから報道しないようだ。「長い物には巻かれろ」がルールだろう)閑話休題。
小生はさだまさし氏とは不思議な縁があるようで、「関白宣言」以来、何となく氏には親近感がある。以下、産経掲載のさだまさし氏の「山笑う春に思う」から転載する。
・・・・・・・・・・・・・・・
<三春(さんしゅん)の季語に「山笑う」がある。針葉樹林の山々の濃い緑の中に広葉樹の若く浅い緑が霞(かすみ)のように湧き、そこに桜色がまだらに散りばめられて仄(ほの)かに艶めく光景は本当に山が笑うようでまことに人の言葉は美しいと思う。
これは北宋の画家、郭熙(かくき)の「春山淡冶(かくき)にして笑うが如く」が語源と言われ、この人の文から、夏は「山滴(したた)る」秋は「山粧(よそ)う」冬は「山眠る」という見事な表現が千年の時を超えて今に伝わっている。
人の言葉はこのように広く味わい深く、人に伝わってほしいものだ。中国文化との繫(つな)がりが、彼の文言の行間を愛(め)でられる程に深くて長いという証(あかし)だろうが、外来語の良きものを母国語に取り込み千年も共に暮らし育ててきた先人の志の成果だろう。
文章の本当の深さ美しさはその行間に潜む。言葉の狭間(はざま)に眠る湿度や温度の気配、色合いなどの景色、時の流れ、言葉によって享受出来(でき)る心の情景まで掘り起こして感じることを「行間を読む」というのだが、もうそれが難しい時代になった。
コンプライアンス、ガバナンス、ハラスメント、エビデンスと、こちらが正確な理解が出来ないような英単語を、哀れなほど拙(つたな)い日本語に散りばめられて喋(しゃべ)られると、何やら本音をはぐらかされるようで、ついあなたどこの国の方ですかと尋ねたくなる。
外国語が文脈を伴わずに単語だけ輸入されるのは「属国文化の特徴」と言うが、これは日本が文化的にもアメリカの属国であることを示すもののひとつ。
だが日本人の日本語が下手になったのには他にも原因がある。行間が読めず人との会話が下手な理由は、文章を読まず人と話をしないからだ。従って漢字が読めず語彙も乏しい。他人と没交渉でも生きられる社会は人の心から体温と思想を奪う。受験など点数が全てという社会制度にも多々問題があるが、その制度で出世した人物にとってはそこが拠り所(よりどころ)だから決してそれを変えようとしない。こうして社会は劣化して行く。
新聞も読まずテレビも観ず、ラジオを聴かなくても情報に囲まれているという薄気味悪い時代。しかもそれらの情報には巧妙な噓(うそ)や下衆(げす)な邪推や曖昧な伝聞まで含まれる上、責任も取らず検証さえしないから流言飛語が野放しになる。こんな無責任な情報と「報道」とは次元が全く違う。
新聞のコラムだから言うのではない。新聞を読む人が減ったことは日本語にとっても報道にとっても極めて深刻なのだ。新聞を読む人が減れば新聞社は良い書き手を育てることが出来ない。良い書き手が減れば良い読み手は育たない。こうして我々は国語からこの国を失いつつある。(さだまさし 昭和27年生まれ。音楽、小説など幅広いジャンルで活躍>以上
・・・・・・・・・・・・・・
小生思うに「暗愚はやがて国を亡ぼす」。「寄せては返す波の如し、○○につける薬なし」とも。プーチンや習近平、北朝鮮の威嚇的な乱暴狼藉により、自由民主陣営は「このままでは亡国になる、戦時に備えるべし」とようやく危機感を高めるようになってきた。中露北を包囲し、自滅させるべし。
・・・・・・・・・・・
*読者諸兄の皆さま、御意見を! https://note.com/gifted_hawk281/ または ishiifam@minos.ocn.ne.jp までお願いいたします。小生の記事は以下でもお読みいただけます。
渡部亮次郎 「頂門の一針」<ryochan@polka.plala.or.jp>(ここ1か月ほど音沙汰がなく心配しています)
必殺クロスカウンター ttps://www.mag2.com/m/0001690154.html
https://blog.goo.ne.jp/annegoftotopapa4646
ishiifam//1951@outlook.jp