雀庵の「常在戦場/37 中共への頭脳流出に歯止めを」
“シーチン”修一 2.0
【Anne G. of Red Gables/323(2021/6/20/日】クラスメイトのM君は国立大学教授を務めていたが、70歳の昨年、リタイアしたことを思い出して以下のメールを送った。
<Mクン、久し振りです! 無事のリタイア、さらに叙勲、おめでとう、努力と苦労が実ったね。
先日、産経新聞に、コロナワクチン開発で貢献したカタリン・カリコ博士が研究費の獲得でとても苦労したという記事があり、そう言えばMクンも苦労していたようだったなあと思い出した次第。
小生は物書きだからあまりカネはかからなかったが、9.11テロで会社をたたむ時は1000万円ほど銀行に返さなくてはならずに預貯金も生保もパーになった。捨てる神あれば拾う神ありで糊口を凌ぎ、60歳から年金暮らし、物欲がないからのんびり暮らしている。
理系の研究費は上を見れば兆の単位になるから、ちょっとした研究でも数百万とか数千万とかなりそうで、公的支援の他にスポンサーを見つけなければならないのだろう。基礎研究の場合は地味だし、すぐにカネになるわけではないから、こつこつタイプの理系学者にとって研究費調達は悩みのタネだろう。今はクラウドファンディングなどもあるが・・・
教授・学者が資金調達で奔走する・・・カネ、理財、濁世から距離を置いているはずなのに、それに翻弄されているような・・・Mクンの体験ではどうだったの? 裏の話を教えて欲しい>
Mクンからの返事はそっけなかった。「ご連絡ありがとうございます。裏の話など、何もありません。この種の質問には答えたくありません。現在、体調を崩し入院中です。今後の具体的な対応など、難しいです」
高校時代のMクンはバスケの選手で快活、勉強もできたから女子の憧れ、同期で東大一発合格、人徳もありOB会のトップにもなったが、どうも60歳くらいからブルーになってきたようだ。鬱病歴20年の小生から見るとMクンに必要なのは精神を癒す休息だろう。「人の心配しないで自分のことを心配しろ!」と言われそうだが・・・
国立大のMクンから袖にされたから私大の教授だったTクンに聞くしかないが、同窓会名簿がどこかへ行ってしまった。で、ネットで検索したら結構ヒットした。斎藤恭一早稲田大学理工学術院総合研究所客員教授「ノルマは年間500万円…研究費獲得に奔走する大学教授の知られざる苦悩」現代ビジネス2020/11/5から。
<学部4年生が卒業論文を、あるいは大学院生が修士論文を作成するために、1人の学生が研究室で1日8時間にわたって実験するとしよう。その1日の実験で、試料(サンプル)の作製や分析のために使った試薬の代金を2000円とする。すると月に20日間で4万円、12カ月で48万円となる。
たとえば1人の教員が指導する学生が、学部4年生が3名、大学院修士課程の学生1、2年生がそれぞれ3名、さらには博士課程の学生が1名いるとする。すると試薬代、言い換えると研究費を使う学生は、合計10名になる。1人の学生に48万円かかるから、10名で480万円。1年間にざっと500万円の研究費を調達しないといけない。
研究室にじーっと座っていても、お金は向こうから歩いてはこない。しかも研究費のほとんどは年度を繰り越せないので、毎年毎年500万円の研究費を工面するのだ。
救いは学生に給料を払う必要がないことだ。それどころか、学生は大学に学費(国立大学の場合、年間54万円)を払っている。また、研究室の家賃、電気代、水道代の請求はこない。私の給料は大学から支払われる。
私の父親がシャーリング業(注文に応じたサイズに鋼板を切断して売る商売)を1人で営んでいたので、私は働かないと食っていけないことを十二分に知っている。その父に比べれば私はずっと楽だったと思う。
ときどき分析装置、たとえば分光光度計のランプの寿命がやって来て切れる。測定装置、たとえばpHメータのガラス電極を、学生がうっかり破損してしまうこともある。いろんな装置が古くなり、修理や買い替えが迫ってくる。そこで年間500万円とは別に、年間100万円あるとうれしい。
研究費はあればあるほどよいわけではない。多額のお金があると、使い切ることや関連書類を作成することに忙しくなって、頭が働かなくなることだってある。研究の推進力は、お金ではなく、アイデアや工夫だと言い切ってみせる「やせ我慢」が研究者には大切である。
40年前なら文部省(文部科学省)がそれなりに大きな額を大学に支給していた。現在は国立大学は法人となり、「『親方日の丸』の意識を捨てて、それぞれ経営努力せよ」と言いわたされた。そうして文科省からの運営費交付金が毎年毎年減ってきている。
教員の研究費の調達先は大別すると三つ。1)まず科学研究費補助金(科研費)で、文部科学省と日本学術振興会が資金源。2)次に民間助成金で、これはありがたいことにたくさんの助成財団がある。たとえば、双葉電子記念財団。双葉電子工業の創業者である衞藤五郎氏と細矢禮二氏が財団を作り、自分の所有していた株をその財団に寄付した。毎年、株の配当を研究助成に充てている。
3)三つ目は民間企業からの研究費である。民間企業は共同して研究を行い、必要な費用の一部を大学に納める。
科研費や民間助成金を獲得するには、申請書類を作成・提出し、審査を受ける必要がある。一方、共同研究費の獲得には、民間企業が魅力を感じる研究テーマが必要である。
お付き合いで100万円の研究費を出してくれるほど企業に余裕はないのだから、民間企業から来る共同研究の申し出のほうが、工学部の教員としては科研費の獲得よりも誇るべきことだ。大学の研究が社会に役立つ可能性があると認められたことになる。
科研費の獲得に向けて、全国のどの大学でも教員を懸命に支援している。獲得した科研費が大学の研究活動度合いの目安にされているからである。
科研費の仕組みの説明会、前年度に採択された教員をゲストに招いての申請書類の書き方の講演会、申請書類の点検・校閲の実施まで、手取り足取りの親切さだ。大学の書店に行けば、「科研費の獲得法」といった本が堂々と棚に並んでいる。一昔前はこんな緊迫した状況ではなかった、云々>
西澤佑介・東洋経済記者の「没落する地方国立大の何とも悲惨な台所事情 個人研究費年50万円未満の教員が6割」2018/2/5も刺激的だった。
<岡山大学で免疫細胞を研究する田中智之教授の研究室には、計15人の学生が所属する。
「僕らぐらいの陣容の研究室だったら最低限の実験機材、試薬代などで年間500万円はないと回らへん」(田中教授)。だが、大学から定期支給される研究費(運営費交付金に基づく講座費)はたかだか年50万円しかない。日本学術振興会の競争的資金制度である科学研究費(科研費)助成事業に応募したり、民間の科学研究助成財団からかき集めたりするが、十分な資金を安定的に確保するのはなかなか難しい。
地方国立大学は「地域の雄」である。通う学生の多くは、地元でもよりすぐりの進学校から入学し、卒業後は地域のエリートとして地方の産業や行政を支える。しかし、今の地方国立大学を取り巻く現状はそんな地域の人材輩出機関としての権威からはほど遠いものだ。
文部科学省が2016年7月に行ったアンケートで、国立大学教員の窮状が明るみになった。所属機関から研究者に支給される個人研究費は、「50万円未満」と答えた教員が6割にのぼったのだ。「年の終わりになる11~12月頃になると、研究資金が底をついて開店休業状態になるラボが続出する」と、取材に答えたある地方国立大学理系学部の教授は話す。
研究に要する金額が大きい理系学部において、これは深刻な事態を生む。「研究室配属になった学生は、教員たちと一緒に研究をすることが教育にもなる。したがって開店休業状況では学生の教育すらできなくなる」(同教授)。どうしてこうなったのか。
多くの国立大教員は2004年の国立大学の独立行政法人化が転機になったと話す。国は、国立大学へ定期配分する基盤的予算(運営費交付金)を年々削減し、研究資金は公募・審査を通じた競争的資金で取ってくる形に変わった。しかも、その競争的資金の配分は、しばしば最新機器があって人数の多い大規模研究室や、学会の有力者がいる研究室に有利となるバイアスがある。結果として、研究資金は東大・京大など一握りのトップ大学に過度に集中する形となった。
他方で地方国立大学は、運営費交付金削減の影響をもろに被って、教員の新規採用凍結(定年などで退職した教員のポストの不補充)や、個人研究費の削減を余儀なくされた。教員は減っても、授業は既存の教員が受け持たなければならないので、教育負担は増えて研究時間は減った。このように資金面でも時間面でも研究しにくい環境になった。
カネに窮する国立大学は、何のために行うのかわからないような「大学改革」に乗り出す。たとえばカリキュラム変更や、グローバル化対応を目的とした頻繁な改組、新学部の開設などである。
名目としては、世の中の変化に対応して大学の社会的存在感を高めるためであるが、文科省から改革に関する補助金を得られるからという事情も大きい。それがまた、改革を本質的でないものとし、教員達は関連する学内事務に膨大な時間を割かれることになり、疲弊ぶりを深めてしまう逆効果になっているのである。
日本の研究力の低下が叫ばれている。科学論文数の世界シェアの順位は主要先進国の中で日本だけが顕著に落ちている。文部科学省科学技術・学術政策研究所「科学研究のベンチマーキング2017」によれば、2013~2015年における国立大学の科学研究論文は3万1850本と10年前から2620本減、8%減となっている。
ドイツが代表例だが、欧米では比較的層の厚い中堅上位校が論文生産量と研究の多様性を担保している。日本の改革は、中堅層の大学を没落させる結果となった。
競争原理による集中は、マクロで見ても研究力を強くはしなかった。週刊東洋経済が国立大学における研究費と論文の生産性を独自に調べてみたところ、一握りの上位大学だけに資金を過度に集中させても論文の生産性は結局上がらないこともわかった。
日本国内で産み出される論文の半分は、国立大学に所属する教員たちによるもの。研究力の低下を突きつめれば、科学研究の担い手である国立大学の疲弊が表面化したものであるといえる>
ひと頃学者は「象牙の塔」、現実逃避して観念的な態度で送る学徒、聖域に逼塞する世間知らずなどと言われたが、今や資金調達に悩まされる“額者”、まるで中小企業の社長、寅さんの「タコ社長」みたいになったか。学者にならなくて(なれなくて)良かった!
こんな状況だから優秀な学者が中共の美味しい餌に釣られてホイホイと戦狼の仲間入りをしてしまうのだ。学者が世間知らずなら文科省も同様。戦後最大の国難を前にして頭脳流出。平和ボケどころか自滅街道一直線。
重要事項はいっぱいあるが、喫緊の優先事項は国家の安全保障である。危機を認識できないボンクラ政治家や私利私欲の守銭奴みたいな銭ゲバ経営者が多過ぎる。危険予知センサーがおかしいのではないか。中国製じゃない?
スターリンはヒトラーに騙され、ルーズベルトはスターリンと蔣介石と毛沢東に騙され、蔣介石はニクソンに騙され、ニクソンは毛沢東に騙された。日本は全員に騙されるか利用された。高山正之先生曰く「世界はみんな腹黒い」。♪初心なネンネじゃあるまいし、また騙されるのか。
古人曰く、一度目は悲劇、二度目は喜劇。神様仏様バイデン様のお札を持って一緒に祈りましょう、国家安穏 国家安泰 怨敵退散 怨敵調伏 悪霊退散 魔妖調伏 敵国粉砕 国土防衛 疫病退散 必勝祈願 ・・・「そこなうつけもの。そのやうな呪符(護符)がなるものか。馬鹿につける薬なし」(枝珊瑚珠、1690年)。
目安箱:ishiifam@minos.ocn.ne.jp
https://blog.goo.ne.jp/annegoftotopapa4646
メルマガID 0001690154「必殺クロスカウンター」
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【Anne G. of Red Gables/323(2021/6/20/日】クラスメイトのM君は国立大学教授を務めていたが、70歳の昨年、リタイアしたことを思い出して以下のメールを送った。
<Mクン、久し振りです! 無事のリタイア、さらに叙勲、おめでとう、努力と苦労が実ったね。
先日、産経新聞に、コロナワクチン開発で貢献したカタリン・カリコ博士が研究費の獲得でとても苦労したという記事があり、そう言えばMクンも苦労していたようだったなあと思い出した次第。
小生は物書きだからあまりカネはかからなかったが、9.11テロで会社をたたむ時は1000万円ほど銀行に返さなくてはならずに預貯金も生保もパーになった。捨てる神あれば拾う神ありで糊口を凌ぎ、60歳から年金暮らし、物欲がないからのんびり暮らしている。
理系の研究費は上を見れば兆の単位になるから、ちょっとした研究でも数百万とか数千万とかなりそうで、公的支援の他にスポンサーを見つけなければならないのだろう。基礎研究の場合は地味だし、すぐにカネになるわけではないから、こつこつタイプの理系学者にとって研究費調達は悩みのタネだろう。今はクラウドファンディングなどもあるが・・・
教授・学者が資金調達で奔走する・・・カネ、理財、濁世から距離を置いているはずなのに、それに翻弄されているような・・・Mクンの体験ではどうだったの? 裏の話を教えて欲しい>
Mクンからの返事はそっけなかった。「ご連絡ありがとうございます。裏の話など、何もありません。この種の質問には答えたくありません。現在、体調を崩し入院中です。今後の具体的な対応など、難しいです」
高校時代のMクンはバスケの選手で快活、勉強もできたから女子の憧れ、同期で東大一発合格、人徳もありOB会のトップにもなったが、どうも60歳くらいからブルーになってきたようだ。鬱病歴20年の小生から見るとMクンに必要なのは精神を癒す休息だろう。「人の心配しないで自分のことを心配しろ!」と言われそうだが・・・
国立大のMクンから袖にされたから私大の教授だったTクンに聞くしかないが、同窓会名簿がどこかへ行ってしまった。で、ネットで検索したら結構ヒットした。斎藤恭一早稲田大学理工学術院総合研究所客員教授「ノルマは年間500万円…研究費獲得に奔走する大学教授の知られざる苦悩」現代ビジネス2020/11/5から。
<学部4年生が卒業論文を、あるいは大学院生が修士論文を作成するために、1人の学生が研究室で1日8時間にわたって実験するとしよう。その1日の実験で、試料(サンプル)の作製や分析のために使った試薬の代金を2000円とする。すると月に20日間で4万円、12カ月で48万円となる。
たとえば1人の教員が指導する学生が、学部4年生が3名、大学院修士課程の学生1、2年生がそれぞれ3名、さらには博士課程の学生が1名いるとする。すると試薬代、言い換えると研究費を使う学生は、合計10名になる。1人の学生に48万円かかるから、10名で480万円。1年間にざっと500万円の研究費を調達しないといけない。
研究室にじーっと座っていても、お金は向こうから歩いてはこない。しかも研究費のほとんどは年度を繰り越せないので、毎年毎年500万円の研究費を工面するのだ。
救いは学生に給料を払う必要がないことだ。それどころか、学生は大学に学費(国立大学の場合、年間54万円)を払っている。また、研究室の家賃、電気代、水道代の請求はこない。私の給料は大学から支払われる。
私の父親がシャーリング業(注文に応じたサイズに鋼板を切断して売る商売)を1人で営んでいたので、私は働かないと食っていけないことを十二分に知っている。その父に比べれば私はずっと楽だったと思う。
ときどき分析装置、たとえば分光光度計のランプの寿命がやって来て切れる。測定装置、たとえばpHメータのガラス電極を、学生がうっかり破損してしまうこともある。いろんな装置が古くなり、修理や買い替えが迫ってくる。そこで年間500万円とは別に、年間100万円あるとうれしい。
研究費はあればあるほどよいわけではない。多額のお金があると、使い切ることや関連書類を作成することに忙しくなって、頭が働かなくなることだってある。研究の推進力は、お金ではなく、アイデアや工夫だと言い切ってみせる「やせ我慢」が研究者には大切である。
40年前なら文部省(文部科学省)がそれなりに大きな額を大学に支給していた。現在は国立大学は法人となり、「『親方日の丸』の意識を捨てて、それぞれ経営努力せよ」と言いわたされた。そうして文科省からの運営費交付金が毎年毎年減ってきている。
教員の研究費の調達先は大別すると三つ。1)まず科学研究費補助金(科研費)で、文部科学省と日本学術振興会が資金源。2)次に民間助成金で、これはありがたいことにたくさんの助成財団がある。たとえば、双葉電子記念財団。双葉電子工業の創業者である衞藤五郎氏と細矢禮二氏が財団を作り、自分の所有していた株をその財団に寄付した。毎年、株の配当を研究助成に充てている。
3)三つ目は民間企業からの研究費である。民間企業は共同して研究を行い、必要な費用の一部を大学に納める。
科研費や民間助成金を獲得するには、申請書類を作成・提出し、審査を受ける必要がある。一方、共同研究費の獲得には、民間企業が魅力を感じる研究テーマが必要である。
お付き合いで100万円の研究費を出してくれるほど企業に余裕はないのだから、民間企業から来る共同研究の申し出のほうが、工学部の教員としては科研費の獲得よりも誇るべきことだ。大学の研究が社会に役立つ可能性があると認められたことになる。
科研費の獲得に向けて、全国のどの大学でも教員を懸命に支援している。獲得した科研費が大学の研究活動度合いの目安にされているからである。
科研費の仕組みの説明会、前年度に採択された教員をゲストに招いての申請書類の書き方の講演会、申請書類の点検・校閲の実施まで、手取り足取りの親切さだ。大学の書店に行けば、「科研費の獲得法」といった本が堂々と棚に並んでいる。一昔前はこんな緊迫した状況ではなかった、云々>
西澤佑介・東洋経済記者の「没落する地方国立大の何とも悲惨な台所事情 個人研究費年50万円未満の教員が6割」2018/2/5も刺激的だった。
<岡山大学で免疫細胞を研究する田中智之教授の研究室には、計15人の学生が所属する。
「僕らぐらいの陣容の研究室だったら最低限の実験機材、試薬代などで年間500万円はないと回らへん」(田中教授)。だが、大学から定期支給される研究費(運営費交付金に基づく講座費)はたかだか年50万円しかない。日本学術振興会の競争的資金制度である科学研究費(科研費)助成事業に応募したり、民間の科学研究助成財団からかき集めたりするが、十分な資金を安定的に確保するのはなかなか難しい。
地方国立大学は「地域の雄」である。通う学生の多くは、地元でもよりすぐりの進学校から入学し、卒業後は地域のエリートとして地方の産業や行政を支える。しかし、今の地方国立大学を取り巻く現状はそんな地域の人材輩出機関としての権威からはほど遠いものだ。
文部科学省が2016年7月に行ったアンケートで、国立大学教員の窮状が明るみになった。所属機関から研究者に支給される個人研究費は、「50万円未満」と答えた教員が6割にのぼったのだ。「年の終わりになる11~12月頃になると、研究資金が底をついて開店休業状態になるラボが続出する」と、取材に答えたある地方国立大学理系学部の教授は話す。
研究に要する金額が大きい理系学部において、これは深刻な事態を生む。「研究室配属になった学生は、教員たちと一緒に研究をすることが教育にもなる。したがって開店休業状況では学生の教育すらできなくなる」(同教授)。どうしてこうなったのか。
多くの国立大教員は2004年の国立大学の独立行政法人化が転機になったと話す。国は、国立大学へ定期配分する基盤的予算(運営費交付金)を年々削減し、研究資金は公募・審査を通じた競争的資金で取ってくる形に変わった。しかも、その競争的資金の配分は、しばしば最新機器があって人数の多い大規模研究室や、学会の有力者がいる研究室に有利となるバイアスがある。結果として、研究資金は東大・京大など一握りのトップ大学に過度に集中する形となった。
他方で地方国立大学は、運営費交付金削減の影響をもろに被って、教員の新規採用凍結(定年などで退職した教員のポストの不補充)や、個人研究費の削減を余儀なくされた。教員は減っても、授業は既存の教員が受け持たなければならないので、教育負担は増えて研究時間は減った。このように資金面でも時間面でも研究しにくい環境になった。
カネに窮する国立大学は、何のために行うのかわからないような「大学改革」に乗り出す。たとえばカリキュラム変更や、グローバル化対応を目的とした頻繁な改組、新学部の開設などである。
名目としては、世の中の変化に対応して大学の社会的存在感を高めるためであるが、文科省から改革に関する補助金を得られるからという事情も大きい。それがまた、改革を本質的でないものとし、教員達は関連する学内事務に膨大な時間を割かれることになり、疲弊ぶりを深めてしまう逆効果になっているのである。
日本の研究力の低下が叫ばれている。科学論文数の世界シェアの順位は主要先進国の中で日本だけが顕著に落ちている。文部科学省科学技術・学術政策研究所「科学研究のベンチマーキング2017」によれば、2013~2015年における国立大学の科学研究論文は3万1850本と10年前から2620本減、8%減となっている。
ドイツが代表例だが、欧米では比較的層の厚い中堅上位校が論文生産量と研究の多様性を担保している。日本の改革は、中堅層の大学を没落させる結果となった。
競争原理による集中は、マクロで見ても研究力を強くはしなかった。週刊東洋経済が国立大学における研究費と論文の生産性を独自に調べてみたところ、一握りの上位大学だけに資金を過度に集中させても論文の生産性は結局上がらないこともわかった。
日本国内で産み出される論文の半分は、国立大学に所属する教員たちによるもの。研究力の低下を突きつめれば、科学研究の担い手である国立大学の疲弊が表面化したものであるといえる>
ひと頃学者は「象牙の塔」、現実逃避して観念的な態度で送る学徒、聖域に逼塞する世間知らずなどと言われたが、今や資金調達に悩まされる“額者”、まるで中小企業の社長、寅さんの「タコ社長」みたいになったか。学者にならなくて(なれなくて)良かった!
こんな状況だから優秀な学者が中共の美味しい餌に釣られてホイホイと戦狼の仲間入りをしてしまうのだ。学者が世間知らずなら文科省も同様。戦後最大の国難を前にして頭脳流出。平和ボケどころか自滅街道一直線。
重要事項はいっぱいあるが、喫緊の優先事項は国家の安全保障である。危機を認識できないボンクラ政治家や私利私欲の守銭奴みたいな銭ゲバ経営者が多過ぎる。危険予知センサーがおかしいのではないか。中国製じゃない?
スターリンはヒトラーに騙され、ルーズベルトはスターリンと蔣介石と毛沢東に騙され、蔣介石はニクソンに騙され、ニクソンは毛沢東に騙された。日本は全員に騙されるか利用された。高山正之先生曰く「世界はみんな腹黒い」。♪初心なネンネじゃあるまいし、また騙されるのか。
古人曰く、一度目は悲劇、二度目は喜劇。神様仏様バイデン様のお札を持って一緒に祈りましょう、国家安穏 国家安泰 怨敵退散 怨敵調伏 悪霊退散 魔妖調伏 敵国粉砕 国土防衛 疫病退散 必勝祈願 ・・・「そこなうつけもの。そのやうな呪符(護符)がなるものか。馬鹿につける薬なし」(枝珊瑚珠、1690年)。
目安箱:ishiifam@minos.ocn.ne.jp
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