AManTo天然芸術研究所

大地のため、時代のため、消費されないアートを求めて…
EART(天然芸術)の今を紹介するブログ

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映像は次世代のハブカルチャー

2004年08月28日 | Weblog
映像グループ天影公司と天人広報宣伝部が
スクラムを組むことに!!

きっかけは
映画「珈琲時光」だ。(2004年10月公開予定)
今月27日にマスコミ試写が堀江の松竹ビルあり、
天人広報宣伝部三人衆(カン、ヤス、ヒロシ)がいってくれた。

テアトルの瀧川氏のお願いもあり
天人はこの映画を応援する事になったのだが、

単に侯孝賢(ホウ・シャオシェン)監督、小津安二郎監督
浅野君、一青窈のファンというのがモチベーションではない。

もちろんせっかくやるのだから興行的にも成功してもらいたい。
しかし、完全ボランティアでここまでやるのは
今の時代の映像文化の重要性が見えてきたからだ。
映像文化は今後しばらくは、あらゆる文化をつなぐ「ハブカルチャー」となると思うのだ。(ハブカルチャー=造語、文明の遺伝子「文化」をつなぐ接点となるコア文化というぐらいの意味)」
今の時代一番重要な事。
それは観客を育てるという事だと思う。

真の意味で観客を育て次世代の映画人を発掘している尊敬する映画人に
同じ中崎に住むプラネットの富岡さんがいる。
中崎にはコアな部分に彼がいてくれている。
僕にやらせてもらえるとしたらさらにその外側で作品を見守り応援する
地場づくりだろうと考えている。

中崎町にはその可能性があると思う。
詳しくはここでは書けないが、
天人は今までも幾つかの素晴らしい作品を応援させてもらえた。
どれもが新しい映画作りの方向性をしめすものだった。
大重潤一郎監督の「縄文」。てんつくマンの「107+1天国は作るもの」。
金森太郎監督の「ベットチベット」。花堂純次監督の「夢追いかけて」などなど!
今回の「珈琲時光」も偶然いただいたお話だが、これを機会にさらに
街が時代を超えて残っていく映像というメディアとどう
関われるか…様々な実験をしていきたいと思っている。

あっ
そうそう。今回のお話絶対的な人手不足です。
興味をもたれた方は、天人の映像グループ「天影公司」、
もしくはJUNまでご連絡をくささいまし!

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感動のクーラー試運転!

2004年08月26日 | Weblog
今日2004年8月27日16時32分
念願の冷房専用クーラーが天人でうなりをあげた。
苦節三年。クーラーのない店としてすっかり定着し、
夏暑く、冬寒い店…それが天人だった。

それが好きなお客さんも多かった天人。
クーラー導入については賛否両論。
お客さんの中でも意見は真っ二つに分かれた。
しかし今、天人が文化発進場と学校として発展しそうな現状から
考えてクーラー導入を決意した。
基本的には映画上映やライブ時など。
扉を締め切った状態でやるイベントのときを
メインに使うつもり。

(天人は真夏、数十人が入って、扉、窓を締め切るとサウナ状態で拷問のようだった。
それでも天人でやりたいといってくれたアーティストの皆さん、本当にありがとう!
きっと将来、あなた方は昔はあーだったときっと伝説化していく事でしょう。)

これからは、年間通してより多くの人が集う事のできる
フリースペースになって行きます。

(ココは資金もスポンサーもなく、ホントゼロからのスタートだったので
ここまで支えてくれたスタッフの皆さん!
本当に改めて心からありがとうを言わせてもらいます!)

クーラー屋さんの秋山さん!親方、奥さん!無理難題ばかりごめんなさいね。ありがとう!
天人クーラー実現に秋山さんの言葉が印象的に心に残ってます。…
「ココの活動に興味はある。でも僕にはアートのセンスはわからない
僕は電気の事しかわからん男だから、電気の事で貢献させてもらいます。」


日本の伝統芸術ってあれ全部職人の仕事です。
誇りを持って仕事する人はみな仕事を芸術化してると思う。
天然芸術家。
それは社会の一員として
誇りをもって生きる人なのかもしれない。

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珈琲時光について

2004年08月20日 | 天然映像芸術 <天影公司>
「珈琲時光」テアトル梅田でこの10月より公開される映画の題名だ。
今日、テアトルの瀧川支配人が天人にやってきた。
浅野忠信、一青窈、主演の映画、「珈琲時光」のキャンペーンを企画する事になった。
天人、広報宣伝部長、カンちゃんと3人でお話しをする

ここ半年ばかり映像関係の人が多い天人。
映像は総合芸術だから、多くのジャンルのアーティストが関われる。
インターネット時代の今日、映像メディアはこれからの芸術で好むとこのまざるを問わず
芸術の中心の一つになることは間違いない。

瀧川さんは珈琲時光が下町のお話しだという事で大阪の下町中崎町で何かできないかという
お話しだった。
彼は中崎町の写真展や珈琲時光というコーヒー豆の販売を考えているという事らしい。
この日は僕の予定が詰まっておりご挨拶という程度の話し合いだったが、
とあえず試写に招待してもらえる事になった。
ところがこの試写当日は僕はすでに予定があり、参加できず!残念!
カンちゃんに代わりに見てきてもらう事にする。

まだ観ていないとはいえ名匠小津安二郎の生誕100年を記念して
侯孝賢(ホウ・シャオシェン)監督が撮った本作品は
小津ファンの僕としては是非応援したい作品だ。
侯監督は『悲情城市』『フラワーズ・オブ・シャンハイ』など
カンヌ、ヴェネチア、ベルリンなど国際映画祭が絶えず注目してきた人。
楽しみである。
取りあえず、侯監督、浅野君たちの来阪の予定はないかと聞いてみたが、
関西より1月はやく封切られる東京では(9月1日からテアトルタイムズスクエア)企画があるが
そのままヴェネチア映画祭に行ってしまうらしく(ヴェネチア映画祭9/2~11日)
その予定は無いそうだ。
大阪、中崎町が西の芸術中心地となるには映画文化はかかせない!
侯監督、浅野君の招待イベントの企画要請を瀧川さんに強力にお願いした。
ミニシアターであるテアトル梅田には確かに舞台はないし、
急に言われても資金面で問題もあるだろう。
しかし関西は伝統的に市民参加型で芸術を盛り上げてきた伝統がある。
テアトルと中崎は隣同士。
町巻き込み型で何かできないだろうか?
コレを呼んでピンと来た人は是非、天人JUNまでご一報ください!
なにかオモロイ事やらかしましょう!


珈琲時光 http://www.coffeejikou.com/intro.html

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癒され(iyasare)という名詞の創案

2004年08月15日 | Weblog
癒され祭
今日は癒され祭の日。
今月から「癒され祭」は28日周期で自分を表現する人のムーブメント「
星の市場」に協賛し連動して開催される。
数多くの癒されメニューが受け放題のこのイベント。
実は「癒し」と天人は深い関係がある。


「癒され祭」の「癒され」という言葉にはあるコンセプトが
隠されている。
それが生まれたのは3年前の天人創設に関わる物語があったのだ!


近年まで日本語には「癒す」という動詞はあっても「癒し」という名詞は
存在したなかったのをご存知か!

その言葉を作ったのは文化人類学者の上田紀行先生。
先住民のアミニズムなどを研究していた彼が
当時、日本では怪しい以外の何も出でもなかった癒す行為にスポットを当て「癒し」という名詞を提案。癒しの時代がくるにちがいないと最初に主張した人の一人である。

そして今の癒しブームを作った彼がこの天人のオープニング記念の講演会の講師だったのだが…。

続きを読むhttp://junjugem.jugem.jp/

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プチブラスバンド パプア

2004年08月12日 | Weblog
天人らしいプチライブがあった。
三宅伸一(ソプラノサックス)
ヒロトモ(トロンボーン)
池田安左子(大太鼓)の
本人たち曰く
「わりと地味目なブラスバンド」
である。

お客さんはお茶を飲み、おしゃべりしながら
いつの間にかユルーく音が動き出す。
プチブラスバンドの小さな乱入は
夕方6時からということもあり
地元の小学生が遊びにきている中始まった。

音がポコポコと日常音のように天人の空間に
おかれいく。
彼らのライブを見たのは何年ぶりかだが、
やりたい事がゆっくり時間をかけてまとまってきた…
という印象を受けた。
みっちり練習して望む与えるだけの演奏には
感性の緩みが入っていかないもの。

それが彼らの演奏は観客との間合いを意識していないようで
意識しつつ調度いい距離感を保ってているように感じた。

パプアには日常で大切にしたい「今」という時間が内在されている。

もすこし聞いていたい…そんな所ですっと終わった演奏のあと
天人は何事もなかったようにいつものCAFEに戻っていった。

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「華」がついに終った。

2004年08月08日 | Weblog
今回のスペシャルゲスト高砂舞踏協会の「きよこ」さんと
アガノさんの音、当日、竜笛のレイさん、照明の福井さんまで
即興で入っていただいてとても舞踏らしい空間での表現に
なったと思います。
僕も久しぶりに白塗りしたし
第2部での全身小麦粉塗りは素直に楽しめた。
(後の掃除を手伝ってくれた皆さんありがとう)

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200408/8「華はハナ」


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「華」Dance&sound Phenomenon シリーズlogo vol 3

2004年08月07日 | Weblog

dance /kiyoko
jun
kae
sound /ty Agano
v j /chinami


「華」

華は人が愛でる言葉をもつ前から咲いて来た。
人が生まれる前、いや動物より先に陸に上がり
「静寂の世界の言語」として最初に存在した「主張」、
それが華であると思うのだ。

言語としての「hana」は交配機能としての「花」という言葉より「華」のほうが形容的意味合いが強い。
「花」の言葉ができて花のように美しいという「華」の記号が生まれたのだろうか?
いやそうではない。

「華」は音声と移動の手段を持つ必要のないほどに完成された美を持っていた種族の自己主張であり意志の伝達手段をだったのだ。
当時の「美」はそれこそ全生命を傾けた行為だった。
花が移動しその種族の生命圏を広めるためにはそれこそ何世代もかけなくてはならなかった。
ひたむきな情熱とドラマが繰り広げられたことだろう!時代(気候)にあわない主張(花)をもった一族はそれこそ何万世代もかけて進化し時代にあった花を持たなければなかった。
その純粋の美がこの星に愛でられたときのみ世界に仲間を広げることができた。その当時、それが正しい姿だったのだ。

華は美しく咲き乱れる事に生きるすべてが集約され、おろかなまでに疑う事なく自分サイズの美をもとめた。
それがすべてだった。

そのダイナミックで力強い美の饗宴は当時の「沈黙の聖なる行進」と呼ばれた。
華は美の根源であると同時にあらゆる生命感の根源ででもあったからだ。
それは子孫を増やす交配手段であり、世代をかけた移動手段。
存在を示す静寂の言語であり、この星の最初の自己存在の現れ。

人を癒し、育て、元気付けてくれる花を私達は栽培しコントロールし人工的に作り出している。
しかしそれは私達が彼らより優れているからだろうか?
否、私達は許されているだけなのだ。

彼らの完成されたシンプルで自信にあふれた華の前で、人はまだ何もできないでもがき苦しんでいる。他を愛す事にいらぬ形容をつけ悩み、苦しんでいる。我々は何一つ完全な美を表現しきれてはいない。彼らにまったく追いつけもしていない。

何も語らず毎年確実に完璧な華を咲かせる華はどんな人の芸術家より芸術家でありEARTISTだ。

華の美しさはその潔さと強さからくる。

どんな運命も丸ごと受け入れる潔さは自分を知りきっているからであり、弱くなり切ることによる強さが、とてつもない器の大きさを育てる事を悟っているのだ。

美がまだ実相の世界から直接姿を表していたあの時代、
音声と移動手段という安易な方法論が実相の美を覆い隠す前、
この星での美はすでに完成していたのだ。

ああ、華の美は黙して語らず、すべてを語る。
美は形にあらず心意気、見るも見えずも咲き乱れつつ 。


傾舞(KABUKU-MAI)語録 地の巻より「華は見られずとも咲く」





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白馬村で天然芸術祭スタート3 聖地「観音原」

2004年08月01日 | Weblog
聖地「観音原」は5年前、とりたてて観光客が行くこともない忘れ去られた聖地でした。
地元の人でも知らない人がいるくらいの寂しい場所。

森の中に突如として現れる円形の広場は見る人を不思議な気分にさせてくれる。
そこに中心を向いて観音様のお地蔵さんが187体。
これは説得力十分なパワーありすぎスポット。

ここをリスペクトして祭をしていくべきだと言い出した1999年、
無残にも聖地の真上を低空で通送電線が通っていた。
それが祈りが通じたのか鉄塔の移設が決まり、
3年目には鉄塔を残し、送電線は消え、
今年遂に鉄塔までも消え、完全な森に戻ってきています。
そこは人口に作られた広場ではありますが、人工広場が自然の一部としてあるあり方を教えてくれる。
それはまるで、人と自然をつなぐ装置としてのパブリックスペースのあり方を
祖先が教えてくれているよう。
まさにタイムカプセル的な生きた教科書です。

今回は5回目。
去年までで村の助成金は終わり、又手弁当でのイベントになりました。
そのため告知もままならず、昨日までと違いわざわざ来ていただかないといけない森の中の聖地「観音原」。
集客が一番難しい場所です。
ある意味私たちの目指しているのは観光イベントでもなく、
レイブパーティでもないその間をつなぐものであるだけに一般に理解されがたい所があります。

十分な資金にささえられた去年に比べ参加人数は10分の1以下という厳しいものでした。

しかし満月のパワーもあってがそれぞれがベストを尽くす会心のできだったと思った。
例年よりはるかに参加アーティストも少ない中、前日の夜遅くまで様々な工夫をこらし準備をし、
全力をつくしたアートポンプ最終日。
たくさんの人に見てもらえなかった悲しさはあるけれど、
それにもまして結果の数字より大切な時間の豊かさ幸福感を皆感じていたと思った。

それは天然芸術の一つのキイーワード、
奈良裕史さんのいった「量で測る時代は終わった」を地でいく内容になった(http://blog.goo.ne.jp/admin.php?fid=editentry&eid=dcbdda64c9d7bb9589446aff5e1f0514)。

白馬までわざわざ僕の忘れ物を届けてくれたよっちゃん事、吉田聖庵氏はこういいました。

「お月様とお地蔵様への奉納という意味では大成功じゃない。」

まさにその通りでだったと思う。
しかしお月様とお地蔵様に並んで参加アーティスト、観客の皆さん、
森の動物たちや森自身までもその中に入れてほしい気がした。
全てのものが全てに対して奉納している。インタラクティブ奉納?
おかしく思われるかもしれないけど、
その静かな祭はその場にある全ての命の美しさを賛美している行為だったと感じているから…。
それが繋がって一つのハーモニーを奏でた時。
それが本当に量では測れない天然芸術だと思う。

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