AManTo天然芸術研究所

大地のため、時代のため、消費されないアートを求めて…
EART(天然芸術)の今を紹介するブログ

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天然芸術は夜明け前だから面白い!

2008年08月21日 | Weblog
「天然芸術は夜明け前だから面白い!」

天然芸術とは生きるための芸術、大地のための芸術をさす
僕の造語であって英語ではEARTH(地球)のHを取ってEARTという。

アートが今の経済という枠が生まれそれに取り込まれてから
大衆の消費と、経済効果の材料としてアートは発展してきた。
僕らが神話の時代から美しく生き、立派な年寄りと生きるために
伝統や祭りを伝え、文化を継承するためにやってきた芸術は
商業芸術と伝統芸能、無形文化財などのハザマに埋もれ名前もなく
かろうじて息をしてきた。

我々が町おこしや街づくり、コミニティの復活という目標でアートを
使う時でさえその目的は経済効果の意味で利用されている事がいかに多いだろうか…。

時間の豊かさは金銭では計れない…
わかってはいるけどやっぱり大きな流れには逆らえないものだ。

そこで僕のアイデアはこの生きるためのアートに名前をつけ
現代の経済システムと古来からの美意識の仲を取り持つ方法論を
研究しよう…そうして出来たのがこの天然芸術研究所だった。

最初は僕個人の活動で始まり今は多くの仲間が各ジャンルでの天芸を模索している。
僕は本業が身体表現(ダンサー)なので
当然、天然芸術の研究も身体から入った。

そんな中から生まれたのが、
毎回ひとつの言語に身体運動の極意を託して作品を構成する
僕のオリジナルダンス「傾舞kabukumai」定期公演だ…
(毎月第一土曜日天芸で開催)

今日はその天然芸術=身体表現の場合をお話しましょう!


<環太平洋的身体運動を発掘する>
僕は色々旅をしながら芸人をやってきた
その旅で様々な出会いがあった…
そしてダンサーの目で各文明を見ていくと、
各地に伝わる神話、伝承とその土地の武術、舞踊には
相関関係があり環太平洋に広がる各民族の一見何のつながりもない世界観に
実は身体運動のレベルで共通するものがある事が見えてきたのだ
いや、発見した…といってもいい。

単純には黒潮で太平洋全域に数万年かけて広がったモンゴロイドの文化
として、揺られる船の上で動きやすい双軸(*1)や腰に帯を巻き仙骨を安定させ意識化する習慣などが発生したと考えるのが普通なのだが…

僕にはそれ以上の太平洋にあったひとつの文明の影を感じずにいられない。
ロマンのある話としては面白く、心が豊かになるのだが、そのなぞの存在にダンサーで旅人である僕が僕なりにアプローチできる方法…

それが「身体哲学」という天然の芸術に関する考察なのだ、
正確には「身体考古哲学」(*2)とでもいったほうがいいのかもしれない…
大部分が失われ、そのパーツパーツの断片の身体操法を繫ぎ合わせ
元の形をシュミレートする。

すると今までにありえなかった古代の文化の記憶が、非言語の「運動」というレベルで再現される(*3)…いやシュミレーションなので再現されたとはいえない。あくまで仮説なのだから…しかし、その研究の過程で
実際様々な価値観や概念が生まれ、効果を発揮するのだから面白い!
理屈はわからなくとも観客が影響をうけ実際効果があれば臨床的には
仮説は正しいこととして先に進む。

その仮説を実験して公開するのが「身体哲学ファイル LOGOシリーズ」なのだ。
僕のダンスの行為には2つのベクトルが存在する。
天芸という類稀な実験空間でダンスのジャンルで行っている僕の実験プロジェクト「風人」や「奏偶」などの様々な実験ダンス…、これは未来のダンス概念に関する研究といえる(参考JUNのHP http://jun240.atpk.jp/page_3)

そしてもう一つが、身体運動から非言語の文化を検証する実験考古学的な側面をもつ「身体哲学」だ。

やっていることは余りにもマニアックで変人扱いもされる事もあり結構、孤独な作業だ(^^;)


したがって、僕は、ダンスに関してどこの団体にも協会にも流派にも所属していない…僕は単なる研究者にすぎない。

しかし人間って人の役に立つために生まれてきているとしたら、大木に身を寄せて恩恵にあづかる事より、僕にしかできない事を探求し観客に提供する事が大切なのではないかと思っている。
気づいてしまったのだからしょうがない…といったところだろうか…。

この自分の体を実験体にする僕の天然芸術研究は誰に迷惑もかからず、開発しても開発してもゴミも、設備投資もいらない超エコロジカルな学問である。
そしてこれは芸術哲学でもあり、そして「身体」という天然素材を通して誰に迷惑もかけず、この星の歴史と本質をさぐる自然科学なのだ…。

いつか僕の研究が多くの人の健康と意識革命、そしてこの星の太古の記憶の復活に貢献できる事を祈って…
今日も研鑽の日々が続いている。
最近は時々色々な所に講演会やワークショップで呼ばれる事も多く最近では海外でも呼んでいただけるようになってはきた。
本当にありがたい事である。


しかし研究は孤独で厳しい道である事にかわりがない…
そして、どうしても身体を使うので学問といっても
トレーニング、修行というイメージからは離れられない…
(何せ自分が実験材料なのだから^^;)

でも机に向かって不健康になって、
ジムに通ってストレスを発散するより
エコ(効率的?)だと思って頑張っている…

「僕の前に道はない、僕の後に道はできる…」

未常識(*4)の分野を生きる天然芸術家は

やっぱりやめられない!
皆さんももし良かったら貴方の好きなジャンルで天然芸術家を
やってみませんか?
いつでもご相談にのりますよ!
なにせ僕は今のところ世界でただ一人の
「天然芸術コンサルタント」なのですから!






(*1)…「双軸」西洋的1軸の運動ではなく大腿骨上に2本のセンターをつくり
左右にゆらゆらと軸が体内移動しながら運動を構成するという古代人の動き
傾舞の中心的極意でありテクニックである。現代では古い沖縄空手などでは「ガマクをかけ体の中を歩け」などという極意があるなど古武術などにその動きは比較的よい状態で保存されている事が多い



(*2)…「身体考古哲学」
2000年に撮影された福井県三方町にある縄文博物館で放映するための映画「縄文」(大重潤一郎監督作品)の主演を演じるため縄文人に勉強を続けてた僕は、いくら調べても道具や生活習慣の話ばかりで、「で、実際それをどう動いていたの」に関してどんな先生も答えられなかったという事実にその起源がる。考えてみれば当然で、出土した土器など、「もの」から検証してるのだから、どこまでいっても「もの」の事がわかってくるばかりなのだ。

この文字のなかった時代の身体をさぐるべく、僕は東京の運動科学研究所の高岡英雄先生の所を訪ね、縄文人の身体意識をシュミレートしてもらい、それを実際、自分の身体にいれて動いてみるという実験をおこなった。
これが「身体考古哲学」の起源である。

実験結果は縄文人はまるで僕らと直接の先祖だとは思えないほど超人的な動きをしていた事になり(まるで宇宙人!)、
他の役者と僕があまりに浮いてしまう結果となってしまった!

そして、結局それら再現部分はほとんどがカットされてしまった(^^;!)
しかし、その後、僕は縄文のかけらを探し、ずっと研究をつづけ、日本に残る古い武術や祭事の技術を解釈の鍵として環太平洋の文化を中心に研究を続けているのだ。

(*3)…「運動」というレベルで再現される
言葉を使わなかったからこそ古いレベルのものがダイレクトに残ったともいえる。言語化すうするというのは或る意味抽象化する事だから、他民族に渡る言語をかいすると微妙にずれが重なっていく傾向がある。

(*4)…「未常識」非常識以前の概念と認識すらしてもらえない
少数派の常識の事を天然芸術では未来を作る種の宝庫としてこう呼ぶ
市場の10%までのジャンルは非常識あつかいされるがビジネスのチャンスとなりうる(20年前に水を買う時代がくるというのは非常識だった)
水が大切だという概念が常識化するとそこに経済がうまれ広がるが単価はさがり
後から市場参入は難しくなる。我々の扱っているのは常に非常識以前なのだから
マニアックインマニアックと言われたりするが、自由に発想し本質を追及するにはビジネス以前のこのジャンルこそ歴史を変える魁(さきがけ)となりえるのだ。
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