AManTo天然芸術研究所

大地のため、時代のため、消費されないアートを求めて…
EART(天然芸術)の今を紹介するブログ

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朱夏&天劇キネマトロン5周年記念!

2013年06月28日 | AManTO Eart Village
朱夏&天劇キネマトロン5周年記念!
皆さんに愛され続けて、ついに記念すべき節目を迎えました。
今日も本当に多くの人が訪れてくださいました!

本当にありがとうございます!

中崎町にカフェしかなかった頃、文化発信基地として
天人で行われていた「自主映画28日周期上映会シネ天人」が独立して
生まれた自主映画専門映画館「天劇キネマトロン」

アーティストのインキュベーションのため格安で場所を提供するために
天人BAR部門を独立して併設された「天人BAR朱夏」
天人の南を守るという意味で南=鳳凰=朱夏というと名づけられました。

この5年間で思えば多くの企画、アーティストがプロへの道を歩み、プロの作家のロケーションサービス、試写室、そして新人発掘の場所として伝説の場所になりました。

この5年の間に「ベジタリアンカフェMINTO実人」、「朱雀ホール」も併設、もともとあった劇場「天人天然芸術研究所」あわせると中崎町最大のオオバコに成長しました。

この場所にこの夏、中崎のおみやげ物をプロデュースするケーキ専門店もできる予定!

…さらに韓国の旅行者との業務提携で旅行業も始まる天人グループ。
着々と世界からの観光客をお迎えする準備が着々とすすんでいます。


そして、毎年なんですが、この日から天人グループ全体の「天人記念日月間になり、様々な企画が計画されるのです。

6月27日から28日+1で、天人本店「Salon de AManTo天人」の誕生日7月26日
7月26日から28日で劇場でありNGOの「天人天然芸術研究所」の誕生日8月23日


今年の7月26日の本店の誕生日は、天人グループ12年周年13年目にあたります。

当時、その「時」を予測して時代と我々の動きが大きく同期できるように、大きな再スタートの船出の日として2001年7月26日に計画されました。

2001年から天人のコンセプトは全てのジャンルの人が集える

「公園」

…であり、スローガンは

「全てはここで始まり続けている」

…でした。
それは今後も変わることなくコツコツ努力を積み重ねていく所存です!


中崎町実験ファイルがスタートして13年目に入るのももうすぐ!

どうか皆さん、これからも僕らの精一杯の頑張りを
どうぞ応援してください!!

ありがとうございました!これからも宜しく!




下のリンクは朱夏&キネマトロンの伝説の秘蔵映像数々です!

オープン当時の映像2008年
http://www.youtube.com/watch?v=oPBc8--efCk 

アジアンシネマエキジビション2009年
http://www.youtube.com/watch?v=f9iemNQne5g

朱夏コマーシャル
http://www.youtube.com/watch?v=RMFcNjiUQ3w

中崎町に住む私立探偵の物語
山口雅和監督作品「或る探偵の証明」
http://www.youtube.com/watch?v=XRCKUVOaAKA

天人にいるお客さんだけで作った初プロディース映画
吉川信幸監督作品「ハローホライズン」(製作天影公司)
http://hellohorizon.com/
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「天人元気届隊」報告会決定!

2011年04月19日 | Weblog
中崎町から、被災地で頑張るボランティアの人に支援装備を届けるプロジェクトが、立ち上がりました!
名付けて「元気届隊」。

放射能も心配だけど、今ある意味で世界中が日本に注目しています。
人類史上初めての「放射能の中での震災復興」なるか…という試練です。

応援してくれている世界中の人のためにも、現場で頑張っている被災者、
ボランティアの人のためにも、ここ西日本から出来る精一杯の事を考えました!

それが今ほとんどのNGO、NPOがやっていないボランティアスタッフの支援、いわば「救援の救援」です
東日本に行きたくてもいけない人は多いはず募金以外にも僕らでできる「何か」を探っていきます。

この活動は今後も継続し、色々な展開をしていく予定です!
皆さん参加してください!!

今回は中崎町のメンバーがいきなり現地にいっても右も左もわかりません。
現地入りを繰り返し、被災地の様子に詳しい
「特定非営利法人プレジャーサポート協会」http://www.psa.or.jp/の方について
現地入りし支援物資を直接届けました。 

「元気届隊」は、2011年4月15日から17日の間、宮城県石巻にボランティア支援装備を150セット
届けるプロジェクトをたて多くの方のボランティアにささえられ今無事帰路についています。

天然芸術研究所での救援物資の仕分け、積み込み、それを助けて頂いた皆さん、本当にありがとう!

また、本来各店長、スタッフなど責任の重い仕事をしている場合、
熱い想いがあっても 現地までアクションを起こすことは、なかなか難しい場合が多いものです。

しかし中崎町浮田町黒崎町に広がる天人グループのネットワークを最大限に提供し
スタッフを貸し借りしたり、店の仕入れや食材を共同購入したり、場所を提供しあったりして
志願者が中崎を離れられるように協力しました。

個人で出来ない事が町単位では可能だという良い見本になった
のではないかと思います。

多くの店舗、住民、またツイッターで呼びかけたボランティアの方々本当にありがとうございます。

また天人では作戦中、バックアップとしてアメリカの気象衛星のデータを元に
何時間かお気に放射能情報を送り続けました。

これもグループ店の協力あっての事…
単独でボランティアに行っていたのでは自分が安全なのかもわからず
作業をしているのかと思うと恐ろしくなりました。
放射能は色も匂いも何もありません…

そして今回気象衛星のデータ見ていて、かなりの放射性物質が関西に到達している
可能性が高い事をしってあらためて恐怖を感じました。

海外の情報は日本のものとは大きくかけ離れています。

また、今でも十分 中国や韓国にも害を及ぼしているのを知り、
非常に申し訳ない気持ちでいっぱいになりました。

こちらも何か考えないといけない!

とりもなおざず
皆さん!報告会に是非お越しください!

4/21(木)19時~「天人元気届隊メンバーによる被災地支援報告会」
現地でメンバーが見た震災地の今を伝え、これからについて話し合います。

場所:天人バー朱夏(大阪市北区中崎西1-1-18)

入場無料(1ドリンクお願いします)

問合:07056610186
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「天人元気届隊」出発!「lose lose」の関係が時代を進化さす

2011年04月15日 | Weblog
無事「天人元気届隊」は出発

4月14日~15日にかけて届けられた物資の袋ずめ、仕分け、梱包、積み込みが行われ無事「天人元気届隊」は出発しました。

14日朝から集まったボランティアのスタッフたちによって
現地のニーズと僕らのサバイバルに関する知識をあわせて可能な限りの検討を重ね、
これさえあれば大丈夫リック!通称「元気リック」が作られた。

現地では家にたまったヘドロだしが重要課題となっているそうで、長靴を基本装備にくわえた。秋田のマタギの人たちは今だに登山靴ではなく長靴を愛用するぐらい、地面を感じつつ、ゆとりがあるので通気も確保、寒くなれば靴下を何枚も重ね履きでいる長靴を使う。
その中に靴下なタオルなど装備品をつめ、雨具や軍手などをセットしてツナギの作業服共に荷造りをしていく。
今回作ったのは150セットの「元気リック」だ。



僕ら「天人元気届隊」のコンセプトは「ボランティア作業員の支援」

阪神淡路の経験から、半年後に倒れるのは看護師、レスキュー隊員などの支援者の側だった…。緊迫した現場に自分の悲しみや苦しみをシェアできずに心に貯めていった末のストレスが原因だ…
この「乖離」という心のサーモスタットによって緊急時を乗り切れるように
僕らは心の神様によって設計されている。しかし…「叫びスイッチ」を切ったままあまり長い間、行動する事は心身に多大な負荷がかかるのだ。

日本人は諸外国に比べこの能力が異常に高いと言われており、それが「高い道徳心」と島国の「団結心」とあいまって、今回も海外メディアに日本のモラルの高さを評価され続けてきた。

暴動や略奪と無縁の国などと称され、多くの国の人に支援の輪を広げている。

僕らは人類初の「放射能の中でも震災復興」を世界の手本となって見せないといけないのだ。チェルノブイリの時のようなその場所を捨てる…といった事は狭い日本の国土では不可能だからだ。

先日までいた香港でも、多くの香港人が日本のために懸命に募金活動や義捐金集めのイベントに奔走してくれて頭が下がる想いだった。
この「PRAY FOR JAPAN」のムーブメントは世界中で起こっている!

この日の大阪中崎町にもネットやツイッターでの呼びかけで集まってくれた多くのボランティアさん達が、膨大な作業を黙々とこなしてくれた。本当にありがとう、みんな!

天人では「元気届隊」を皮切りに、このように現地にはいけないけれど何かしたい…
僕には募金以外する事がない…という多くの人のニーズを埋めるため色々な活動を提案していきたいと思います。

今、新しく地球が手に入れたネットという大地の神経系によって地球の免疫は最高レベルに機能しようとしています。
地震と違い放射能は人類が起こした人災だけれど、これを人類自身が責任を持って何とかすることでスピリチュアルではない(…いやスピリチュアルを含む)リアルな人類の進化がもたらされるのだと思っています。

ある意味、今僕らの直面している問題は、地球に人類が試されている宿題のようなものだと考えています。このテストの結果で僕らがこの星に存続していいのか決まる重大なテストの真っ最中だと考えてみませんか?
亡くなった方や犠牲になった方のためにも今、僕らは是が非でも進化しなくちゃいけない…!





「lose lose」の関係が時代の進化を促す

いずれまとめて書こうと思っている内容だけど
今世界で起きている人の意識は現在のビジネスの世界の標準概念「Win Win 」というどちらも勝者の関係では説明がつかない。

これはどちらも勝つ事、願望を達成する事を目的にする社会ではない新しいムーブメントだと思います。
これを新しい人の関係性「他のために生きたい」という種としての生存本能に起因する
本質的な「ソーシャルグラフ」なのだと思います。
しかしこの種の意識の形は実は途轍もない古い行動本能「種をつないでいきたい」からきていて、文明人からすると「捧げる事の美学」という形で進化してきた意識構造が根底にあります。

自分が、「どう時代の必然を生きたか…」という時間財産を尊ぶ心は、
日本では「武士道とは死ぬことと見つけたり」とか、
茶道、華道などの「道」という言葉に色濃く残っています。

経済的に見るとただ与えるだけのこれらの好意は、競争相手に抜かれる時間を与える行為であり、けしてお薦めできる行為ではないはず…
ビジネス優先の世界観だけでは敗北に繋がる危険行為。

しかし実際は、庶民のソーシャルグラフは、こういう根本価値観を持っている企業を応援し、そういうポリシーのある商品を買おうとする動向を見せていくでしょう。
日本から世界が変わっていく新しい始まりです。

「誇り」であるとか「誉(ほまれ)」という価値観に近いのかもしれないけど、現在懸命にボランティアをされている世界中の人はそれすら考えていないのではないだろうかと思います…ただ時代の必然を生きる…集合意識のような本能に突き動かされて、何の迷いもなく「そりゃ…やらなアカンやろ」という気持ちだと思います。
でも実はこの迷いない行動とは御釈迦さまのいう「悟り」にも通じる高度な意識レベルに一般の人から順に簡単になってしまっている状態だといえると思うのです。
そういう意味でも時代は下から変わるのだと改めて確信しました。

「負けるが勝ち」という言葉があるけど、これも少し違う。
英語にすると「Giving him a winner makes you a winner!」となってしまい、その盲点はわかりやすくなるけど…結局勝つために一旦負けを選ぶのかといったニュアンスになってしまい価値観としては2次元的で時代遅れ…

これは「負ける事」をいとわない心です。
いや勝ち負けを超えたアジア的価値観です。
日本では「捨」とか「断」とかいう言葉で表され、
道徳的には「道」という言葉で伝えられてきた…。

今聞くとなんだか全部古くさくて小難しい概念になっていまっている…。

実際、現場で実践している一般ボランティアの人自体が「捨」とか「断」を実践できているとは思ってない人が多いと思う、そして自分が、「道」を極める道程に入っている事すら認識していないかもしれない…。


僕はこれを今風にいうために「lose lose」の関係と名づけ「Beautiful lossが世界を変える」といっている。

この世界中からの貢献が放射能で実際迷惑のかかっている香港、台湾、中国、韓国、マレーシア、フィリピンなどで衰える勢いを見せない事に本当に感謝しこのと共に、この「lose lose」は世界に広まっていると思う。
多くの犠牲を払ってしまったけど次世代の世界の方向性が、こんなシンプルなたち現れてきています。




こういう形で日本が世界の中心になるとは!?

いろいろな所で「世界が変わるのは日本から…」とか「世界の中心が日本になる…」などと言う事がささやかれ、僕自身もそういっていたんだけれど、
まさか…こういう形で本当に世界の中心が日本になってしまうとは思いもよらなかったわけです。しかし犠牲になった方のためにもこのピンチをチャンスにして僕らは変わらなければいけない…
多くの方の助けで15日はスコップや一輪手押し車など、その他の装備を2トントラックと灰エーススーパーロングに積み込み、「天人元気届隊」は無事出発しました。
今日は東京に合流する別チームと仮眠をとり明日石巻をめざします!

本当に皆さんご苦労様でした。
そしてキャップ島ちゃん、リーダーヤス、ドライバー健康担当イクちゃんはじめ
元気届隊の皆、頑張ってね!
なお、放射能情報に関しては隊員が現地の情報如何によって最新情報を取れない可能性があるので
天人本部で数時間おきに「地震放射能アラート情報」をメールで配信しています。

参考にしているのはアメリカやドイツのサイトと気象庁はじめ国内からの情報から
独自に判断した内容です。



アメリカのサイトhttp://t.co/rlztkDV


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中崎から石巻へ、「元気届隊」結成、第1陣2011年4月15日出発!!

2011年04月10日 | Weblog
天人の復興支援のプロジェクトは
「stay」「back」「Go」の3作戦。
あらゆる状況を想定し必然を具体的に実践します。

そして今回は「Go」の実践。

第1回のGo4月15日からボランティア装備を150セットを宮城県石巻にに直接届けます。

事のなりゆきは、天人OBの一人島崎裕次郎からの依頼で、支援内容を検討。
レスキューに行っている人から倒れていく阪神淡路の時の思い出を教訓に
ボランティアスタッフへの装備などを調達することに…

現場で頑張るボランティアに、つなぎ服、長靴、手回し充電ライトなど僕のアウトドアとレスキューの知識から厳選した
10数品目のサバイバル道具や1輪車など現地と相談の決めていきます。

つなぎの色をオレンジに統一、自分たちが現地に行けなくても、僕らが送った装備を使って
日本のために頑張ってくれている人と繋がりを持とう!…というコンセプト。

中崎町から石巻への今回の作戦名は「元気届隊」に決定!

そこで皆さんに以下の案件を緊急大募集します。
何かしたかったけど出来なかった人!
今こそ力をかしていただけませんか!転送して拡散、呼びかけていただけたら幸いです!



「元気届隊」詳細(以下転送歓迎)

出 発)2011年4月15日から4~5日間
目 的)中崎町から宮城県石巻にボランティア支援装備を150セット届ける

【物資の協力】(箱に入っている場合は中身を記載お願いします)
●水(2Lのミネラルウォーター)
●ばんそうこう
●ウェットティッシュ
●せんたくばさみ
●お守り(オリジナルで製作される方はハガキの半分A6サイズ以下の薄っぺらいもの…
実際は、励ましのメッセージを書いてもらったりしてもらっています。)
天人グループ各店舗カウンターでも募集し始めています。http://amanto.jp

受け取り場所:中崎町Salan de AManTo(天人)12時~22時
期限:4/14(木)の22時まで


【ボランティア協力(仕分け等)】
●4/14(木)12時~、
 4/15(金)朝9時~夕方まで
荷物の袋詰め作業協力できる方いましたらご連絡の上ご協力お願いします。

場所:AManTo天然芸術研究所 http://tengei.atpk.jp/page_3
(大阪市北区中崎西1-1-18 地下鉄谷町線「中崎町」4番より北へ1分)


【メッセージ(想い)協力】
天人各グループ店にて被災地への応援メッセージを色んな方に書いてもらえるよう呼び掛けをしています。
ぜひ被災地へのメッセージ(想い)を自らの手で書きに来てください。
今、元氣な関西からの「心」を届けることが必要だと思います。
天人カフェ・グループ店舗にも設置していますが、メーセージを直接持ってきていただくことも大歓迎です。

☆被災者向け「A4の1/4サイズ」(天人では白の紙)
★ボランティア向け「A4の1/2サイズ」(天人では黄色の紙)

◎A4サイズの絵や書などファイルできるものも可

[受取場所] 中崎町Salan de AManTo(天人)12時~22時 06-6371-5840
[期限]   4/14(木)の22時まで
●第1回任務完了後、支援者と現地ボランティアをつなぐ、コミニティ―サイトを準備しているので、
できればQRコードで現地のボランティアさんに読み込んでもらい「元気届隊サイト(仮称)」を通じて声援を送りつづけよう
(阪神淡路の経験で半年後に倒れるのは看護師、レスキュー隊、ボランティアスタッフ…
 外と会話を通してストレスの軽減と正しい現地情報の交換をしよう)


【支援資金のご協力】
●各店舗の募金箱、または世話人 Salon de AManTO天人代表 JUN の口座まで
  三菱東京UFJ 天六支店 
  普通4518184 西尾純(ニシオ ジュン)
  ★「元気届隊」へ寄付と明記の上振込みお願いします!
●天人グループ各店の全売上げは現在2%この活動のために使われています。
天人グループのカフェ、劇場、映画館、ギャラリー、バーなどにご来店ください!
(いづれも大阪市北区中崎町、浮田町、黒崎町など…梅田徒歩圏内ですhttp://amanto.jp)


ご協力よろしくお願いします。


お問い合わせ代表
06-6371-5840
info@amanto.jp


緊急連絡先

竹本泰広 070-5661-0186
yasvamosjuntos@yahoo.co.jp
JUN    090-3030-5220
jun@amanto.jp



隊       長  島 崎 裕次郎   旧地球子屋(テラコヤ)天人OB
プレジャーサポート協会 関西支部リーダー

第一次隊 リーダー  ヤ    ス AManTo天然芸術研究所支配人

ド ラ イ バ ー  イ    ク   イネイト整体中崎 代表

世 話 人 代 表  J  U  N   天人グループ代表

運送協力団体:特定非営利法人プレジャーサポート協会 http://www.psa.or.jp/






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フィリピン山岳地帯リアス村、情報収集

2010年05月14日 | Weblog
今日は視察前の情報調査。僕の滞在期間は限られている毎日が貴重だ。
僕らが植林する場所はどんな所か、安全面は? 植林の可能性は…可能な限りの検討をしなけらばならない。
夕方、北ルソン日本人会の小国さんが、現地視察に同行したいというのでミーティングをした。
植林NGOでコーディレラで活動するCGNの反町まりこさんと小国さんの友人の阿南さんと食事をしながら
日程などを話しあう。そこで現地の現状を聞く。

小国さんは戦中、戦後の歴史に詳しいし、CGNのまりこさんは
植林NGOとしてプロフェッショナル。現地の今を一番よく知る日本人だろう…。
まずは、今回の現地視察のルートを話しを伺う。
ボントックからバーリグまで2時間、地獄谷のようなマイニット温泉を抜けて
リアス村まで、そこに僕らの目的地がある。

このルートをどうやって何日かけていくか具体的な話をする。
すこし、今回の目的地リアス村周辺事情について僕が取材できた話をまとめておこう

ここマウンテンプロビンス州のバーリグ郡は前回訪れた首狩で有名な戦士の村カリンガ、
棚田で世界遺産になっているイフガノの間に挟まれ、どこらかも山をひとつ越えて入らないといけない陸の孤島。
最近まで道がなくジャングルを徒歩で行かないといけない場所だった。
北ルソン全域はキリスト教の普及とともに洋服を着る人が多くなった。ここは事情が違った。
マウンテン州には伝統が色濃く残されているのだ。
oguni &mariko
左からCGNまりこさん、日本人会小国さん、阿南さん



カソリックが基本のフィリピンだか、マウンテン州で布教活動を行ったのはイギリス正校会。
厳格なカソリックは神を教えると同時に彼らが裸(男性はフンドシ、女性は腰巻)で暮らしているのを
野蛮な行為とし服を着て男子は長髪を切るように徹底した西洋化の指導がなされてきた。

しかし正校会は彼らの伝統的な文化を否定せず、認める事でキリスト教の布教を計ろうという作戦を取ったのだ。
だからまだ土着の文化は色濃くのこり真理子さんが始めてマウンテンに入った頃はまだ皆伝統的な衣装を着ていたらしい。
今も道のない奥地にいけばお年よりはフンドシ姿で歩いているそうだ。
その奥地の奥地に目的地バーリグがある。地場が非常に強く、ビデオなど電気製品がすぐ壊れてしまうという。
今まで尋ねた山岳地帯は距離的日に遠かった。マウンテン州は距離的にはまだ近いけど
距離ではなく別の意味で山が深く遠い場所だったのだ。
バーリク(またはバーリック)は(ボントックから近い順に)セントラル、リアス、カダクランという3つの地区からなり、
カダクランまで道ができたのは1992年のこと(といっても村の入り口まででそこからは道はない)
このカダクランには有名な日本人がいる。

彼の名はミスター福田崇、今からなんと35年も前に、この地に単身入り
キリスト教の布教のため現地の言葉で聖書を書くという仕事をするため1976年から12年間、住んでいたという。
北ルソン一帯は文字のない文化なので、福田さんは耳で現地語を学び聖書を作った事になる。恐ろしい情熱と根気だ。
信仰の力はすごい。
福田さんはここに来るのにヘリコプターを使って降りたそうで、空飛ぶ物体から人が降りてきたのを見て
人々は驚きその場所の地名が「福田さんが降り立った場所」という地名になっているぐらいだ。

慰霊の旅で何十年もこの地域を回っている亀井さん同様、福田さんとその意思をついでバーリグ、カダクランに長期滞在されていた虎川清子さんらは未だに定期的にここに来ているらしいとの事。

この3月にも虎川さんは現地に入り友好を深めてこられたそうだ。
(福田さんはデング熱のため行く事ができなかった)

お二人は、僕らの目的を伝えると村で私たちの名前を出してもいいとおっしゃっていただけた。
さらにボッカラン先生という方を訪ねると力になってくれるだろうという情報をいただいた。(なにせ携帯の電波も届かない山奥で通信の手段はない)

彼はこの地に学校を作った人で現地で日本人といえば福田か…というぐらいだから、
日本人に対して好意的だそうだ!

よし、いい感じだ。反日感情が強い地域では非常に入り込むのに大変だからだ。
戦争の時、この一体で何があったのか…太平洋戦争最後の激戦地として有名なこの場所での
反日感情や共産ゲリラの危険性は大きな問題だ。

日本とフィリピンをつないで植林からフェアトレード、文化交流までを考えたとしても絵に描いた餅を
現実のものにするには、まずそこの大地に受け入れてもらいここの場合だとやはり御免なさいをしないと
このプロジェクト始まらないなあ…

良いことをするんだからいいじゃない…そんな単純な作業ではすまされない…。

僕らが外から見た親切の押し売りでなく本当の協力できるものはなんなのか
曇りなき眼で見て見定めていかなければならないのだ。

現実的に治安に問題があれば、現地のスタディツアーなどを企画して日本人をつれて植林するなんて
とても不可能になってしまう。

まりこさんから慰霊と現地の戦史に詳しい亀井さんに当時の様子を聞いてもらった。
ここでは日本軍の俗にいう「死の行進」があった場所なのだ。
サンチャゴに入った当時日本兵は1万6千人、終戦も間近な頃、
日本兵は武器も弾薬も底を突き敗走を続けていた。

多くの日本兵は戦闘停止も知らずナニトン周辺に転進しています。
主力部隊は、「翼」(第4飛行師団、三上喜三)、 「駿」(第103師団、村岡豊中将)、藤澤兵団(代2航空通信団)、「勤」(牟田大隊、歩兵代183大隊)さらに海軍部隊の将兵でした。
マガット川を渡っって米軍の爆撃をかわしながら、イザベラ→マヤオヤオ→バナウェイ→ナトゥーニン→バーリグへと人々は逃げ、
ボントックまで逃げ伸びた。

日本兵はそこで降伏している。そのとき、生き残ったのはたった1600人。
単純に計算して1万3千人がこの森で亡くなっているという計算になる。

しかし幸いな事にこの地での大規模な戦闘はなかったようだ。虐殺がなかったのは幸いだが
ナトゥーニン→バーリグへと人々は逃げ、
ボントックの道のりでは食料調達の名目で日本兵がどんな事をしたかは現地調査をしなければまだ、わからない。

「死の行軍」と呼ばれたこの敗走劇は日本兵戦死者で51万8千人の実に50分の1を占める。

聞いていたとおり、ナトゥーニン、バーリグに慰霊にいった方は何人かいるけれどリアスには未だ誰も入っておられないという。

日本とアメリカの戦争で単なる巻き添えとして亡くなったフィリピン人の死亡者は100万人を超えているのだら、
戦争の罪は重い…遺骨収集の大切さもそうだが僕は日本人だけを対象にする事にいささか違和感をぬぐえない。
人の死は平等、特定の遺骨だけ収集して供養するのは専門家に任せて、
僕はその土地でなくなった人全体の子孫のための活動を初めて新しい日比の関係を築けないかと考える…
戦後処理もそろそろ次の段階を始めてもよいのではないだろうか

お会いする事を希望していてなかなか実現しない元日本兵の川崎さんが従軍したのは20代前半の若者だった。
彼が今年で88歳だから、もう戦争体験者はほとんど最後の世代になろうとしている。
川崎さんも何度もこの地を訪れて慰霊をされているが、今年で最後の訪問をされたい…といわれている。88歳…彼の青春の場所との最後の語らいの機会なのだ…。

何か戦後慰霊、巡礼の大きな節目が今年来ているのではないかと
感じる…。

僕に何かできる事はないのだろうか…
お役に立てるなら何かしたい…。

次の時代に彼らの意思受け継いでいかないといけないのではないだろうか…思想、宗教の枠を超えて…

この大地のために…

現地では1975から始まったマルコス政権下、この山岳地帯は総共産化して人民開放軍NPAが政府軍と戦った悲惨な戦争の時代があった。

僕のこの土地出身の友人たちは今はミュージシャンでも子供の頃は銃で武装して生活していた。

日本はバブル真っ盛りの時だ…

80年代90年代に大きな国内紛争があったこの国では、
お年寄りの記憶以外はこちらの戦闘のほうが記憶に新しく生々しい…
現在も共産ゲリラと国軍の戦いはアブラ州などでは活発で、
この植林計画もアブラが舞台なら最初から不可能な話だった。

実際、NGOに単に寄付金をよせてんも、そのバックにには共産軍がついていて、
そのお金が銃になっているという話はよく聞く。
なんせ、NGOって文字通り、ノンガバメントな組織という意味だから…
僕らの活動も継続性のないムーブメントでは組織の客寄せパンダに成り下がらないともかぎらない。

地元に本当に根付き、地球の歴史に足跡を残す覚悟がないと
継続的な活動はできないと思う。
だから僕ら天人グループがどんなNGOと組むかは大変重要な問題で、現地のカウンターパートナーがなければ、継続実行は難しいのだ。
その点、反町さんのCGNは間違いなく、中立で、どことも争わないNGO。
そういう意味で一世代前の対政府的な意味のNGOとは一線を画するオルタナティブなこれからのNGOだといえる。




森と生きてきた彼らが新しい森との関係を作るお手伝い…
単なるボランティア、単なる社会起業では片付かない
本物の癒しと知恵の必要な大きすぎる過去の代償を清算していく方法でないといけない。

その道のりは遠そうだ…
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天然芸術の岩盤…中崎に節目

2010年05月11日 | Weblog
明日いよいよフィリピンに出発します。
日本での天人の活動、海外での活動…そして個人のアーティスト活動…
寝る事もできない日々が続いています。
ベットで寝れたのはいつの事だったかなあ…

個人的な話題で言えば、Twitterで「エリア天人」というアカウントを取って
天人メンバーで試運転してます。(是非ご覧ください)
おかげさまで天人グループも13店舗目を準備しつつあり、大阪梅田に奇跡的に焼け残った中崎町エリア(厳密には中崎西=旧済美町)の天人本店に始まり劇場、映画館、ゲストハウス、本屋、色々なコンセプトのカフェやバー、ギャラリーとミュージアム、癒しのサロンなど、その範囲を中崎町、黒崎町、浮田町という3つの町に拡大して広げています。

「エリア天人」は天人グループが、自分たちの状況と、そのもう少し外側の周辺(=エリア天人)の情報をお伝えするためのプチニュースソースです。

僕の哲学に「再生」や「活性化」とは、自分が言うものではなく周りの役に立った事が周辺に伝播してまわりの人に言っていただけるものだと思っています。

だから僕が活性化したかは、天人のスタッフが元気になる事で証明されます。
天人が活性化するのは中崎が元気になる事で証明され
中崎が活性化するのは黒崎浮田など周辺町内に役立つ事で証明され
大阪北区周辺が活性化すると大阪に知名度があがり
大阪が周辺に役立てると関西に寄与できて
関西が役に立てると日本に寄与できて
日本が活性化するとアジアに
アジアが世界に…

ローカルは徐々に世界に繋がるのではなく、すでにリンクしており連動しています。
この構造を理解している人は全部が同時に動きだすはず…

その動きをイベント的な打ち上げ花火ではなく継続的、持続的な自然現象と当レベルで絶え間なく努力と発信を続けてこそ人の活動は生態系にまで連動し、変化を与え歴史になるはずだ…という事です。

だから、天人は2001年7月26日のオープンから1日も休まず営業しているし、誰になんといわれようとコツコツ積み上げるのを絶対辞めない精神で
少しずつ少しずつ留学生の受け入れや、国際交流、フェアトレードなど、拡大前進しています。

だから、僕に取って全国の町おこしのイベントで講演や事例報告会で呼ばれるようになることは重要な事です。
僕らのローカルな活動が誰に宣伝するわけでもなく自然に注目され話を聞かせてほしいと呼んでいただける事が自己判断の一つの指標になっているからです。
つまり、新たな展開を評価されるたび、あー間違ってないな、まだ大丈夫だな…と自己チェックと内省にができるというわけなのです。

僕は決して夢を叶えているのではなく、今この瞬間、自分がどれだけ他の役に立つ事ができるかを考え、そしてそれを実行できているかが勝負なんです。

例えば、ここ数年で、ある直感があって一件のカフェ「天人」から「天人グループ」へと脱却、活動範囲を多方面に展開するという努力をしてきました。
ある意味これは僕が苦しくなるばかりなんですが今の町には必要だという想いからやっています。

すると今年のビーグットカフェのエコビレッジ国際会議の講師として東京に呼んでいただける事になりました。持続可能なオルタナティブなコミニティ作り「エコビレッジ」とは、バイオカズや自然エネルギーをうまく使い未来の地球の姿の提案です。世界中で取り組みがなされています。
しかしその大半は田舎暮らしを基礎にしており。最も環境を破壊しゴミや汚染物質を出している都会では実現困難な状態です。

ある町づくりのイベントでお会いした代表の疋田さんに「JUN君のやっているのはエコビレッジだよ…山の中には果物が落ちているが都会には粗大ゴミが落ちているんだねぇ」といわれたのが事の始まりです。

僕らが多店舗展開できるのは、けしてお金があり裕福なわけではありません。
町会の方々に協力してもらえるのと材料を買わず、あるもので手作りするからです。ある建築家には天人の店が出来ると周辺地域のゴミが減る…あそこはゴミを吸ってできている…と評価?していただいています。

今までの「カフェから始まる町づくり」系の所からの高評価から、「エコビレッジ」としての機能、ネットワーク論としての僕らの活動を専門家、研究家の方々に参考にしてもらえるな事実が、最も公的なジャッジメントであり宣伝になるのです。

ちなみに関東地区のかた是非、国際会議にお越し下さい!
僕もお会いしたかった有名どころが一杯こられます。
http://d.hatena.ne.jp/dancingjun/20100529

中崎はお地蔵さんが丸くかこったエリアに爆弾が落ちなかった、だから大都会の一角に昭和な町が、まるで映画村のように切り取られて残っている…

この不思議な都市伝説を聞いて、その神話の意味を知りたいと思ったのが2000年。焼け残った中心を探し、そこに住みながら表現活動を始めようと天人を作ったのが2001年。その後町は活性化したと言われていますが、僕としては何を持って活性化というのかは複雑な気持ちです。

実際焼け残った中崎エリアの中心は中崎西地区、そのほぼど真ん中にあるのが
旧済美小学校…そこの売却が決まり大阪北ヤードの再開発地区の関係者の社員寮になります。(着工日などは「エリア天人」や僕のTwitter「junamanto」で情報を流しておいたので興味のある人はそちらをご覧ください。)

「エリア天人」 http://twitter.com/areaamanto
「junamanto」 http://twitter.com/junamanto

去年、学校の取り壊しが始まろうとしたとき、小学校の下に古代の遺跡があるのが発見され、発掘調査が行われ工事は延期。(うそのようなホントの話です)町会の頑張りで祭りの会場であるグランドの半分弱を死守。プール部分を埋め立て公民館を建てる事で町と市が合意。歴史的神話は現代の生きる神話と連なり、この町の祭り祭事の存続を可能にしました。

この町に生まれ、ここを守って来られた長老方には、やはりエルダーとしての血が流れ、ネイティブアメリカンばりに努力をされている…僕は町では青年団の一番下っ端だけど、ここ中崎西=済美地区が古代の何かの建造物跡だった事が中崎の地場の秘密の一部だと思った。
(ちなみに、なんの遺跡だったかは一切公開されていない…下手に古代の重大な祭場遺跡だとかなって地元住民が反対されたら大変だからじゃないだろうかと思う)

神話とは昔話ではなく、神話保持者たちの生きるための血合い(最重要部分)であり、生きる戦いの記録…

現代の僕らの物語も1万年後には神話となります。
子孫の存亡の危機の時、生きる指標として役に立つのです。
だから僕らは恥ずかしい生き方は出来ない。

そういう意味で神話は続いているし夢物語ではない生命文化の岩盤であり教科書なのだと思います。

僕が海外で自分のパフォーマンスを引っさげて、中崎で学んだ事を伝え、そこにある天然芸術研究所で産まれたパフォーマンス「傾舞kabuku mai」で世界を回り、その土地土地で出来る事を奉仕するのは
僕が産まれた日本が周辺の国に役に立つため…個人の活動は世界と繋がるだけでなくその生き様は子孫という時間の地平にも繋がっている…と思って頑張っています。

フィリピンに明日出発し、自分のやれる限りの事を頑張ってきます。
そのために多くの方が陰ながら応援してくれています。
その人のためにも頑張ります。

フィリピンの山岳民族のある部族の話があります。
彼らの部族に「ありがとう」の言葉がない…

じゃ、「ありがとう」という時になんと言うのか…

日本語で直訳すると「きょうは、ここで、おいておきましょう」
といいます。



親切にすると、お返しに親切に仕返す、
するとお礼に又親切にする…

延々終わらない…

電気がないので暗くなると何も見えないので
「きょうは、ここで、おいておきましょう」となります。

…つまり明日は僕が親切にする番からしようねという意味なんです。


つまり貨幣価値ない人の喜びは、「稼ぎ」や「願望達成」、「夢の実現」ですらなく、人の役に立つ事で自分の存在を認識しているという事です。

僕らのルーツはここにあり、僕が世界の先住民をまわった知恵が世界を救うと考え、それを現代の都市で現代風にアレンジする実験をするために作ったのが天人でした。

だから相互協力相互支援によりイニシャルコスト、ランニングコストを激減させ共生によって時間の豊かさを手に入れ、人が自分の子孫の神話の登場人物になれるような人生を歩める装置として作ったのがこのムーブメント「中崎町実験ファイル」なわけです。

個の活動、地域の活動、社会活動、世界活動、そして神話活動これらは同時に行うべきです。
現代のように個の夢が叶ったら地域の活動などといっていたら欲をあおられている現代人は一生、町内会の役人にすらなれない…役に立つのは体力のなくなった老後になり、それまでゴミをだし環境を破壊し文化を消費してつづけ、流行として文化を消費してしまうでしょう。

この町の長老達の努力を、町に来て観光地のように楽しむ人たちはどれほど
その事を理解できているのか疑問に思ってしまう事があり反省しています。

もし自分の人生に目的や夢が見いだせない人がいたら
夢や目的がある事が最重要ではなく、明日死んでも悔いのないようにすぐ隣の人に役立つ生き方をする…そんな祖先の生き方を大都会の真ん中、中崎で感じてほしい…
「崎」って漢字は、陸地が海や湖に突き出た所の意味。
「中崎」は、色んな意味で真ん中の「崎」から両端を見渡し、自分の存在を確認する所…そんな気がする。
「過去」と「未来」、「文明」と「文化」、「夢」と「現実」…
あらゆる世界を見渡し、感じ取り、自分の立場を定めていける現代の聖地になりうる場所なんじゃないか、そのためにこの場所は焼け残って、神話の解凍を待っているのではないだろうか?そんな貴重な場所だから守らないといけない…そんな気がするのです。

正直言って、その価値は建物が歴史的に価値あるというような文化財的な価値ではない…
一つの視野の中に高層ビルと長屋が同時に見えるその景観ギャップこそが
現代人が何を得て何を失ったのか感じられる場所なのだとこの10年言い続けてきました。
そうこの町の財産とは文化財という物質ではなく、この視覚的価値だと思うのです。
僕はこれを中崎の景観遺産と呼んでいます。そしてこういう場所を成り立たせている意識が土地にあったのだという事が心底分かり始めたのです。

ここには、何か大地からのメッセージがある…

おそらくレトロな町を楽しみ心地よさを覚えている人達は、この中崎町にあった遺跡の住人達の想い、古代の土地の意識(僕の傾舞では居場エネルギーと呼びます)を、本能的に感じているのではないかと信じています。

僕らの活動が多くの人の人生を触発芽するのに役立てたらと思います。

明日からフィリピンで、この町の人間としての使命を達成すべく頑張ってきます。
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「カフェから始まる街づくり」

2008年09月21日 | 天然響育芸術<天然天人CAFE大学>
現在僕は現代のアート(=EART)で旅できる現代判お遍路さん「あまんとみち」を作ろうと
自分が旅をしてきた道を中心にその整備を急いでいます。
自分の天職が見つかるまでカフェなど旅しながら各地の拠点と各地のプロジェクトをお手伝いしながら
一宿一飯をお世話してもらうというアイデアです。

全国的にコミニティカフェで街づくりという発想は今やひそかなムーブメントになりつつあるようです。
先月も「カフェから始まる街づくり」というテーマで北大と地元NGOの企画する講演会にゲストとして
呼んでいただきました。
「カフェから始まる街づくり」というテーマで講演会で
携帯→http://d.hatena.ne.jp/dancingjun/mobile?date=20080823&guid=on
PC→http://d.hatena.ne.jp/dancingjun/20080823
結果は…講演会はほぼ満席200人を越え、新聞にも大きくとりあげられました!市
民にまじり、地元県会議員さんが大勢来ていただいて、その関心の深さをうかがい知る事ができました。
観客でこられていた市長に即興で舞台に上がっていただき
トークセッションをしました…大変好評でした。

道の地域再開発への熱の高さをヒシヒシ感じる講演会でした。

北大の准教授、中島氏は地元が中崎町の隣町、京大院時代、彼はいつも天人で
執筆活動をしている物書きの一人でした。
中島氏の専門はピンデゥーナショナリズム。天人で描いていた著書がベストセラーになり、
博士になって北大にいったのです。
彼とは当時から仲良しで彼が札幌の街づくりに関わるようになって大阪の天人がとても参考になって
いるらしく、事例紹介という形で呼んでいただいたのです。
今回の講演会の反響は大きく、腰の重かった商店街の役員たちも重い腰をあげ、シャッター街の商
店街にコミニティカフェをつくるべく翌日から物件探しか始まったそうです。
商店街の名前は「発寒(ハッサム)商店街」
天人を手本にFMラジオ局や映画館の併設を目標に北大が協力して話を進める事となりました。
この事業には今後も天人として関わっていきます。
北は大きく動き出しています!
次の日、企画していただいたパフォーマンス公演も満員御礼!ほとんどが講演会
で興味を持った人たちでした。
次回来道の際は道内一番のアート系ホールで出来そうです。

街づくりを支えるのはコミニティ、公共工事によらず地元のコミニティを活性化させて
そこから地元のニーズを使って町を考えていくコミニティカフェの構想は
天人方式のサスティナブルアートの手法の一部です。

天人の事例は店舗とそこに集う人だけでなく中崎町という町全体が大きく変容したキッカケとなり
その変化の最先端にアートカフェがあるという事実が注目されています。
僕らの実験プロジェクトが、その実験で終わらず、具体的なノウハウとして全国に広がっているという
事実には感謝の想いで胸が熱くなります。
これからも皆さん僕らのアートプロジェクト応援してくださいね!
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身体哲学ファイルとインデペンデントなスタンダード

2008年09月03日 | Weblog




傾舞(kabuku mai)で一番大切な公演、それはLOGOシリーズです。
僕が旅で得た色んな民族の色んな身体運動を編集して
つくった傾舞のメソッドを公開するもの…それが身体哲学ファイルLOGOシリーズなのです。
→つづきhttp://junjugem.jugem.jp/?day=20080903
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天然芸術は夜明け前だから面白い!

2008年08月21日 | Weblog
「天然芸術は夜明け前だから面白い!」

天然芸術とは生きるための芸術、大地のための芸術をさす
僕の造語であって英語ではEARTH(地球)のHを取ってEARTという。

アートが今の経済という枠が生まれそれに取り込まれてから
大衆の消費と、経済効果の材料としてアートは発展してきた。
僕らが神話の時代から美しく生き、立派な年寄りと生きるために
伝統や祭りを伝え、文化を継承するためにやってきた芸術は
商業芸術と伝統芸能、無形文化財などのハザマに埋もれ名前もなく
かろうじて息をしてきた。

我々が町おこしや街づくり、コミニティの復活という目標でアートを
使う時でさえその目的は経済効果の意味で利用されている事がいかに多いだろうか…。

時間の豊かさは金銭では計れない…
わかってはいるけどやっぱり大きな流れには逆らえないものだ。

そこで僕のアイデアはこの生きるためのアートに名前をつけ
現代の経済システムと古来からの美意識の仲を取り持つ方法論を
研究しよう…そうして出来たのがこの天然芸術研究所だった。

最初は僕個人の活動で始まり今は多くの仲間が各ジャンルでの天芸を模索している。
僕は本業が身体表現(ダンサー)なので
当然、天然芸術の研究も身体から入った。

そんな中から生まれたのが、
毎回ひとつの言語に身体運動の極意を託して作品を構成する
僕のオリジナルダンス「傾舞kabukumai」定期公演だ…
(毎月第一土曜日天芸で開催)

今日はその天然芸術=身体表現の場合をお話しましょう!


<環太平洋的身体運動を発掘する>
僕は色々旅をしながら芸人をやってきた
その旅で様々な出会いがあった…
そしてダンサーの目で各文明を見ていくと、
各地に伝わる神話、伝承とその土地の武術、舞踊には
相関関係があり環太平洋に広がる各民族の一見何のつながりもない世界観に
実は身体運動のレベルで共通するものがある事が見えてきたのだ
いや、発見した…といってもいい。

単純には黒潮で太平洋全域に数万年かけて広がったモンゴロイドの文化
として、揺られる船の上で動きやすい双軸(*1)や腰に帯を巻き仙骨を安定させ意識化する習慣などが発生したと考えるのが普通なのだが…

僕にはそれ以上の太平洋にあったひとつの文明の影を感じずにいられない。
ロマンのある話としては面白く、心が豊かになるのだが、そのなぞの存在にダンサーで旅人である僕が僕なりにアプローチできる方法…

それが「身体哲学」という天然の芸術に関する考察なのだ、
正確には「身体考古哲学」(*2)とでもいったほうがいいのかもしれない…
大部分が失われ、そのパーツパーツの断片の身体操法を繫ぎ合わせ
元の形をシュミレートする。

すると今までにありえなかった古代の文化の記憶が、非言語の「運動」というレベルで再現される(*3)…いやシュミレーションなので再現されたとはいえない。あくまで仮説なのだから…しかし、その研究の過程で
実際様々な価値観や概念が生まれ、効果を発揮するのだから面白い!
理屈はわからなくとも観客が影響をうけ実際効果があれば臨床的には
仮説は正しいこととして先に進む。

その仮説を実験して公開するのが「身体哲学ファイル LOGOシリーズ」なのだ。
僕のダンスの行為には2つのベクトルが存在する。
天芸という類稀な実験空間でダンスのジャンルで行っている僕の実験プロジェクト「風人」や「奏偶」などの様々な実験ダンス…、これは未来のダンス概念に関する研究といえる(参考JUNのHP http://jun240.atpk.jp/page_3)

そしてもう一つが、身体運動から非言語の文化を検証する実験考古学的な側面をもつ「身体哲学」だ。

やっていることは余りにもマニアックで変人扱いもされる事もあり結構、孤独な作業だ(^^;)


したがって、僕は、ダンスに関してどこの団体にも協会にも流派にも所属していない…僕は単なる研究者にすぎない。

しかし人間って人の役に立つために生まれてきているとしたら、大木に身を寄せて恩恵にあづかる事より、僕にしかできない事を探求し観客に提供する事が大切なのではないかと思っている。
気づいてしまったのだからしょうがない…といったところだろうか…。

この自分の体を実験体にする僕の天然芸術研究は誰に迷惑もかからず、開発しても開発してもゴミも、設備投資もいらない超エコロジカルな学問である。
そしてこれは芸術哲学でもあり、そして「身体」という天然素材を通して誰に迷惑もかけず、この星の歴史と本質をさぐる自然科学なのだ…。

いつか僕の研究が多くの人の健康と意識革命、そしてこの星の太古の記憶の復活に貢献できる事を祈って…
今日も研鑽の日々が続いている。
最近は時々色々な所に講演会やワークショップで呼ばれる事も多く最近では海外でも呼んでいただけるようになってはきた。
本当にありがたい事である。


しかし研究は孤独で厳しい道である事にかわりがない…
そして、どうしても身体を使うので学問といっても
トレーニング、修行というイメージからは離れられない…
(何せ自分が実験材料なのだから^^;)

でも机に向かって不健康になって、
ジムに通ってストレスを発散するより
エコ(効率的?)だと思って頑張っている…

「僕の前に道はない、僕の後に道はできる…」

未常識(*4)の分野を生きる天然芸術家は

やっぱりやめられない!
皆さんももし良かったら貴方の好きなジャンルで天然芸術家を
やってみませんか?
いつでもご相談にのりますよ!
なにせ僕は今のところ世界でただ一人の
「天然芸術コンサルタント」なのですから!






(*1)…「双軸」西洋的1軸の運動ではなく大腿骨上に2本のセンターをつくり
左右にゆらゆらと軸が体内移動しながら運動を構成するという古代人の動き
傾舞の中心的極意でありテクニックである。現代では古い沖縄空手などでは「ガマクをかけ体の中を歩け」などという極意があるなど古武術などにその動きは比較的よい状態で保存されている事が多い



(*2)…「身体考古哲学」
2000年に撮影された福井県三方町にある縄文博物館で放映するための映画「縄文」(大重潤一郎監督作品)の主演を演じるため縄文人に勉強を続けてた僕は、いくら調べても道具や生活習慣の話ばかりで、「で、実際それをどう動いていたの」に関してどんな先生も答えられなかったという事実にその起源がる。考えてみれば当然で、出土した土器など、「もの」から検証してるのだから、どこまでいっても「もの」の事がわかってくるばかりなのだ。

この文字のなかった時代の身体をさぐるべく、僕は東京の運動科学研究所の高岡英雄先生の所を訪ね、縄文人の身体意識をシュミレートしてもらい、それを実際、自分の身体にいれて動いてみるという実験をおこなった。
これが「身体考古哲学」の起源である。

実験結果は縄文人はまるで僕らと直接の先祖だとは思えないほど超人的な動きをしていた事になり(まるで宇宙人!)、
他の役者と僕があまりに浮いてしまう結果となってしまった!

そして、結局それら再現部分はほとんどがカットされてしまった(^^;!)
しかし、その後、僕は縄文のかけらを探し、ずっと研究をつづけ、日本に残る古い武術や祭事の技術を解釈の鍵として環太平洋の文化を中心に研究を続けているのだ。

(*3)…「運動」というレベルで再現される
言葉を使わなかったからこそ古いレベルのものがダイレクトに残ったともいえる。言語化すうするというのは或る意味抽象化する事だから、他民族に渡る言語をかいすると微妙にずれが重なっていく傾向がある。

(*4)…「未常識」非常識以前の概念と認識すらしてもらえない
少数派の常識の事を天然芸術では未来を作る種の宝庫としてこう呼ぶ
市場の10%までのジャンルは非常識あつかいされるがビジネスのチャンスとなりうる(20年前に水を買う時代がくるというのは非常識だった)
水が大切だという概念が常識化するとそこに経済がうまれ広がるが単価はさがり
後から市場参入は難しくなる。我々の扱っているのは常に非常識以前なのだから
マニアックインマニアックと言われたりするが、自由に発想し本質を追及するにはビジネス以前のこのジャンルこそ歴史を変える魁(さきがけ)となりえるのだ。
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Salon de AManTo天人 7周年の言葉

2008年07月26日 | Weblog
ついに7周年を迎えました。
これもひとえに中崎町での我々の活動を応援してくださった皆さんのおかげです!

本当に有難うございます。

7というのは1つの完成を表す数字だそうで、そういう意味では大きな節目を迎える事ができたと考えています。

「自分が変われば周りが変わる。
   周りが変われば世界が動く…」

この一年をまとめるとこんな言葉になるでしょうか…

今年一年はある意味沈黙の一年でした。
今まで僕は有言実行を旨として未来ビジョンを誰にでも話し、公言する事を良しとしてきました。
でもそれが多くの場合、言葉だけが独り歩きし、模倣され表面的な意味合いだけで真似をされる事が多く
実際的な意味では世間に機能する前に中途半端に広がってしまうケースが非常に多くありました。
そして安易に流行になって廃れてしまうのです。
僕の提案は次の流行を提案しているのではなく、今の時代の必然を次世代のために提案しているのです。
単なる流行、単なるムーブメントやパフォーマンスに終わる打ち上げ花火に、
非常に悲しみを感じてきました。

実質的な成果の出ないこれらのパフォーマンスに多くの人の情熱が消費され、
巻き込んだ側も巻き込まれた側も思い出だけが残る…多くの国で同じような善意の浪費を見てきました…

僕は何か少なくとも自分が行うことにはしっかり責任を持って
結果をだせる活動を積み重ねなくては…
それがこの6年間の僕の想いだったです…

だから7年目を迎えるこの1年間は「不言実行」をキーワードに努力を積み重ねる事にしたのです。
するとどうでしょう、削がれていたエネルギーは集約され内に向かい、かなり効率的な変容をとげる事ができました。
個人のレベルでも団体としてのレベルでも…これは不思議な体験でした。

有言実行が悪いというのではなく今の僕と僕の周りにはそれがあっていたのでしょう。


この一年は「自分がやらなければならない事が今まで以上に明確なビジョンとなって見えるようになった…」
と思います。
世間の流行や動向ではありません。
時代を切り開く、時代提案型の人種には
自分と対話し世界を観察する沈黙の時間というものが如何に
大切かという事です。
それが身に沁みる一年だった気がします。

そこでブレーキをかけるものとアクセルを踏むものが明確になりました。
結果、全体としては関わる人に多くの学びとチャンスを提供しながら、自分の使命も着実に進める事を目標としてきました。

ブレーキ要因としては自分の表現活動は最小限に抑え、
アクセル要因としてはスタッフや周りの人のために力を集中したという事です。
結果として
ご縁のあったところに一年かけていくつかの店舗展開を行いました。
我がスタッフが天職を叶え、夢を実現するための各自拠点を作っていくという皆への奉仕という形をとっています。

本当に不思議な事です。願望達成でなく必然達成で愚直に努力していくとミラクルがおこるものです。
全く資本やコネクションなどないのに
真面目なスタッフの夢ほど場所と資金、協力者が現れ、全体としては天人が日本で情報発信を行うベースが
完成してしまいました。

その一部をお話しましょう。

現在準備中で許認可最終段階に入っている「AManToゲストハウス」は、
アーティストレジデンスとして遠方のアーティストだけでなく
梅田という立地も手伝って今から予約殺到の状態です。
遠方から中崎に来たい人の潜在的要望、天人に泊まりたいというニーズがブランド化している気配です。
中崎町がアートで町を成り立たせていくには外部の人々をお世話する場所は必要不可欠です。
だが今の中崎には来た人にお金を使わせるサービスが圧倒的である種の観光地となっています。
普通は有名なお寺や歴史的な価値あるものに人が集まりサービス業が増えるものです。
ところが中崎にはそれがありません、しいていうならこのレトロな町並みなのですが、この数年の出店には
お金をかけた普通の店舗も多く自分が自分の首をしめているのに気づいていません。
天人のようにそこに暮らす人の祭りや生活に関わってライフスタイルを無形の文化として育てていこうとする
人も少数派です。なんだか知らないけどいい感じだから集まってきているという感じです。
長期スパンで考えるなら自分が自分たちの文化を創っていかないといずれその町は廃れてしまいます。
天神橋筋商店街はレトロでもないし近代的でもないけれど、天神祭りという文化があるからどんな町になっても
人が集まりつづけるのです。
この未来を見ることの出来る文化のコーディネーター文化のデザイナーがいるかいないかで町の再生が線香花火で終わるかどうかが
決まるのです。


僕はその意味で外の人に中崎を知ってもらい文化が交流する起爆剤となるための宿の必要性を
この町に来たときから言い続けていました。
中崎町がリアルのレベルでの出会いがあり本当に人と人との絆でその文化が熟成していくには
中崎発のゲストハウスという事の意味は重要だったからです。
誰も作らないから自分で作りました。
天人の安宿はユニークです。
一芸披露で割引をするとか、系列のカフェでボランティアをしたり手伝う事でまかないが食べれたり安く泊まれたりできます。
地域の夜回りや町会の仕事をする事で地域通貨をもらえます。
様々な実験的な「地域交流と地域振興のためのゲストハウス」という新しい形を提案をしていくつもりです。
つまりこれからの安宿は、旅人が自分に利益のある情報を収奪する交流の場ではないのです。
天人の提案は「町と出会う事のできるゲストハウス」なのです。

リニューアル1周年を迎える天人の劇場、「AManTo天然芸術研究所」も経営スタイルを一新しました。
様々なアーティスト、講師が公演をする劇場として場所代をもらって貸すのではなく、「地域と環境に還元できる企画を盛り込んでくれた人に歩合で貸す」というスタイルを提案しました、
それでは格安すぎて維持ができないので「天然芸術研究所員という会員」を募集する事でその会費を集めなんとか採算ベースには乗るというスタイルです。
梅田の一等地にありながら総工費1300円と粗大ゴミでできた古い倉庫跡の劇場は80年の時を経て立派に文化発信しています。
ある時はインドの人間国宝がダンスをしたり同じ場所で無農薬野菜の八百屋をしたりしています…

遠方から来たアーティストに食事を提供するSalon de AManToも重要です。365日絶対空いてる天人が
なんといってもこの文化活動の核になっていてさらに地域の駆け込み寺としても機能できるのです。
この一年で、ほとんどのボランティア、スタッフは共同経営者、もしくは共同運営者
になってもらうという組織改善をしました。
つまり「日替わりマスターの店」から「日替わりオーナーの店」といったところでしょうか(^^)

それに伴うフリーライダーやモラルハザードといわれる問題も是正してきました。
「コモンズの悲劇」と呼ばれる、共同体のモラルの崩壊に対する対策も
あらゆる意味で臨床実験を積み重ねる事でシステムの穴を、かなり埋める事ができるようになりました。
天人のスタッフ現在30人あまりですが、
やはりトップのいないフラットな組織でのモラルハザードは25人前後から
顕著におこってきます。誰も悪気はなくても仲間の中で利害関係が発生します。
人と不器用な人と悪気はなくてもうまく立ち立ち回れる器用な人は美味しいところどりをしているように回りに見られてしまうのです。
これを解消し、尚且つ、自動化で互いが学びあい自治していける組織をつくるのが
僕の提案するYURA-ISMの概念であり、響育(Disconstractive Education)の手法な見せ所なのです…


自主選択寄付型ネットショップ「純環」と天人出版は今年からの情報発信のメディアとしてとらえ
ポッドキャスティングスタジオ「のろし」と連携を深めてきました。
そして「天人トリコブック」として中崎町発の新刊本専門の本屋さんとしてオープンしました。
そのコンセプトは「地球に効く本屋さん」…
絵本とそれを買いにくる親たちが地球の未来をちょっとだけ考える本が買えるという本屋さんです。
古本屋は中崎町に何軒かありますがまだ世にない実験的な文化を発信していこうとする僕らにとって
僕らが出版する本を売ってくれる店舗を先につくったという感じでしょうか。
天人に出入りするアーティストのCDやDVDも買うことができます。


ポッドキャスティングスタジオ「のろし」は天人グループでの最新情報を発信する自前マスメディアとして
音声配信から動画配信にそのメインを切り替えていく事業をすすめました。
これからはその流れで進んでいくと思います。
メディアといえば、天人の映像製作支援団体「天影公司(tenei-konsu)」ですが、
活動拠点として始まった「Office AManTo天人」は今年、
関西発の自主映画専門映画館「天劇キネマトロン」をオープンしました。
国内外の優秀な映像作品をドキュメンタリーからフルドラマまで…
毎日無料で上映しています。
さらに観客の投票で勝手にロングランしていくという
「シネマギャラリー」というあたらしいミニシアターの形です。
この観客参加型映画館というのは全く新しい試みだと自負しています。

つまりこれは自主映画、インデペンデントシネマというジャンルに、市場を誘発しようという試みなのです。
音楽業界にはインディーズはありますが映画業界にインディーズはありません。この新しい市場を作るのです。

そして前年度から自粛しているカフェでのBAR営業(長屋である天人では深夜の営業は難しい)
を再開するため「天人BAR朱夏」をこれまた手作りで映画館に併設しました。

映像関係者、映画を作っている人、映画に出たい人だけだけの溜まり場ではありません(もちろんそういう面もあります)
僕の持論に「BARは出会った人が深く理解しあうためには最高場所…」
というのがあります。これは天人設立当時からのコンセプトでもありました。
(カフェは出会いが広がる場所、BARは出会いが深まる場所)

実際、夜な夜な、様々な出会いと多くの映画制作の企画が「天人BAR朱夏」で生まれています。
またココは劇場「AManTo天然芸術研究所」にもすぐ近く(同じ敷地内)
飲食の出来なかった劇場「天芸」の食堂としての機能も満たしています。

これらの展開にどういう意図があるのでしょう。
あるアーティストがこの町にやってきたとしましょう。
宿泊→食事(サロンカフェ)→情報を告知発信するメディア(ポッドキャスト)→
発表の場(劇場)→文化の記録(映像製作と上映)→作品の販売(物販の店舗、ネット上のシステム)→
更なる交流(BAR)→プロジェクトの誕生
そうです、全ては循環しだします。

これらを自前で持つ事はエネルギーを自己完結する事によって一つの「文化生命」として機能し始めるのです。
つまり「文化」という子供を生む命(意識)です。

普通考えるとこれらの異業種は互いに一つの財布を取り合い、アーティストから様々な金品や時間、労力を奪い去ります。
アーティストはその苦しみと戦って作品を発表し続けなくてはなりません。
地域はアーティスト、観客いかに経済効果を得るかと奔走し競い合うのです。
そこで他との店舗との競争にさらされ強欲にならざるを得ない人もでてくるかもしれません。

しかし天人のように自己完結すると全く状況はかわります。
内臓が互いに支えあいながら一個人を支えているようにそこには思いやりと助け合いしか生まれません。
やってくるアーティストは無駄な事に気を使わず作品と自分に集中できます。
本当に気持ちのいい空間で効率のよい結果を生み出す事ができるのです。
僕らも全体で最低限をいただければいいので強欲にもならずロープライスで心のこもったサービスが提供できます。
つまり今稼げなくても又来てもらえればいいのです。

この一年パフォーマーとしてしては映画出演を中心にダンスやWSなどは必要最小限にしてきました。
それはこれらの企画を実践するためだったのです。(それも僕らの場合すべてが手作り。材料は現場調達なので大変です!!)

映画は短期集中することで後は一人歩きしてくれるメディアですがダンスなど表現活動はそうはいきません。
多くの人の御誘いを断る事になったのは大変心苦しく思っていました。
(なんでアイツは最近付き合いが悪いんだろう…)なんて思った方も多いと思います。
本当にゴメンなさいね!

でも今これをしておく事で表現者としても僕も、世界どこにいっても日本にくれば天人がホストするよ、いつでも来てね…
といえるのです。
これは人のお情けに甘んじながら放浪していた旅人の時とは大違いです。

実際、人が成長し、地球に効くアートである「天然芸術(=EART)」というコンセプトを本当に実践するためには
自分が食えるだけではだめだし自己満足活動だけではこの大地に痕跡は残せないのです。


最後に町の変化と今後について…

「消費されないアートを…」
その自問から生まれた僕の中崎町実験ファイル。
なにもなかった中崎町が今大きく変化しようとしています。

4年近くのあいだ不断の交渉と努力を積み重ねてきた閉校になった済美小学校の住民への開放。
ずっとよそ者だった僕が祭りに参加できて7年目にしてこれら夏祭りなど地元の行事に、
この土地出身でなくても参加できるようになった…など
その変化は目を見張るものです。
僕たち新住人に地元の人が期待と不安を抱えてきたこの7年間は
8年目を向かえ期待と希望が不安を上回ったといえるのです。

天人ができた2001年当時、僕らの活動など地域住人の方々は眼中にすらなく、
「よそ者が勝手をする」…という人もいました。
この地域に店舗やカフェすらほとんどない状態で今からは信じられない状態です。
僕は「お地蔵さんが囲った内側に爆弾が落ちずに焼け残った」という神話のある町の存在をしり、
ここが焼け残った意味を知りたい…そんな思いでここに引っ越してきました。
僕のこの町に生かしてもらっている事への恩返しはその意味を探る事なんじゃないか…そんな風に感じています。
僕はこの8年目に突入する今、今までで一番努力しているといいきれます。自分の修練も天人とその仲間の事も、そして地域の事も…
今年からの課題として今作ってきたベースに立脚して蓄えたノウハウと方法論について、
そろそろ公表する時期に来ているのではと考えています。
つまりベース作りの時代は7年間で一旦完成させ、これからはしばらく、今まで得た「おかげさま」を
人々にシェアするお役に立つ時期にきていると感じています。

今年は具体的に執筆活動、講演活動、ワークショップなど、今まで頼まれなければ避けて来たことを
計画的に実践し自分の中身を解放していきたいと思っています。


皆さんの役にたてる素晴らしい活動が僕らにできるよう…今後も我々スタッフ一同共々精進します、
だからこれからも皆さんのSalon de AManTo天人を宜しくお願いしますね
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