不埒な天国 ~Il paradiso irragionevole

道理だけでは進めない世界で、じたばたした生き様を晒すのも一興

I David

2004-10-14 17:27:50 | 日記・エッセイ・コラム
「ダヴィデ」といえばミケランジェロというほど、
かの作品は有名ですが、
このテーマで彫刻作品を作っている作家は
他にも数多くいます。

バルジェッロにもいくつかのダヴィデ像がありますが、
Donatello(ドナテッロ)と
Verrocchio(ヴェッロッキオ)の
ブロンズのダヴィデ像は見逃せません。

immagine1.jpg
こちらがドナテッロ作。
immagine4.jpg
そしてヴェッロッキオ作。

このヴェッロッキオの作品は2004年3月に修復されて
すっかりきれいになって戻ってきました。
文書によると
この作品はメディチ家のために作られたもので
1476年の時点では
ロレンツォと弟ジュリアーノの所有
ということになっています。
メディチ家の邸宅に置くために
ロレンツォ&ジュリアーノの父であるピエロが
その晩年、亡くなる間際(1469年)に
このヴェッロッキオの作品を購入して
支払いを済ませているのは、ほぼ確かですが
実際には、元々何年に、誰が、どこに置くために
注文を出したのか定かではないのです。
(因みにこのときピエロは150フィオリーノ・ドーロの
破格値で買ったらしいです…)

購入から7年後、つまり1476年に
メディチ家はこの作品を売り飛ばしています。
当時のフィレンツェ政府が
パラッツォ・ヴェッキオの大幅な改装を実施して
それに伴って新たな家具・調度品をあつらえることになり
その一つとしてこのヴェッロッキオの
「ダヴィデ」も含まれていたのです。
その当時、市内のメディチ家の邸宅のいずれかに
保管されていたであろうこの作品は
パラッツォ・ヴェッキオの二階(日本風には三階)
「ゆりの間」の入り口に
「フィレンツェ共和国のシンボル」として
設置される事になります。
しかし、このゆりの間の入り口付近が
非常に狭かったことから
作品には手が加えられることに。

オリジナルではダヴィデの右脇に
巨人ゴリアテの切り落とされた首が置かれていたのですが
それでは決定した置き場所に座りが悪いということで
このゴリアテの首をダヴィデの両足で挟むような形に
変更するように
ヴェッロッキオ本人に依頼したといわれています。

1476年のそのときから17世紀まで
このダヴィデ像はその形でその場所に置かれていましたが、
その後(17世紀中)ウフィツィ美術館に移動され
1870年からバルジェッロ博物館に収蔵。

そして2004年三月に終了した修復の際に
オリジナルの形に戻そうということで作業が進められ
現在はゴリアテの首がダヴィデの右脇に置かれる形で
展示されています。


Il quarto giorno

2004-10-14 15:54:40 | 日記・エッセイ・コラム
バルジェッロ美術館の撮影。

バルジェッロ美術館は主に彫刻を収蔵していて
同じ国立美術館でも
ウフィツィやアカデミア、パラティーナに比べると
ちょっと人気の低い美術館。
でも美術館としてはよくまとまっていて、
重要な作品もたくさんあるので
機会があったら是非訪れたいところ。

immagine9.jpg
ドナテッロの彫刻作品の置かれる部屋。
ゆったりした展示。

immagine8.jpg
かつてはドナテッロ作とされていたけれど、
近年になってDesiderio da Settignano
(デジデリオ・ダ・セッティニャーノ)作と変更になった
「少年の洗礼者ヨハネ」。
とっても甘美な雰囲気を漂わせる作品。
デジデリオ・ダ・セッティニャーノが
この世に残した作品はすごく少ないのだけれど、
バルジェッロには、私が知る限り
少なくとも3点はあります。
個人的に私はとても好きな彫刻家。