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福祉はやがて国を亡ぼす

2024-10-29 11:17:09 | 戦争
福祉はやがて国を亡ぼす
“シーチン”修一
【雀庵の「大戦序章」346/通算777  2024(令和6)年10/29/火】産経の首都圏版新聞にはなかった記事が産経サイトにあったのでびっくりしたが、産経WEST 2024/10/26 安東義隆氏の「日本人として戦った台湾人も英霊 四半世紀続く慰霊訪問団、始めた義憤とつなぐ覚悟」は感動的だった。以下転載する。

<先の大戦で日本統治下の台湾人が日本人として戦い、約3万人が亡くなった。その人たちを「英霊として追悼し、感謝するのは日本人の務め」との信念から台湾への慰霊訪問に生涯をささげた人がいた。令和元年/2019年に71歳で亡くなった福岡市の専門学校経営者、小菅亥三郎さん。小菅さんが結成した訪問団は今年25周年を迎え、11月23日、第26次訪問団が出発する。ただ近年は参加者の高齢化が進み、世代交代が課題だ。後継者たちは小菅さんの遺志を次世代につなぐ覚悟を新たにしている。

台湾は明治28年/1895年、日清戦争で勝利した日本に割譲された。先の大戦では台湾人の軍人・軍属約21万人が動員され、約3万人が戦死、戦病死した。軍人の多くは志願兵だったという。しかし戦後は日本人として扱われず、日本政府は補償の対象から外した。
中国共産党に負けて台湾に逃れた国民党政権が、かつての敵国の軍人を「英霊」として扱うはずはなく、昭和63年/1988年に李登輝総統が登場し、国民党一党独裁が終わるまで戦友や遺族はひっそりと追悼、慰霊するしかなかった。

訪問団事務局によると、小菅さんの父親はフィリピンに出征、復員後は戦友会活動に参加した。小菅さんも同行し、戦没者慰霊の大切さを学んだという。小菅さんは日本統治時代の台湾について知りたいと思い、平成11年/1999年3月、経営していた専門学校で社員の研修旅行を企画、台湾を訪れた。その際に利用したバス会社の社長から台湾人の元日本兵の慰霊祭が、台湾と日本、それぞれの戦友会の協力で毎年11月25日に台中市の宝覚禅寺で行われていることを教えてもらった。帰国後、案内状をもらい、その年の11月、慰霊祭に参加した。
「大東亜戦争で日本兵として亡くなられた台湾人に、日本国民として追悼と感謝の誠をささげ、顕彰すべきではないか」
義憤にかられた小菅さんは「日華(台)親善友好慰霊訪問団」を結成。最初の訪問から今年で25周年を迎え、11月23日に第26次訪問団が出発する。

宣伝・勧誘を兼ねた講演会を毎年6月に開催。10月に結団式、11月に訪台、1月に帰朝報告会と1年を通じて活動する。訪問の意義・目的を理解してもらうためで、行事を通じて参加者の結束が固まっていく。「台湾に行く人だけでなく、それを見送る人、迎える人もみな訪問団」が小菅さんの口癖だった。
慰霊祭は李登輝元総統が「霊安故郷」と揮毫(きごう)した碑前で行われる。参列者全員で「君が代」「海ゆかば」を歌い、戦友、遺族と交流会を開き話を聞く。が、年を追うごとに戦友は亡くなり、遺族も高齢化が進む一方だ。「このままで慰霊碑も朽ち果てるか、開発で壊されてしまう」。そんな危機感から毎回、政治家、行政当局者と懇談、慰霊継承に理解と協力を求めている。

平成30年/2018年から訪問団が慰霊祭の運営を引き継いだ。地元の参列者が戦友、遺族合わせて10人余りになったためだ。が、訪問団も同様の課題を抱える。最高72人が今では20人余と減り、現状維持がやっと。結成20周年を迎えた令和元年/2019年7月、小菅さんが病気で亡くなる。第21次訪問はかなわなかった。以降も団長名義は小菅さんのままとし、2人の団長代行を立てた。
その一人、団長代行の田口俊哉さん(65)は、「訪問団は100%民間主体。民間の意気と活力、使命感でもって遂行されてきた『公的事業』といえる」と自負し、小菅さんの遺志を次世代につないでいく覚悟だ>以上

執筆した安東義隆氏は産経大阪編集局の特別記者。「日華(台)親善友好慰霊訪問団」と産経は平成14年/2002年9月10日に産経新聞に見開広告を掲載したことから交流が始まったようだ。
小生は1970年に林景明著「知られざる台湾」と王育徳著「台湾 苦悶するその歴史」などを読んで「台湾独立運動」に関心を寄せるようになった。それから50年以上経ても未だに習近平・中共≒漢民族と、毛沢東との内戦に負けて台湾に逃げ込んだ蒋介石軍の残党≒漢民族に、高砂族(たかさごぞく)など先住民族は苦しめられてきた。現在の台湾は総人口2321万人の立派な国だというのに、14億市場の中共の圧力を受けたのだろう、台湾は国連からも追放されてしまった! フリー百科事典ウィキペディアによると――
<1987年に戒厳令解除に踏み切った蔣経国(蒋介石の長男、総統在職:1978年~)は国際的にはアメリカの庇護下で、日本、韓国、フィリピンとともに共産圏封じ込め政策の一端を担っていたが、ベトナム戦争の行き詰まりから米中が国交を樹立すると、台湾は国連から追放され、日本からも断交されるに至った。しかしアメリカは自由陣営保持の観点から台湾関係法(1979年)を制定し台湾防衛を外交テーゼとしている。
1988年の蔣経国の死後、総統・国民党主席についた李登輝は台湾の民主化を推し進め、1996年には台湾初の「総統民選」を実施、そこで総統に選出された・・・>

自由民主人権法治国家への大きな前進だが、事は容易ではない。蔣介石とともに大陸から移住して来た「外省人」は普通語(漢族の漢語、北京語とも)教育、中華文化の推奨などを通して「台湾の中華化」を目指し、それ以前から台湾に住んでいた「本省人」との対立は依然として続いている。すでに20年前の2003年の台湾人調査によると10代では100%が「私は台湾人であって、中国人では無い」という意識を持っているという。

日本が敗戦で台湾から撤収すると、毛沢東との内戦に苦労していた蒋介石一派の中国人軍隊軍属、家族などが本土から台湾にどっと押し寄せ、先住民の本省人(台湾人)を蛮族扱いで弾圧し始めた。「犬(日本=番犬)去りて豚来たる」と台湾人は嘆いたが、1947年2月、蒋介石軍が台湾人を容赦なく弾圧した「二・二八の大反乱」は現在でも語り継がれている。産経2024/8/7 金美齢モラロジー道徳教育財団顧問の「二・二八事件、女学校が鎮圧部隊の宿舎に『処理委員会』は狡猾な時間稼ぎだった」によると「3月8日、南京からの鎮圧部隊が基隆、高雄両港から上陸。台湾全土で身の毛もよだつ惨劇が繰り広げられた。犠牲者は少なくとも約2万8千人…」と語り継がれている。

蒋介石一派の残党のような台湾の「中国国民党」はその名称通りに習近平の子分のよう。一方でライバルの民主進歩党(民進党)は中国国民党の嫌がらせに必死で耐えている。産経2024/10/25 「台湾野党主導で可決された立法院権限強化法、主要部分で「違憲」判断 頼政権は大打撃回避」から。
<【台北=西見由章】台湾の憲法裁判所にあたる憲法法廷は25日、野党主導で可決、施行された立法院(国会に相当)の権限を強める関連法について、主要部分を違憲とする判断を示した。頼清徳総統が主席を務める民主進歩党は立法院で少数与党に転落しており、関連法が大筋で合憲と判断された場合に予想された政権運営への大きな打撃は回避した形だ。
関連法案は、最大野党の中国国民党と第2野党、台湾民衆党が与党追及を狙って5月下旬に可決。行政院(内閣)が再審議を求めたが6月に再可決、施行された。頼総統と民進党の立法委員(国会議員)団などが違憲審査と関連法の停止処分を請求し、7月から関連法の一部が停止していた>以上

アカ(≒自由民主を看板に国家を弱体化する共産主義的な勢力)はG7やG20の諸国では珍しくない。山本夏彦翁曰く「金持から貧乏人、乞食までいてこそ国家である」。議員になりたい者は選挙で勝つために「福祉」を唱えて貧乏人、乞食に擦り寄る。一所懸命に努力しなくても食っていけるとなれば誰が必死で頑張るものか。賢者曰く「福祉はやがて国を亡ぼす」。
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デジタル野郎に鉄槌を!

2024-10-24 16:12:02 | 戦争
デジタル野郎に鉄槌を!
“シーチン”修一
【雀庵の「大戦序章」345/通算776 2024(令和6)年10/24/木】PCで以前のように記事を書けるか、それが問題だ・・・いじくりまわしているが、とてもシンドイ。outlookという奴が諸悪の根源のよう。復讐するは我にあり、いつかしっぺ返しをしたいものだ。新しいものは嫌い、アナログ大好き、デジタル大嫌い! 神様、どうかデジタル野郎に鉄槌を!

産経10/20の日曜コラム、さだまさし氏の「勧善懲悪の心はいずこ」は小生のようなアナログ人が結構いることを示しているようで、大いに元気になってきた。以下転載する。

<日本人はもう少し優しい人達だったのでは?と近頃思う。いや、お前の勘違いだ、元々こんなものだよ、と仰(おっしゃ)るのも解らないではないけれど、僕はこの国の人々が本来はとても親切な人達であることを信じたいのだ。
だが近頃は日本人の情が薄れたようだ。他人への慮(おもんぱか)りや温かさ、いわゆる本当の意味での「もてなし」の心を感じることが減った。「サービス」という言葉の原点には主従関係があるけれども「もてなし」は相互平等の親切から来るものだから、むしろそこに作為が介入したら「もてなし」の心は死ぬ。

この日本人らしい思いやりが最早(もはや)瀕死に追い込まれつつある理由は、おそらく無意識の卑しい「利益計算」だろう。無意識だけに隠すことができない。心根に「これで幾(いく)ら儲(もう)かるのか」という計算があると人は必ず醜くなる。これが罪悪感の変質に繫(つな)がる。実は前回申し上げたかった教育の『肝』がここだ。

僕はテレビが好きなのでテレビの悪口を言いたくは無(な)いが、放送関係者の矜恃(きょうじ)から『視聴覚教育』という言葉が綺麗(きれい)さっぱり消え失(う)せた頃からなにやら日本人の価値観はおかしくなった。昔のPTAは子育てに必死で、パンチラで話題になったコメディー「ハレンチ学園」に対して一部から失笑を買っても怖(お)じずに放送禁止の声を上げた。暴力や性描写に関して真面目で神経質だったが、今時はほぼ無関心で、もはや教育放棄だ。

心を育てることはとても難しい。大人になっても自分自身の心を育てることが一番難しい。だからメディアはそういうものを育てるきっかけになるようなものを伝えること、受け手はそこから感じて反応することがお互いの成長に繫がる。勿論(もちろん)素晴らしい番組はあるけれども、なかなか出合わなくなった。

面白くないので実は専ら時代劇ばかり観(み)ている。そう言うと「時代劇の何が面白いのですか」と若い友人に聞かれるけれども、まあ、現実逃避だ。だが時代劇には今どきの番組には無いものが常にある。それは『勧善懲悪』の心だ。悪は滅び善は栄える。そうで無くては世の中、味(あじ)無いだろう、というのが時代劇の矜恃(きょうじ)だ。だからどれ程(ほど)つまらない時代劇でも安心して観られるのである。

もしや今の日本人の心に圧倒的に不足しているのは時代劇であり、この『勧善懲悪』の心では無いのかとすら思う。『悪は滅ぶ』『善は栄える』これが当たり前で無くなったのでは世の中がおかしくなる筈(はず)だ。

私は桃太郎侍に斬られる側なのか救われる側なのか。そう思いながら己の行いを顧みると結構怖い。嗚呼(ああ)、今こそ本当の正義の味方よ出(い)でよ>以上
小生は1951/昭和26年生まれだから、さだまさし氏とほぼ同期である。祖父は明治生まれ、両親は大正か昭和初期生まれ、上記の論稿には敗戦前の「武士道的純粋ニッポン人」の匂いがプンプンしている。同志諸君、命懸けで日本を取り戻すべし! 
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華麗なる加齢は難しい

2024-10-20 12:04:59 | 戦争
雀庵の「大戦序章」346/通算777 華麗なる加齢は難しい
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華麗なる加齢は難しい
“シーチン”修一
【雀庵の「大戦序章」346/通算777 2024(令和6)年10/20/日】10月20日、選挙を済ませてからペンキ塗りに取り掛かろうと早朝7時に稲田中学校へ行ったが、中学生が朝練しているだけで選挙の人は誰もいない。1週間早過ぎたのだ! 老化によるボケ! 情けないが、ゴミ出しの関係で曜日はしっかり把握しているものの、〇月〇日という日付は新聞で確認するだけで、それもすぐに忘れてしまうという状態だった。そこで小生の部屋にあるカレンダーに今日の日を赤鉛筆で丸く囲むことにした。もっともこの作業をし忘れたらどうしようもないが・・・華麗なる
加齢は難しい。
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不安な時代 米国は内戦前夜?

2024-10-08 16:03:18 | 戦争
不安な時代 米国は内戦前夜?
“シーチン”修一
【雀庵の「大戦序章」343/通算774 2024(令和6)年10/8/火】このところ小生のブログは殺伐とした話ばかりで、たまには明るく楽しい話をしたいなあと思い、「自分の世界を創って、そこで面白おかしく過ごした永井荷風」の作品を読めば小生も読者も気分が良くなるではないかと、荷風(1879/明治12年生)が米国ワシントン州の太平洋岸の都市タコマに滞在中の1904/明治37年1月、25歳の時の作品『牧場の道』を読み始めた。興味深いところを抽出していったら徐々に凄い話になってビックリ! 小説だから針小棒大的な脚色はあるだろうが・・・ウーン、荷風は凄い! 以下転載する。

<タコマに滞在していた時分、10月の確か最終の土曜日であった。秋は早暮れ行くので、往来の両側に植えられた楓(メープル)の並木を初め、公園や人家の庭にひと夏の涼しい影を作った樹木と云う樹木は、夕べの深い霧で大概は落葉して了(しま)った。
このタコマのみならず米国の太平洋沿岸はもう一週間を過ぎずして所謂(いわゆる)悲しい十一月(ノーベンバー)の時節となったならば毎日、霧と雨とに閉ざされて来年の五月になるまで、殆(ほとん)ど晴れた空を見ることは出来ない。今日の晴天は恐らく今年の青空の見納めであらうと云う。私は此の地の風土や事情に通じて居る或る友に勧められて、ともども此の一日を晩秋の広野(プレヤリー)に自転車を馳(はし)らせる事にした・・・

南タコマと呼ぶ村落を通り過ぎると、すぐに広漠たる野原に出た。道の通ずる儘(まま)に或ひは上り或ひは下る事、恰(あたか)も波に揺られる舟の如く、遂に行き盡(つく)してオーク(落葉樹ナラ(楢)の総称)の林に這入った・・・私等は漸くに苔むす一條の小道を見出し、その導くが儘(まま)に、林間の湖水アメリカンレーキの畔(ほとり)に休み、更に轉(てん)じてスチルカムと呼ぶ海岸の孤村を訪(おとの)うたのである。
「帰り道にこの山の上の癲狂院(てんきょういん、現在の精神病院)を案内しやう。ワシントン州の州立癲狂院(ステートアサイラム)だから、此の邊(へん)では一寸(ちょっと)有名だよ。」・・・
友はかう云ったので、私は彼の後に續(つづ)いて後ろの丘陵へ上ると、遠くの彼方には気も晴れ晴れする牧場を望み、近くには幽邃(ゆうすい)な林を前にして、宏壮な煉瓦造(れんがづくり)の建物が直ぐ様それと知られるのであった。

白いペンキ塗りの低い垣で境(さかい)された廣(ひろ)い構内は、人の歩む道だけを残して、一面に青々とした芝生がその上に植えられた枝の細かい樹木や色々な草花と相對して目も覚めるばかり鮮明(あざやか)な色彩を示して居る。裏手の方には宏大な硝子張(がらすばり)の温室が見え、小径(こみち)の所々には腰掛(ベンチ)、廣場(ひろば)の木陰には腰掛付きの鞦韆(しゅうせん、ぶらんこ)なぞも出来て居たが、見渡す限り森閑として人の氣色(けはひ)も無い。
私等は鉄の門前を過ぎる一條の砂道をばゆるゆると自轉車(じてんしゃ)を進ませ、もと来た牧場の方へ下りて行った。友は色々説明したついでに、「この癲狂院(アサイラム)には日本人もニ三人収容されている居るよ。」

何事ないように云ったが、私には此れが非常な事件である様に思われた。(日本人収容者について)友は「皆(みん)な出稼ぎの労働者さ。」と付加えた。出稼ぎの労働者と云ふ一語は又しても私の心を動かさずには居ない。思い返すまでも無く、過ぐる年、故郷を去って此(こ)の国に向ふ航海中、散歩の上甲板から、(日本から新大陸を目指す)彼等労働者の一群を見て、私は如何なる感想に打れたらう。彼等は人間としてよりは寧(むしろ)荷物の如くに取扱はれ狭い汚い船底に満載されてゐた・・・

彼らは外国(新大陸)で三年の辛苦をすれば国へ帰ってから一生楽に暮せるものとのみ思込んで、先祖が産まれて而(そ)して土になった畠を去り、伊太利(いたりや)の空よりも更に美しい東の空に別れ、移民法だの健康診断だのと、いろいろな名目の下(もと)に行われる幾多の屈辱を甘受して、此の新大陸へ渡って来るのである。然(しか)しこの世は世界の何処(いづこ)へ行かうとも皆な同じ苦役の場所である。彼らの中(うち)の幾人(いくたり)が其の望みを達し得るのであろうと、色々悲しい空想の湧起こるにつれて、(自転車旅行中の)私の目には今まで平和と静安の限りを示していた行手の牧場は忽ち変じて、云はん方なき寂寥(せきりょう、もの寂しさ)を感ぜしめ、松の森林は暗澹(あんたん、暗い思い)として奥深く、恐怖と秘密の隠家(かくれが)である様に思はれた。

友はとある木陰に車をよせて休息するのを幸ひ、私は近寄って、「君は知って居るかね、(憧れて新大陸に来ながら)どうして(癲狂院行きという)狂気(きちがひ)なぞに成ったのだろう。」
「あの・・・(新大陸を目指した)労働者のことかね・・・大概は先ず失望という奴が原因になるんだが、そればかりじゃ無い・・・実に可哀想な話さ。然しさう云ったような話はアメリカには珍しく無いよ・・・僕も人から聞いた話なんだが・・・。」とこう話した。

(1904/明治37年から)六、七年前、丁度(西海岸の)シアトルやタコマへ日本人が頻(しきり)と移住し始めた當時のことで、今日のように万事が整頓していないから、種種(いろいろ)の罪悪が殆(ほとん)ど公然に行われて居た。カリフオルニアの方から彷徨(さまよ)つて来た無頼漢や、何處(いずこ)の海から流れて来たのか出所の知れない水夫あがりの親方なぞ、少しく古参の滞米者は、争つて案内知らぬ新渡米者の生血を吸つたものだ。批(か)う云ふ危険な悪所へと彼――発狂者の一人は其(そ)の妻と二人で日本から出稼に来たのである。

一体日本の農夫が渡米の野心を起こす最大の原因は新帰朝者の誇大な話を聞く事であるが、彼も正しく其の中(うち)の一人であった。彼は蕎麦(そば)の花咲く紀州の野に住んで居たが、丁度その村へ布哇(ハワイ)島から帰って来た男があって、アメリカと云えば金のなる木が何處にも生えて居るやうな話をする處から、ふいと未だ見ぬ極楽へ行く気になり、殊に女の労働賃銭は男よりもよいと云ふ様なことから到頭夫婦連れの渡米が実行される事になつたのである。(そして)シアトルと云ふ其の地名さへ発音するには舌が廻らぬ程な不知案内の土地へ上陸する。
(上陸する)と波止場には船の着くのを待っている労働口の周旋屋、宿屋の宿引、醜業婦密輸入者なぞ云ふ、何れも人並よりは鋭い眼を持って居る輩(てあい)が、それぞれ腕一杯の力を振って各自(めいめい)の網の中へ獲物をつかみ入れる。彼ら夫婦は宿屋の案内と称する一人の男に連れられて、大きな荷馬車と人相の悪い亜米利加(あめりか)の労働者が彼方此方(あっちこっち)にごろごろして居る汚い街から、唯(と)ある路地に入り、暗い戸口を押明けて、狭い階子段(はしごだん)を上るのでは無く、地の下へと下り、薄暗い一室に誘(いざな)はれた。

此処(ここ)で過分な周旋料を払わせられた後、妻は市中の洗濯屋に働き、男は市(まち)からは十哩(まいる)ばかり離れた山林の木伐(きこり)に雇はれる事となり、昼も猶(なお)薄暗い林の中の一軒家に送り込まれた。此処には三人の日本人が同じく木伐となって寝起していたが、その中(うち)の親方らしい一人が、
「知らねえ国へ来たらお互いが頼りだ。此れからは皆(みん)な兄弟のやうにして働かうよ。」と云ふので、彼も殊の外、安心して、毎日仲間と共に西洋人の親方(ボツス)に監督されながら、一心に働いて居た。
仕事から帰って来ると、寂しい此の小屋の中で、新参の彼は三人の仲間から問われる儘(まま)に、色々と身上話をする・・・と親方らしい一番強そうな男が眼をぎらぎらさして、「カカアをシアトルへ置いて来たって・・・マア何て云ふ不用心な事をしたもんだ。」といかにも驚いやうに、大声で他の仲間を見廻した。 
「だってお前さん、この国へ来たからにや稼ぐのが目的(めあて)だから、カカアと別れて居る位な事は覚悟の上だ。」と新参の彼は然し悲しそうな調子で云ふと、彼男(かのおとこ)は続いて、「乃公(おれ)の云ふのは然(そう)ちや無(ね)え。それアお前さんの云ふ通り稼ぎに来たからにや其れ位の覚悟は無くちゃならねえが、女一人をシアトルへ置くなあ、川辺へ小児(こども)をあそばしとくよりも険呑(けんのん)だと云ふのさ。」・・・「へーえ。どうして。」
「お前さん、まだ来たてだから知らねえのも無理は無え。シアトルてえ處(ところ)は・・・シアトルばかりにゃ限らねえ、此のアメリカへ来た日にア、何処へ行つたつて女一人を安穏にさしとく處はありやアしねえ。まア瑕(きず)をつける位ならまだしもだ。お前さん、悪くするともう二度とかかアの顔は見られねえぜ。」
「全くさね。用心するがいいよ。」と他の一人が付加えた。(親方らしい)以前の男は暫く無言で、泣き出しさうな顔をして居る新参者の様子をば上目でちろちろ見遣つて居たが、大きなパイプで煙草を一吹しながら、
「この国へ来たら、何様(どんな)尼ツちよでも、女と云う女は皆(みん)な生きた千両箱だ・・・千両ぢや無え千弗箱だ。だから嬪夫(びんぷ)てえ女衒(ぜげん)商売をして居る奴が、鵜の目鷹の目で女を探してゐるんだが、時にや随分無慈悲な仕事をするよ。此れア真実(まったく)の話だぜ。夫婦連れで往来を歩いている處を、いきなり後ろから行って亭主を撲(なぐ)り倒して女房を搔攫(かつさら)つて、それなり雲隠れをしちまつた。此の廣いアメリカだもの、もう分かるものか。一晩の中に何處か遠い處へ行って女郎に売れア、千弗(せんどる)は濡手(ぬれて)で粟(あは)だ。お前さん、悪いことは云わねえ。早くどうにかしないと飛んでもねえ事になるぜ。」新参の彼は目に涙を浮かべて居た。>長くなったので以上で引用終わり。
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結局、新参の彼は緒先輩に煽られて奥さんを山の中の作業宿舎に呼び寄せ一安心していたが、やがて緒先輩に騙されていたことを知る。奥さんを「貸せ」と言うのである。新参の男は真っ青になって震え、女房はぶるぶる震えるばかり。女が強姦され悲鳴を上げると旦那はショックで失神してしまった。女は自殺したか、どこかへ転売されたか、行方は知れず。旦那は気が狂って癲狂院に収監された・・・

悲劇であるが、USAアメリカは移民から独立、建国の最初から「弱肉強食」が風土のようである。日本人が米国へ移住したのはいつからか。「明治時代から第二次世界大戦の敗戦まで、日本人が北海道、樺太、ハワイ、満洲、朝鮮半島、台湾、南アメリカ、北アメリカへと広く移住した。おおむね海外移民の嚆矢とされるのは、明治元年(1868年)に「元年者」と呼ばれるハワイへの移民153名がパスポート不所持のままながら渡航したのが最初」と言う(WIKI「日系人」)。小生思うに成功した人は一握りで、尾羽打ち枯らして帰郷する人が多かったのではないか。彼らは「逃げ帰った」とは言えないからハワイやアメリカ大陸での日々を面白おかしく脚色して報じていたのではないか。罪作りのような気がするが・・・それにしても今現在でも米国移住希望者は気が遠くなるほど多い。危険な国であるとはこれっぽっちも思わないようだ。タフなのか、愚かなのか・・・

日本外務省の「海外安全情報」によると、<米国連邦捜査局(FBI)の犯罪統計によると、2021年中、米国における凶悪犯罪(殺人、強制性交、強盗)、加重暴行の発生は694,050件、財産犯罪(侵入窃盗、窃盗、自動車盗、放火)の発生は推計4,145,374件。
例えば2021年の殺人事件発生総数は日本が874件であるのに対し米国は13,537件、強盗事件は日本が1,138件であるのに対し米国は121,373件であり、日米の人口差を考慮しても米国における犯罪発生率は日本よりも格段に高い。また、米国ではこのような凶悪犯罪に銃器が用いられることが多い点(およそ半数は銃器を使用)にも留意する必要がある>

小生がコロラド州デンバー界隈を相棒と取材していた1980年頃、同州の大学を卒業した相棒が世話になった金持(国際的な大企業の幹部)の豪邸を尋ねると日本人の女中さんがまだ居て、自宅に招待された。旦那さんも日本人で、いわゆる「日系二世」のよう。余りにも質素というか貧相な暮らしぶりにびっくりしたものだ。米国は「弱肉強食」で勝ち組(セレブ)はひと握り、多数派の中間層を挟んで、福祉に頼る負け組弱者(“パラサイト”は言い過ぎか?)も結構多そうだ。大統領や候補者を銃で暗殺したい人は「自分は良き市民であるが、まったく報われていないのは福祉を軽視する共和党のせいだ。共和党を駆除すべし」となるのだろう。怒れる若者どころかイカレポンチ、まるで二十歳の頃の“マルクスボーイ”修一そっくり。

最近、米国は民主党と共和党の対立がえげつないほど激しくなり、第2次市民戦争(南北戦争の現代版)が危惧されるほどになっている。「銭ゲバ拝金教徒:民主党」対「清貧キリスト教福音派教徒:共和党」の対立のようでもある。インディアンなど先住民を抹殺したツケ、無差別大量絨毯爆撃と核爆弾で大日本帝国を圧殺したツケなどが積もり積もって、たとえ内戦になっても自由世界は「因果応報」と同情しないだろう。「パクスアメリカーナ」とか「グローバリズム」の時代はますます終末期に近づいてきた感じがする。第3次世界大戦になるかならぬか・・・不安な時代でもある。
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