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マッカーサーの創った日本/7

2025-08-07 19:29:29 | 政治
【雀庵の「大戦序章」420/421/通算853/令和7年8/7 木曜】 マッカーサーの創った日本/7 “シーチン”修一
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天国へ旅立った渡部亮次郎氏の縁で、小生のブログ記事、引用記事などについて渡部”亮ちゃん”ファンの先輩からメールが届くようになった。有難いことだ。例えばこんなアドバイスや情報で、とても勉強になる。

8月6日:石破が個人的に談話をしたとしてもそれは石破談話として反日の材料にされてしまいます。中国の現在の経済環境からは庶民の溜飲を下げるための反日は必須となるでしょう。韓国もいつでも反日の準備は出来ています。そのきっかけとして石破談話が使われることになるでしょう。なんとしてでも引きずり落とさないとなりません。

7月28日:(S.マルカード著「陸軍中野学校の光と影」について)「(今や列強による植民地支配の時代ではないということは米国諜報機関の)OSSはわかっていた」「CIAも見抜いていた」にも関わらず、米国は意図的にその流れを押しとどめる側に立った。それが結果的に冷戦という“自己矛盾の泥沼”を招いた…。その視点は痛烈で、どこか現代の「民主主義vs統制国家」という構図にも通じているように思います。
また、敗れた日本軍が武器を残し、植民地に独立という未来と夢を託していった――「野望」ではなく「志」だったのかもしれません。この視点を持つことで、戦後史の見え方がまったく変わってきます。

7月24日:「自民の『大テント党』瓦解のその先」(産経、「正論」、谷口智彦氏)から。
≪自民党は英語なら大テント党とも呼ぶべき大きな幕屋であって、中ではなんでもござれだった。ただし天幕を支持したのは保守の柱1本で、近年は安倍元首相が両の腕でこれを支えた。そのころテントは高く上がって世界から良く見えたと思ったら、安倍氏がいなくなった。柱からは針金様のステーが何本も伸び地面に刺さっていたけれど、これは岸田前首相が根こそぎ外した。幕屋は倒れないと思ったのだとしたら、その短見浅慮をいかにせん。事実我々は7月20日、参院選の開票と共に、天幕は吹き飛び幕屋が倒れる音を確かに聞いたのである≫
自民党の大テントは安倍氏が暗殺されてから、紅テントとなり、岸田元首相が支えを外し、石破首相が潰しました。その潰した紅テントの上に居座っているのが石破首相でしょうか?

その昔、花園神社で紅テントの芝居を見たことを思い出しました。広くはない紅テントの中で役者と観客の一体感が良かったですね。安倍氏の時の大テントもリベラルから保守本流まで色々な政治家がいましたが、一体感がありました。主宰者が変わったら、前主宰者の派閥を追い出し、テントの色まで変えてしまい、次の主宰者に引き渡したのですが、小さなテントも持たなかった孤独な男にはテントの運営は無理でした。

天幕や幕屋と言う言葉はキリストを思わせます。谷口氏が意識されているかどうかは分かりませんが、これも昔話で元NHKの大谷さんと数名の保守の方の講演会に行きました。その時に会場にいた数名の女性が「クラウン・ブレイド」と呼ばれる三つ編みを頭にぐるぐる巻く姿でいて、「大谷さん、気が付きましたか? あの女性たちの髪型」「君、調べてみたら」と。女性たちは「キリストの幕屋の信者」だと分かりました。幕屋の思い出です。

7月15日:日本人は12歳 ユダヤ教では、13歳で成人式(バル・ミツワー)を迎え、宗教的・法的に大人と見なされます。
その前段階、つまり12歳は「まだ責任を負わない純粋な存在」とされています。
カトリックでも、12歳前後で「堅信礼(Confirmation)」という信仰的自立を象徴する儀式が行われるなど、12歳は「信仰と自立の狭間」にある年齢です。

老獪な欧米人と純粋な日本人・・・マッカーサー元帥の中では日本人は12歳だったのでしょうね。(以上)
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12歳の日本は今、遅ればせながら高校生か大学1年生あたりになりつつあるのか? 先輩が指摘し危惧したたように、今や世論の趨勢は『軟弱自虐系ですこぶる怪しいマッカーサーチルドレンのような石破茂首相」を引きずり落とす勢いだ。イケイケドンドン、日本をリニューアルすべし!

産経2025/8/1「緯度経度」 三井美奈・産経パリ市局長の「欧州から見た『日本人ファースト』」は秀逸だった。以下転載する。
≪参院選での参政党の躍進は、欧州でも注目を集めた。「礼儀正しく物静かな人たち」とみられていた日本人が、突然「日本人ファースト」に沸き、自民党支配を揺るがしたので驚きが走った。

折しも欧州は、移民削減を掲げる右派旋風が吹き荒れている。ドイツ紙フランクフルター・アルゲマイネは「日本もようやく潮流に乗った」と論じた。フランス紙のフィガロは「追い風に乗るポピュリスト政党」である参政党が、日本政治に激変をもたらすかもしれないと予想した。

欧州では2015年、難民危機で約100万人が流入し、反移民を掲げる右派政党が台頭した。もはや彼らは「ポピュリズム勢力」で片づけられない存在だ。オランダやイタリア、オーストリアでは国会で第一党になった。老舗というべきフランスの極右「国民連合」は昨年、欧州議会選で3割以上の票を獲得。2年後の大統領選での政権奪取も視野に入る。

各国の中道政権は、煽(あお)られるように移民規制を強化する。「このままでは食われる」という焦りがにじむ。ドイツのメルツ首相は「もっと管理を強め、帰還させる」と連邦議会で宣言した。10年間、なし崩し的に移民を入れすぎたと述べ、ドイツ伝統の「寛容な受け入れ」を転換した。

現実には近年、欧州に渡る不法移民は減っている。それでも、各国が強硬策に傾くのには別の理由もある。移民への不安に便乗して極右のヘイト(憎悪)犯罪が急増し、社会の緊張を高めているからだ。

猛暑さなかの7月、スペイン南部ムルシア州では物騒な事件が起きた。覆面姿の男の集団が4夜連続で、移民居住区を棍棒(こんぼう)や鉄パイプで襲った。60代の高齢者が殴られた事件を機に、「北アフリカ移民の犯行」「やつらを追い出せ」という文言がSNSで流布され、暴動に火をつけた。続いて英ロンドン北郊では、難民収容施設前の抗議デモが暴走。警察と衝突し、約10人が負傷する騒ぎとなった。

スペインと英国は旧植民地から移民を受け入れてきた歴史があり、欧州で長く統合のお手本だった。ヘイト犯罪は許されないが、炎上の背景には「政府は移民流入に対応できなくなった」という不満があることも忘れるべきではない。

先進国は、どこも高齢化と低成長の時代に入った。先行きが不透明になり、国民は「外部からの脅威」に身構えている。政府が移民受け入れで規律を定め、厳しい姿勢を示すことは、国民の信頼回復に不可欠だ。合法的に滞在する外国人を守ることにもなる。「差別はダメ」「多文化共存を」という正論だけで、不安を封じるべきではない。

一方で、移民規制を掲げて支持を伸ばす右派政党には課題がある。政権入りとなれば、「人手不足にどう対応するのか」への答えを求められる。技能を持つ外国人材の獲得が必要なのは議論の余地がない。

欧州の反移民政党はいま、過渡期にある。時に露骨な差別発言が飛び出す一方、実務経験を積んだ弁護士や元官僚、さらに中道政党からのくら替え組の参入も相次ぐ。古い政党は保革を問わずベテラン議員が牛耳っており、国政を目指す若者は勢いのある新党に集まる。政治に風穴を開けたいと思う有権者の支持を集めるのは当然だろう。

激変する世界で「どうやって国を守るか」は日欧を問わず、共通の課題だ。「国民ファースト」の論議が、各国の保守再編につながるかに注目したい≫以上
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マッカーサーの創った日本/5

2025-08-01 19:17:26 | 政治
【雀庵の「大戦序章」419/通算851 2025/令和7年8/1 金曜】 マッカーサーの創った日本/5 “シーチン”修一
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産経2025/4/28 東京大学名誉教授・小堀桂一郎先生の<正論 国家主権の「尊厳」を再認識せよ>は実に勉強になった。遅ればせながら以下転載する。
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≪◎:主権回復記念日にあたり/// 平成9年(1997年)の本日(4/28)と同じ日付で筆者は同志同憂の友2人との連名で「主権回復記念日国民集会」の第1回を開催した。爾来(じらい)28年を経てゐるから所謂(いわゆる)一世代30年に近い過去の事である。
この歳月の間に、平成25年(2013年)の記念日には安倍晋三氏の内閣が政府主催で祝賀式典を催し、天皇・皇后両陛下(現上皇・上皇后両陛下)の御臨席を仰ぐといふ慶事もあつたが、政府の関与は唯此(こ)の年一回限りの事だつた。

10年前の平成27年(2015年)には記念集会の創唱者の一人であつた井尻千男(かずお)氏の急逝といふ不幸もあつたが、集会は令和2年(2020年)の武漢肺炎猖獗(しょうけつ)といふ緊急事態の年を除いて連年着実に開催を重ね、発会以来の理念を世間に訴へ続けてゐる。本欄を借りての、国家主権の尊厳を認識せよとの筆者の度々の立論も、空しく一人叫ぶばかりとの徒労感に嘖(さいな)まれる事屢々(しばしば)だがそれでも斯(こ)うして我が舌の涸(か)れぬ限り、言ふべき事は言ひ続ける覚悟である。

それといふのも、尖閣諸島の我が領海への中国船の侵入、乃至(ないし)領海周縁部での我物顔の跳梁は年間350日を超えるまでに常態化してゐる。中国海警局のほぼ軍艦に近い武器を搭載した船舶の威嚇的な行動に対処してゐる我が海上保安庁巡視船の緊張と御苦労には専ら頭が下るばかりである。
唯、中国の海警局が歴とした軍事組織の命令系統下に在るのに対して、海保の巡視船が国土交通省に属し、防衛省の管轄下にはないといふ状況について我々の素朴な疑問が頭を擡(もた)げる。即ち我が自衛隊には国境警備の任務はないのだらうか。

◎:平和第一主義の退嬰的心理/// 「防衛白書」(令和6年/2024版)には尖閣諸島の現況についての相応の親切な解説は見られる。曰く、2008年以降、中国海警船が領海侵入を繰り返してゐるのは断じて容認できない、同島周辺の我が領海での勝手な活動がそもそも国際法違反である、と。

その通りであらう。問題はここ十数年来この海域での中国船の傍若無人の威嚇的活動を我が政府・外務省が「容認」してゐるかの様に映ることである。
そこには国境紛争が、相互の宣伝合戦の域を超えて現実の武力行使に移る事を只管(ひたすら)恐れる平和第一主義の退嬰(たいえい)的心理が透けて見える。この心理が島根県・竹島の韓国人による不法占拠を事実上容認してしまつた。その教訓が全く生かされてゐない。

平成22年(2010)9月、尖閣海域で中国漁船が海保の巡視船に攻撃的な衝突を仕掛けるといふ事件が発生した。時の菅直人内閣は中国に抗議するどころか終始低姿勢で対応し、この事件を闇に葬らうとした。一海上保安官が勇気を奮つて事件の映像を公開した事からさすがに国民輿論(よろん)は激昂(げきこう)した。これを機に翌年、領土領海を守る国民運動が起り、24年(2012)には<尖閣を守れ>を主旨とする国民署名が224万に達し、それが領海警備強化法が国会で成立するきつかけとなる。

時の東京都知事石原慎太郎氏は4月、民主党政権の弱腰に呆れ果て、尖閣諸島を東京都が買ひ取るとの意思を表明した。この挙に賛成した国民は多く、その財源に充てるための醵金(きょきん)高も相当の額に上つたと記憶する。筆者はその計画の実現を期待してゐたが、民主党政権終末期の野田佳彦首相は同年9月に尖閣諸島主要部の国有化を閣議決定し、宣言してしまつた。

◎:為政者の意識の低さ/// 一連の領土・領海をめぐる危機的事態の根底に在つたのは結局は国家主権の尊厳についての為政者に於ける意識の低さである。民主党が政権の座にあつた平成21(2009)年9月から24年(2012)12月までの3年余りは文字通りに魔の3年と呼ぶべき惨状を呈してゐたわけだが、それでは自民党政権の期間には日本国に主権国家としての面目はあつたのか、と問ふに、遺憾ながら決してそうだつたわけではない。

平成13年(2001)4月から18年(2006)9月まで政権の座にあつた小泉純一郎首相の時代を顧みて直ちに思ひ出すのは、この人の「構造改革」といふ政見への執念とその強行である。

折からアメリカは日本から国民の富を収奪しようとの経済戦略を立て、それを「年次改革要望書」といふ、正に日本の国家主権を無視した形で、国辱的な要求を次々と突きつけて来た。故に郵政民営化、簡易保険制度の解体等、国民の生活を守るためにこそ営利を度外視しての公営であつた社会事業の多くが市場原理に基く自由競争の危険に晒(さら)された。

小泉構造改革が、それまでともかくも安定した秩序の中に自足してゐた国民生活を破壊し、将来への不安の境に陥れてしまつた大罪の根源となつたのは、彼に国家主権の尊厳についての意識が欠如してゐたからである。その欠如が彼を破壊的改革に暴走せしめた。

挙句の果てに彼は、万世一系の伝統を誇る我が国の皇位継承の鉄則にまで改革を加へようとした。平成18年(2006)はその意味で実に危い年であつた。秋篠宮家に悠仁親王殿下が御誕生になつた天佑によつて、辛うじてこの危機は回避できた。皇室の将来の安危も亦(また)、国家主権の尊厳の認識如何に懸つてゐる。(こぼり けいいちろう)≫ 以上

万世一系の天皇制という伝統を「日本らしさ」と誇りに思い、永遠に大事にしたい愛国ヂヂイにとって油断は大敵。GHQに洗脳されたアカなど「正義を装うワル=売国奴」はウジャウジャいるから気を付けるべし。
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ブログ本題の「マッカーサーの創った日本」、スティーブン・C・マルカード 著、秋塲涼太訳「陸軍中野学校の光と影 インテリジェンス・スクール全史」(芙蓉書房出版)紹介の続きに入る。
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≪◎:/// 日本の歴史を創る影の戦士の活躍
かつて中野学校があった東京都中野区の東京警察病院(2001年までは警視庁警察学校)の敷地内には現在、帝国陸軍の情報将校養成機関の標石が残っている。
ある意味では、天竜の二俣分校の記念碑や、神奈川県の明治大学生田キャンパスに鎮座する登戸研究所の「弥心神社」と共通の記念碑である。日本の降伏からちょうど50年目にあたる1995年9月30日、桑原獄(「獄」は旧字の山冠)と藤井千賀郎(両人とも中野学校出身?)が記念碑を訪れるため警察学校敷地内に足を踏み入れた。ふたりとも帝国陸軍のインドにおける英国支配に対する隠密作戦に関係した退役軍人であった。桑原は中野学校と陸軍士官学校の卒業生である。藤井は旧友とかつてを振り返り、「我々はアラビアのロレンスだったのではないだろうか」と言った。桑原は「戦争に勝利するための作戦だったが、インドの解放につながる行動であったと思う」と答えた。

アジアにおけるヨーロッパの植民地主義を破壊したことは、20世紀の遺産の一部であり、日本にとっての遺産の一つである。日本は1905年にロシアを破り、最初の一撃を加えた。第一次世界大戦後、東京で武官として勤務していた英国人将校のマルコム・ケネディ大尉の以下の話は長く引用する価値がある。

「西洋の大国を倒すことで日本は白人の無敵神話を打ち破った。1905年まで、アジア民族主義は取るに足らないものとされていた。しかし日本の勝利はアジア人の決意の象徴となり、アジア民族主義者達に、日本の功績を見習い、いつの日か自身の国を統治することを夢見させるようになっていった」

日本の勝利はアジアに影響を与え続けた。1931年の満州事変以前には、多くの中国の軍事指導者が部下に日本の軍事教育を受けさせた。第2次世界大戦下、日本に惹きつけられたインド人民族主義者のスバス・チャンドラ・ボースは日本を巻き込んだ。大戦中の英陸軍情報将校であったルイス・アレンは、アジアでの戦史を次のように評価している。
「長い目で見れば、ヨーロッパ人がこれを認識することは難しく、また、辛いことなのかもしれないが、アジアの何百万もの人々を植民地方解き放ったことは、日本の永遠の功績である」≫ 以上。次号に続く。
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マッカーサーの創った日本/3 

2025-07-24 11:08:32 | 政治
【雀庵の「大戦序章」417/通算849 2025/令和7年7/24 木曜】 マッカーサーの創った日本/3 “シーチン”修一
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「マッカーサーの創った日本」は、長らく「経年劣化で賞味期限切れ」の様相だったが、いよいよ「新しい日本作り」が始まる気配だ。産経2025/7/22社説「<主張>首相が続投表明 即時退陣を改めて求める 立民は不信任案提出へ動け」は元気いっぱい、以下転載する。

≪三球三振したのにバッターボックスから去らない打者のようなものだ。昨年の衆院選、今年の東京都議選、参院選に大敗した石破茂首相(自民党総裁)のことである。これでは政治は前へ進めない。
石破首相は21日に会見し「重大な責任を痛感しながら、政治を漂流させないよう比較第一党としての責任を果たしていかねばならない」と述べ、首相続投を表明した。

事実上の政権選択選挙とされた参院選で石破首相は、非改選を含む参院全体での与党過半数維持を「必達目標」とした。だが、その勝敗ラインを越えられなかった。有権者が「石破政治」を拒んだのは明らかだ。

◎:///信頼失っても居座りか 衆参両院で過半数割れしたにもかかわらず続投するというのは、憲政史上の異常事態というほかない。改めて言う。石破首相は責任を取り、潔く辞任すべきである。森山裕自民幹事長も同様だ。

衆院選、都議選、参院選の全てに大敗したのに首相の座にしがみつくのは本当に見苦しい。そのような政治家の声が有権者に届くわけもない。石破首相は国政運営に不可欠な国民からの信を失っている。

国民政党を自任する自民の歴代総裁は単独過半数や与党過半数などを掲げてきた。石破首相が参院選後、比較第一党を達成したからよいとの無責任な姿勢を示したのは極めて異例だ。
自民に比較第一党として安定政権を構築する責任があるにしても、それを果たすべきは石破首相ではない。居座りは、議会制民主主義の否定と知るべきである。

続投の理由について首相は、米国の関税措置、物価高、首都直下地震や南海トラフ巨大地震などの自然災害、安全保障環境などを挙げ、「国難ともいうべき厳しい状況に直面している。大切なことは国政に停滞を招かないことだ」と語った。

国政に停滞を招いてはならないのは当然だ。気付くべきは、首相の居座り自体が国政の最大の停滞要因になるということだ。野党各党が、民意を失っている石破政権に手を差し伸べることはできないだろう。

政権基盤が決定的に脆弱(ぜいじゃく)になった石破政権が対米関税交渉をやり抜くというのでは、国益をひどく損ないかねない。そもそも赤沢亮正経済再生担当相に交渉を丸投げし、トランプ米大統領とのトップ交渉から逃げていたのが石破首相ではないか。
衆参過半数割れの国会で、物価高対策などの予算を通せるのかも一段と不透明になった。

石破首相は、第1次安倍晋三政権時の参院選で自民が大敗し、衆参で多数派が異なる「ねじれ国会」になった際、続投を表明した安倍氏を猛烈に批判したことを忘れたのか。
自民総務会で「(安倍)首相は『私か小沢一郎民主党代表かの選択だ』と訴えたのに、どう説明するのか」と難じ、代議士会では「首相は『反省すべきは反省する』と言っているが、何を反省し、どう改めるのか」と責め立てた。

石破首相は今回の参院選の大敗について「謙虚に真摯(しんし)に受け止めなければならない」と述べたが、続投では少しの反省も感じられない。

◎:///自民議員は総裁交代を 自民の国会議員には、石破氏を党総裁、首相に選び、衆院選大敗後も続投を容認し、日本の政治を混乱させてしまった政治責任がある。度重なる民意に反して今度も続投を認めるなら、自民は国民政党の資格を失い、凋落(ちょうらく)の一途をたどるだろう。早期に新総裁を選出しなければならない。

8月1日に臨時国会が召集される方向だ。石破首相が居座りを決め込むようなら、野党側にはそれを防ぐ手立てがある。衆院での内閣不信任決議案可決である。憲法第69条に記された内閣不信任案は、民意に沿わない政権を退陣させる方策だ。衆院議員51人という提出要件を満たす党は野党では立民だけだ。

立民の野田佳彦代表は「民意を無視して居座り続けるのか。続投の意思表明は説得力があまりにもなさ過ぎる」と石破首相を批判したが、不信任案提出については言葉を濁している。党利党略ではなく、国政選挙の審判を反映させ民主主義を守るために、野党は結束して不信任案提出へ動くときだ。与党も野党も政治を漂流させない責任を果たしてもらいたい。(以上)
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やる気満々、良い論稿である。文中の「立民」とは立憲民主党、すなわち「米国製の憲法を守ろうという、度し難いアカ、売国奴」と小生は認識しているが・・・日本の政党はどうなっているのか?

NHKの「【全確定】各党の獲得議席 125の議席をめぐって争われた参議院選挙は各党の獲得議席が決まりました」から引用する。( )内は小生が補足した「通称」である。それにしてもこんなに国会政党があったのか、とビックリだ!

▽自民党(自民):選挙区で27、比例代表で12のあわせて39議席
▽立憲民主党(立民):選挙区で15、比例代表で7のあわせて22議席
▽国民民主党(国民):選挙区で10、比例代表で7のあわせて17議席
▽参政党(参政):選挙区で7、比例代表で7議席のあわせて14議席
▽公明党(公明):選挙区で4、比例代表で4のあわせて8議席
▽国民民主党(国民):選挙区で10、比例代表で7のあわせて17議席
▽参政党(参政):選挙区で7、比例代表で7議席のあわせて14議席
▽共産党(共産):選挙区で1、比例代表で2のあわせて3議席
▽れいわ新選組(れいわ):比例代表で3議席
▽日本保守党(保守):比例代表で2議席
▽社民党(社民):比例代表で1議席
▽チームみらい(みらい):比例代表で1議席
▽無所属:選挙区で8議席
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以下は小生が初めて知った政党。何をしたいのか、それぞれの公式サイトを覗いてみた。

▽国民民主党(国民):私たちは、「自由」「共生」「未来への責任」を基本理念とします。「公正・公平・透明なルールのもと、多様な価値観や生き方、人権が尊重される自由な社会」「誰もが排除されることなく、互いに認めあえる共生社会」「未来を生きる次世代への責任を果たす社会」を理想とします。

この理念の下、穏健保守からリベラルまでを包摂する国民が主役の改革中道政党を創ります。私たちは、民主主義を守り、現在と未来の課題を着実に解決し、国民全世代の生活を向上させます。国を守り、国際社会の平和と繁栄に貢献します。

私たちは、「生活者」「納税者」「消費者」「働く者」の立場に立ちます。
私たちは、一人一人がかけがえのない個人として尊重され、多様な価値観や生き方を認め合いながら、共に生きていく国を育んでいきます。

私たちのめざすもの 私たちは、「人への投資」を重視し、公正な再分配によって理不尽な格差をなくし、持続可能な経済を確立します。
私たちは、少子高齢化や過疎化を克服し、安心の社会保障を実現します。
私たちは、子どもと若者、孤立して生きざるを得ない人々、社会的マイノリティ、障がいのある人々、非正規雇用で働く人々等、声の届きにくい人々に寄り添います。
私たちは、地域主権改革を進め、豊かさが実感できる、自立した活力ある地方にします。
私たちは、政官財のしがらみをなくし、政治と行財政の改革を誠実に実行します。
私たちは、立憲主義と国民主権・基本的人権・平和主義を断固として守り、国民と共に未来志向の憲法を構想します。
私たちは、専守防衛を堅持し、現実的な安全保障を築きます。
私たちは、開かれた国益と広範な人間の安全保障、恒久平和と核兵器廃絶をめざします、云々。

≪“シーチン”思うに、核兵器を廃絶したら抑止力がなくなり地球は戦争だらけになるだろう。古人曰く、一度成ったら、成らぬ昔には戻れない≫
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▽参政党(参政):日本をなめるな! 上がる物価と税金、上がらない給料と気分。もう先進国と名乗れない経済の低迷。
世界に誇るべき技術力を持つ日本中小企業の衰退。自分たちの利益と保身にしか興味がない政治家の劣化。
真実を報道しないマスコミ。止まらぬ少子化、消えゆく地方。輸入頼みの日本の食卓。後回しにされる環境保護。
解決しないエネルギー問題。いじめや自殺が絶えない学校や会社。子供も大人もどんどん生きにくくなる社会。
こうした日本の弱体化を待っていたかのように、土地もインフラも企業も外国資本に買われ、大量の移民が流入する。
このままでは日本が日本でなくなる。もう見過ごしてなんていられない。

私たちはまだやれる。日本の未来を諦めない。
参政党公約2024 3つの決意と7つの行動 今、日本の未来を守るために私たちは3つの決意をたて、その実現に向けて7つの行動を進めます!!

決意 1 奪われる日本の国土と富を護り抜く。行動 1 積極財政と減税による経済成長で
失われた30年に終止符を打つ

「失われた30年」と呼ばれる日本の経済停滞は、国際競争力の低下と国民生活の課題を象徴している。アメリカや他の主要国と比べ日本の賃金は横ばいのまま。収入の半分が社会保険料や税金として召し上げられ、まるで江戸時代の「五公五民」状態が続いている。さらに、GDPは世界第4位にまで転落し、かつての経済大国としての地位も揺らいでいる。「失われた30年」を「失われた60年」にしないため、今すぐ政策転換する必要がある。

骨太の方針を改め、PB黒字化目標を撤回し、積極財政による経済成長を実現。
消費税減税と社会保障の最適化により国民負担率に35%上限のキャップをはめる。
グローバル大企業優遇から脱却し、中小企業を支える政策に転換。
インフラの行き過ぎた民営化策の見直し(郵政、水道、NTT、鉄道等)。
脱炭素政策と行き過ぎた再エネ推進を見直す。
家庭用・産業用電気料金を東日本大震災前(2010年)のレベルに戻す、云々。

≪“シーチン”思うに、若々しくて勢いがある。若い世代が支持しているようだ≫
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▽れいわ新選組(れいわ):日本を守る、とはあなたを守ることから始まる。あなたを守るとは、あなたが明日の生活を心配せず、人間の尊厳を失わず、胸を張って人生を歩めるよう全力を尽くす政治の上に成り立つ。
あなたに降りかかる不条理に対して、全力でその最前に立つ。生きているだけで価値がある社会を、何度でもやり直せる社会を構築するために。

30年の不況で困窮する人々、ロスジェネを含む人々の生活を根底から底上げ。中卒、高卒、非正規や無職、障がいや難病を抱えていても、将来に不安を抱えることなく暮らせる社会を実現する。

私たちがお仕えするのは、この国に生きる全ての人々。それが、私たち 「れいわ新選組」 の使命である。
消費税はさっさと廃止:物価が高い? 生活が苦しい? 厚労省の調査では、国民の59.6%が生活が苦しいと言っている。あなただけじゃない。こんな時は、さっさと消費税廃止。
生活が苦しい原因は物価高だけじゃない。
経済の長期停滞が私たちの生活を苦しめてきた。
この失われた30年を取り戻す大胆な経済政策が必要。

消費税は消費に対する罰金、ペナルティ。増税するたび消費が落ち込む。100年に一度の不況、リーマンショックでの落ち込みは4.1兆円。
消費税5%では7.5兆円の落ち込み。リーマンショック超え。消費税8%では10.6兆円の落ち込み。影響はリーマンショックの2倍以上。消費税10%では18.4兆円の落ち込み。影響はリーマンショックの4倍以上。

誰かの消費は、誰かの所得。誰かの消費が減れば、誰かの所得も減る。100年に一度の不況、リーマンショック以上の影響、消費のマイナスを国が3回もつくり出した。ただのマヌケか、国を壊すつもりか。どっちにしてもあり得ない。今こそ消費税を廃止にしよう。

「賃金が上がるような社会をつくってまいります」と詐欺師が国会の中で言っている。今の状況の中で賃金上げるなんて無理。景気が悪いんだから。株価が上がってあなたの賃金変わった? ほとんど関係ない。

今、やるべきことは何か? 賃金が上がる社会をつくると言うならば、まず景気を良くするしかない。景気を良くするためには消費を増やすしかない。消費税を下げて、消費を喚起する。そしてお金を全国隅々に、あなたのところまで回す。

消費税を減税するとあなたの使えるお金は どれくらい増えるか? 食料品のみ消費税0%の場合、年:6.4万円。月:5300円 。これっぽっちじゃ、話にならない。
消費税廃止では? 年:29.8万円。月:2万4900円。これくらい必要でしょ?

そして、参議院調査室のマクロ計量モデルのシミュレーションでは、消費税をやめれば、景気が良くなって、7年後には1人当たり賃金は年間で平均35.7万円上がる、という結果に。これが本当の手取りを増やす政策、云々。

≪“シーチン”思うに、消費税をやめれば景気が良くなるのか小生には分からないが・・・≫
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▽日本保守党(保守):党のサイトを検索したが小生のPCではまったくアクセスできなかったので、以下はWIKIによる。
成立年月日:2023年10月17日 代表:百田尚樹、共同代表:河村たかし、事務総長:有本香
衆議院議席数:3/465(全体の0.6%)(2024年10月28日現在)、参議院議席数:2/248 (全体の0.8%)(2025年7月21日現在)、市区町村議数:9/28,941 (全体の0.03%)

日本保守党(にっぽんほしゅとう)は小説家の百田尚樹と元ジャーナリストの有本香によって、「日本の国体、伝統文化を守る」の理念のもと2023年10月17日に設立された。百田が代表、有本が事務総長、河村たかしが共同代表を務めている。第50回衆議院議員総選挙において政党要件を満たし、2024年11月5日に国政政党となった。略称は「保守党」、「保守」。
LGBT理解増進法、日本政府による大量移民政策に反対する立場を取っている。また、憲法改正、対中・対北朝鮮外交の強化などを支持している。

設立のきっかけは、自民党の岸田政権下で成立した「LGBTQ理解増進法(LGBT法)」に対する保守層の反発であり、同法の改正を主要政策として掲げている。同党は「ジェンダーアイデンティティーを理由とする不当な差別はあってはならない」との規定が不明確であることや、ジェンダー・セルフID制導入による女性スペース侵害の懸念を主張している。
また、移民政策に関しては、「人手不足だから外国人を入れる」という現行制度への批判を展開し、欧州や国内で生じたトラブルを例に挙げて見直しを求めている。元内閣総理大臣の安倍晋三の亡き後、自民党に不満を抱く岩盤保守層から支持を得ていると報じられている、云々。

≪“シーチン”思うに、国家政党としてのパワーがまだまだのよう・・・≫
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▽チームみらい(みらい):チームみらいは未来のために手を動かす"実践型"の新党です
チームみらいは、2024年都知事選時に安野たかひろのもとに集まった「チーム安野」を前身として、テクノロジーで政治と未来を良くすることを目指す新党です。

効果的で持続可能な政策の立案や、誰もが関われる新しい政治参加の仕組みづくりなど、他の政党とも垣根を越えて連携しながら、既存の枠組みにとらわれることなく活動していきます。 価値観を共有した一人ひとりが、現場で手と足を動かしながらできることを持ち寄り、日本の未来に貢献することを目指します。

わたしたちの価値観:私たちは、手を動かす。現場視点で建設的なプランを考え、自らの手で素早く実行します。
私たちは、オープンにする。意思決定も、お金の流れも、プロセスも。透明に、誠実に、信頼とともに歩みます。
私たちは、誰かをおとしめない。他の政党も政治家も、日本の未来をつくる仲間。協力できる箇所を探し、一緒に進みます。

私たちは、分断を煽らない。感情ではなく、データと事実で語ります。批判より提案を。分断より解決を。
私たちは、何事も決めつけない。正解はひとつじゃない。多様な声に耳を傾け、より良い答えがあれば、柔軟に改善します。
わたしたちのミッション:テクノロジーで政治をかえる。あなたと一緒に未来をつくる、云々。

≪“シーチン”思うに、何をしたいのか分からないので困惑・・・≫以上。
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読者諸兄の皆さま、御意見を! https://note.com/gifted_hawk281/ または ishiifam@minos.ocn.ne.jp までお願いいたします。小生の記事は以下でもお読みいただけます。
必殺クロスカウンター ttps://www.mag2.com/m/0001690154.html
https:*//blog.goo.ne.jp/annegoftotopapa4646
ishiifam//1951@outlook.jp

恩師「渡部亮次郎」先生逝く

2025-07-04 15:09:29 | 政治
恩師「渡部亮次郎」先生逝く
“シーチン”修一
【雀庵の「大戦序章」412/通算843 2025/令和7年6/27 金曜】 渡部亮次郎先生が亡くなった。88歳の大往生とは言え、涙が出た。父が亡くなって以来の涙である。
亮次郎先生のブログ「頂門の一針」がここ3か月ほど途絶えていたので、「頂門の一針」ファンの先輩に聞いてみようとあれこれパソコンをいじくりまわしたが、強制的に新システムに変えられた際に多くのデータが消えてしまったので連絡できずに困惑していた。それが数日前にようやくアクセスできるようになって、先輩から以下のメールが届いた。

《先日、奥方に電話を致しましたが、亮次郎さんは残念ながらお亡くなりになっていました。家族だけで葬儀を済ませ、まだ、知人や友人などには連絡を入れていないとのことですので、このことはまだご内密に。
今年に入ってからずっと具合が悪かったようです。5月13日にお亡くなりになったので四十九日が明けてから、奥方はネットでお知らせしようとのこと、ちょうど6月30日が四十九日となります。

振り返れば九段会館で大酒飲みましたね。大谷さんも亮次郎さんも彼岸(アチラ)で大酒飲みを交わすのでしょう》
九段会館で大酒飲み・・・20年ほど前の2005年あたりだったかも知れない。懐かしい思い出だ。

先輩にはこう返信した。
《渡部亮次郎 「頂門の一針」が無ければ今の私はありませんでした。胃がんで胃袋を失い、転移している可能性が高いため強烈な薬による治療をし、その副作用で「生きているのに死んでいる」状態の時に「頂門の一針」を知りました。やがて「私も書いてみたい」と亮次郎氏に連絡すると「書いてみれば」。随分そっけない返事でしたが、とても忙しかったのでしょう。それでも小生の駄文をいつも掲載してくれました。お陰で体調も少しずつ良くなっていきました。

亮次郎氏は私の第二の人生の恩人です。小生も最後まで書いていきたいと思っています。ご連絡ありがとうございました》
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2022年10月28日の「渡部亮次郎のメイル・マガジン 頂門の一針6302号」の身辺雑記」から。
《27日の東京湾岸は晴。渡部亮次郎86歳。元NHK政治部記者。当時「文芸春秋」に「赤坂太郎」で政治評論を書いた。1字10円だった。
仙台、盛岡局勤務の後、東京の政治部へ。河野一郎を担当。河野先生は酒を一滴も飲めなかった。毎夜、赤坂の料亭に立ち寄っていたが、お膳を前にお茶を飲んでいたとは。呑み助の私には想像も
できない。
外務大臣秘書官。その後、社団法人の理事長を18年間。現在は年金生活者。メルマガ「頂門の一針」主宰者。
秋田県生まれ1936年1月13日。どこといって故障個所は無いから100位までは生きるだろう。このメルマガの届かなくなった日が私の死亡日です。
兄は81で、姉は91で死んだ。遺伝の話をすれば、父親は60代に死んだが母親は98まで生きた》

まあ88歳でも充実した晩年、大往生でしょう。「倒れるまで書き続ける」、小生もそうありたいものです。
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「我が街 宿河原」/7 二か領用水と桜堤

2025-06-02 09:14:43 | 政治
「我が街 宿河原」/7 二か領用水と桜堤
“シーチン”修一
【雀庵の「大戦序章」407/通算838 2025/令和7年6/2 月曜】 我が師、沼尻幸吉先生の「宿河原周辺の伝説と史話を尋ねて」(昭和51/1976年発行)から引用します。
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古い時代には多摩川は幅が広く、南は多摩丘陵の下を流れていた。鎌倉時代の正治元年(1199年)7月25日に洪水があり被害が出たので、対策として久地(宿河原の隣)に灌漑用の取り入れ口を造った。
天正18年(1590年)8月25日の洪水(諸説あり)では川の流れが南から北に移った。そのため稲毛領の耕地は広くなったが、水不足で農作物の収穫が減ってきた。
慶長2年(1597年)旗本の職にあった小泉次太夫吉次が徳川家康に、稲毛、川崎の両領に跨る二か領用水の開削を上申した。全長8里(32㎞)の用水により稲毛領37ヶ村、川崎領23ヶ村の田1880町歩(1880ヘクタール)が水で潤うことになる。登戸の紀伊国屋前を流れる二か領用水に「小泉橋」があって小泉の名が残されている。(修一の散歩コースでは小泉次太夫の碑を良く見かける)
二か領用水開削の測量は慶長2年(1597年)に始まり、慶長4年(1599年)に工事着手、慶長16年(1611年)に完成、12年の年月を要している。

宿河原駅前の宿河原橋の下を流れる二か領用水は付近の宅地、工場からの排水などで汚染されているが(修一が中学生の頃、東京五輪の1964年あたりから下水道整備が進んで、今はかなり綺麗になっている)二か領用水の土手、1700メートルには昭和35年(1960年)に有志の人々によって八重桜を交えた吉野桜450本も植えられ、春ともなれば春らんまんと咲き乱れ、それはそれは見事である。昭和51年(1976年)に「宿河原堤桜保存会」が発足して桜の保存に力を入れるようになった。二か領用水の桜は今後ますます有名になると思われる。(以上)
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二か領用水の桜・・・染井吉野を中心に色々な桜が多摩川のダム「宿河原堰」から隣町の久地まで続いています。上流のダム「上河原堰」周辺も「これでもか」とばかりに桜並木などがどっさり続いています。我が街宿河原では年々花見の人が増えていますが、昔(1964年あたりからの高度成長時代)は企業が従業員慰労で酒やツマミを用意し「花見会」を催していました。当時は酒と言えば「焼酎」が普通で、日本酒は高級品。従業員は喜び勇んで日本酒を飲んでいましたが、挙句の果てにベロベロ、ゲロゲロ、中には川に落ちる人、近所のトイレを借りる人もいて、やがて戦いすんで日が暮れて、我が家で一休みする人もいたものです。

やがて企業の「花見会」は急速にすたれていきました。女性が企業で働くようになり、「飲み会は義務ですか? 酔っ払いの相手は嫌です。やりたい人がやればいい、私の時間を奪わないでください」・・・女性の社会進出≒時給(パートタイム)などの低賃金労働が企業にとって不可欠になっていくに従い、企業主催の「花見会」は消え、今はすっかり数人による内輪の花見になってしまいました。古いものが好きな小生には寂しい限りです。(次号に続く)