雀庵の「常在戦場/31 中共を愛してと言われても」
“シーチン”修一 2.0
【Anne G. of Red Gables/317(2021/6/11/金】化けの皮が剝がれているのに昔のように愛して、と言われても・・・
♪嫌われてしまったの 愛する人に 捨てられてしまったの 紙くずみたいに 私のどこがいけないの それともあの人が変わったの 悲しみの目の中を あの人が逃げる あなたならどうする 泣くの歩くの 死んじゃうの あなたなら あなたなら
覆水盆に返らず、静かに死んでほしいが・・・毛沢東教信者の妄想暴走的“ダッチロール”症の習近平は病膏肓、昨日まで恫喝しまくっていながら、今日から一転して“かわい子ぶりっ子”、精神的にかなりおかしくなっているのではないか。急性期閉鎖病棟で6か月も治療を受ければそこそこ落ち着くかも・・・カウンセラーのヨーコちゃん、紹介しようか? 手遅れのよう気がしないでもないが・・・脳外科オペが必要かもしれない。遠藤誉氏「習近平の『愛される国』外交指示を解剖する」2021/6/4から。
<5月31日、習近平は中共中央政治局の学習会で「愛される国」になる外交を展開せよと強調した。これを「中国が外交方針を変えるシグナルか」と受け止める向きもあるが、そのような甘い夢は抱かない方がいい。以下は習近平の講話骨子(抜粋)。
●わが党は建党以来、対外的伝播工作を重要視してきた。第18回党大会以来、わが党は国際的な世論誘導と世論闘争を効果的に行い、対外的大宣伝体制を構築することに務め、中国の国際的な言論と影響力を大幅に高めてきた。しかし同時に新たな状況と課題にも直面している。わが国の発言権と影響力を高め、国際世論への誘導力を高める努力が必要である。
●中国共産党が真に中国人民の幸福のために努力していることを外国人に理解してもらい、なぜ中国共産党が有能なのか、なぜマルクス主義が機能するのか、なぜ中国の特色ある社会主義が良いのかを理解してもらうために、中国共産党の宣伝能力を強化しなければならない。
●人類運命共同体の御旗を高く掲げ、多国間主義を唱え、一国主義・覇権主義に反対し、国際新秩序を形成すべく国際社会を導いていく。中国の発展そのものが世界に最大の貢献を果たし、人類の問題解決に知恵を与えることを宣伝していかなければならない。
●その目的を果たすために「専門的人材隊伍(チーム)」を形成せよ。対外的な発言力システムを構築し、芸術を用いた宣伝活動を強化せよ。・・・
習近平の講話をじっくり読んでみると、これは「毛沢東の戦略」以外の何ものでもないことが見えてくる。「中国共産党がいかに人民の幸福を優先しており、いかに友好的であるか」を示していかなければならないという方針は、毛沢東が延安時代に編み出した戦法であって、目新しいものではない。
あの頃は、中国共産党は貧乏だったので、「宣伝活動こそが最大の武器」だった。しかし、その宣伝工作活動により圧倒的多数であった農民を中国共産党側に引き寄せることによって当時の執政党である国民党との戦いである国共内戦に勝利したのだから、「宣伝活動こそが最大の武器である」という戦略は党の中心となり、今も変わっていない。
だからこそ、「文化の衣を着た」孔子学院を全世界に設置したのであり、世界中に「友好の衣を着た」中国人を潜り込ませ、主要国の政権与党の指導的役割をしている人物を懐柔しているのである。
今年は7月1日に中国共産党建党100年記念を迎えるので、それに向けた中国共産党の存在意義を一層強化していこうというのが主たる目的だ。
習近平の父・習仲勲は生涯を懸けて「言論の自由」を主張してきた。それ故にトウ小平により1990年になってからもなお、二度目の失脚を強いられたが、その復讐をしているはずの習近平は、父の仇討よりも「一党支配体制の維持を優先」して、言論の弾圧を強化している。
この優先的選択こそが、中国共産党の統治の正体であり、「言論弾圧」なしに中国共産党による統治は成立しないことを、私たちは中共の党史から学ばなければならない。これだけは絶対に変えないことを知らなければならないのである>
井の中の蛙大海を知らず、習近平は中共が世界を共産主義へと導いていかなければならないと思い込んでいる。緊急措置入院させないと心神喪失で核ミサイルをぶっぱなしそうだ。「〇〇につける薬なし」。
中共の若者は習近平政治にウンザリしてきたような・・・福島香織氏「なんだか疲れてきた中国の若者たち、無気力カルチャーが蔓延中」JBプレス2021.5.20から。
<2018年ごろに中国の若者の間に広まっているとされる「喪文化」。これは、無目的で希望のない言動に共感したり「かっこいい」と感じる文化である。今年(2021年)はこれに続いて「身尚平学」(身尚は一文字、「とうへい学」=寝そべり学)という言葉が若者文化を象徴するキーワードとして中国メディアでもさかんに取り上げられている。
やる気なく寝っ転がって日々をやり過ごすライフスタイルで、最近の若者の中でこういう生き方を正義とする価値観が蔓延し始めているのだという。きっかけは「身尚平学はすなわち正義」という文章が最近、ネットで話題になったこと。この文章の作者は同年のネットユーザーたちから「身尚平学大師」(寝そべり学大先生)と崇められるようになった。
身尚平学大師の主張とは、自分は「内巻(インボリューション、閉じられた環境の内部競争にいやおうなく巻き込まれている状況)された若者であるという感覚がある」「寝そべりは私にとって賢者の運動である」「なぜ明らかに意味のない存在のために奮闘するのか」「私は誰のためにも働きたくない」「隠れてどこかから忙しそうにしている人を笑って見ていたい」。
なんとも無気力。欲望や向上心なし。ただひたすら「頑張りたくない、奮闘を拒否する」という心理。こういう若者たちを見て大人たちは「夢がないのか。それだと塩漬けにされた魚とどこが違うんだ?」と批判するわけだが、「塩漬けの魚のどこが悪い」と若者たちは言い返す。
そこで、社会学や心理学の専門家たちは、喪文化や身尚平学が若者カルチャーとして蔓延するその背景をいろいろ分析したり、論じたりしている。数年前に日本で「喪文化」「身尚平学」が中国に先駆けてはやっていたとして、日本の大前研一の著書『低欲望社会』(2016年)を引き合いに出したりして、日本と同じ問題、たとえば人口減少や少子高齢化社会が無気力の原因だと紐づけようとする見方もある。
だが、私は中国の状況は日本とかなり違うのではないか、とみている。「喪文化」にしても「身尚平学」にしても、これは習近平政権が近年スローガンにしている「正能量(ポジティブパワー)」に対する、暗黙の抵抗ではないだろうか。
中国は人口減少期に確実に予定より早く突入しそうだし、少子高齢化の問題もあるが、国家としては登り坂、少なくとも表面的には米国相手に対等にわたり合い、「中国の夢」「中華民族の偉大なる復興」実現に向けて、時の利は中国にあり、と勢いを誇示している。新型コロナを早々に抑え込み、ワクチン外交を展開し、一帯一路こそ世界の公道だと胸を張り、人類運命共同体の中心で舵取りを行い、ポストコロナの国際社会の米国に代わるルールメーカーたらんという意欲にあふれている。
だが、だからこそ今時の中国の若者の「がんばりたくない」「『内巻』されたくない」という言動の根底には、共産党政権、習近平政権への思想的拒否感があるのではないか、という見方もあるのだ。つまり習近平・共産党政権の「中華民族の偉大なる復興、中国の夢」に俺たちを巻き込まないで、と言いたいのではないか。ところが中国には言論の自由がないので、ストレートには言えない。
現実に目を転じれば、数世代前の中国の若者と比較すると、現代の若者は格差拡大と失業率悪化の問題に直面し、都市の不動産価格の上昇、物価の上昇、監視社会の不自由さが重なって、1990年代からゼロ年代(2000年代)の高度成長期の若者にあった活力は明らかに衰えている。「中国の夢」の実現は、若者たちに重い負荷をかけずには進まないのだ。
ノッティンガム大学・寧波中国校副教授の陳志偉は「中国の大部分の地域はすでに脱貧困を達成しているが、青年たちが夢を実現するのは困難になった。父母、祖父母世代と比べて社会の不平等はむしろ広がっているからだ」とBBCに語っている。
さらに「『996』(朝9時から夜9時まで週6日働く長時間労働)をやってみたけれど一向に豊かさが実感できない」という挫折感、新型コロナの大流行と、それに伴うロックダウンなどの経験が、中国の若者の無力感や閉塞感をさらに強くさせている。だから(身尚平学の元祖的アイドルの)利路修の「この現状から抜け出したい、解放してほしい」という精神に共鳴したのではないかと、陳志偉はみている。
陳志偉は「利路修の発言は、世の中の見方を変えるものでもあった。中国の若者は他人からの評価が低いことを恐れているが、他者から評価を押し付けられることへの反感が、利路修の発言への共感となった。若者たちの『多数派の人から加えられる圧力からの解放への渇望』を反映していた」
利路修はTV番組内で何度も「僕を愛してくれるなら、応援しないで」と訴え、その希望が叶ってようやく脱落できたときは、出口に向かってダッシュする様子が映された。その様子はまるで「自由への逃走」だった。
ちなみに、利路修(リルーシュ)という芸名は、日本アニメ「コードギアス 反逆のルルーシュ」からとったらしい。彼の怠惰な言動は、「内巻」から逃れ自由を勝ち取るための「反逆」であったということか。
中国の体制の在り方に漠然と不満や息苦しさを感じても、80年代の天安門事件世代のように抵抗する手段も気力もない今の若者たちにできるのは、ただ怠惰に過ごして脱落すること。党内の官僚政治家たちも、かつてのように「宮廷クーデター」を起こすことも、権力闘争で政敵を斃す実力も気力もない。ただ、サボタージュでその不満をにじませる。
「中国の夢」という壮大なスローガンの足もとで、そういう気分が広がっているのが中国のリアリティなのだ>
遠藤誉、福島香織・・・天照ナデシコ大御神にわても付いていきますーっ。「身尚平学=寝そべり学」は国際社会で広く報道されたようだ。こんな具合。
▼クーリエジャポン2021/6/7「急激な台頭に政府もピリピリ? 中国の若者に広がる『寝そべり族』向上心がなく消費もしない寝そべっているだけ主義」▼ドイチェ・ヴェレ6/8「中国の“身尚平学族”は何を考えているのか」▼産経6/10「石平のChina Watch
若者の『身尚平主義』に焦る政権 頑張らない 競争しない 欲張らない」。石平氏はこう指摘する。
<「身尚平」という言葉はもともと「横たわる」という意味だが、そこから生まれる「身尚平主義=横たわり主義」とは「頑張らない、競争しない、欲張らない、最低限の消費水準の生活に満足し、心静かに暮らす」ということである。「横たわり主義」はいま、多くの若者が志向する、はやりの生き方となっていて、「身尚平族」の大量出現が注目の社会現象となっているのだ。
「横たわり主義」を徹底的に貫くべく、「不恋愛、不結婚、不就職」、つまり「恋愛しない、結婚しない、就職しない」という「三不主義」を高らかに宣言し、かつ実践する若者も続出している。
このような斬新なライフスタイルの誕生と流行に対して敏感に反応しているのが、政権の考えを代弁する官製のメディアである>
中共御用達メディアの北京日報、光明日報、人民日報、南方日報は相次いで「横たわり主義」を批判したという。そりゃそうだ、若者が前線で奮闘しなければ習近平の夢である世界革命戦争はできないのだから。
日本では敗戦後の飢餓的困難を乗り越えた60年安保前後から反日共系の新左翼諸派が続々生まれたが、「人はパンのみにて生くるにあらず、衣食足りて“正義”を求める」、共産主義を理想社会=革命=正義として暴れまくり、1970年にはほぼ鎮火した。1972年の連合赤軍事件が共産主義幻想にとどめを刺したと言えるだろう。
高度成長期の波の中で過激派の多く(概ね1935~1950年生まれ)は“若気の至り”に寛容な社会でもあったから、仕事も私生活も“エンジョイ”していたようだ。一所懸命にやれば出世していい思いをする、そこそこでもやればそれなりに面白おかしく暮らせるという時代がバブル景気、IT革命を挟んで2000年までは続いていたように思う。
日本の企業は大学新卒採用に当たっては「苗木」を選ぶ感じではないか。上手く育てれば結構いい木になるだろう、という感じ。新人教育で1年くらいは勉強させる、適性を見る。経済が安定していれば95%ほどはそれなりに就職できる。
一方、中共では800万人ほどの大学新卒が生まれる。日本の40万人の20倍。中国のGDPは日本の3倍だから、単純に計算すると120万人採用で済むところに800万人が押し寄せる。就職できるのは精々(コネとかスキルのある?)200万人、つまり25%、4人に1人、かなりの狭き門だ。完全にエリート、支配階級の世界。外れた青年はウダツの上がらない仕事に就くのだろうか。
大卒ながら定職なし、一人っ子で両親どころか祖父祖母の介護、結婚なんて夢のまた夢、・・・「やってられねーよ」という気分、分かるなあ。人生ゲームから逃げ出したくなる。中共青年の「身尚平主義=横たわり主義」への共感は、習近平の唱える「中国の夢」は
「明るい未来」どころか「悪夢の現実化」であることへの痛烈な非難かも知れない。
目安箱:ishiifam@minos.ocn.ne.jp
https://blog.goo.ne.jp/annegoftotopapa4646
メルマガID 0001690154「必殺クロスカウンター」
“シーチン”修一 2.0
【Anne G. of Red Gables/317(2021/6/11/金】化けの皮が剝がれているのに昔のように愛して、と言われても・・・
♪嫌われてしまったの 愛する人に 捨てられてしまったの 紙くずみたいに 私のどこがいけないの それともあの人が変わったの 悲しみの目の中を あの人が逃げる あなたならどうする 泣くの歩くの 死んじゃうの あなたなら あなたなら
覆水盆に返らず、静かに死んでほしいが・・・毛沢東教信者の妄想暴走的“ダッチロール”症の習近平は病膏肓、昨日まで恫喝しまくっていながら、今日から一転して“かわい子ぶりっ子”、精神的にかなりおかしくなっているのではないか。急性期閉鎖病棟で6か月も治療を受ければそこそこ落ち着くかも・・・カウンセラーのヨーコちゃん、紹介しようか? 手遅れのよう気がしないでもないが・・・脳外科オペが必要かもしれない。遠藤誉氏「習近平の『愛される国』外交指示を解剖する」2021/6/4から。
<5月31日、習近平は中共中央政治局の学習会で「愛される国」になる外交を展開せよと強調した。これを「中国が外交方針を変えるシグナルか」と受け止める向きもあるが、そのような甘い夢は抱かない方がいい。以下は習近平の講話骨子(抜粋)。
●わが党は建党以来、対外的伝播工作を重要視してきた。第18回党大会以来、わが党は国際的な世論誘導と世論闘争を効果的に行い、対外的大宣伝体制を構築することに務め、中国の国際的な言論と影響力を大幅に高めてきた。しかし同時に新たな状況と課題にも直面している。わが国の発言権と影響力を高め、国際世論への誘導力を高める努力が必要である。
●中国共産党が真に中国人民の幸福のために努力していることを外国人に理解してもらい、なぜ中国共産党が有能なのか、なぜマルクス主義が機能するのか、なぜ中国の特色ある社会主義が良いのかを理解してもらうために、中国共産党の宣伝能力を強化しなければならない。
●人類運命共同体の御旗を高く掲げ、多国間主義を唱え、一国主義・覇権主義に反対し、国際新秩序を形成すべく国際社会を導いていく。中国の発展そのものが世界に最大の貢献を果たし、人類の問題解決に知恵を与えることを宣伝していかなければならない。
●その目的を果たすために「専門的人材隊伍(チーム)」を形成せよ。対外的な発言力システムを構築し、芸術を用いた宣伝活動を強化せよ。・・・
習近平の講話をじっくり読んでみると、これは「毛沢東の戦略」以外の何ものでもないことが見えてくる。「中国共産党がいかに人民の幸福を優先しており、いかに友好的であるか」を示していかなければならないという方針は、毛沢東が延安時代に編み出した戦法であって、目新しいものではない。
あの頃は、中国共産党は貧乏だったので、「宣伝活動こそが最大の武器」だった。しかし、その宣伝工作活動により圧倒的多数であった農民を中国共産党側に引き寄せることによって当時の執政党である国民党との戦いである国共内戦に勝利したのだから、「宣伝活動こそが最大の武器である」という戦略は党の中心となり、今も変わっていない。
だからこそ、「文化の衣を着た」孔子学院を全世界に設置したのであり、世界中に「友好の衣を着た」中国人を潜り込ませ、主要国の政権与党の指導的役割をしている人物を懐柔しているのである。
今年は7月1日に中国共産党建党100年記念を迎えるので、それに向けた中国共産党の存在意義を一層強化していこうというのが主たる目的だ。
習近平の父・習仲勲は生涯を懸けて「言論の自由」を主張してきた。それ故にトウ小平により1990年になってからもなお、二度目の失脚を強いられたが、その復讐をしているはずの習近平は、父の仇討よりも「一党支配体制の維持を優先」して、言論の弾圧を強化している。
この優先的選択こそが、中国共産党の統治の正体であり、「言論弾圧」なしに中国共産党による統治は成立しないことを、私たちは中共の党史から学ばなければならない。これだけは絶対に変えないことを知らなければならないのである>
井の中の蛙大海を知らず、習近平は中共が世界を共産主義へと導いていかなければならないと思い込んでいる。緊急措置入院させないと心神喪失で核ミサイルをぶっぱなしそうだ。「〇〇につける薬なし」。
中共の若者は習近平政治にウンザリしてきたような・・・福島香織氏「なんだか疲れてきた中国の若者たち、無気力カルチャーが蔓延中」JBプレス2021.5.20から。
<2018年ごろに中国の若者の間に広まっているとされる「喪文化」。これは、無目的で希望のない言動に共感したり「かっこいい」と感じる文化である。今年(2021年)はこれに続いて「身尚平学」(身尚は一文字、「とうへい学」=寝そべり学)という言葉が若者文化を象徴するキーワードとして中国メディアでもさかんに取り上げられている。
やる気なく寝っ転がって日々をやり過ごすライフスタイルで、最近の若者の中でこういう生き方を正義とする価値観が蔓延し始めているのだという。きっかけは「身尚平学はすなわち正義」という文章が最近、ネットで話題になったこと。この文章の作者は同年のネットユーザーたちから「身尚平学大師」(寝そべり学大先生)と崇められるようになった。
身尚平学大師の主張とは、自分は「内巻(インボリューション、閉じられた環境の内部競争にいやおうなく巻き込まれている状況)された若者であるという感覚がある」「寝そべりは私にとって賢者の運動である」「なぜ明らかに意味のない存在のために奮闘するのか」「私は誰のためにも働きたくない」「隠れてどこかから忙しそうにしている人を笑って見ていたい」。
なんとも無気力。欲望や向上心なし。ただひたすら「頑張りたくない、奮闘を拒否する」という心理。こういう若者たちを見て大人たちは「夢がないのか。それだと塩漬けにされた魚とどこが違うんだ?」と批判するわけだが、「塩漬けの魚のどこが悪い」と若者たちは言い返す。
そこで、社会学や心理学の専門家たちは、喪文化や身尚平学が若者カルチャーとして蔓延するその背景をいろいろ分析したり、論じたりしている。数年前に日本で「喪文化」「身尚平学」が中国に先駆けてはやっていたとして、日本の大前研一の著書『低欲望社会』(2016年)を引き合いに出したりして、日本と同じ問題、たとえば人口減少や少子高齢化社会が無気力の原因だと紐づけようとする見方もある。
だが、私は中国の状況は日本とかなり違うのではないか、とみている。「喪文化」にしても「身尚平学」にしても、これは習近平政権が近年スローガンにしている「正能量(ポジティブパワー)」に対する、暗黙の抵抗ではないだろうか。
中国は人口減少期に確実に予定より早く突入しそうだし、少子高齢化の問題もあるが、国家としては登り坂、少なくとも表面的には米国相手に対等にわたり合い、「中国の夢」「中華民族の偉大なる復興」実現に向けて、時の利は中国にあり、と勢いを誇示している。新型コロナを早々に抑え込み、ワクチン外交を展開し、一帯一路こそ世界の公道だと胸を張り、人類運命共同体の中心で舵取りを行い、ポストコロナの国際社会の米国に代わるルールメーカーたらんという意欲にあふれている。
だが、だからこそ今時の中国の若者の「がんばりたくない」「『内巻』されたくない」という言動の根底には、共産党政権、習近平政権への思想的拒否感があるのではないか、という見方もあるのだ。つまり習近平・共産党政権の「中華民族の偉大なる復興、中国の夢」に俺たちを巻き込まないで、と言いたいのではないか。ところが中国には言論の自由がないので、ストレートには言えない。
現実に目を転じれば、数世代前の中国の若者と比較すると、現代の若者は格差拡大と失業率悪化の問題に直面し、都市の不動産価格の上昇、物価の上昇、監視社会の不自由さが重なって、1990年代からゼロ年代(2000年代)の高度成長期の若者にあった活力は明らかに衰えている。「中国の夢」の実現は、若者たちに重い負荷をかけずには進まないのだ。
ノッティンガム大学・寧波中国校副教授の陳志偉は「中国の大部分の地域はすでに脱貧困を達成しているが、青年たちが夢を実現するのは困難になった。父母、祖父母世代と比べて社会の不平等はむしろ広がっているからだ」とBBCに語っている。
さらに「『996』(朝9時から夜9時まで週6日働く長時間労働)をやってみたけれど一向に豊かさが実感できない」という挫折感、新型コロナの大流行と、それに伴うロックダウンなどの経験が、中国の若者の無力感や閉塞感をさらに強くさせている。だから(身尚平学の元祖的アイドルの)利路修の「この現状から抜け出したい、解放してほしい」という精神に共鳴したのではないかと、陳志偉はみている。
陳志偉は「利路修の発言は、世の中の見方を変えるものでもあった。中国の若者は他人からの評価が低いことを恐れているが、他者から評価を押し付けられることへの反感が、利路修の発言への共感となった。若者たちの『多数派の人から加えられる圧力からの解放への渇望』を反映していた」
利路修はTV番組内で何度も「僕を愛してくれるなら、応援しないで」と訴え、その希望が叶ってようやく脱落できたときは、出口に向かってダッシュする様子が映された。その様子はまるで「自由への逃走」だった。
ちなみに、利路修(リルーシュ)という芸名は、日本アニメ「コードギアス 反逆のルルーシュ」からとったらしい。彼の怠惰な言動は、「内巻」から逃れ自由を勝ち取るための「反逆」であったということか。
中国の体制の在り方に漠然と不満や息苦しさを感じても、80年代の天安門事件世代のように抵抗する手段も気力もない今の若者たちにできるのは、ただ怠惰に過ごして脱落すること。党内の官僚政治家たちも、かつてのように「宮廷クーデター」を起こすことも、権力闘争で政敵を斃す実力も気力もない。ただ、サボタージュでその不満をにじませる。
「中国の夢」という壮大なスローガンの足もとで、そういう気分が広がっているのが中国のリアリティなのだ>
遠藤誉、福島香織・・・天照ナデシコ大御神にわても付いていきますーっ。「身尚平学=寝そべり学」は国際社会で広く報道されたようだ。こんな具合。
▼クーリエジャポン2021/6/7「急激な台頭に政府もピリピリ? 中国の若者に広がる『寝そべり族』向上心がなく消費もしない寝そべっているだけ主義」▼ドイチェ・ヴェレ6/8「中国の“身尚平学族”は何を考えているのか」▼産経6/10「石平のChina Watch
若者の『身尚平主義』に焦る政権 頑張らない 競争しない 欲張らない」。石平氏はこう指摘する。
<「身尚平」という言葉はもともと「横たわる」という意味だが、そこから生まれる「身尚平主義=横たわり主義」とは「頑張らない、競争しない、欲張らない、最低限の消費水準の生活に満足し、心静かに暮らす」ということである。「横たわり主義」はいま、多くの若者が志向する、はやりの生き方となっていて、「身尚平族」の大量出現が注目の社会現象となっているのだ。
「横たわり主義」を徹底的に貫くべく、「不恋愛、不結婚、不就職」、つまり「恋愛しない、結婚しない、就職しない」という「三不主義」を高らかに宣言し、かつ実践する若者も続出している。
このような斬新なライフスタイルの誕生と流行に対して敏感に反応しているのが、政権の考えを代弁する官製のメディアである>
中共御用達メディアの北京日報、光明日報、人民日報、南方日報は相次いで「横たわり主義」を批判したという。そりゃそうだ、若者が前線で奮闘しなければ習近平の夢である世界革命戦争はできないのだから。
日本では敗戦後の飢餓的困難を乗り越えた60年安保前後から反日共系の新左翼諸派が続々生まれたが、「人はパンのみにて生くるにあらず、衣食足りて“正義”を求める」、共産主義を理想社会=革命=正義として暴れまくり、1970年にはほぼ鎮火した。1972年の連合赤軍事件が共産主義幻想にとどめを刺したと言えるだろう。
高度成長期の波の中で過激派の多く(概ね1935~1950年生まれ)は“若気の至り”に寛容な社会でもあったから、仕事も私生活も“エンジョイ”していたようだ。一所懸命にやれば出世していい思いをする、そこそこでもやればそれなりに面白おかしく暮らせるという時代がバブル景気、IT革命を挟んで2000年までは続いていたように思う。
日本の企業は大学新卒採用に当たっては「苗木」を選ぶ感じではないか。上手く育てれば結構いい木になるだろう、という感じ。新人教育で1年くらいは勉強させる、適性を見る。経済が安定していれば95%ほどはそれなりに就職できる。
一方、中共では800万人ほどの大学新卒が生まれる。日本の40万人の20倍。中国のGDPは日本の3倍だから、単純に計算すると120万人採用で済むところに800万人が押し寄せる。就職できるのは精々(コネとかスキルのある?)200万人、つまり25%、4人に1人、かなりの狭き門だ。完全にエリート、支配階級の世界。外れた青年はウダツの上がらない仕事に就くのだろうか。
大卒ながら定職なし、一人っ子で両親どころか祖父祖母の介護、結婚なんて夢のまた夢、・・・「やってられねーよ」という気分、分かるなあ。人生ゲームから逃げ出したくなる。中共青年の「身尚平主義=横たわり主義」への共感は、習近平の唱える「中国の夢」は
「明るい未来」どころか「悪夢の現実化」であることへの痛烈な非難かも知れない。
目安箱:ishiifam@minos.ocn.ne.jp
https://blog.goo.ne.jp/annegoftotopapa4646
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