竹に雀

上杉家中心・戦国まったりブログ

400年祭で初めて知ったこと

2013-10-04 22:05:47 | 上杉家

「1ヶ月経つ前にブログを更新しないと」と思って連続更新してみました。

400年祭ツアーに参加して、初めて繁長八幡社裏に建っている五輪塔が、どの順番で建てられたかを知ることができました。

真ん中の五輪塔、向かって右、左の順に古いんだとか。

真ん中の五輪塔が充長、向かって右が重長、左が政長のものなのかしら?でも、政長は家督を譲られてすぐに、鮎貝へ移動となっているから…どうなのかなぁ。それとも、繁長・充長・重長の五輪塔なのかしら?

ちなみに四角いお墓は、鮎貝に移ってからの当主が「どうしても福島で死にたい」と晩年福島に戻ってきて、その後亡くなったため建てたお墓だとか。


祈願法要

2013-10-04 21:46:25 | 上杉家

祈願法要の前に、お坊さんたちが本堂の蝋燭を白いものから赤いものへ変更していました。終わった後、調べてみたところおめでたい法要には朱蝋燭(赤い蝋燭)を使用するのだとか。

その他にお香も以前よりも強い香りの物へ変更していました。

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午後2時。荘厳に祈願法要が開始されました。

導師は長楽寺の本寺である村上市にある耕雲寺の和尚さまが務めます。

林泉寺で行われた出陣式の際も、大般若の転読が行われたのですが、今回は総勢16名の僧侶による大般若の転読だったため圧巻されました。

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この法要にかける思いというものが伝わってくる法要でした。

法要中、燭台が倒れ、畳に蝋燭の蝋が垂れてしまうアクシデントが発生したのですが、僧侶の一人がアイロンで蝋を溶かし、紙に再度吸わせていたのが印象的でした。

祈願法要が終わった頃、あの土砂降りだった雨が嘘のように晴れていてびっくりしました。


式年祭

2013-10-04 21:22:03 | 上杉家

なんとか昼食を食べ、400年祭法要会場である長楽寺へ開始30分前に到着した繁長公の会御一行。

実は、私この時平服でした。キャリーケースの中には灰色のワンピースとベージュカーディガン、黒い靴が入っていたのですが、昼食会場で着替えることができずそのまま長楽寺へ来てしまいました。

で、長楽寺へ来てみてびっくり。檀家の方々はきちんとした礼服でした…そりゃそうですよ。

400年祭の後、檀信徒総供養もあるのですから…。

そんな中に平服でいたのですから目立つ目立つ。しかも、「繁長公の会」の席は一番前列という逃げられないポジション。

「すみません」と心で詫びつつ、一番前の席へ腰を下ろしました。

席に着いた後、関係者の方より「午後一時半より、繁長八幡社にて式年祭を行います」とのアナウンス。式年祭は関係者だけと思っていたのですが、参列してもよいとのことで、参列させていただくこととしました。

式年祭を行うにあたって、繁長八幡社の中には当主夫妻、当主の叔父とその長男、長楽寺住職、鮎貝の家臣団の子孫の夫婦、稽照会会長、繁長公の会会長、長楽寺檀家代表が入り、飯坂町の八幡神社の宮司さまが式を執り行いました。

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一般参加者は、八幡社の外のテントで玉串を奉納しました。

神式の作法がわからなかったので、他の参加者の方の真似をさせていただきました。


龍鳳寺

2013-10-04 21:02:41 | 上杉家

龍鳳寺は、繁長の軍師であった傑山雲勝和尚の開山した寺です。

以前アポなしで訪ねたときは、本堂の中までお参りできなかったのですが、今回はお参りさせていただけました。

龍鳳寺では、寺の由緒の説明だけではなく、寺宝の「傑山雲勝和尚の馬印」や「繁長からの書状」「繁長が朝鮮出兵の際持ち帰った水筒」「繁長寄贈の矢負」「軍扇」「鳳凰の羽」などを実際に拝見させていただきました。

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馬印はかなり立派な物で、陣内にどのように置いたのかを知りたいような形をしていました。

ひょっとしたら長い柄の先に付けて(まるで聖闘士星矢のアテナのように)いたのかもしれません…


福島城址

2013-10-04 20:43:41 | 上杉家

信夫山を出たバスは、一路福島城址へ。

県庁脇にある庭園内には、大仏城(福島城)の由緒を示した「大仏城跡出土宝塔」(県重文)がひっそりと建っています。

長楽寺の御住職の話だと「長楽寺は福島城の三の丸内に建っていた」とのこと。

現在の県庁と長楽寺まではかなり離れているので、いかに福島城が広大だったのかを知ることができました。

ちなみに会の皆様は、ガイドさんに連れられて説明を受けていたようなのですが、あまりに雨がひどかったので私はお留守番していました。

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