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『西郷隆盛と幕末維新の政局』: 体調不良を視野に入れて [単行本]

2011年11月10日 | 本と雑誌

111108_book_saigo 『西郷隆盛と幕末維新の政局』: 体調不良を視野に入れて

(大阪経済大学日本経済史研究所研究叢書) [単行本]

家近 良樹 (著)

くわしい書評は、こちらをご覧下さい。↓

2011年9月19日 ? YOMIURI ONLINE
西郷隆盛と幕末維新の政局』 家近良樹著.
評・山内昌之(歴史学者・東京大教授). 英雄悩ますストレス

これは硬い学術書。文字も小さく、漢文調の手紙なども原文のままで、ほとんど現代語訳もつかない。精読するには覚悟が必要だが、その覚悟はなかった。しかし、なんとか最後までページをめくった。著者自身がここ数年健康を害した体験から健常者中心の視点からの歴史を見直したというまえがきに小説的なおもしろさを感じ、とびらにある沖永良部島・和泊町の西郷隆盛謫居(たっきょ)跡の写真(座敷牢?)に惹かれて読み始めた。

以下、奄美に関する記述について2点だけ。

その一

明治6年の政変(征韓論政変 西郷の朝鮮使節派遣問題)当時の西郷の体調不良の原因は幕末期にも求められる。そのうちのひとつ、奄美大島での遠島生活では、気候風土の違いや将来への希望を失ったことなどでP74「西郷はストレスの極みにあったというべきか」P74として、「この鬱的状況を払拭する唯一の手段」が「狩猟」であったと述べられているP74。

しかし、西郷が、鹿児島での最初の妻を貧しさのあまり離縁せざるを得なかったことなどに比べると、すぐに島の暮らしにも慣れ、島の有力者の美しい娘との間で一男一女をもうけた結婚生活は経済的には安定し、島の人々にも慕われ、こどもたちに学問を教えたり相撲を取ったりの暮らしは、「ストレスの極み」というよりは、西郷の生涯の中では一時的とは言え、それまでのストレスとは無縁のもっとも幸せな日々だったとも思えるのだが。

奄美み関し、その2

「西郷隆盛全集」から引用された重野安繹(しげの・やすつぐ)の西郷評

ネットで検索できるが、本書では省略された部分もある。

「西郷は兎角相手を取る性質がある。是は西郷の悪いところである。自分にもそれは悪いといふことを云つて居た。さうして其の相手をばひどく憎む塩梅がある。西郷といふ人は一体大度量のある人物ではない。人は豪傑肌であるけれども、度量が大きいとは云へない。謂はゞ度量が偏狭である。度量が偏狭であるから、西南の役などが起るのである。世間の人は大変度量の広い人のやうに思つて居るが、それは皮相の見で、矢張敵を持つ性質である。トウトウ敵を持つて、それがために自分も倒れるに至つた。」

重野安繹(しげの・やすつぐ)は西郷と同年生まれ。幕末、瀬戸内町阿木名に遠島になり数年年を暮し、維新後、島に残した妻を約束通り迎えに来たが、妻は再婚、妊娠中だったため、お金だけを与えて帰ったと言われていて、その点、西郷とは際立った対照をなしている。薩英戦争の戦後処理を担当するなど、日本の歴史にも重要な役割を果たしているが、西郷に比べあまりにも知名度は低い。

重野安繹wikipedia 薩摩国鹿児島郡坂元村生まれ。元治元年(1864年)に藩校・造士館の講師となり、薩摩藩国父・島津久光の命により『皇朝世鑑』を著す。また、昌平黌の生徒にもなり、塩谷宕陰、安井息軒などの教えを受ける。この頃、同僚の金の使い込みにより、遠島処分にされ、その先で西郷隆盛と出会った。

amazon  内容(「BOOK」データベースより)
明治維新の最大の功労者、西郷隆盛の実像はいかなるものであったか。本書では、従来注目されてこなかった西郷の体調不良に関心を払い、征韓論政変が勃発するに至った背景を探る。また西郷のストレス源をたどる過程で改めて浮かんだ幕末政治史最大の課題、すなわち薩長両藩が武力倒幕を決意したのはいつの時点かについての解明にも取り組み、最終的に薩長両藩対徳川勢力という対立の構図(薩長連合史観)の克服を目指す。

登録情報
単行本: 339ページ
出版社: ミネルヴァ書房 (2011/4/15)
言語 日本語

発売日: 2011/4/15
商品の寸法: 21.4 x 15.2 x 2.6 cm

西郷隆盛と幕末維新の政局: 体調不良を視野に入れて (大阪経済大学日本経済史研究所研究叢書) 西郷隆盛と幕末維新の政局: 体調不良を視野に入れて (大阪経済大学日本経済史研究所研究叢書)
価格:¥ 5,250(税込)
発売日:2011-04-15