天人はすでに旅人の拠点になっているが、口コミでこうした旅人が立ち寄る場所は全国にある。
そして旅はその人にとって自分を見つめ、自分の生まれた意味や、如何に生きるかという
天職を探し求める全ての人の味方である。
生きるための資格、技術は学校や、大学で学べるもの、しかし、「で、どう生きるか」は結局本人に任されており、
自分とその生まれた時代の摺り合わせがうまく出来ない人は驚くほど多い、
僕は学歴があるわけでもなく、専門的な学位を持っているわけでもない…だから僕の学校は大地であり、空だった。
そしてそこに生きる人々から生き方を学んだ。
生き方を学べば、何をするべきかは内からあふれてくるものだった。
人はコマーシャルや就活のトレンドにまどわされる必要もなくなるものだ。
自分に忠実であるための社会と繋がり貢献する事であり、社会から利益を得るための仕える事ではない…。
知識は学べても知恵は学べない。
学位は取れても、天職はわからない…
そんな人は多いようだ。
そこで考えたのが現代版のお遍路さん「あまんとみち」だ。
僕が旅によって学んできた事にヒントを得て考えた。
心ある受け入れ先を繋ぎ、そこにいる人と交流し、自分が何なのかを学んでいく本当の生涯学習システム。
具体的には、各拠点でボランティアをすることで芸人でいうアゴマクラを提供してもらう。
つまり食べ物と寝床だ。
段階的に地域通貨を発行し、生きる為の就労、起業が自由にできるようサポートシステムを考えている。
今現在、全国行脚中!旅人である芸人という自分の利点をいかし、芸をしながら、縁ある各地を廻る。
この異分野の相互扶助ネットワークを世界中に広げる夢を語りながら…
僕はこの「あまんとみち」を社会活動やNPO活動というより一つのアートの作品と考えている。
ポストパブリックアートであり、サスティナブルアートでもある。
つまり
つまり各拠点とそれを繋ぐ人が移動する姿を人工衛星軌道上から、眺めると一つの動く超巨大ランドマークが
たち現れてくるのだ。
人は心の中で意識し頭の中での認識が生まれる、そしてそれが繋がる事で巨大な見えない意識の網の目が生まれる。
この途方もなく巨大な意識の構造自体を作品として認識しようという試みなのだ。
超巨大で、人々は作品の中に暮らしているのでそれを把握はできない…
それだけではない、役にたつ。
そして、その恩恵を受ける事で総体を認識できるのだ。
僕ががんかえる天然芸術(EARTのHを取ってEARTと呼ぶ)の一つの要素に、
「役に立つ芸術」、「生命教育的芸術」というのがある。
芸術が何かを教えるといった高飛車なものではない
芸術も関わる人と相互に教えられ合う。「響育(DE=deidconstractive Education)」これはそれにあたる。
消費される商業芸術と違い、このアートは流れない…積み重なる。
そして人が生きるために直接作用し時代似合わせ自己変性していく。
この研究をする拠点としてAManTO天然芸術研究所をオープンできたの事は大変な喜びだった。
この作品は瀬戸内に広げ、海のお遍路さんを完成させた暁には、アイヌから沖縄まで広げ、日本のトラディショナルラインを作る。
これが「惑星軌道上から見える作品」だ。
その後、このネットワークは環太平洋に広げ、次にはシルクロードを繋ぎ、文明の東西を繋ぐ、これは「月から見るための作品 その1」になる。
そして旅はその人にとって自分を見つめ、自分の生まれた意味や、如何に生きるかという
天職を探し求める全ての人の味方である。
生きるための資格、技術は学校や、大学で学べるもの、しかし、「で、どう生きるか」は結局本人に任されており、
自分とその生まれた時代の摺り合わせがうまく出来ない人は驚くほど多い、
僕は学歴があるわけでもなく、専門的な学位を持っているわけでもない…だから僕の学校は大地であり、空だった。
そしてそこに生きる人々から生き方を学んだ。
生き方を学べば、何をするべきかは内からあふれてくるものだった。
人はコマーシャルや就活のトレンドにまどわされる必要もなくなるものだ。
自分に忠実であるための社会と繋がり貢献する事であり、社会から利益を得るための仕える事ではない…。
知識は学べても知恵は学べない。
学位は取れても、天職はわからない…
そんな人は多いようだ。
そこで考えたのが現代版のお遍路さん「あまんとみち」だ。
僕が旅によって学んできた事にヒントを得て考えた。
心ある受け入れ先を繋ぎ、そこにいる人と交流し、自分が何なのかを学んでいく本当の生涯学習システム。
具体的には、各拠点でボランティアをすることで芸人でいうアゴマクラを提供してもらう。
つまり食べ物と寝床だ。
段階的に地域通貨を発行し、生きる為の就労、起業が自由にできるようサポートシステムを考えている。
今現在、全国行脚中!旅人である芸人という自分の利点をいかし、芸をしながら、縁ある各地を廻る。
この異分野の相互扶助ネットワークを世界中に広げる夢を語りながら…
僕はこの「あまんとみち」を社会活動やNPO活動というより一つのアートの作品と考えている。
ポストパブリックアートであり、サスティナブルアートでもある。
つまり
つまり各拠点とそれを繋ぐ人が移動する姿を人工衛星軌道上から、眺めると一つの動く超巨大ランドマークが
たち現れてくるのだ。
人は心の中で意識し頭の中での認識が生まれる、そしてそれが繋がる事で巨大な見えない意識の網の目が生まれる。
この途方もなく巨大な意識の構造自体を作品として認識しようという試みなのだ。
超巨大で、人々は作品の中に暮らしているのでそれを把握はできない…
それだけではない、役にたつ。
そして、その恩恵を受ける事で総体を認識できるのだ。
僕ががんかえる天然芸術(EARTのHを取ってEARTと呼ぶ)の一つの要素に、
「役に立つ芸術」、「生命教育的芸術」というのがある。
芸術が何かを教えるといった高飛車なものではない
芸術も関わる人と相互に教えられ合う。「響育(DE=deidconstractive Education)」これはそれにあたる。
消費される商業芸術と違い、このアートは流れない…積み重なる。
そして人が生きるために直接作用し時代似合わせ自己変性していく。
この研究をする拠点としてAManTO天然芸術研究所をオープンできたの事は大変な喜びだった。
この作品は瀬戸内に広げ、海のお遍路さんを完成させた暁には、アイヌから沖縄まで広げ、日本のトラディショナルラインを作る。
これが「惑星軌道上から見える作品」だ。
その後、このネットワークは環太平洋に広げ、次にはシルクロードを繋ぎ、文明の東西を繋ぐ、これは「月から見るための作品 その1」になる。