AManTo天然芸術研究所

大地のため、時代のため、消費されないアートを求めて…
EART(天然芸術)の今を紹介するブログ

人は自分のシャドーを相手にみる

2005年10月28日 | Weblog
人は他人を価値判断するとき自分の影としてしてか
その対象を評価できないものです。
自分の知らない事は認識できないから…
人は自分の常識を超える人は理解不能。

人は人に自分のシャドーを見ているにすぎない、
なのに人の事を判断する悲しい生き物でです。

天人は多くの人が集まるの少数でもこういった人もやってきます。
(少数でも声が大きいと目立つけどね…)

あの人はこんな人だ、あの店はあんな所だ…
僕はすべて知っていると自慢げに話をしたりするもの。

(すべて知ってるわけないだろうと
聞いている人も思えばいいのに、
そうか全て知ってるんだと思うらしい、純粋な人ほど…
だまされやすい世の中だ)

あまりに多くの人が、いい意味でも悪い意味でも、その構造に気づかず人に話す。自分がどんな人がネタばらししてるようなものに…。

だからその人がどんな人なのかは、
その人の他者評価を聞くとよくわかるものです。
皆さんお試しください、
人の事いってるつもりで自分の事を話してくれますよ。

天人はそんな全てを受け入れます。自由にうわさしてもらって
勝手に盛り上がってもらいます。
それがその人たちの学びのチャンスになる可能性があるから…


例えば天人に訪れる多くの人の中で特にビジネスに長けた人は、こういいます。
「ここは凄い儲かる場所です」
とか「ここで一儲けできるのに何故しないのですか?」という。
ほとんどそんな人が毎日のようにやってくる。

僕は現金を否定しているわけではないのに、
彼らは「貴方はお金を嫌っている」とか
「現金を手に入れる事に罪悪感をもっているでしょ。」という。
そして、どの人も人類だけに当てはまる成功法則を色々説明してくれるのです。

こんな人はお金儲けにその人が興味があるのであって
すごい可能性を感じていただいてます。

僕が「人類だけでなく、地球に当てはまる成功法則を
研究実験している実験Cafeです」
というと、彼らの目はとたんに点になって面白いほどフリーズします。
だから、最近は申し訳なくて、フンフンと聞くだけにしています。

どのセオリーにも属さず、計り知れないけど、
なぜ人が有機的に集まり、旅立っていくから不思議なのでしょうか。

「僕に任せてくれるなら、ここは凄い発展させてみせます。」
発展は歓迎だけど、方法論が問題、使い古されたテクニックでは
実験してる意味がない

そして、そう言い寄ってくる人に面白いほど、成功者は少ないものでした。

そのほとんどは右肩あがり最中の人、
もしくは今から始まる人で夢と希望に満ちた人。

もちろん失敗した人も多い、
多額の借金をしてしまったという失敗経験者たちが集います。
「お金がなければ何にもできない」「お金の有難さが骨身にしみた」
と、ウンウンと熱く肩を叩き合っています。

しかし僕の経験でだが、死ぬ経験をなんどもした人や、
失敗でも10億を超えるあたりから「金、金」とはいわなくなるようです(笑)
人間開き直るのでしょうか。
真の成功はもっと遥か彼岸にあるという事が体験的にわかってくるのでしょう。

そうここは「地球のための成功法則を研究している所」なのです。


コンダクターによるハーモニーでなく、響きあいの共生

2005年10月21日 | Weblog
太古から人々は衣装をつくり、壁に壁画を書き、
祭りをし全てを与えてくれる大地を敬ってきた。
その美意識、と祭事、それを支える匠の技は時間をかけて熟成され、
各民族のアイデンティティの根底を支えている。

その精神活動は個の意識を、
大いなるもの社会、自然、星の意識へとつなげ、
人を人の役割として成り立たせるためのシステム。

おそらく旧石器時代から36万年以上営まれてきた人類の天然の芸術だったのだ。
天然の芸術と天然芸術はいったい何がちがうのだろう。
(広義の意味ではどちらも含め天然芸術)
それはこの時代に危惧し、我々が作り上げてきた
人類に特化して便利で快適な物質文明を
地球生態系に速やかに帰還させるため芸術活動(美の意識系譜)をさす。
時代の特効薬みないなもの。
イデオロギーや思想の統一は国連でも旨く機能していない…
力あるものの統治、これが今の僕らの大多数の解決策だ…残念ながら、

だが力ある人、富める人も悩みがある、
物質的に豊かになっても満たされない心があるようだ。

大多数の人々の搾取によって富める人が潤う構造なのだから仕方ないだろう。

ここ数千年の間、芸術は特権階級の人々の擁護の元、
その一部を大きく発展さすことに成功した。
この時点では人類の人口はさほどでもなかったし、
さらに富を握ろうとする人もそのさらに一部だったので
地球レベルでは大した問題ではなかった。

それが産業革命以降は消費の対象は市民に広がり、
人類の全地球的な欲求の追求がエスカレートした。

芸術が、私達個のEgoの意識をEvaの意識へと導くものだった時代は終わり
「如何にいきるべきか 」の叡智は一部の伝統守護者たちによって辛うじて保存され封印される。

しかし、その代償として今日、ARTの各ジャンルは多様化し、細分化され、方法論、技術論は研究され発展できた。
おかげでART人類の消費を煽るのに貢献している…。
これでいいのだろうか…

経済はARTの手段を開発、研究するのに有効な手段だった事は認めるべきだ。
欲求が市場をささえている以上仕方がない、
人に責任があるというより構造上の問題だ。
(その構造を選んでいるのは人類なのだか…)
大多数のアーティストが希望の職について現実に愕然とし
ない歯磨き粉を搾り出すように、作品を産まねばならない状態に疲弊している。



では、この地球にとってもARTは無駄だったのか?
いや功績はある。
多大な犠牲と産みの陣痛を経験して、
この星は大地にネットという神経伝達組織を張り巡らす事に成功したではないか!

これでこの星のホメオスタシス(恒常性機能)は次の段階に進んだといえる…
いや、進んでない…準備が整っただけ?
なぜなら、全てを迅速に伝えるネットは毒を流せば、全身を害するのもアッというまになるという双刃の剣なのだ。

「さらなる発展こそ、正義…真実、そのためにさらなる消費が必要だ…」
ARTが快楽の奴隷になっている今日、この呪縛から美が自由になる日はこないのだろうか…
私が地球なら、おたふく風邪や麻疹(はしか)が一人前になるための
通過儀礼であり大人としての耐性を身につけるために必要なら、
病苦は受け入れ、苦しみはいとわない…
しかし用事が終われば、悪玉細菌の好き勝手は許さない。
「ありがと(^^)」といって速やかにお引取りを願うだろう。
これからの地球の意思が怖い…
我々のシステムも速やかに地球生態系への帰還を果たすべきだろう。
ゴミと争いを産み、環境を食いつぶしながら成長するシステムは、
この星ではあまりに浮いている。


オルタナティブな経済、アイデンティティ、価値観は
物質的な力を凌駕する可能性はどのくらいあるのだろう…。

チェチェンにロシアが侵攻した94年以来この11年で、
ロシア側の戦死者1万2千人から5千人といわれる。
対抗するイスラム武装勢力側の犠牲者は1万5千から1万五千五百人。
少なくとも数だけみれば自動小銃ぐらいしか持たない武装勢力が
戦闘機などをもつ近代兵器と互角に戦っている。

価値観を統一しないと気がすまない人達の戦争は
多様性の美である「天然芸術」と真逆に位置する行為。
正義や思想は争いを産む時がある…

この星でいくら物質主義と精神論が争って互角であったとしても、

争っている時点で「美」と同じ土俵にあがれない。

尊い人命の重みに換えられる価値を手に入れられるはずはないのに
渦中の人は気づかないものだ。

本当に悲しい事に過去、戦争は科学を発展させるのに最も有効な手段だった。

といって戦争を肯定は絶対できない。
ならば、いつまでも発展させてないで、人類が生み出した科学、
この星のために使おうよ。

発展を善とするのではなく、美なる事を善とする古代ギリシャ人の思想
カロカガティアを現代に復活させればいいのでは…?

AManTo天然芸術研究所はアジアの共生の知恵にYURA-ISM(ユライズム)と命名して活動の根底としている。
コンダクターによるハーモニーではない、響きあいの中での共生
これがYURA-ISM

そして目的は現代版カロカガティアを復活させる方法論の研究といっていいだろう。
AManTo天然芸術研究所では「善美」と訳されてきたこの思考を
カロカ論として研究している。

その結果、最も有効な概念であり手段が「EART」の発見であったのだ。


その具体的な発明が
長野県でのアートフェスティバル「Eart Pump」
「 SALON DE AManTo天人 」での実験アート。
旅するお遍路さん「あまんとみち」。
地域通貨を使った全世界規模の「CAFE大学」構想なのだ。

実験は今日も続いている。

「ビックリ仰天普通と逆さまシステム」

2005年10月14日 | Weblog
天人はボランティアベースで運営し、準ボランティア(ボランティア自給をもらう人)、一般的な有償スタッフと様々な関わり方があります。
そして全てを「スタッフ」として対等に扱っています。

そこに権利と責任を明確にして、
どんな人でも自由に参加できるようなっています。
だから天人には面接や履歴書提出といったものがありません。

こちらを説明してどう関われるか選んでもらいます。

いわば僕や天人が面接される
「ビックリ仰天普通と逆さまシステム」をとっているのです。

そのおかげで天人は
子供達はジュース無料、2杯目はお手伝いという天然寺子屋や
リアル子供110番の役割も持ち合わせる事ができています。

そのおかげで天人は
ライブをする人にも箱代とかは取らず、歩合で発表の場を提供できています。

そのおかげで天人は
遠方からくる旅人に泊まる場所を提供できています。

そのおかげで天人は
儲かる儲からない関わらず無審査でやりたい人に文化教室をやってもらいます


そのおかげで天人は
障害者、高齢者をうけいれ、働いた事ない人の体験就労や、
訓練もやらせてもらっています。
そのおかげで天人は

そのおかげで天人は
見返りなしにアートプロジェクトのプロヂュース
起業ののお手伝いもしています。


これらを
なんの助成金も補助金もなしに、
コーヒー1杯200円のオリジナルブレンドを売って経営しているのです。
一軒のカフェが
地域に開かれ、寄り合い所となり、アーティスト、ビジネスマン、旅人が
同時にいられるリーズナブルな場所となっています。
(すべての人が同時いれる場所「公園」が天人のコンセプトです)

その趣旨に賛同し、共感してくれた人達によって
この実験カフェの運営はなりたっています。

しかし理解の範疇を遥かに超えているのでしょう、
なかには「ここの経営は基本がなってない…」とか…
「経営者が不在だ!」
「ボランティアに何ができる!」
などなど、様々なご指導をいただきます。
ご指導いただける人は有難く黙って話を聞かせてもらいます…


なかには目的があってここにくる人は自分の思い通りに行かないと
大変な事になる時もあります。

僕は基本的に正邪区別せず人をうけいれます
正邪判断すると正義の規定が必要になり、多様性で経営ができるかという
実験にならないからです
(しかしあくまで日本の法律内で普通に営業してるcafeなので
法にふれたり公序凌辱反する事は止めますが…笑)


好き勝手な事をいって、天人で仲間をつくり、
ここにはいるべきではないと、気のあった仲間とどこかへ旅立っていきます。
それもヨシです。
「くるものは拒まず去るものは追わず」(^^)
結果が全てを証明しますから…お互い頑張りましょうという所です。
なにせ実験カフェなので、努力はしますが
僕らがやってることが正しいなんて全然いえないので…



しかし面白い事に
人を利用しいるように見える人は自分のシャドーとしてそう見えているので
自分が利用する性格の場合が多いのも事実です。
アマントには合わない、人の夢には協力できない、といって
ココで出会ってグループになって来なくなったいった人の実に4割が、
来なくなった後仲たがいが始まるようで、その会は自然消滅するようです。

自分の存在を他者と比べる事でアピールする人は、
どこにいっても他を利用する事でしか存在をアピールできません、
起業してもその方法論に呪縛されています。

似たもの同志が集まっているのでしょう
互いに利用しあうはめになり裕福になりたいもの同志が利用しあっても
裕福になれないのでほどんど互いに価値が見出せず数年経たないうちに人は、
ばらばらになって、又一人一人ココに帰ってくるだそうです。
中にはさらに頭のいい利用される羽目になって、失敗する人も出てきます。
しかし、そうして失敗して又ココで「私は他人のフンドシで相撲をとっていた」と、身の上話をする多くの人は幸せです。



なぜなら、本当に頭のいい人に捕まると利用している事すら気づかせないからです。
「成功」、「自己実現」、「そのままでいいんだよ…」「やりたいことやっていいんだよ」甘い言葉に、辛め取られていきます。


ちょっと考えたらそんな世間は甘くないのは
わかるはすですが、わからん見たいです。

なにやってよいと原始人に自動小銃持たせたらどうなるでしょう。
赤ん坊に核のボタンを預ける人はいません。
成功や自己実現はその意味と自分をしっかり知る事ができた段階に応じて
責任を取れる範囲が大きくなるほど自由にできるものです。

分不相応な事しても失敗を繰りかえし周りや運のせいにして
年だけとっていく…
今まで沢山のそんな人を見てきました。
そっくりやり方を真似て起業する人、悪い噂を流して人を引き抜いて行く人
しかし、それもその人の選択なので尊重しないといけません。
いつでも帰ってきてねと暖かく見送ります。

僕は本当の成功者とは世界で一番失敗を経験した人だと思っています。
失敗をおそれて動けない人
失敗をしないため努力する人、
失敗をいとわないず何度も立ち上がれる人
これらは
人間としての厚みも人生の目的も意義もまったく違っていくものです。

僕の経験では本当に果てしない失敗を繰り返し、
生き地獄を経験した人は、自然と地球レベルで生きるようになるようです。
少なくとも僕の周りではそうでした。

美術、芸術、アートこの使い古された言葉と響きは、残念ながらビジネス、町おこし、消費経済の要となり続ける
でしょう。

しかし、自分に問うてみてほしい
「で…どうするの?」

(この「DE」という言葉を天然芸術の魔法のキーワードとして提案している。)

物作って「DE」どうするの?
デザインして「DE」どうするの?
映画をつくって「DE」どうするの?
お芝居して「DE」どうするの?
作品をつくって「DE」どうするの?
会社を立ち上げ「DE」どうするの?
上場して「DE」どうするの?

それが「天人のDE」といわれる自分を見つめる
呪文でもあるのです。



エコレンジャー来る

2005年10月07日 | Weblog
<旅人の集う場所>
まなぶ君がくるのは1年ぶりだろうか?
友達のジャガから電話で、エコレンジャーがそっちに行きたがってると聞いたのは、
昨晩、まなぶ君といわれ、最初は顔と名前が一致しなかった。
(御免。まなぶくん!)会って見ると、顔と名前が一致した。
あの熱い男を思い出した。

徒歩でラブ&ピースを訴えかけていた彼は、
今はエコレンジャーの名前を名乗っていたのだ。

名前は時々聞いていたが、それが彼だったとは・・・。

北海道を出発した3人はリアカーを引きながらゴミを拾って旅をしている。
途中別々のルートをたどって、沖縄で合流すべく、今は各自が自分のペースで旅をしているのだ。

計2泊の滞在期間中、関西の色々な人達と会ってきたらしい。
天人が旅人の集う場所としても機能するようになったのはいつのころからだろう?
全国、全世界から、いろいろな人がやってくる。

その中で、旅立ち戻って来たときに大きく人が成長しているのをみるのはとても楽しいものだ。
この日は、新人スタッフのあっちゃん事、高見篤美ちゃん、くまさんも加わり、盛り上がった。


<旅人の場所の管理>
ボランティアスタッフが多いのも天人の特徴、厳密には別れていないのだが、
(規定はちゃんとあるけれど、自由に関わり方を本人が変更できるという意味)
自分でスタッフとしての関わり方を選んで、関わりたいように関わってもらっている。

多くの出会い、人を受け入れる暖かいスタッフの雰囲気。
それが人を呼んでいるのだと思う。
ありがたい話だ。

天人には面接はない、履歴書もいらない。会ってお話するのは
僕の自己紹介とこの場所の説明。
そして「あなたは何がしたいですか?」と聞くのみだ。

こちらの希望を満たす人物かを、取捨選択するのではない。
ある意味、その逆!あなたに僕らは何ができますか?というスタンスだ。

つまり天人や僕が面接してもらって、そちらで関わり方を決めてもらうという、
「びっくり仰天普通と逆さまシステム」をとっている!

これは自分でも気付かなかったのだか…

FM天人を立ち上げた当初、DJの希望の二人と話していた時、
ボクが自分の夢とFM天人の事を一通り話した後、そんなわけでよろしく!
と手を差し出した。
彼らは「おいおい、俺達がどんなヤツか知らなくて良いのかよこの人は…!?」
と思ったというのだ。
出会ってから一年以上たって二人にこの話をしてもらった時。

(そうかオレは変わってるのかな…、
そういえば、自分が面接受けた時は逆だった。
根掘り葉掘り色々きかれたなあ)

こんな感じだ。

この場合、管理が大変だろうとよくいわれるのだけれど、
当然いろいろな面で工夫がこらされている。

面接官であるのは面接者であるから、その人が優れた面接官とは限らない。
天人を勘違いしてやってくる人も多い。お金儲けになる…。人脈がつくれる。
何でも好きにやらせてもらえる。
これらの人が共生の考えがない場合、当然ミスジャッジとなる。
こんなはずではなかった。と思う人もいる。
多くを学び夢をかなえ旅立つ人も多いし、ここで天職を見つけ起業する人もいる。

いずれにせよ「びっくり仰天普通と逆さまシステム」をとっている間は
新陳代謝は激しく、絶えず生まれ変わっているようなものだ。


<工夫し研究する訳>
天人の運営スタイルは直接民主制から、プロジェクト制、担当者一任制度、
から集団管視システム(監視ではない)へと移っている。
(詳しくは天人HPの天日記をどうぞ)その研究は日夜進み、その内容は日進月歩だ。
今の社会の中では、労働の対価は金銭しか目に入らない人が社会の大半をしめ、
その中でオルタナティブな道を歩むのはかなりの風当たりがある。
僕の考えでは、価値の多様化を促すことと、教育(天人では響育というが)の要素、地域通貨の併用で、
新しいスタイルが可能ではないかと考え、今はその実践中である。

なぜこのようなスタイルを崩さないのか・・・

僕の中で、この実験カフェの大きな目的に
第3世界へのシステムの輸出があるからだ。

貧困の問題は一番はやく解決しなければいけないものの一つだと思う。

そのために国際社会に船出する資本力のない国や地域が、
NGOなどの支援を受け、とりあえず生き延びに成功した後、補助金助成金に頼らない、
自立の第1歩のためのシステムを開発しているのだ。

今の社会の構造自体が資本力を前提に構築されているのだから、欲に走るのはある意味仕方ないのだ。
ここで清貧をといても、理解できない人も当然出てくる。

これらの貧困に苦しむ国々にこのやり方は無理があり過ぎる。

そしてこの方法が、環境破壊と争いを産むのなら
今からの地球環境でこの方法論は、なおのこと避けるべきだ。

僕も、空き缶を拾ってきたものの一人として、それでは間に合わないという危機感がピークに達して、
時代の必然を形にする実験を一人で始めることにした。
それが「天人」だ。
依然として勝ち組と負け組を産みだし、
他からの効率よい収奪を躊躇しなかった者が成功する歴史はもう繰り返すべきではないと思いたい。

この意識のバグを拾い集める作業こそ、根本的解決につながる一つの道のように感じたのだ。
それこそナバホ人々のいう<Walk in Beauty>「美の中を歩け」
は私達が美しさの中にいた事を思い出す行為が最良であることを示唆してくれていると思うのだ。