ピッティ宮殿の後ろには広大な公園が広がっています。
ボボリ庭園。
1日のんびりしたい場所です。
ここの高台からの
フィレンツェの眺めもけっこうよいモノです。
しかし、昔、メディチ家のこどもたちは
この庭で遊んで迷子になったりしなかったのだろうか…。
(よけいな心配)
ボボリ庭園の入り口から
ただひたすらまっすぐ緩やかな坂を昇る感じで
「フォルコーネの噴水」
(でっかいフォークみたいなモノをもっている彫像が
噴水のオブジェとしてついているので
フィレンツェ人にこう呼ばれているらしい)を通り過ぎ
豊穣の女神の像「アッボンダンツァ」まで辿り着いたら
そこで左に曲がって50メートルくらい行くと
ベルヴェデーレ要塞の壁と庭園が接している部分があります。
その壁の下にこんな門が残っています。
その昔ボボリ庭園辺りでも採石されていた
Pietra Forte(ピエトラ・フォルテ)。
この褐色の丈夫な石を使ってフィレンツェ市内の
ルネッサンス時代の
大きな貴族の建物は建築されました。
例えば、ピッティ宮殿や
ストロッツィ宮殿、メディチ・リッカルディ宮殿など。
最近では景観を損なうのと危険なのとで
採石は行なわれていません。
需要も少なくなったようですし。
最後にボボリ庭園周辺の採石場が開けられたのは
第二次世界大戦で爆破された
トリニタ橋を再建するにあたり
オリジナルのデザインで
オリジナルに忠実にという要望を叶えるために
大量のピエトラ・フォルテが必要になったとき。
それ以降は閉山。
この写真の門は
その上の紋章と碑を見る限りでは
フェルディナンド一世の時代に作られたもののようですが
なぜか塞がれているのです。
案内してくれたおじさんは
これについて詳しいことをあまり知らなかったので、
確認ができなかったので
まだこれから調べが必要ですが、
門を塞いでいるものが
ピエトラ・フォルテの断層になっているように見えるので
もしかしたら採石の跡なのでは…という。
だとしたら面白いかなぁ。
ボボリ庭園。
1日のんびりしたい場所です。
ここの高台からの
フィレンツェの眺めもけっこうよいモノです。
しかし、昔、メディチ家のこどもたちは
この庭で遊んで迷子になったりしなかったのだろうか…。
(よけいな心配)
ボボリ庭園の入り口から
ただひたすらまっすぐ緩やかな坂を昇る感じで
「フォルコーネの噴水」
(でっかいフォークみたいなモノをもっている彫像が
噴水のオブジェとしてついているので
フィレンツェ人にこう呼ばれているらしい)を通り過ぎ
豊穣の女神の像「アッボンダンツァ」まで辿り着いたら
そこで左に曲がって50メートルくらい行くと
ベルヴェデーレ要塞の壁と庭園が接している部分があります。
その壁の下にこんな門が残っています。
その昔ボボリ庭園辺りでも採石されていた
Pietra Forte(ピエトラ・フォルテ)。
この褐色の丈夫な石を使ってフィレンツェ市内の
ルネッサンス時代の
大きな貴族の建物は建築されました。
例えば、ピッティ宮殿や
ストロッツィ宮殿、メディチ・リッカルディ宮殿など。
最近では景観を損なうのと危険なのとで
採石は行なわれていません。
需要も少なくなったようですし。
最後にボボリ庭園周辺の採石場が開けられたのは
第二次世界大戦で爆破された
トリニタ橋を再建するにあたり
オリジナルのデザインで
オリジナルに忠実にという要望を叶えるために
大量のピエトラ・フォルテが必要になったとき。
それ以降は閉山。
この写真の門は
その上の紋章と碑を見る限りでは
フェルディナンド一世の時代に作られたもののようですが
なぜか塞がれているのです。
案内してくれたおじさんは
これについて詳しいことをあまり知らなかったので、
確認ができなかったので
まだこれから調べが必要ですが、
門を塞いでいるものが
ピエトラ・フォルテの断層になっているように見えるので
もしかしたら採石の跡なのでは…という。
だとしたら面白いかなぁ。