AManTo天然芸術研究所

大地のため、時代のため、消費されないアートを求めて…
EART(天然芸術)の今を紹介するブログ

文化の種はタンポポのごとく

2004年10月30日 | Weblog
雨の中自転車を走らす。
自転車のパンクは無事修理終わった。

ふと耳を澄ますと
閉校した済美小学校から70年代のフォークソングが聞こえてくる。

近づく…
いや学校からではなく小学校の通用門向かいにある
中崎町町会長、多胡さんの家からだ。
彼は「この町はわしが作った。」とハッキリ断言できる
今では珍しい、昭和一ケタ生まれのこの町の長老。
彼の家の倉庫部分、もう何十年も使われていない空きスペースが
解放され、数人の男女がたむろしている。

「コンニチワ」
声をかけた。
「オー純ちゃん、入れ入れ!」
町会で前PTA会長だった大西さんだ。
行政書士が本業である彼は昔バンドマンで
ギター片手にフォークソングを歌っていた。

多胡さんの娘さんもいる。近所の奥様方が何人か集まっている。
「ここ、天人2にするの。手伝ってよ」
多胡さんの娘さん。
彼女のお子さんは兄弟で天人のCAFEにいつも遊びに来ている。

小学校が閉鎖されて、地域の行事ができるパブリックスペースがなくなった。
夏祭りや運動会、盆踊りにカラオケ大会…。
場があって始めてコミニティーが維持されている事を改めて感じる。

「最近マンションができても、皆が集まる事がなくなったから、
誰が住んでるのか分らなくなってきた。」
そんな話をしていた。

僕も地域の行事に参加して、そこで子供たちやお年寄りの顔を覚えた。
彼らは自分の親が介護が必要になる時を間近に感じている世代だ。

「自分達の親を老人だけの場所に送り込んで、それで終わりにしたくない…。
皆が一緒にいられる場所が作りたい…。」
思いは切実だ。
ある意味この町にコミニティー危機が迫っている。

天人が提案し続けてきたCAFEでサロンで寄合所…地域のパブリックスペースは
場のニーズが高まるとそれに呼応するように、他の場所が現れる。
それも、その専門性を高めて多数この地域に広がっていくものだ。
単細胞生物が多細胞生物に進化するように…。

「とりあえず、この場所をどうするか判らないのだけど、何かしないとと思って…
とりあえず、掃除して、入らないものを
ガレージセールなんかして売ってみようと思うの…。
でも、その後どうしたらいいか、さっぱり…。
一緒に考えて…」

とりあえず地元の人が町の動きに影響されて
自分達で動き始めた…。

これを待ってた。
これこそが天然芸術だ!
彼らはココ(町)で名を揚げたいのでもなければ、
儲けを求めて何かを立ち上げようとしているのではない。
豊な生活をする…その事が全てだ。

この動きがあれば堀江やアメリカ村のように豊かさの意味が単一化した町の発展は回避できる。
中崎町実験ファイルに大きな1ページが刻まれた瞬間だ。

多細胞生物のように…といっても

CAFE文化に関してはマスコミが勝手に煽ってくれる時代だし
サロンに関しては、文化的な人たちは自らのために自主的に場を作ってくれる。
町おこしとなると繁華街にしようとするコーディネーターが後を絶たない。
そういう意味でこの町にそれらの文化が広まるのに数年の時間しか掛からなかった。

しかし多様化の中に生まれる新しい生活文化は商業芸術でも伝統芸術でもない。
(1000年後には伝統芸術と伝統文化と呼ばれるかもしれない未常識の文化だ)、
実はここが僕らにとっても次世代にとっても一番肝心なとこなのに誰も取り上げない…。
儲けのためでもなく、自分のためでもない…民族のため、地球のための文化、芸術…。

そんなものって実は庶民の普通の生活の中からしか本物は生まれないものだ。

20世紀はカリスマが方法論を提示し革命を起こす時代だった。
しかしそれが如何に争いを産み、血を流す事になるのかは充分経験した。

町の中に多様な価値観の複数の文化が分裂的に存在してしまった時。
人は生き抜くために民族性のルーツに帰って分裂の間を埋める方法論を模索し始める。
これが「天然芸術」と呼んでいる。
これは友人のSHINYAさんのいうTHIRD CULTUREと同義だと勝手に思っている。

そしてこの魂の岩盤に深く刻まれた原点を僕は「 文化のSource Program 」と呼んでいる。
それは僕らが、おそらくは石器時代から氷河期を生き抜き環境の激変を絶えてくる中で身に付けた、
偉大な…とても偉大な、文化的な方法なのだ。

その間を埋めるつなぎ粉のような文化が 「天然芸術(EART)」 だ。
中崎町実験ファイルは着実にそのPhenomenonを広げつつあるようだ。

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秘密基地つくりませう!まずは大掃除。

2004年10月28日 | Weblog
天人のHPをデザインしてくれたリエちゃんが
吉美苑をでた。
吉美苑は天人の隣にある、古い文化住宅。
なかなか凝った作りで、同じ間取りの部屋は一つもない。
一見昔の旅館風の建物だ。
偉大なるオジー、オバーがココに住み、僕は、差し入れをもらい、
人生のお説教を聞かされながら日々是学びの毎日を送っている。
この3年で何人もの留学生が国に帰り、お年寄りが天へと帰っていった。

その後、僕を初め、幾人かのアーティスト、クリエーターが住み始るようになる。
以前、雑誌で、平成のトキワ荘と特集された事もあった、オンボロ、いやレトロアパート吉美苑。
リエ嬢も劇団チームべグミーの制作をしながら、WEBクリエーターとして修行の毎日を
ここで送っていた。

彼女も、吉美苑、卒業か…。
今までも多くの人がココを訪れ、天人と関わり、この町に住み独立していく。
3年も経つと大したもので、今はその第一期のメンバーが次々戻ってくる現象が起こっている。
みな、心にも体にも傷と笑顔の皺を刻みつつ、一回り大きくなって帰ってくる。

挫折を知らないポジティブさは、どこへやら影を潜め…乗り越えた物が大きいほど、彼らは優しくなって帰ってくる。
シビアな話、愛がほしいほしいと舞い戻ってくる人もいるが、欲しがるばかりで、何も与えず、
自分のしたい事しか出来ない人は、確実に皆に相手をされなくなっていく…見事なものだ。
二十歳なったばかりでも、尊敬できる大人もいれば、三十路前でも、子供ぶって甘えてくる人もいる。
五十代でも待ち合わせも約束も出来ない人もいる。
皆が互いを教師(あるときは反面教師)として学ぶ、その姿は、出入り自由な緩やかな繋がりのほうが
優れているようだ。

リエ嬢は引越ししたが、大家さんと相談して、僕や天人関連の人、リエ嬢たちで、この場を維持し続けようと
いう事になった。
多くのプロジェクトが生まれCAFEの枠を超えてしまっている天人。
部屋はいくつあっても、足りないくらいだ。

ここは天人の頭脳として事務機能と作戦会議をする部屋となる。
その他にも、天人プチ舞台の裏から廻っていける立地(庭を通り、陶芸室を通ると吉美苑に繋がっている)
をいかし、ライブや、お芝居の時の控え室になる。
遠方のアーティストは、天人に寝泊りして関西ツアーをする場合もあるからそのときは宿泊施設にもできる。
吉美苑の他の部屋は住居として使われているので、さすがにショップはできないが、
(しかし各方面から、集まる作品を売って欲しいという依頼も多く雑貨屋天人は緊急課題かも…)
天人の天然芸術探求には又一つ大きなハードの前進といえる…!

今日は、集まった皆で大お掃除大会!
6畳と3畳の部屋は昔サイズで一回り大きい。押入れもたっぷり一間分ある。
一応膝を抱えて入らないといけない、正方形のかわいいお風呂もある。
台所はステンレス製ではなくコンクリートと石とタイル張りのレトロキッチンだ!

偶然、この日、建築家の芦澤君が教えている専門学校の生徒さんが、やってきた。
卒業制作で、吉美苑をテーマにリノベーションのプランを考えたいと相談に来たのだ。
「今から一部屋、リノベーションするけど一緒にやる?掃除だけど…」といって飛び入り参加が決定。
総勢8名がこの新しい秘密基地作りに参加した。
マスクと手ぬぐいを頭に巻き、この日ばかりは皆、懸命に頑張ってくれた。
果てしなく思われた片付けも皆でやれば数時間で終了。
みんなありがとう!
これからココを具体的にどうデザインしていくか皆で考えていこう!
そうそう、天人はこの指とまれ方式で何でもやるから、
興味のある人はドシドシ参加してくださいな!

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印度暑いが人も熱い!中島君ひさびさ現る!

2004年10月26日 | Weblog
ひさしぶりに中島岳志君が、天人にやってきた。
彼はインドのヒンドゥーナショナリズムを研究している研究者で、よく天人で本を執筆している。
しばらく姿を見せないと思ったら、文部科学省の依頼で、この2ヶ月インドの現状を調査に行っていたらしい。
都市におけるナショナリズムが研究テーマだったと…寒くなったらインドにいくJと入れ替わりに一番熱いインドを彼は旅して帰っていた事になる。
最近はインドでも都市では血縁によるコミュニティーが消えつつあり、それによる伝統的な祭りも消えつつあるらしい。
それに伴って、又全然別の祭りが台頭してきていると。
つまりヒンドゥーナショナリズム(愛国運動、民族意識復古運動)のためのお祭りだ。

インドの場合、ナショナリズムが思想、アイデンティティとは凄く深い関係がある。
ムスリム(イスラム教徒)とヒンドゥーの対立はムガール王朝の時代にまでさかのぼるし、
ここでカシミール紛争から緊縛しつづけている印パ問題を論じるにはあまりにも僕は素人すぎる。

彼に率直に聞いてみた。
「印度って、クリスマスとかするの?」

最近ではカップルのデートや、クリスマスセールなどの消費としてのキリスト教が、浸透してきたらしい。

次の質問。
「印度で改宗する人はいないの?」

すると、実はヒンドゥーの人々の中で仏教徒になるのが流行っているらしい。
流行っているといっても日本のようなファッション的な意味ではなく、
アウトカースト、(被差別民)の人の中にヒンドゥーが多い事から
この差別と貧困を抜け出すために固定観点で見られない仏教徒になろうと、
運動する人が現れてきたそうだ。
(仏教とヒンドゥー教は神様共通してるし、親戚みたいなものだから受け入れやすい。)

ところがこの新仏教徒と呼ばれる人達も何故か仏教なのに過激な人が多く、
アヒンサー(非暴力)とはいかないらしい。
例えば、印度といえば、ダライラマのチベット仏教亡命政府がある、これが又仲悪いそうだ。

僕は聞いた。
「なんでそんなに喧嘩するのかなあ?熱いからか?」
タリバーンが石仏を破壊した時も中島君はRSS(民族奉仕団)のメンバーといた。
タケシは仏教徒なのに何故報復を考えないか!と協力に迫られたらしい。
ガンジーのやりたかった、価値観を超えた調和…とは程遠いようだ。

彼は今あるNPOと一緒に学校をつくろうとしている。
セルフビルドで作れば3~4万もあれば器は立つ。
しかし日本で、引きこもり、イジメなどの問題を生み続けている。
学校という制度をそのままもっていっても何の役にもたたない。
それは中島君もそう考えているようだ。

オルタナティブな学びの場、それは天人でも絶えず研究しているテーマ。
何か役に立ちたい!ちょうど彼は来年2月に行くという。
1月は毎年タイで過ごしているし去年もそこから印度に向かった。
そうだ2月僕も印度に行こう。そして学校つくりに協力できたらいいなあ。
場所はボンベイ(ムンバイ)だ。
日本の「輪を持って尊しとす」文化を是非是非印度に輸出したい!
ささやかながらお金をかけない改装技術も役に立つかも…。

そんな想いを彼に話している時、きな臭い噂を聞いた。
ビンラディンはこの1週間前後で捕まる可能性があると…
いや、むしろもう居場所も突き止めているブッシュは、
選挙の駆け引きの切り札として「ビンラディン逮捕」というカードを
隠し持っている…というだ
あー庶民の熱意は力の前に、無力なの?

いーや!そんな事ないよね!
信ずるものは救われる!
未来はキットきっと明るいぞ

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JUN 誕生前夜ライブ

2004年10月25日 | Weblog
今日は10月25日僕の誕生日前日だ。
毎年、誕生日には、誕生日ライブをやるのだが、
今回は、その日が恒例の「べにこご」さんの落語会と重なり、
前夜祭となった。
もちろん場所は、我らが本拠地…。 天人である。

僕は誕生日というものを祝ってもらうものではなくて、
僕を育てたくれた周りの人々に一年の努力を還元する日と考えている。
だから毎日僕がパフォーマンスを皆さんにお見せするのだ。

今回は前日という事と足のゲガが完治していないことを理由にいつもの
形式はとらず、ビデオライブとプチパフォーマンスという形をとった。
特に目玉は現スタッフもほとんどしらない、天人オープン前の記録ビデオである。

僕は改装をパフォーマンスと考え、全工程2ヶ月半をビデオ撮影していた。
そして改装パフォーマンスにやってきた1127人の通りすがりの人との出会いを
記録に残している。
その過程を見ながら、家が再生し、人が再生していく様を、これまた偶然居合わせた人と
見ながら、誕生という意味についてしみじみ語り会うのだ。

そして過去のこの1年の僕のパフォーマンスをダイジェストで振り返り、
最後はシタール奏者のJに協力してもらって、即興のプチパフォーマンスをおこなった。
最後は場と時間を共有した全員に自己紹介してもらって、新しい出会いを分かち合う。

今回偶然に生まれる前夜にスポットが当たる事になって、
「誕生以前の記憶」という事にとても意識が向き合った。
これは僕にとってとてもいい経験になった。

誕生と再生は密接な関係がある。
全ての誕生は基(moto)の「ナニカ」から誕生する。
全ての再生は基(moto)の「ナニカ」から誕生して意味をえる。
つまり全ての誕生は再生が集まったものといえるし
全ての再生は誕生の集まったものである。

どちらも基の痕跡を残しつつ、自らを新しくするための小さな死する行為だ。
その意味で毎日が誕生で再生であり、小さな死の連続…。
しかし死と生の繰り返しは暴走はしない、何故か?

この天体自身が太陽の周りを一周している周期性をもっているから、
そこに季節や星の運行といった周期が生まれる。
その中の繰り返し…。
歴史の中で1年は10ケ月になったり13ケ月になったり、色々な変遷を経て今にいたる。
でも生物的周期365日は人類の歴史上、変わったことは、ほぼない。
だから誕生日は自分の元旦だ。


誕生にはその前の段階で熟成が存在する。
だから昨日までの全ての螺旋状の成長が熟成され、
今日に凝縮されているとすれば…。
ここまで考えて、
過去と今を並列にならべる行為が必要なのではと思ったのだ。

その場の過去と今を並べてみる。
自分の過去と今を並べてみる。
するとそれに関わった登場人物たちが次々いろんな行為を誕生させているではないか。
一人の誕生を祝っているだけと違い、
そこで多くの人が関わって生まれた色んな誕生が見えてきた。

自分の誕生や自分が始めた事がキッカケで知らない所で凄く多くの事が生まれて、
その生まれたもの同士が又別なものを生み続けている事が判った。

だから生きるって凄く意味のある事だと思った。本当に無意味な事なんで何もないって思える。
それまで少し自信ない所があった。
本当にこんな事していて意味あるのか…とか、もっとベストがあったのでは…とか…。
でも、意味ないと感じる事でも、自分の見えない所でドンドン意味が起き続けている…。
本当は、凄く皆、意味がある。だから、みんな、無くてはならない存在なのだ。

そう意味なんて僕が決めるなんておこがましい僕にわかるはずもない!
自分の出来る範囲の意味で精一杯をやればそれでいい!
それに意味を感じてくれた人がいれば僕を利用してくれればいいのだ!
そう感じれた時。
今年はもっと自信を持って色んな事に挑戦しようと決意できた…。

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ソコココカフェ現る。浮遊する化学反応たち?

2004年10月18日 | 天然映像芸術 <天影公司>
奈良の浮遊代理店の大西君が、天人(AManTo)のカウンターバーで話しているとフラッと現れた。
この街を訪れるのは久しぶりらしい。
そこで近況を聞くとコーヒーをテーマにしたイベントを企画中らしい。
天人も珈琲時光の話や、僕らで開発したブレンド「徒然時光」の話などで花が咲く。
ソコココカフェは奈良で珈琲にこだわったカフェをつないで繰り広げられるスタンプラリー形式の奈良街散歩地図だ。
「地図を作りたかっただけなんです。」というフライヤーは茶色ベースのステキなデザイン。
大西君の完全主観による、奈良でいけてるCAFE7店舗が紹介されている。
シンクロしてるなあ…。
同じ店の雰囲気は全然ちがうのに起きている現象や立ち上がる企画に共通点は多い。
ここは日替わりマスターの店であり、ギャラリーで、イベントスペースでもある。この点も天人に似ている。

浮遊代理店を知ったのは今から3年ほど前、引越し建築家、浮遊建築家で有名な、駒井貞治氏が遊びに来たのがきっかけ。
カレは浮遊代理店の設計者だが、不思議な名前「浮遊代理店」は、実はCAFEである。
ちょいちょいと建築を持ち歩く駒井氏のスタイルと、想芸館の人工筋肉による浮遊体アート発明者、奥田エイメイ氏の浮遊体ギャラリーの構想が化学反応を起こしてできた場所だ。
大西君はここのマネージャー、様々なイベントをプロデュースしている。
ここは日替わりマスターの店であり、ギャラリーで、イベントスペースでもある。
天人に似ている。
うちで1年間経理を担当してくれていた中田氏もここの出身。中田氏は浮遊代理店や天人で実験哲学CAFEを主催してきた
哲学者だ。天人の語学教室では「古代ギリシャ語、アッティカ地方の方言教室」も担当してくれていた。
詩人の 上田假奈代(うえだかなよ)や、インド音楽のシタール奏者J渋さ知らズ低音環境、など出入りする共通アーティストも多い。

不思議な場所は不思議な人たちが共通して行き来している。
まるでその人たちだけが嗅ぐ事のできるマーキングがあるかのごとく…
その道をたどって淡々と人が行き来しているのだ。
この形のない不思議な浮遊人のネットワークは形も名称もないので
壊れる事も、分裂する事もないというわけ…。
ボクが見ているとその生態には概ね3つのパターンが存在している。

ただひたすら浮遊し続ける人…。

移動はぜず拠点で浮遊する人…。

拠点を中心にしながら時々移動する人…。

そしてこの様な場所での文化の伝達は、ホント不思議だけど同時多発的に起こるのだ。
商品や商売のスタイルは西から東に移動し洗練されていくと言う説がある。
これは時系列的に徐々に流行が移動する。「くだらない」という言葉は大阪で産まれた商品や
商売が江戸に下らない時、「くだらないモノだ」といったのが始まりだそうだ。
このくだらないネットワークは資本価値を中心に価値を決める。
ところが、これらのネットワーク(浮遊代理店風にいえば浮遊人、天人風にいえばアマントビト?)
の動きは本当に個人的な思いや、夢に共感した人の輪で産まれる。
マーケティングリサーチ、市場調査、顧客分析などという言葉とは最も縁遠い。

ボクは彼らの移動する先の情報から全国にある同じ匂いのするサードカルチャー的な場所を良く聞いているし時々訪れる。(そういう意味ではボクは3つのパターン3番目だ)
同じ匂いがするのか、奥田エイメイ氏が天人に来た時も一瞬でお互い共感するものを感じた。
多く語らずとも解るという事だろう。
一般的にこの3つのパターンどれもとてもフレンドリーな人達だが質が少し違う。
1番目より2番目、2番目より3番目と口数が少なくなるように感じる。特に3番同士で話しをすると実にその傾向が顕著になる。
奥田氏の楽しさと同時にある場を維持するための隠れた苦労、影での支える努力というものが痛いほど伝わってきたからだ。
経済を優先しているわけではないので、やっぱり皆、経営には苦労している。
でも、各自が、その人生観の上で、何だかわからないけど、どうしてもやらざるをえない衝動にかられて造った場所がパブリックスペースとして機能し、文化の種が着床して芽がでているのは面白い現象だ。

今後は駒井氏の言うように建築自体が浮遊するのかも…。
そうなれば、場と場が反応する時代が来るのかもしれない! 
そうなれば時代の化学変化も加速度をますのかも?

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ブログって日記だけじゃないと思う…

2004年10月14日 | Weblog
今日、吉田事務所の代表、水先真紀子さんに取材を申しこまれ、お話をしていた。
彼女は今回WEBや独立起業に関して話をさせていただいたのだが、
彼女と生きた口コミの種類には2種類あり、チラシとしての大量ばら撒き方の口コミと違い、
数ではない体験による口込みはアットいう間に地球の裏側に届くというお話をした。

WEBは、昔のDMであり、それが、時代とともにFAXになり、HPになり、メールマガジンになっていっただけで本質はチラシだ。
これに対し、このアナログの口コミの(特に旅人による)情報流布には行動がセットになって起こる確率が高く、
現象として非常に大きな波及効果があるとお話していた。
そしてこのブログという素材はHPやメールマガジンとアナログ口コミの中間の効果があると考えていてその利用法を思案中と話させてもらった。


日本ではブログがその大半が日記サイトとして認識されている。
海外での使われ方を見てると、ジャーナリストの個人メディア的な性格が強いようだ。
(特にアメリカでは911のテロの後、トラックバックの機能が活躍し一挙にブログが市民権を得たように思う。)

僕はもっとブログの日本的活用法が研究され、世界に広まってもいいと思ってる。

それってどんなのかって…
では少し話しましょう!
日本のブロクの活用の提案は、アメリカ的、世間評価の発表手法としてのブログとはチト違うのです。

つまり、「他に対する意見」と反対の立場「他を見て自己を見つめた」というものの見方を日本人は得意として
いるのです。「人の振り見て我が振り治せ」というあれです。

日本人は昔から自分の行為に集中し、徹底的にこだわるオタク的特質に優れている。
お茶を飲むだけで茶道という道にまで発展させたり、仕事としての契約に重きを於いて発展した騎士道と違い、
人生そのものの生き方として戦う事と死ぬことを自問する武士道、さまざまな職人の世界のこだわりから、
現代のサブカルからマニアの世界まで、日本人はなんでもオンオフのある仕事というより自分が趣味そのものに
なりきるライブスタイルまで昇華させようとする。「道」がすきな民族なのだ。

ソーシャルネットワークのコメントを巡回していると
やはりこの傾向は強い。僕のみる範囲だけかもしれないが、
海外のものによくある「貴方の意見に対して私はこう思っています。」とか「貴方の発言は認められません、
こうは思いませんか?」というものは少なく、
大半は「貴方の記事を読んで私の家庭での問題を考えました」とか
「私は貴方の文章を読んでこういう学びをしました。ありがとう」といったものが大変多い。
カロカ学ではこれをalete的性格が強いという。(反対に外部の情報を処理したがる傾向をcerculor的性格が強いという)
cerculor的性格は現状を維持したがる根本欲求に基本があり、保守、危機管理、自我、安定といったものと関係深い。
aleteは成長という欲求に基本を持ち、今を否定する事から始まる。自己実現するための自己自身を扱う。
本来この二つのバランスが大切であるのだが…。

ブログの使い方もっと熱い使い方、きっとあるはず…どう思います


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殺陣は突然に現れる。その2

2004年10月13日 | 天然身体芸術 <未塾>
負ける練習…。
擬闘(アクション)では勝つ役を「芯(シン)」。負け役を「からみ」というが、
これがなんと、最初は負ける練習ばっかりなのだ。
負けるのに練習がいるのか…僕のカルチャーショックは大きかった。

それもありとあらゆる人の死に方の方法や、受身をとらず(受身をとると死んだように見えない…そりゃそうだ)投げられたり、倒れたりする方法が伝わっているのだ。
何十もの倒れ方のバリエーションが段階的な練習法と共に確立していた。
(僕は戦いの世界の半分しかやってこなかったのか…!)

そんな新鮮な喜びと感動の中、このヤラレ役の美学、死の美学を確立し技術体系まで
残っている日本文化の奥深さに感動した。
日本の立ち回りの技術は歌舞伎に源流を発し、主に関西で長い間、培われてきた。
今では様々な系列に分派している。
時代は映像演技の時代になり、特撮技術の導入の時代、アクション俳優や、スタントマンの
スキルは高度化し、多くの専門分野が別れているのが現状だ。
今はフリーでお仕事させてもらっているおかげで、様々な流儀の方と色々な勉強をさせてもらっている。

個人的には実戦と擬闘(アクション)の枠を取り払う「舞闘」という概念を作り、動きの本質を学び、どんな流儀の人とも仲良くやれる道を研究している。

擬闘(アクション)や殺陣(たて)は究極の所、憎しみや死闘を演じながら、完全なる相手への信頼感の上にしか成り立たない世界なのだ。

だから相手を憎みながら同時に信頼しないといけないという矛盾した行為を役者は強いられる事になる。(僕はこれを正しい精神分裂と呼んでいる)
コレは意図的な分裂であり意思による分裂。
分裂は相互協力し自我にコントロールされ目的を遂行していく。

そんな分裂はタフさを養う。

殺陣を学ぶ事は矛盾だらけの現代を生き抜くタフさをも養うのだ。

「舞闘とは死闘を演ずる事である…。」

天人のBBSに書き込みのあった、彼らは熱心に教えて欲しいと何度も通ってきていた。
具体的に人数も集め、場所も用意し日曜日に練習を希望しているらしい。今は5名ほど集まっている。
舞闘は当然、勝つ負けるを超越した、高度な身体操法を身につける事ができる。
「 未 塾 」をやる上でも必修の単位の一つだ。
生死をかけた世界で発展した身体運動は、半端でなく人の運動能力を活性化する
合理的なシンプルなコアを身につけることが出来る。

僕の経験上は単にダンスをするより、平行して行えば10倍は早く結果がでる。
これは運動センスのダビングであり根性の訓練ではない。

したがって恐ろしく応用範囲が広い。料理の包丁裁きからスキーやスノーボードまで
およそ関係ないだろうと思われる運動全てに応用できる。

(少し自慢話になって申し訳ないが、実際、僕は武道の極意、特に抜き胴の極意でスノーボードを始めて15日でJSBAの1級を合格している。)

これらは実践的でアクティブな訓練だ。ある種、癒し系ブームの中では、目的に同じ人間完成があっても、真っ向から対抗する、流行らないベクトルなのかもしれない。

一体この5名の中に本当についてこれる人は何人ぐらいいるのだろうか?
まとにかくやってみるべ!

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殺陣(tate)は突然に現れる。その1

2004年10月11日 | 天然身体芸術 <未塾>
天人のBBSの方にこんな書き込みがあった。
「…殺陣(特に殺陣の基礎から)を中心に教えて頂きたいのですが突然ですが宜しくお願いします。」
足を怪我して身体運動のWSを立ちあげようと思っていたのが、中断していた。
その名は「 未 塾(mijyuku) 」  まあ、意味は色々創造してみてほしいのだが、
特徴は、複数の身体操法を音、武道、舞で関連づけさせて、総合的に学ぶ点がユニークだ。
スポーツセンターのように様々なクラスを受講して勉強してもそれらを関連づけて…となると本人のセンスに任かされるのが通例だからだ。

このWSは地域通貨を使った学校、天人CAFE大学  の中核として始めようとしていたものだ。
今、まだ怪我は完治していない。しかし、殺陣に限らず経験者が今さら人には聞けない、基礎中の基礎を誰かに教えてほしいと願うニーズは多い。

実は基礎の基礎は扇に通じる。
ここには秘中の秘の部分が数多く存在する。
僕もそこを教える事は、本格的にやってみたいという気持ちはある。
文化として一般化していない殺陣の世界は未だ職人の世界だ。
だからその隠れた本質を保存するために教えない教育が未だ、まかり通っているのがこの世界だ。
つまり「見て学べ」と…。

業界では現場優先なのでその人を育てるより次の現場の職務をこなす事が最優先される。
だから役者は基礎を学べず、いきなり現場に放り込まれ、体験的にこなしていく羽目になるのだ。

又、地方のチャンバラ教室だと、ストレス発散がメインで身体の進化をメインにしては地道すぎて
お客さんはこない、小劇団での場合も公演でのパフォーマンスが目的だから、殺陣役者として一人前とされるノンルック(手をつけず完全即興で戦う事)は、出来るようになるはずもない。

怪我人の僕が今出来る事として、経験者の要望なら受け入れられる。
(初心者との稽古は手取り足取り見本を見せる必要がある、だから今は無理…)
さてどうする…

殺陣などのアクションは僕が17歳の時、あるアクションクラブのお芝居を見たのがきっかけだった。
中学の当時から中国拳法に縁のあった僕は当時、高校の剣道部で地獄の練習の日々を送っていた。
男子校の武道系クラブの練習は壮絶を極め、僕は何度も救急車で運ばれるほど痛めつけられていた。
(剣道なのに自衛隊と同じく組討(kumiuchi)稽古があり、竹刀で戦っていたと思うと、「組討~!」の掛け声と共に、組む、投げる、締めるを含め、寝た状態での打撃や、倒れた相手への竹刀攻撃が許されていた。武器をもった総合格闘技?)伝統的なシゴキの季節がある。毎日ヒーローと呼ばれるリンチ対象者が選ばれ、徹底的に根性を付けさせられる。

毎日、駅の階段を這って上がっていた。

そんな経験から立ち回りというものを馬鹿にしていた。
(嘘の戦いなんて簡単だ!)とタカをくくっていたのだ。
遊び半分で公開練習に参加。

そこで大きなショックを受ける。

そこには日本文化の奥深さ、何でも徹底的に様式化して道を深める日本人の美があったのだ。
それは勝つ練習と同じだけ、負けるのに練習がいるという「死の美学」だった。つづく…

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素人たちが映画の配給に町を巻き込んで関わる実験。

2004年10月09日 | 天然映像芸術 <天影公司>
本日、ブレンド「徒然時光」誕生。
大阪「珈琲時光」関連ニュース

映画!「珈琲時光」 をイメージして珈琲と下町と映画好きの人によって
開発されたブレンド「徒然時光」が大阪北区の中崎町で発売される。
ラベルは昔っぽい白地に黒インクのシンプルなもの。
これは素人たちがプロの世界に足を踏み入れ 町を巻き込んで
企業と商品開発をする実験だ。

「徒然時光」の名前は「下町を徒然歩きをしながら、時には珈琲を飲みながら自分の心をリセットして
これからの自分の時間を見つめ、時に飲みたくなる味。」という開発コンセプトだ。

映画のためのオリジナルブレンドだから、「珈琲時光」という名前にしたいという意見もあったが、こちらが勝手に気に入って勝手に応援しているわけだから、商標の問題などあって、それは無理だった。なら、映画上映終了後も映画を愛する下町に集う人が開発したブレンドとして末永く、飲み続けるために「徒然時光」(つれづれじこう)とした。

テアトル梅田の瀧川支配人の協力によって、このオリジナルブレンドはテアトルでも販売され、
中崎町の店でも何店舗かで豆の購入と実際飲む事が可能だ。

宣伝はネットが中心でだが、ネット販売はあえてしない。店舗まで来てもらわないと買えないシステムだ。

WEBは占い師の吉田氏が担当。
ブレンド開発の陣頭指揮は天人CAFEリーダーの斉藤さん。
ラベルとチラシの製作は僕が担当させてもらった。
皆さんありがとうさんです!

もし実際飲まれた方がいらっしゃったら、是非、感想を教えてください!

スタンプラリーは順調!数店舗でカードがなくなる店も出始める。
カードは2000枚限定なので、ご希望の方はお早めに、テアトル梅田が、テアトル歩いて3分の町中崎町に足を運んでください。なお、松竹さんテアトルさんとの協議の結果、賞品の内容が決定。
天人HPの珈琲時光のページをごらんあれ!(数日中に掲載予定)

これで町の有志が映画キャンペーンに関われるかといった挑戦企画「珈琲時光」キャンペーン
「珈琲時光シネマコンテスト」意外、全て順調に滑り出した事になる。
ここまで、これたのは皆様のおかげです!
これまた、ありがとうございました。

シネマコンテストは映画放映終了と共に作品募集をはじめ、来年ゴールデンウィークに開催する予定。今の構想をコッソリ教えちゃいます。
評判の良い噂を聞いても見に行く事ができないのが自主映画の常。(だってたいがい1回しかしないから…)だから「かち抜きシネマコン方式」を提案しよう!

最初は無審査で全てかけます。観客投票と、関係者、審査員の総合点で上位の作品だけ、
次回も上映されます。つまりイイ作品ほどロングランできます。
そしてついに、最後までロングランした作品が最優秀作品となる…といったわけ!
会場はDLPプロジェクター完備の古民家CAFE、Salon de AmanTo天人で行う予定です。

興味ある人大体金曜日夜に座談会かねたユルーイミーティングやってるので、僕に連絡して、天人に遊びにきてください!(下のコメントに書いてね)

さあ、芸術の秋本番、ガンバルべー

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映画を拝む町?

2004年10月08日 | 天然映像芸術 <天影公司>
今日は台風接近する中、瀧川さん(現テアトル支配人)と打ち合わせ。
全体の流れと、イベントを広く知ってもらうためのビラ作りの原稿を打ち合わせる。
週明けには配布可能の予定。

そこででたのが、珈琲時光シネマコンテストの話。
今日はその話を書こう。
漫画界や、芸能界、モデルのオーディションなどで、よくある形態で映画界にないもの…。
劇場単位のプロ発掘運動だ。
この形態はコンテストの結果多くが主催プロダクションと専属契約を結ぶ事を条件にプロデビューできるのだ。
映画界では新人発掘はほとんど、何らかの社会福祉法人、協会や製作会社、プロモーション会社が、後ろについて
行う。だからその内部構造は雲の上で、様々な利権関係で複雑だ。

僕は、劇場が作品を発掘して、作家を育てる事をしてもいいのではと兼ねてから考えていた。
作家レベルからでなくても、作品レベルでミニシアター系のいい映画を発掘する事はあった。
しかし、市民レベルで盛り上げられて劇場も力を注ぎ、映画が成功すると、儲かると判断した大手が美味しい所をもっていく
あの、図式がよくあるものだ…(マイケルムーアの作品などがそれだよね)
この世界。全国公開される事自体は、作家やファンにとってはいいことなのだか、草の根で頑張った人々が寂しい想いをするのは
ウーンどうなのかなあ?微妙だと思わない?
インデペンデントシーンが商業映画市場のボランティアにされている事を誰も意識していない…。
権利云々という問題もあるけど、大きな権力に巻き込まれる事を成功という図式。
ウーンどうなのだろう!
この価値観が問題なのではない。(それでいい人はそれでいい)
問題は他に選択肢がない事。
これが、人の頭の中を狭く単純思考で終わらせているのではないだろうか?
瀧川さんに聞いてみると
テアトルでは「ガリンペイロ」というレーベルがあって、プロジェクター上映可能な館もあるにはある。
しかしそれは東京に一箇所あるだけで全国他の劇場ではハードの面に問題がある。(今の自主映画はほとんどデジタル作品だから)
他の地域でそれをやるとなるとレイトショーやモーニングショーの枠になるが、本社は、
本業の昼間の上映に力を注ぎなさいいう。ゴモットモ!
実際ガリンペイロ(確かブラジルの砂金堀りの人たちの事をそう呼んだっけ)は、できて2年あまりだが、あまり活発に動いていないらしい。
テアトル意外はガリンペイロ的動きをする劇場はないのだろうか?
シネマライズさんに同じ動きをするライズXという40席ほどの実験シアターがある(ここはプロジェクター上映可)。
実際これらの未常識に挑戦するには資金体力もいるし、経営が大変な事も多い(だろう)、いい映画をかけ続けるだけでそれは
偉大な行為だと思う!だから今、劇場がこの分野にまで関わろうとする余裕はないのが現状みたい。
地方都市ではなお難しい。

ミニシアターってなんだろう?
僕の恩師でありエルダーの大重潤一郎監督(現在、沖縄映像文化研究所代表、御茶ノ水博士に似てる。映画を今だ「シャシン」と呼ぶ重臣)は、岩波映画出身。記憶では岩波が多目的ホールとして設立された岩波ホールが、僕のしる限り日本最古のミニシアターだと思う。(60年代中頃かな)
74年に名画上映運動、エキプ・ド・シネマ(フランス語で映画仲間)をスタート。それから全国にミニシアターができた。
『惑星ソラリス』も岩波ホールだったはず!(ロシア版の昔のヤツよ)
大手映画会社が取り上げない名作、世界の埋もれた名画をみる大切さを教えてくれているミニシアター。
僕がミニシアターに期待するのは、発掘レベルから、開発のレベルに行く時代がきているのでは!!という提案!

大阪ではエキプ・ド・シネマ的活動をプラネット+1の安井代表がこの役をになっている(彼も大重組の弟子の一人)。
会員になって格安料金で3年通えば、映画史104年(105年だったかな?だれか教えて!)の主要な作品は全部見れる凄い所。
インデペンデントな作品発掘は同プラネットの富岡さんだバリバリだ。
しかし皆、資金面や制作環境の点で頭を痛めている。

そこで別の選択肢の提案!僕の主催する天影公司のアイデアは
劇場をコアに、関連する町の磁場産業がそれぞれの立場で参加し、生活の中でムーブメントを盛り上げている図式!

つまり

1)作家を劇場が発掘し作品を作らせる。
2)資金はないから町が応援し、エキストラ、制作、キャンペーンイベントなど
  町おこしを兼ねて参加。
3)上映はその劇場で独占放映。劇場で見たければココに来てもらう。
  全国展開はDVDででもすればいい…。

つまりスペインのサクラダファミリアと同じ。
サクラダファミリアはその信仰的シンボルの意味もあるが、それによって
生活できている磁場産業の中枢である。だからサクラダファミリアは拝む。
スペインの人にとって永久に完成しないほうがいい建築物なのだ。
そしてサクラダファミリアを体験するには世界中どこにいてもそこに行かなければ行けない。
サクラダファミリアとは、その町ごと体感して始めてサクラダファミリアなのだから…。
サクラダファミリアは生きている作品であり、絶えず新陳代謝を繰り返し、町を生かす心臓でもあるのだ。
(実際新築してる横で老朽化による修復工事が行われてるから当分完成はしないだろう!)

地方都市で、劇場と、町と、作家がガップリ四つに組んでいきなり世界発信!
映画という総合芸術は町を巻き込むのに都合がいい刺激剤だ。
そして今日、映画は大衆娯楽の要だし、クリエーター、アーティストでも映画が嫌いな人は少ないから
素材としてもイイ!
天人にちょくちょく来てくれてる上山信一教授(大阪市大)もミュージアムが都市を再生するといっていた。
(えっミュージアムとシアターは別物って…あまり硬いこと言わないの!)

まっ、あくまで実験だから、そんなに確証や執念があるわけではないけれど、
地脈の流れからみてそう行くべきだろうと感じる今日この頃です。楽しみましょ!


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