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不埒な天国 ~Il paradiso irragionevole

道理だけでは進めない世界で、じたばたした生き様を晒すのも一興

Il palazzo vecchio

2004-10-21 17:16:57 | 日記・エッセイ・コラム
ここも全面的に正面ファサード修復中。
いつになったら終わるのやら…。

ヴェッキオ宮殿は由緒正しいフィレンツェの行政機関。
現在もフィレンツェ市役所としての機能を果たしています。
フィレンツェ市の居住許可を取るのには
ここに出向かなくてはいけません。
(滞在許可証は警察へ)

2001年の9・11テロ事件の後
イタリア国内でもあちこちで警備が厳しくなりました。
例に漏れず、
このフィレンツェ市役所も厳戒体制(?)の警備。

撮影日は一般観光客の出入りしない
木曜日の午後に設定されていて
入り口では冷たく「美術館は休み!」と言い放たれた。
予期していたことで、そんなことにはびびらない。

私   「撮影の約束があるので。」
警備員「そんなこと聞いていない。」
私   「撮影許可を持ってきています。」
とりあえず許可証を見てみる警備員。
警備員「フン。入っていいけど、
     荷物は全部エックス線チェック。」
私   「高感度のフィルムがあるので
     機材はエックス線に通しますが、
     フィルムは通しません。」
警備員「だめだめ。全部通さないなら入るな。」


もうここで私はムカッときています。
まず、その横柄な態度が腹立たしい。
もう少し粘る。

私   「機材は通してもまったく問題ないし、
     フィルムも一本づつ
     ハンドチェックしてくれてかまわないから。」
警備員「そこの機械にフィルム・セーフって書いてあるだろう。
     空港で使っているやつと同じ機械だ。
     だからフィルムもそこでチェックする。」
私   「空港と同じ機械なら
     空港と同じ対応してもらわないと困ります。」
警備員「空港通ってきたんだろ。」
私   「成田でもパリでもハンドチェックで通ってきているの。
     だからここでも通すわけにはいかないの。」
警備員「何が問題なんだよ。」

開き直りの警備員。
警備員の目の前で担当者に電話をして訴える。
「一階で揉めて入れてもらえないので
約束の時間に遅れています。」
担当者が直接降りてきて話してくれることに。

引き続き担当者も私も同じことを繰り返して訴える。
「撮影用の高感度フィルムだから」

警備員の次の言葉に
私は開いた口が塞がらなくなった。
「毎日何千何万という観光客は
そのエックス線を通したフィルムで撮影して
問題なんかないんだから」
おばかさん…。
プロの使うフィルムと観光客のフィルムを
同等と思っている時点で
もうお話になりません。

お願いだから上司を呼んできてくれと頼む。
君では話にならないのだ…。

結局20分ほど大揉めして
警備員の上司(つまり警察官なんですけど)も登場。
最終的には
フィルムのチェックは一切なしで入場しましたけどね。

まぁ警備員としての仕事を全うした彼は偉いけれど、
もう少し社会常識も学んでおいてください。
この人たちに警備を任せていて
大丈夫ですか、フィレンツェ市長。

immagine16.jpg
500人広間。

immagine15.jpg
「ゆりの間」の
ドナテッロ(Donatello)作
「ユディットとホロフェルネス」

撮影終了してエレベーターから降りたとき
現フィレンツェ市長にばったり。
でかいボディーガードを連れていました。


Annunciazione

2004-10-21 09:08:32 | 日記・エッセイ・コラム
L'ospedale degli innocenti。
フィレンツェ共和国時代に
「絹織物組合」の出資で建てられたもの。
設計・建築はフィリッポ・ブルネッレスキ
(Filippo Brunelleschi)が担当している。

1400年代のフィレンツェには
育てられなくなって捨てられる子供が
後を絶たなかった。
そうした子供たちを受け入れる施設として
ヨーロッパでも初の捨て子受け入れ施設として
1419年に誕生したのが
この「L'Ospedale degli Innocenti」。
行き場をなくした子供たちを介護し育て、教育して、
やがて社会に出られるように
手に職をつけさせるというのが目的。

建物の前につけられたアーケード。
この左端に小さな穴が開けられている。
今は鉄格子がはめられているけれど、
両脇を二人の天使に守られたこの穴は
「RUOTA」と呼ばれていた回転台。
台の上に子供を置いて、
くるりと回すと
台ごと回転して一瞬にして子供は壁の向こう側に。
こうすることで
やむを得ず子供を置き去りにしていく
親の顔を知られずにすんだ。
それでも親はいつか金銭的余裕ができて
子供を再び引き取れる日が来ることを祈り
そのときに識別可能なように、
何かしらひとつ小さなオブジェを添えていたという。
この回転台、1875年まで機能していたというから驚き。

建物内部の回廊には
Andrea della Robbiaの彩色テラコッタ「Annunciazione」。
immagine9.jpg
やさしい雰囲気をかもし出すこの作品は
この施設の本来の機能をよく表していていい感じ。

Innocenti(インノチェンティ)という苗字は
今の時代のイタリアにも数多く残っていますが、
その起源はこの施設にあり。
この養育院出身者を
遠い昔の祖先に持つという意味でもあります。

しかし、「L'Ospedale degli Innocenti」
これを初めて日本語に訳した人は
どうしてこのような訳にしたのだろう。
「捨て子養育院」。
こう呼ぶたびに
すごく寂しい気持ちになるのだけれど。
せめて「孤児院」でよかったのではないかしら。
実際どこにも「捨て子」という
イタリア語は含まれていないのだし。
個人的には「ポニーの家」と呼びたいけれどね。


Il Perseo

2004-10-20 16:35:27 | 日記・エッセイ・コラム
突然崩壊が始まって
あれよという間に工事中の様相を呈してしまった
シニョーリア広場にあるランツィのロッジャ(Loggia di Lanzi)。
ここにはベンヴェヌート・チェッリーニ
(Benvenuto Cellini)のブロンズ像「ペルセウス(Il Perseo)」や
ジャンボローニャ(Gianbologna)の
「サビネの女の掠奪(Il Ratto)」
などの彫刻作品が置かれている。

崩壊が見られたのは開廊を支える柱部分の装飾。
まぁ、気長な修復工事がまたひとつ増えたってことです。

ところで、このペルセウス像。
数年前に修復が完了してここに再び置かれているわけですが、
近くにいたおじさんが親切に教えてくれた話。

「Può trovare l'autoritratto di Benvenuto Cellini.」
そう、このペルセウス像のどこかに
作った本人、チェッリーニの自刻像があるというのです。
私はなんとなく
その昔にも聞いたことがあったようなないような
うろ覚えな記憶だったので確認。

私    「後頭部?だよね。」
おじさん「そうそう、よくしっとるね。」
私    「いや、昔聞いたことがあったような…。
      でも忘れてました。」
おじさん「もうこれで忘れないさ。」

そう刷り込み学習。もう忘れません。

メドゥーサの首を持つ冷酷な表情のペルセウス。
その背後に回ってみると
羽付ヘルメットをかぶった
彼の後頭部を拝むことができます。
このヘルメットの後頭部をじっくりよぉく見ていると
鼻が浮き出し、目が窪み、ひげがもじゃもじゃ…。
そう、なんとなく人の顔に見えてくるのです。
ペルセウスの髪の部分が髭に。
ヘルメットの後ろ中心が鼻に。

その人の顔が果たして
チェッリーニなのかどうかまでは
私は検証できませんが、
まぁ、自分の作品に自分を描いたり
彫り込んだりするのは
当時の芸術家の常套手段ですから
ありえなくはない話です。

ということでポンテ・ヴェッキオの上にある
チェッリーニの彫像と見比べてみたのですが、
似ているといえば似ている。

皆さんもフィレンツェにきたら確認してみてください。

immagine7.jpg

immagine6.jpg
ちなみに今は
ランツィのロッジャが修復中で
全体に足場が組まれているので、
なかなかペルセウスの後ろ側に
接近することができません。


La cappella di Gozzoli

2004-10-20 12:38:46 | 日記・エッセイ・コラム
immagine1.jpg
ベノッツォ・ゴッツォリといえば、
代表作の一つとして必ず
このメディチ・リッカルディ宮殿の
礼拝堂の「東方三博士の礼拝の旅」が挙げられます。

先日、ホーン美術館で
期せずにゴッツォリの作品に出会ったり
(というかそれまで
私が気付いていなかっただけか…)
サン・ジミニャーノの教会の主祭壇の装飾を見たりして
なんだ、ゴッツォリって
作品それなりにあるのじゃないか
と思ったりしているところです。
勉強不足です。

メディチ・リッカルディ宮殿の作品には
メディチ家歴代の面々が描かれているので有名。
中心となる白馬の貴公子が
当時12歳になったばかりの
ロレンツォ・イル・マニーフィコだと伝えられています。
こうして若いロレンツォを中心に据えることで
後のメディチ家の繁栄を願う気持ちを
込めているのだといわれます。
この貴公子とは似てもにつかない容貌で
その同じシ-ンの左端のほうにも
ロレンツォらしき人物が描かれています。
彼って本当に鼻が潰れていたのでしょうね…。

immagine14.jpg
メディチ家の紋章。
(というかコジモ・イル・ヴェッキオが好んで使ったシンボル)
SEMPREと刻まれています。
「永久に栄光を」願っているわけですねぇ。