AManTo天然芸術研究所

大地のため、時代のため、消費されないアートを求めて…
EART(天然芸術)の今を紹介するブログ

フランケンと道化・・・そして楽しみの階段

2005年09月28日 | Weblog
<今日も映画FOOL製作日誌>

今日は、内気で失語症、でもまじめで純な、我らがBAR「FOOL」のウエイター形而上哲学者中田氏演じる「フランケン君」だ。
すらっと背の高い彼は外見だけではなく、その内面の葛藤を描き出す焼くの難しさから哲学者である彼にぴったりと言う事で、配役がきまった。
彼の発する「a ア ア ・・・・ウ ウ uuU・・u」
という言葉はこの劇中唯一登場する人間、店長であるマスターにしかわからない。
これ又哲学的設定。

中世ヨーロッパ貴族の間では、障害を持っている人をかこう事を美徳とする
習慣があり、時代によって、身体障害や知的障害、精神障害などの流行があった。
その進化版が宮廷道化たる、「ピエロ」なのだが、実は王様の内面まで見透かして、完全自由な境地にいたのが唯一、愚者であり道化だったという話がある。
(リア王なんかがそれに近いね)
愚者とは、道化とは・・・とその話になると本が一冊書けちゃうのでやめとくけど、
マスターとフランケンの間には、それににた人間(?)関係がある。
しかし、マスターは別に美徳云々でフランケンと付き合ってるわけではなさそうだ。中田氏の形而上学的解釈と名演技にご注目あれ!


<楽しいにも質がある>

天人はこうして熱い連中を絶えず支援し、一緒になって楽しんでいる訳だが
楽しみながらいい意味で常識に縛られないものつくりを天人は支援していきたい。

楽しい熱いは確かにキーワードだが、それだけではけして続くものではない・・・
好きなことだけやっていればすべてうまく行くという成功哲学を信じている人もいるが、知的な楽しみと、単に満足だけ求めるのとは違う。

そういう意味で好きなことだけやっていれば、成功のベルトコンベアーが幸福まで運んで暮れると錯覚している人は、したたかな人に利用されないうちに早く安易な道からおりたほうがいい。

しかし、時代の転換期にはおおくの素質をもった人々が、吸い寄せられて集まってくる物だ、しかし旧世界の常識でときには非常識者扱いされる彼らには、勇気を持ってその種を芽吹かせる土壌と肥料、水、そして太陽がひつようだ。
多くの場合吸い寄せられてくる人々はお互いが太陽と土であったり、水と肥料だったりするもの、素質をある人もその条件が整わないと中々芽吹けないもの。

それらの人すべてにチャンスと可能性の場を提供するお手伝いをさせてもらうのが天人の役割であり仕事だとおもっている。

一つ付け加えるなら、この天人は次世代アートの祖形を生み出そうとする実験カフェとして、生まれた訳だが、人々の世代とジャンルを越えた化学反応にこそそのカギがあり
この手の場所では自分の成功のためだけに役立てようとする人はなら、そんなに長くは関われない傾向があるようだ。
結果を動機としない者がこういう場の恩恵を一番受ける事ができる。
これはかなり知的なゲームを参加者に強いる。
かなりの知性の持ち主になるか、純真無垢な道化だけ時代を作って行くのかもしれないネ(^^)
このオルタナティブな場所は世界中で自然発生しているようだ。


<映画製作にかける期待>

 天人もこうしてボランティアプロヂュースを好き好んで勝って出ているのは単に楽しいだけではない、別の理由がある。
今それをしないといけないと感じているから・・・。

この場合、天然芸術研究所は、その製作過程を支える構造自体、人間関係の方法論に注目している。

お金で雇い縛りをかける事の少ない自主映画には、今の経済が崩壊したとしても人がモノを生み出す事のできる、社会構造のあり方の祖形を見いだすことができるのではないかと考えているのだ。

まさしく悪条件を楽しんだ連中の中から本物が生まれて来た事は歴史が証明している。その歴史たるや恐竜絶滅時の哺乳類にまでさかのぼれる(ちょっと大袈裟!)

多くの人が関わる事のできる映画製作を天人が応援するのは、この人の化学反応の中で生まれる芸術に、次の時代の社会構造、システムのヒントを観察模索しようとしているというわけだ。

天然芸術研究所がARTがEART(進化系芸術、大地のため、生きるため生まれる美の系譜)が生まれるための基礎研究だったと仮説するなら、実際生まれる無形の意識の型がどこからくるのかと定義しなければいけない。

時代の転換期に、過去に縛られ、悲鳴を上げる人達のなかには
次世代の祖形なぞは見いだせないと僕は信じている。

彼ら若い世代と旧体制の摩擦の中で、なおかつ熱く、明るく、
未来に希望を失わない人達の間から新しい時代が生まれてくるのだ。
それは自らの体を焼いて生まれ変わる火の鳥のように・・・

壮大な実験!
その成り行きに皆さんは歴史の証人となる?!

FOOL撮影開始、劇映画の苦悩

2005年09月21日 | Weblog
いよいよ 映画「fool」撮影開始だ。
この物語りは天人の映像プロデュース集団「天影公司」が、支援する
映画としては4作目にあたる。
ECCのアーティスト専門学校の授業で製作するモンスターアイデンティティーシネマ「FOOL」。
映画を初めて作る彼らの熱さに、天人も一肌脱ごうと参加させてもらった。
今日は天人日曜マスターのヤス演じる「ゾンビ」がBAR「FOOL」にやって来たシーン。
彼はある目的を持って旅をしているのだが、どうもこの店に何かがあるらしい・・・

天人で支援する映像製作にはドラマが多く、ロードムービーであったり、モンスターものであったりと、非日常のものが多い。
自主映画上映会のほうは、ドキュメンタリーや、アニメなども多いのだが
これは製作を形態の違いによるといえるだろう。
技術の進歩で比較的個人の作家のセンスと積み重ねによってできるようになったジャンルのものも多い。
これは作家のセンスがもろに問われる事を意味し、敷居は低くなった事を示すが、逆に出口は狭くなったとも言える。

個人メディアの時代を予言している天人にとっては、いよいよ時代がきたという所か・・・

しかし劇映画は、いくら時代のデジタルか進んでも、多くの人が関わる社会性が必要になる。
天候など、どうにもできない要素も多分にある。

ここには大きな違いがあり、僕が注目する所以がココにある。

製作を支援してほしいと言う作家が劇映画の人に多くなるのは当然の成り行きだ。


劇映画に何を求めるかという作品としての主張も大切だが
いわばボランティアプロデユースをわざわざ買って出るのは、
天人としての又別の狙いがある・・・

まあ、その話は別の機会にゆずるとして、天人が様々な実験を繰り返す、
天然芸術発祥の地の一つであることは間違いないようだ。

今日も伝説は積み重なる・・・・

「極上の散歩道」のロケ

2005年09月08日 | Weblog
今日は中崎町で読売テレビの番組収録があった。
毎週土曜日の朝5時40分の番組「極上の散歩道」という番組だ。
あの植村なおみさんが天人にやってきた。
スタッフの方はじめ大勢のスタッフの方が、いらした。
僕はお店の紹介とご近所での思い出の場所を彼女と散歩して廻るのだか
とても楽しい時を過ごさせてもらった。
植村さんは風邪引き中らしくとてもつらそうだったが、
さすがはプロ、カメラの前ではそんな事は微塵も感じさせない。
勉強させてもらった…!

驚いたことは、ハイビジョンカメラでの撮影だ。
この番組は地上はなのだが、再放送を考えての事だろうか
番組はハイビジョンでデータを作る。

今までの撮影にはないほど、光の加減、背景に写っている庭の細かなディテールにまで
注文がつく、ビックリするような気の配り方だ。
いままでより、遠くまで、鮮明な映像になるのだろう…。
時代の流れを感じる。

今現在、中崎町が、散歩道として多くの方に好まれているわけではない。
今のところ、店は昭和の佇まいの中に点在しており、そこにすんでいる人の生活が
メインの古い町だ。
僕はここに訪れる人が日本人が何を失い何を得たのかが感じられる貴重な場所なのだと
思っている。
番組でもその辺りを話したつもりだ。
今のところの中崎町は、先端の流行に敏感な若者が、
スローライフで主張のある色んなセレクトショップを
訪ねてくるパターンが多い。
心地よい街の雰囲気を楽しみにくるだけでなく、
この街に日本に住む人として何を学ぶかも含めて
自分を再生できる街、自分の中心に立ち返れる街として
これからも多くの人に愛されていってほしいと願うばかりだ。
そのために僕は日本の風土に立脚したオルタナティブカフェを目指そう!



天人はそこで発表されるアート活動ばかりが取り上げれらる事が
多いのだけど、今回はわが町中崎町の紹介の中での一部という中でだけど、
天人という箱自体の最新の今と、箱持つエナジーをハイビジョン画質で感じる事のできる数少ない機会です!

放映は2005年10月1日朝5:40!
ちょっと早いけど皆さん!
乞うご期待です!!

そして
読売テレビさん、番組スタッフの皆さん!
ありがとうございました。


p.s 
植村さん!!
風邪早く治してくださいね!

愚直が稽古場にやって来た!

2005年09月07日 | Weblog
本日の朝稽古で以前から道場に掛けたかった「書」がやっと掛けられた。

ある有名な書道家が天人にいらして僕の行き方に感動してくれて書いて下さったものだ。

「愚 直」…。

恩師大重潤一郎監督(海プロダクション代表、沖縄在住)からいただいた言葉で
僕を支える根源の言葉だ。
芸能に携わるもので何が素晴らしいか…それは一生涯、
芸能に身を捧げ続ける事ができるのかという事だと教えられた。
芸能界色んな手を使えば一時期の可憐な花を咲かせる事はできる。
しかし一生涯となると結局、愚かなまでに真っ直ぐにコツコツ積み重ねる人だけが
この最も難しい命題に偉大な花を咲かせられるのだそうだ。

中崎町ではよそ者だった僕は苦労の末、地域の人に受け入れていただけた。
この稽古場は中崎町地元の町会長のご好意によって、
使っていない木造倉庫を僕のために貸していただいている。
床は抜け、廃墟と化していたその場所をコツコツもらい物だけで修理して(天人方式)
やっと稽古できるぐらいまでになった。
僕はここで、早朝からお昼前の天人会議まで、アートによって本気で時代を変えたいと
思っている有志を募った。
一流一派を立ち上げれるぐらいの気持ちで毎日行われている稽古は真剣そのもの…。
メソッドの蓄積だけなら十分そろっているのだが、武道、ダンス、ヨガ、暦法…
様々なエッセンスからテーマである
「失われた縄文のメソッドを復元、洗練させて現代に蘇らせる」事が研究テーマである。
夢は大きい!

これには膨大な努力が必要だ。
単なる技術の寄せ集めでは後世の人の資産にはなれないから…。
ありがたいのがその実験場がこの身体という誰にも一つ与えられた器であることだ。

これはどんな高度な実験をしても場所もとらないし、設備投資に無限に費用がかかるわけではない。
体一個とやる気。それが条件のすべて…なのだ。

アートによる平和活動を本気で考えている僕は、
いかに人に役に立てるかが芸能人の使命だと思っている。
この町に来て4年、ほんとユックリだけど確実に多くの人のご好意によって
夢を実現させていただけている。

これからもコツコツ場所を作りながら、汗を流し、芸人として精進し、
いづれは、最新の身体哲学とWS、世界中のボディワークを紹介でき、尚且つ
地域の子供からお年寄りまでの健康をお世話できる場づくりを目指していく。
愚かなまでに真っ直ぐが最終的な勝利に繋がるその言葉を信じて…
毎日が真剣だが本当に楽しい…充実感は愚直にいきる「あまんとびと」にとって
唯一のご褒美だ(^^)

さあ今日も稽古にはげもう!



(あー、とりあえず貧乏なので書「愚直」は押しピンで壁に止まっている。
せめて額にいれて飾ってあげたいのだけれど…。
お金できるまで待とうかとも思ったけど、役に立ってこそ「書」なのだと思い直
このエナジーを絵に描いた餅にしないため、
とりあえず急いで壁に貼った。
「書」さん…ごめんなさいね!m(_ _)m  )


ゆみちゃん天人卒業!

2005年09月01日 | Weblog
今日で天人経理担当のゆみちゃんが卒業する日!

3年前、ある野外イベントで知り合ったゆみちゃん。
ふとしたことから天人に来ることになって、常連→厨房スタッフ→文化教室担当→経理
へと天人の一番大きな変化を遂げた3年を一緒に過ごしてくれた事になる。

なんでも翻訳の仕事をするため、資格を取る勉強をするんだとか…頑張ってね!
天人は「響育」をキーワードに文化創造をしている。
響く育つだから誰が先生というわけではなく、お互いが先生…。
いやそれを通り越して自分自身が先生なのだ。

響き合い、協調するなかで自分のポジションを探し、作り、コミニティの役割を
果たす中で、自力で成長する。すると自然に自分を見つけてそれにチャレンジしていく…。
(経理担当は、天人の中でも大変な仕事。オルタナティブな運営を研究している天人は
一般のコンサルタントの筋道が通らない場合も多い、スパーマネジャーのサチの全面協力の基、
実務面の日々の地道な業務を淡々と続けてくれた。
彼女にはお礼の言葉をいくら言っても足りないぐらいだ。

僕が響育の意味で彼女の役に立てたのは大雑把なこの性格で、嵐を巻き起こす僕を、
反面教師として彼女が勝手に学んでいった所ぐらいだろう(笑)!!
ゆみちゃん!色々ありがとね(^^)!)

子供は誰でも良き大人に成りたがっているとよくいうが、この「良き」の意味とは、
廻りに役に立つ人間になりたいという原子的根本欲求の部分がその最大のものの一つだろう。
最初は両親、家族、学校、地域、社会とその枠はその人の器の大きさの中で大きくなっていく。

そこで単なる願望情趣に専念するのではなく絶えず、自分の必然、周りの必然、社会での必然
の3つを満たす事を見つけこなしていけることを自分の幸せとしていく価値観は
次世代の新しい生き方の根底をなす、価値観のパラダイムシフトだ。

現代人からみれば、一見フラフラ生きているように見えるかもしれないけれど、
その人の成長は、その星の、その生態系で
存在する地域社会の中での自分の生かし方をもっとも最短距離で見いだせていく…。

それは、けして自分の得意なものばかり、やりたいことだけやっていればいいというわけにはいかない事もあるもある。

自分が仲間為にできる事、すぐ隣の人の為に出来る事を幸せの種まき積み重ねていった時どんなに変化する環境の中でも、いやその渦中だからこそ、けして代わらない、
「自分という存在」が、いつも中心にいる事に気づく
(最初は人に振り回されるんだろうけどね^^)

彼女は、カフェがしたいわけではなかったし、
経理の知識が豊かであったわけではない、
その段階、段階で自分の可能性を伸ばし枠を広げ、役に立ち続ける事で自分の中での
次の不可能に挑戦していったのだ。
一見、周りのためではあるが、自分のために彼女が自主的に選んで来たことなのだ。
(これは実はとても伝統的な太古から続く人の成長する王道でもある。)

彼女も人生に迷いながら、ここに来て、多くの人に出会い自分を再生した。
そしてその上にたって自分の人生感を造っていった。


そしてなにより、天人での典型的な成長の雛型を皆に示してくれた彼女は、
第一級の卒業生だといえる。

天人の設計図では、卒業した人が又一回り二周り大きくなって
帰ってきてくれてまた別の角度からムーブメントに参加してくれる場合が多い(
大体今のところ2年周期が多いだろうか?)

それまで天人は形を変え姿を変えて、その魂の岩盤だけを変えるところなく、「時代の奉仕者」として頑張っていくので、又、いつでも戻ってきてください!
又、「時代のサーフィン」をして思いっきり遊びましょう!
そして3年間本当にありがとう!!
ゆみの未来に乾杯!!