AManTo天然芸術研究所

大地のため、時代のため、消費されないアートを求めて…
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音霊の故郷

2004年07月18日 | Weblog
7/17(土)
●音霊の故郷(ontâ ga kuni)
尊敬するアーティスト、北海道の奈良裕之さんが天人にやってきた。
彼は民族楽器を中心にインプロビゼィション(即興演奏)をする人だ。
2年半ほど前に一度、お茶を飲みに来て頂いたきり、2004年3月、マサル大王の「月の庭」で
ライブを見に行って再会するまでずっとご無沙汰だった。
今回、ツアーの途中で関西にこられるという事で奈良さんから直接連絡していただいた。
ほんの少しお相手していただきたく、大胆にもダンスでの即興共演を申し込んだら、心地よく受けていただいた。

その後、夢の競演はその日の第2会場でのイベント。「シネ天人(中)自主映画周期上映会」の映写係の担当なって計画は断念するつもりだったが、シネ天人影のフィクサー荒金氏のご好意により「ここは俺に任せろ」の鶴の一声で天人会場で奈良さんとの共演が実現できたのだった。
ありがとう荒金氏!

インプロなのでどこでどれだけ僕が乱入するかは全く決まっていない。
冒頭で出るべき時期を感じる。奈良さんは、耳を済まさなければいけないような微細な音で空間を作っていく。
僕はからだの中で何かが生まれるのを待つ。
今回は共演といっても花を添える程度のものだと思っていたのでタイミングと引き際が肝心だ。
しかし場を感じ、周囲の場とつながっていくと何処で何をすべきか本当にわかるものだ。
自然に舞台の方へ歩いていた自分がいた。

今回の観客、奈良さん、天人の場との微細なレベルのやり取りはかなりいい勉強をさせてもらった。
場は作るものではなく出来るものである事が改めてわかった。

セッションは1度目だけのつもりだったが天人裏の自分の部屋にビデオカメラの電池が切れた荒金氏が
予備電池を取りに来時、天人から庭を通って彼の笛の音が聞こえてきた。
そしてその笛の音は目の前のたたんであった神戸の染物作家、市村さんの着物を僕にとらさせていた。
2回目は着物舞だった。

結局2回ほどの短い共演が実現した。
彼とも話していたのだがと時代を遡るような不思議な感覚の空間ができた。

彼は私の中でまさしく天然芸術家といっていいと思う。
全くメジャー思考でない彼は、人のつながりだけで場を作り営業とは無縁のところで全国、全世界を演奏活動もされている。
しかしそのクオリティーはメジャーを遥かに超えた先進性と普遍的な大地母神の豊かさを兼ね備えている。
まさに解る人同士だけがわかる人に伝えて広がっていく芸術だと思う。
その辺を演奏の後お話する機会があった。

彼の言葉として心に残ったのは「量で勝負する時代は終わった。」だった。
ほんの数人でも数千人の前でも同じようにできる人はそうざらにはいない。
その辺を聞いてみると「全ては一期一会」という言葉が返ってきた。
ウケを気にするのではなく本物を出すことに専念すれば、それでよい。
それが数人の前での表現でも
人から人へ世界に広がり、行くべきときに行くべき所に広がっていけるらしい。
結局広がるべき数千人の人に無駄なく伝わっていくのだそうだ。

面で征服しようとする所に新しい芸術や文化は生まれないものだ。
彼もこの前のグランドゼロへのツアーの話をしてくれたとき時代を作った場所を数多く訪ねられたそうっだ。
いずれも決してお金のかかった立派な所ではなく天人のような小さな場所だったといっていた。
そして光栄にもここにも同じ匂いがする、こんな所で新しい文化が生まれるんだよ。といっていただいた。



とても嬉しかった。

奈良裕之
芸能の世界からすれば、まったく非常識なやりかたで未常識の価値観をひっさけ世界を巡る表現の達人。数少ない本物の一人だと思う。
又、天人で神話が一つ生まれた。


P.Sライブの画像はまもなく公開予定。乞う御期待。

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