<今日も映画FOOL製作日誌>
今日は、内気で失語症、でもまじめで純な、我らがBAR「FOOL」のウエイター形而上哲学者中田氏演じる「フランケン君」だ。
すらっと背の高い彼は外見だけではなく、その内面の葛藤を描き出す焼くの難しさから哲学者である彼にぴったりと言う事で、配役がきまった。
彼の発する「a ア ア ・・・・ウ ウ uuU・・u」
という言葉はこの劇中唯一登場する人間、店長であるマスターにしかわからない。
これ又哲学的設定。
中世ヨーロッパ貴族の間では、障害を持っている人をかこう事を美徳とする
習慣があり、時代によって、身体障害や知的障害、精神障害などの流行があった。
その進化版が宮廷道化たる、「ピエロ」なのだが、実は王様の内面まで見透かして、完全自由な境地にいたのが唯一、愚者であり道化だったという話がある。
(リア王なんかがそれに近いね)
愚者とは、道化とは・・・とその話になると本が一冊書けちゃうのでやめとくけど、
マスターとフランケンの間には、それににた人間(?)関係がある。
しかし、マスターは別に美徳云々でフランケンと付き合ってるわけではなさそうだ。中田氏の形而上学的解釈と名演技にご注目あれ!
<楽しいにも質がある>
天人はこうして熱い連中を絶えず支援し、一緒になって楽しんでいる訳だが
楽しみながらいい意味で常識に縛られないものつくりを天人は支援していきたい。
楽しい熱いは確かにキーワードだが、それだけではけして続くものではない・・・
好きなことだけやっていればすべてうまく行くという成功哲学を信じている人もいるが、知的な楽しみと、単に満足だけ求めるのとは違う。
そういう意味で好きなことだけやっていれば、成功のベルトコンベアーが幸福まで運んで暮れると錯覚している人は、したたかな人に利用されないうちに早く安易な道からおりたほうがいい。
しかし、時代の転換期にはおおくの素質をもった人々が、吸い寄せられて集まってくる物だ、しかし旧世界の常識でときには非常識者扱いされる彼らには、勇気を持ってその種を芽吹かせる土壌と肥料、水、そして太陽がひつようだ。
多くの場合吸い寄せられてくる人々はお互いが太陽と土であったり、水と肥料だったりするもの、素質をある人もその条件が整わないと中々芽吹けないもの。
それらの人すべてにチャンスと可能性の場を提供するお手伝いをさせてもらうのが天人の役割であり仕事だとおもっている。
一つ付け加えるなら、この天人は次世代アートの祖形を生み出そうとする実験カフェとして、生まれた訳だが、人々の世代とジャンルを越えた化学反応にこそそのカギがあり
この手の場所では自分の成功のためだけに役立てようとする人はなら、そんなに長くは関われない傾向があるようだ。
結果を動機としない者がこういう場の恩恵を一番受ける事ができる。
これはかなり知的なゲームを参加者に強いる。
かなりの知性の持ち主になるか、純真無垢な道化だけ時代を作って行くのかもしれないネ(^^)
このオルタナティブな場所は世界中で自然発生しているようだ。
<映画製作にかける期待>
天人もこうしてボランティアプロヂュースを好き好んで勝って出ているのは単に楽しいだけではない、別の理由がある。
今それをしないといけないと感じているから・・・。
この場合、天然芸術研究所は、その製作過程を支える構造自体、人間関係の方法論に注目している。
お金で雇い縛りをかける事の少ない自主映画には、今の経済が崩壊したとしても人がモノを生み出す事のできる、社会構造のあり方の祖形を見いだすことができるのではないかと考えているのだ。
まさしく悪条件を楽しんだ連中の中から本物が生まれて来た事は歴史が証明している。その歴史たるや恐竜絶滅時の哺乳類にまでさかのぼれる(ちょっと大袈裟!)
多くの人が関わる事のできる映画製作を天人が応援するのは、この人の化学反応の中で生まれる芸術に、次の時代の社会構造、システムのヒントを観察模索しようとしているというわけだ。
天然芸術研究所がARTがEART(進化系芸術、大地のため、生きるため生まれる美の系譜)が生まれるための基礎研究だったと仮説するなら、実際生まれる無形の意識の型がどこからくるのかと定義しなければいけない。
時代の転換期に、過去に縛られ、悲鳴を上げる人達のなかには
次世代の祖形なぞは見いだせないと僕は信じている。
彼ら若い世代と旧体制の摩擦の中で、なおかつ熱く、明るく、
未来に希望を失わない人達の間から新しい時代が生まれてくるのだ。
それは自らの体を焼いて生まれ変わる火の鳥のように・・・
壮大な実験!
その成り行きに皆さんは歴史の証人となる?!
今日は、内気で失語症、でもまじめで純な、我らがBAR「FOOL」のウエイター形而上哲学者中田氏演じる「フランケン君」だ。
すらっと背の高い彼は外見だけではなく、その内面の葛藤を描き出す焼くの難しさから哲学者である彼にぴったりと言う事で、配役がきまった。
彼の発する「a ア ア ・・・・ウ ウ uuU・・u」
という言葉はこの劇中唯一登場する人間、店長であるマスターにしかわからない。
これ又哲学的設定。
中世ヨーロッパ貴族の間では、障害を持っている人をかこう事を美徳とする
習慣があり、時代によって、身体障害や知的障害、精神障害などの流行があった。
その進化版が宮廷道化たる、「ピエロ」なのだが、実は王様の内面まで見透かして、完全自由な境地にいたのが唯一、愚者であり道化だったという話がある。
(リア王なんかがそれに近いね)
愚者とは、道化とは・・・とその話になると本が一冊書けちゃうのでやめとくけど、
マスターとフランケンの間には、それににた人間(?)関係がある。
しかし、マスターは別に美徳云々でフランケンと付き合ってるわけではなさそうだ。中田氏の形而上学的解釈と名演技にご注目あれ!
<楽しいにも質がある>
天人はこうして熱い連中を絶えず支援し、一緒になって楽しんでいる訳だが
楽しみながらいい意味で常識に縛られないものつくりを天人は支援していきたい。
楽しい熱いは確かにキーワードだが、それだけではけして続くものではない・・・
好きなことだけやっていればすべてうまく行くという成功哲学を信じている人もいるが、知的な楽しみと、単に満足だけ求めるのとは違う。
そういう意味で好きなことだけやっていれば、成功のベルトコンベアーが幸福まで運んで暮れると錯覚している人は、したたかな人に利用されないうちに早く安易な道からおりたほうがいい。
しかし、時代の転換期にはおおくの素質をもった人々が、吸い寄せられて集まってくる物だ、しかし旧世界の常識でときには非常識者扱いされる彼らには、勇気を持ってその種を芽吹かせる土壌と肥料、水、そして太陽がひつようだ。
多くの場合吸い寄せられてくる人々はお互いが太陽と土であったり、水と肥料だったりするもの、素質をある人もその条件が整わないと中々芽吹けないもの。
それらの人すべてにチャンスと可能性の場を提供するお手伝いをさせてもらうのが天人の役割であり仕事だとおもっている。
一つ付け加えるなら、この天人は次世代アートの祖形を生み出そうとする実験カフェとして、生まれた訳だが、人々の世代とジャンルを越えた化学反応にこそそのカギがあり
この手の場所では自分の成功のためだけに役立てようとする人はなら、そんなに長くは関われない傾向があるようだ。
結果を動機としない者がこういう場の恩恵を一番受ける事ができる。
これはかなり知的なゲームを参加者に強いる。
かなりの知性の持ち主になるか、純真無垢な道化だけ時代を作って行くのかもしれないネ(^^)
このオルタナティブな場所は世界中で自然発生しているようだ。
<映画製作にかける期待>
天人もこうしてボランティアプロヂュースを好き好んで勝って出ているのは単に楽しいだけではない、別の理由がある。
今それをしないといけないと感じているから・・・。
この場合、天然芸術研究所は、その製作過程を支える構造自体、人間関係の方法論に注目している。
お金で雇い縛りをかける事の少ない自主映画には、今の経済が崩壊したとしても人がモノを生み出す事のできる、社会構造のあり方の祖形を見いだすことができるのではないかと考えているのだ。
まさしく悪条件を楽しんだ連中の中から本物が生まれて来た事は歴史が証明している。その歴史たるや恐竜絶滅時の哺乳類にまでさかのぼれる(ちょっと大袈裟!)
多くの人が関わる事のできる映画製作を天人が応援するのは、この人の化学反応の中で生まれる芸術に、次の時代の社会構造、システムのヒントを観察模索しようとしているというわけだ。
天然芸術研究所がARTがEART(進化系芸術、大地のため、生きるため生まれる美の系譜)が生まれるための基礎研究だったと仮説するなら、実際生まれる無形の意識の型がどこからくるのかと定義しなければいけない。
時代の転換期に、過去に縛られ、悲鳴を上げる人達のなかには
次世代の祖形なぞは見いだせないと僕は信じている。
彼ら若い世代と旧体制の摩擦の中で、なおかつ熱く、明るく、
未来に希望を失わない人達の間から新しい時代が生まれてくるのだ。
それは自らの体を焼いて生まれ変わる火の鳥のように・・・
壮大な実験!
その成り行きに皆さんは歴史の証人となる?!