AManTo天然芸術研究所

大地のため、時代のため、消費されないアートを求めて…
EART(天然芸術)の今を紹介するブログ

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天然芸術 ダンサーJUNの場合

2006年06月27日 | 天然身体芸術 <未塾>
僕はダンサーとしてこの天然芸術の作品である
Salon de AManTo天人で活動しているが…
その中で月1回行っているLOGOシリーズというものがある。
次回のテーマは「縫い」非言語のダンスと言語(LOGO)とを結びつけるシリーズなのだか
これがどうして結構奥の深い体系がバックボーンを支えているのだ。

様々なアーティストが自己の表現を繰り広げ下町から世界へと活動している天人。
僕のLOGOシリーズは「身体考古哲学」による
傾舞(kabukumai)の極意公開の現場でもある…

つづき…http://junjugem.jugem.jp/?day=20060627

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殺陣教室 第一回開催(その2)

2004年11月08日 | 天然身体芸術 <未塾>
…その1より続く

殺陣といえば多くの場合、刀を使った剣劇をさす。(例外も多いが…)
剣劇は大きく分けると斬られ役、(「からみ」という)と、勝ち役(「芯」という)の組み合わせで表現される。

この殺陣講座は天人でスタッフをしてくれているメンバーの仲間に頼まれて、開くことになったのだか、
養成所では教えない、もっと深い部分を知りたいとの要望から始まっている。
だから、この講座は普通のチャンバラを教える教室とは大分おもむきが違う。
僕は悩んだ末「殺陣という文化を日本の天然芸術として捉える試み」として考えて彼らの要望を受け入れる事にした。

日本刀を使った文化は日本人が着物をきて帯を締めていたからこそ生まれた技術である。
日本刀という世界でも少ない両手で持つ刀は実際身体的に無理が多い。
しかし日本人は身体の方を発展させてしまった。

実はこれが縄文時代から培ってきた、縄文の身体運動学が着物を産み、日本刀に
あの独特の反りと形状を持たせた。

つまり刀を使える身体を要請することはスゴイ事なのだ。
日本という島国に生まれた類稀な身体術をマスターする近道であり、
僕は日本人を知り体現する有力な方法の一つだと考えている。

この身体は殺陣だけでなく、あらゆる分野に応用できる。
今日、武術のナンバ走りが陸上選手の間で持てはやされたり、古武術が見直されているのも、うなづける。

剣の動きをモノにする身体は、どんなスポーツでもアドバンテージになる。
数値で結果を出さない、ダンスやパントマイムなどの芸術分野でも、明らかに他と違う印象を与えられるし、
外国の方の目には何だかわからないけど不思議な感動を与えるようだ。
これは一種の進化だといえる。

今回の殺陣の教室4時間は休憩なしで行われたが、皆があっという間だと目を丸くしたようだ。

なにせ四つんばいで動物のように歩いたり、寝転がってグネグネ体をまわしたり、正座をしたまま歩いたり…、全く剣を振らない。
やっと木刀を持ったと思ったら、前後逆に持って刃を握って構えさせられたりと、およそ剣劇とは程遠く感じたのだろう。
そうとう、衝撃的だったらしい。

このクラスは日本の文化の剣を通してあらゆるパフォーマンス能力を進化さす事が目的なのだ。

だから我々が四足動物から進化して、猿をへて2足歩行をし、その過程で、日本人意識が日本列島という自然環境の中で、
どのように進化を受け止めて処理してきたか…それを知る事が大切なのだ。
何故、日本はこのような文化を産んだのか理由から体験し根本から身体を作る。
これは身体操法の歴史に新しい可能性をもたらす。(日本人にとっては、ある意味先祖に戻す行為なのかもしれないが…)

次回から参加者が皆で集まれる曜日を相談して随時決めていく事にし、今回の講座は無事終了した。

汗をかいて、ストレスを発散できる、チャンバラクラスを期待されている人には
全く向かないけど、こんな講座でも興味が湧いた人がいれば是非参加していただいて結構です。
よろしくお願いします。

(第一期生の募集はある程度人数がそろえば終了します。
途中入学はまったくついて来れなくなってしまうので興味のある方はお早めに!)
温故知新とはよく言ったもので、古きから「新しい」を産み、本物に育つ試み、これは僕自身の探求でもあります。
僕らで日本人が生み出した身体科学で世界に貢献できればこんな幸せなことはないじゃないですか!
少年よ大志を抱け!
あっスイマセン少年ではないですね (^へ^;)


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殺陣教室、第一回開催!(その1)

2004年11月07日 | 天然身体芸術 <未塾>
殺陣教室、第一回が開かれた。
場所は「森羅空間」という劇団の稽古場だ。

殺陣と書いて「タテ」と読む。
「立ち回りや」「擬闘(ギトウ)」とも呼ばれる。
戦う事を演じる技術の事だ。

これには、素手の立ち回りと武器による殺陣とに分かれる。
素手の技術には2種類ある、「仮面もの」と呼ばれるスーパーヒーローものの戦い方、
そして「スッピンもの」と呼ばれる現代劇でのアクションがある。

前者は歌舞伎を源流とする日本の立ち回りの影響を色濃く残し、
「 見得(みえ)」を斬ったり、多対一で戦うチャンバラのような構成が多く見られる。(変身ポーズも一種の見得といえる。)
後者は、ヤクザの喧嘩からカンフーアクションまで幅が広く、よりリアルなファイトに近い。見得などはない。
その多くは一対一の戦いを組み合わせる。

見得は荒事から発生した言葉。劇のクライマックスや、極端に緊張した場面で俳優が一時その動きを停止したり、
絵画的な美しいポーズをとる行為。身体の線や衣装の形状がどうなるかまで計算された究極の美のポーズだ。
舞台の上手でツケを打ち、(木で床を打つバタバタバタという、あの音)より効果を盛り上げる。
複数による絵面(えめん)の見得(錦絵のように美しい構図の見得)もある。
これはヒーロー物ではゴレンジャーに端を発する戦隊シリーズに受け継がれている。

見得にも種類があり、主役の見得には「元禄見得(げんろくみえ)」、「不動の見得」とか
複数人で行う見得には「引っ張りの見得」、「絵面の見得」など、伝統的な名前がつき、流派や屋号で形は微妙に異なる
奥の深ーい日本の伝統技法だ。

海外のヒーロー(スーパーマンやバットマン)にはこの方法論はなく、
外国のヒーローは見得(みえ)を斬ったり、変身するのにポーズをとったりはしない。
普通に着替えたり、見得をきる暇があったらさっさと戦う…文化の差なのである…。

つづく

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殺陣は突然に現れる。その2

2004年10月13日 | 天然身体芸術 <未塾>
負ける練習…。
擬闘(アクション)では勝つ役を「芯(シン)」。負け役を「からみ」というが、
これがなんと、最初は負ける練習ばっかりなのだ。
負けるのに練習がいるのか…僕のカルチャーショックは大きかった。

それもありとあらゆる人の死に方の方法や、受身をとらず(受身をとると死んだように見えない…そりゃそうだ)投げられたり、倒れたりする方法が伝わっているのだ。
何十もの倒れ方のバリエーションが段階的な練習法と共に確立していた。
(僕は戦いの世界の半分しかやってこなかったのか…!)

そんな新鮮な喜びと感動の中、このヤラレ役の美学、死の美学を確立し技術体系まで
残っている日本文化の奥深さに感動した。
日本の立ち回りの技術は歌舞伎に源流を発し、主に関西で長い間、培われてきた。
今では様々な系列に分派している。
時代は映像演技の時代になり、特撮技術の導入の時代、アクション俳優や、スタントマンの
スキルは高度化し、多くの専門分野が別れているのが現状だ。
今はフリーでお仕事させてもらっているおかげで、様々な流儀の方と色々な勉強をさせてもらっている。

個人的には実戦と擬闘(アクション)の枠を取り払う「舞闘」という概念を作り、動きの本質を学び、どんな流儀の人とも仲良くやれる道を研究している。

擬闘(アクション)や殺陣(たて)は究極の所、憎しみや死闘を演じながら、完全なる相手への信頼感の上にしか成り立たない世界なのだ。

だから相手を憎みながら同時に信頼しないといけないという矛盾した行為を役者は強いられる事になる。(僕はこれを正しい精神分裂と呼んでいる)
コレは意図的な分裂であり意思による分裂。
分裂は相互協力し自我にコントロールされ目的を遂行していく。

そんな分裂はタフさを養う。

殺陣を学ぶ事は矛盾だらけの現代を生き抜くタフさをも養うのだ。

「舞闘とは死闘を演ずる事である…。」

天人のBBSに書き込みのあった、彼らは熱心に教えて欲しいと何度も通ってきていた。
具体的に人数も集め、場所も用意し日曜日に練習を希望しているらしい。今は5名ほど集まっている。
舞闘は当然、勝つ負けるを超越した、高度な身体操法を身につける事ができる。
「 未 塾 」をやる上でも必修の単位の一つだ。
生死をかけた世界で発展した身体運動は、半端でなく人の運動能力を活性化する
合理的なシンプルなコアを身につけることが出来る。

僕の経験上は単にダンスをするより、平行して行えば10倍は早く結果がでる。
これは運動センスのダビングであり根性の訓練ではない。

したがって恐ろしく応用範囲が広い。料理の包丁裁きからスキーやスノーボードまで
およそ関係ないだろうと思われる運動全てに応用できる。

(少し自慢話になって申し訳ないが、実際、僕は武道の極意、特に抜き胴の極意でスノーボードを始めて15日でJSBAの1級を合格している。)

これらは実践的でアクティブな訓練だ。ある種、癒し系ブームの中では、目的に同じ人間完成があっても、真っ向から対抗する、流行らないベクトルなのかもしれない。

一体この5名の中に本当についてこれる人は何人ぐらいいるのだろうか?
まとにかくやってみるべ!

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殺陣(tate)は突然に現れる。その1

2004年10月11日 | 天然身体芸術 <未塾>
天人のBBSの方にこんな書き込みがあった。
「…殺陣(特に殺陣の基礎から)を中心に教えて頂きたいのですが突然ですが宜しくお願いします。」
足を怪我して身体運動のWSを立ちあげようと思っていたのが、中断していた。
その名は「 未 塾(mijyuku) 」  まあ、意味は色々創造してみてほしいのだが、
特徴は、複数の身体操法を音、武道、舞で関連づけさせて、総合的に学ぶ点がユニークだ。
スポーツセンターのように様々なクラスを受講して勉強してもそれらを関連づけて…となると本人のセンスに任かされるのが通例だからだ。

このWSは地域通貨を使った学校、天人CAFE大学  の中核として始めようとしていたものだ。
今、まだ怪我は完治していない。しかし、殺陣に限らず経験者が今さら人には聞けない、基礎中の基礎を誰かに教えてほしいと願うニーズは多い。

実は基礎の基礎は扇に通じる。
ここには秘中の秘の部分が数多く存在する。
僕もそこを教える事は、本格的にやってみたいという気持ちはある。
文化として一般化していない殺陣の世界は未だ職人の世界だ。
だからその隠れた本質を保存するために教えない教育が未だ、まかり通っているのがこの世界だ。
つまり「見て学べ」と…。

業界では現場優先なのでその人を育てるより次の現場の職務をこなす事が最優先される。
だから役者は基礎を学べず、いきなり現場に放り込まれ、体験的にこなしていく羽目になるのだ。

又、地方のチャンバラ教室だと、ストレス発散がメインで身体の進化をメインにしては地道すぎて
お客さんはこない、小劇団での場合も公演でのパフォーマンスが目的だから、殺陣役者として一人前とされるノンルック(手をつけず完全即興で戦う事)は、出来るようになるはずもない。

怪我人の僕が今出来る事として、経験者の要望なら受け入れられる。
(初心者との稽古は手取り足取り見本を見せる必要がある、だから今は無理…)
さてどうする…

殺陣などのアクションは僕が17歳の時、あるアクションクラブのお芝居を見たのがきっかけだった。
中学の当時から中国拳法に縁のあった僕は当時、高校の剣道部で地獄の練習の日々を送っていた。
男子校の武道系クラブの練習は壮絶を極め、僕は何度も救急車で運ばれるほど痛めつけられていた。
(剣道なのに自衛隊と同じく組討(kumiuchi)稽古があり、竹刀で戦っていたと思うと、「組討~!」の掛け声と共に、組む、投げる、締めるを含め、寝た状態での打撃や、倒れた相手への竹刀攻撃が許されていた。武器をもった総合格闘技?)伝統的なシゴキの季節がある。毎日ヒーローと呼ばれるリンチ対象者が選ばれ、徹底的に根性を付けさせられる。

毎日、駅の階段を這って上がっていた。

そんな経験から立ち回りというものを馬鹿にしていた。
(嘘の戦いなんて簡単だ!)とタカをくくっていたのだ。
遊び半分で公開練習に参加。

そこで大きなショックを受ける。

そこには日本文化の奥深さ、何でも徹底的に様式化して道を深める日本人の美があったのだ。
それは勝つ練習と同じだけ、負けるのに練習がいるという「死の美学」だった。つづく…

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