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アラシャン通信(オイスカ阿拉善砂漠生態研究研修センター便り)

阿拉善からウズベキスタンのシルクロードの砂漠化防止活動配信。肉体疲労、更年期、男女不妊には日本最濃の薬味酒、遼伝来福酒!

黄砂

2023-04-19 05:22:49 | 阿拉善センター関係
今年は日本より黄砂飛来の話が多く入る。日本の黄砂は、内モンゴルの黄砂に比べると”かすみ”程度なのだが、途中汚染物質をくっつけてやってくるため、黄砂アレルギーなど、現地よりもかえってタチが悪いそうだ。では、現地では何もしていないのかといえば、近年、植林には力を入れていて以前に比べるとかなり改善されてきている。では、なぜ今年は多いと言われるのだろうか?それは、北西からの季節風の影響が大きい。また春先は植生があまりなく雨が降らず乾燥していることから、地面の乾いたシルトの細かい砂を剥がして飛ばしてしまう。近年は農地開発の影響が大きいのではないか?また昔からだが、ヤギの放牧原因も関係する。5月にもなれば多少落ち着いてくると思われるが、ウズベキスタンにいる私も先日砂漠に入った後遺症で喉が痛く声が出ません。きっとケイ砂の細かいガラス質が喉に入ってしまったかなと思っています。黄砂が飛来することで、砂漠化の現状を理解していただけるとありがたいです。
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春の植林準備

2023-04-05 09:50:37 | 阿拉善センター関係
今年も春の植林時期になった。長かったコロナも急速に収束が見えてきているが、この3年間のコロナの代償はとても大きかった。コロナが収束し内モンゴルの方は入れるようになったとはいえ、なぜかコロナの後遺症は心理的な段階に入っているように思える。収束しているのに、今度は花粉の時期になりマスクは外せない。なぜか相互の観光ビザは解禁になっていない。日本から中国へのビザなし渡航も認可が降りず、中国から日本の観光ビザも税金を8万元以上払わなければ許可が出ない厳しい状況で、ビジネス以外の交流がストップしている。今年の春も現地とはオンラインにて植林を行ったが、心理的な壁も早く取っ払ってもらいたいと願っている。
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アラシャンは今

2022-11-08 12:38:31 | 阿拉善センター関係
コロナになってから、現地情報をあまり発信しておりませんでしたが、現地スタッフともにウェイチャットで連絡を取っています。今の現地の状況は感染者もほとんどおらず、トラックの運転手などが検問PCRで引っかかっているような状況です。今年もアラシャンはマイナス気温になり、冬籠の準備をしていますが、そんな中でもスタッフは元気に過ごしています。今、現地に入ろうとすれば何十万円とする高額な航空運賃だけでなく、隔離などがあってなかなか入れないのですが、その間、変わって進んだのがオンライン生活でしょう。オンラインでやりとりしていると便利だけれど、あまり実感が湧きません。人の関心も薄れていきつつあるのが寂しいところです。コロナもあと少し、あと少しと思いつつも、あっという間に11月になりました。人々は隣の省にも行けなくなり、買い物も携帯で緑のチェックがなければ入れない安全であるが、面白くない生活が当分続きそうです。
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常培富の思い出

2021-10-20 09:52:08 | 阿拉善センター関係
 内モンゴル・アラシャンでお世話になっていた友人の常培富先生(享年48歳)が亡くなった。今日は追悼の意味も込めて彼が生きてきた証を記したい。
 私が初めて環境悪化していた難民の出ているアラシャンに20年前に入った時、政府の案内でトングリ砂漠にある通古淖尔村の村長として紹介されたのが初めてだった(その後観光地として変貌を遂げる)。当時から50歳過ぎに見える顔とフッ素でやられたぼろぼろの歯は、それだけ苦労の人生を表していた。
 その頃はまだ相手の話している中国語も訛りが強くてさっぱりで、早口で色々とまくし立ててきた。政府の役人からも嫌われていたようで、市長側近から怒鳴られていたのが彼だった。ただ市長はとても良く聞いて問題を理解しようとする人で、後に内モンゴル自治区のトップになった女性だ。ようやく理解できたのは、村を何とかして立て直したいという熱い情熱だった。
 その後、阿拉善に準備事務所を作り、レンタルのジープを借りて村を回っていた日、突然事務所にやってきた。案内してくれた後に村長を辞め、北京から投資家を引き入れて旅行社を作り、オーストラリアから設計士を呼んで900億元の巨大観光地を作る仕事に従事していたのを人伝に聞いていた。後に、その場所から2004年に中国で一番大きな環境NGOであるSEEという組織も誕生したが、それを引き入れたのも彼の戦略だった。ちょうどその観光地プロジェクトが一段落した頃だったようだ。彼は小さい時からとても頭が良かったが、家がとても貧しくて大学に行けなかった。大学は出ていないが、優秀だったので卒業してから村の小学校の教師になった。そこから村長になった。そのせいか役人に噛み付く性格だった。いくら偉い人でも関係なく噛み付く性格は中国では出世できない。旅行社で観光地を作る成績を残しても、そこでも出る杭は何とかでいじめられたらしい。「プロジェクトに協力したいから雇ってくれないか?」
 普通だったら断ったが、次の日から村を回るのに付き合って熱心に阿拉善の環境を何とかしたい、それには旅行産業を起こす必要があると毎晩2時くらいまで話に来た。この指摘は後々に大当たりする。阿拉善砂漠ラリーの企画も彼の発案だ。今では中国でNO.1どころか世界でも有数のラリー会場になっている。彼だけでなく、阿拉善の若者に日本語を教えてくれ!そういうと、数人の若者を連れてきて、毎晩遅くは2時ごろまで日本語を教えた。彼のせいで睡眠不足の毎日だった。それだけ強引なところもあったが、ダンスが好きで時々ディスコにその若者たちに連れて行かれたりと楽しい経験もした。この年代の中国の人は皆、ダンスが好きな人が多い。また村々を周り、現場を詳細に見て回ったことで、問題点が分かり漢方薬栽培にもつながった。トヨタなどでは現場主義ということで問題は現場という姿勢を徹底して改善に繋げているが、NGOも同じく問題点は現場にある。きつくても現場を見なければ解決策も出てこない。この視点も彼から習った。
 回っている間に自分の境遇もよく話してくれた。元々は甘粛省民勤県、この民勤県という名前を聞けば、地域の人は皆、悲惨な歴史を知っている。この民勤県では、文革の際に毛沢東に現地の知事がウソの豊作という報告を書いて、貧困の村から村人が生きるための食糧を中央政府に差し出した。そのためたくさんの人々が飢えて死に、そのトップも死刑になった。そのめちゃくちゃなトップのせいでたくさんの住民が難民になり阿拉善へ移民してきた歴史がある。
 この地域の民が勤勉という意味の地名も、その名の通り、人々はとても勤勉であり、最初に現地で国際協力銀行の有償案件協力を手伝った際に、いくつかの候補の中で最終的にこの民勤県のブドウ酒工場になった。そのときに初めて現地に入ったが、決まったのがそれだけ勤勉な人たちの居た場所だったからだ。
 阿拉善地域はそれまでモンゴル族の地域だったが、やさしい地元の牧民が餓死寸前の人々に土地を与えて羊や山羊を育てることを教えて救ってあげたそうだ。
そのハイブリッドが阿拉善の人たちであり、モンゴル族と漢民族が混じっている人たちが多い。彼の父親も飢えをしのぎながらトングリ砂漠を歩き阿拉善南部の砂漠の村にたどり着いた。一度、実家に一緒に行くと彼のお父さんとお母さんが、ようこそと砂漠の村のボロボロの簡素な家でレンガ茶を沸かして笑顔で迎えてくれた。そして昼の暑い時間に村の廟にいるお坊さんの所に挨拶に行った。
 センター設立のために4年ほど働いてくれた。ある日、自分の教え子だという若い教え子を連れて来て、「彼女をどう思う?」と聞いてきた。横にちょこんと座って不安そうに見上げる。「とても可愛いくていい人だね、君にはもったいない、教え子と結婚していいの?」というとニヤリと笑って喜んで、そのまま結婚した。ただ阿拉善砂漠生態研究研修センターが完成したときに彼は去っていった。理由は賃金が安かったからで、結婚して責任ができ、また彼の頭脳でセンターの賃金体系では安過ぎた。ちょうどその頃は経済成長によって給与格差も出始めてきていた。こうした際のNGOの欠点は賃金が安い事だ。優秀な人も安い給与でため息をついて辞めていってしまう。彼も夢と現実に悩み、結婚を機に色々と考えたのだろう。自分はこれから起業して自分の旅行社を作ると宣言して去った。本当にもったいなかった。その頃、日本から来られた方はいつも彼の案内があって色々と楽しいお話や知識を聞かせてくれたと思う。私もだいぶ彼から学ぶことで地元の人以上に地元の事が分かるようになり成長ができたと思っている。
 2010年を過ぎると阿拉善でも有数の旅行社に成長した。それだけでなく北京大学でも講義をするくらいになった。中国ではたくさんの龍がいるが、私の知る限りもっとも優秀な龍の1人だった。阿拉善の発展の影には、彼のような有能な人たちがいた。
 阿拉善は今では世界でも最も緑化が進んだ地域になり、コロナ前の2019年の数字だが東京都に迫る面積の年間175000haもの緑化をするまでにもなった。この功績の一部は間違いなく彼の功績だと思っている。先日、ひっそりとウェイチャットで死去の知らせがあったが、本当に惜しい人を亡くした。
 最後に会ったのは2019年の12月、ちょうどコロナが始まる頃だった。毎年12月に事務所に行き、その年のお互いの成果と家族の近況を伝えるのが年課になっていた。いつも「娘は俺に似て頭がいいから大学に行かせたい」という自慢?をその時もしていた。
「今年はどうだった?」ただ痛風になってしまってね、少し良くなったよ。足を摩りながら正直に中国の情勢、アメリカの事、日本の事までも見通して話してくれた。
「これから中国は大変な社会になるよ」それが彼が最後に伝えた言葉だった。その予言通り、2020年からのコロナによって彼とも連絡が取れなくなった。アラシャンの発展を支えた、いつも辛辣であるが率直に意見を言う彼を失ったことはとても残念だ。阿拉善にとっても大きな損失だろう。歴史というのは残酷なもので、本当に実績を残した人は名を残さない。地方のいちニュースにも彼のことは出てくることはないだろうが、彼の功績は、現場で常に見てきた私が一番よく知っている。これまで地域のためだけでなく地球のためにも本当にありがとう、お疲れ様でした。安らかに天国でおやすみください。
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エミュー脱走(経験者)

2021-10-07 12:09:47 | 阿拉善センター関係
今日は熊本でエミューが脱走したというニュースがあったのと、ちまたでは危ないという意見が多かったので、飼育経験者としてひとこと申し上げたい。砂漠で羊や山羊の放牧の代わりに環境を破壊しないエミューを普及させようとしておりました。何度か逃げられたのですが、砂漠で逃げられると果てしない距離を逃げていきます。数羽は地元民に食べられてしまい、1羽は動物園に取られてしまいました。そもそも日本では個体数が少ないのと繁殖が難しい動物なので野生化して繁殖はしません。飼育管理がうまくできれば、鳥インフルエンザにもならず(例がない)飼育しやすいので、日本でももっと増えて欲しい動物です。
エミューの肉は牛肉のようでとても美味しいです。またエミューの油は化粧品や床ずれなどで傷んだ皮膚ややけどを治す万能クリームになります。
今回の報道でエミューとダチョウを同じように思っている方が多いのですが、エミューはとても大人しくて、人は襲いません。人懐っこいのはオス(近づいてくる)ポンポンと鳴くのはメスです。怖がらずに温かく見守って欲しいです。あと捕まえるのは、慣れるとそんなに難しくないです。うまく追い込んでロープ1本足に引っ掛ければ倒れます。首を押さえると死んでしまうので注意してください。追うのは大変ですが。。。
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一汽トヨタ自動車の皆様ありがとうございました

2021-09-15 13:51:42 | 阿拉善センター関係
昨日、内モンゴルアラシャンにて一汽トヨタ自動車の現地職員の方が緑化基金会の皆様とセンターを訪れ5000本のソウソウの植林をしていただき、スタッフのお嬢さんのウユンガさんがちょうど日本から現地へ戻っていたため、代わりに講義をして頂きました。ウユンガさんは国立民族学博物館にある総合研究大学院大学で博士課程に在籍して勉強中です。ちょうど台風が南海上に来ていて気圧を押し上げた影響で内モンゴルアラシャンも珍しく植林時に雨が降ったそうです。植林をするとなぜか雨が降るのは昔から変わりません。今はコロナで渡航も厳しく現地の活動もリモートで行っていますが、早く収束して欲しいです。一汽トヨタ自動車と緑化基金会の皆様ありがとうございました。
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9月に入りました

2021-09-03 09:29:33 | 阿拉善センター関係
暑い夏も過ぎ、いよいよ9月になりました。皆様、お元気でお過ごしですか。内モンゴルの方はリモートで行っています。いろいろと大変な状況ですが、できるところからやっております。先日、フキノトウからガンの転移を防ぐペタシンのニュースがありました。この中で面白いなと思ったのはフキノトウは発癌性があると言われていましたが、その植物から転移を防ぐ成分が見つかったということです。同じ植物で癌にしたり、それを防いだりするというメカニズムは、これからの予防医学のヒントになると思います。コロナを防ぐワクチンは、m-RNAワクチンが主流ですが、内モンゴルでは、現在「内モンゴルの砂漠緑化と肺炎症状を緩和する漢方薬栽培」という緑化とコロナを防ぐ薬草を作ろうというプロジェクトを遂行中です。最近では天然アミノ酸の5-ALAがコロナを防ぐことが分かったり、このコロナが怒った原因も自然であれば、助けてくれるのも自然からという可能性が大きいと思います。先日、大学生の方にウェブでの講義をしたのですが、いろいろな質問が出てきて楽しい時間でしたが、単に病原体だけに囚われることなく、こういう時期だからこそ、視野を広く持ちたいものです。ウィルスはきまぐれですが、時々、いろいろなヒントをくれます。抑え込みには、まだまだ時間がかかりますが、withコロナの今何ができるか、何をしなければならないのか、時代の変化に対応していきたいと思います。
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SDGs貢献使途限定募金応援ありがとうございました!

2021-06-01 16:33:01 | 阿拉善センター関係
5月31日まで募集しておりましたSDGs貢献使途限定の緑の募金ですが、おかげさまで募集金額148万円を越える179万6千円をたくさんの方がぎりぎりまで協力してくださり、無事に達成することができました。本当にありがとうございました。今回はコロナ禍の中でお願いに回ることも制限されている中で、厳しい状況は想定していましたが、途中までは達成に厳しい状況で、どうしたものかと思っていましたが、最後の最後になってたくさんの方が実現に向けて出してくださり、おかげさまで、目標金額を越える金額が集まり、実現の運びとなりました。ありがとうございました。https://www.green.or.jp/bokin/crowdfunding/sdgs3-0202
7月より現地の方でプロジェクトをスタートします。この場をかりて御礼申し上げます。
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緑の募金再度お願いです

2021-05-18 08:15:59 | 阿拉善センター関係
コロナの肺炎を緩和する薬草を栽培して砂漠化を防ごうという内モンゴルの砂漠緑化と肺炎症状を緩和する漢方薬栽培というクラウド型緑の募金のSDGs貢献使途限定募金による応援プロジェクトの方も、たくさんの方々より応援いただきまして、おかげさまで70万円近く集まりました。本当にありがとうございます。目標金額148万円まであと一踏ん張りです。今回のプロジェクトは内モンゴルでの起死回生のプロジェクトになる予定で、薬草栽培でもニクジュヨウのような3から6年の長期栽培ではなく、1年の短期栽培で薬草によっての緑化もできることから、今後のモデルプロジェクトにできると考えています。しかしながら、いくら計画があっても資金がなければ実施できません。残りわずかな期間ですが、少しでも応援いただければと思います。今一度のお願いですが、どうかご支援ご協力のほど、どうぞよろしくお願いいたします。
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コロナ禍での漢方薬栽培による緑化

2021-04-04 12:49:57 | 阿拉善センター関係
コロナ禍で世界中が悶々としている。今回のコロナはなかなかしぶとい。まるで翻弄される人間を嘲笑うかのようだ。増えてから減ってきたと思えば、また増えて、もう第4波とか、これからも5波とか、大波小波がしばらくは繰り返しやってくる。オリンピックを一年延ばしたところで、なかなか収束が見えない。
 そもそも98%が非感染者なので、2%の増減だからこそ、効果が見えず質(タチ)が悪い。今回のコロナが発生したときに、サバクトビバッタの大発生があった。またオーストラリアでも山火事が大発生した。これらのことは一見、関係ないように思えるが、実は関係があるのではないか。パンデミックも、自然の摂理であれば、背景をもっと考える必要があるのではないか。スペイン風邪が起こった際には、ちょうど第二次世界大戦の最中だった。これらも無関係ではない。2003年のSARSは止められたのに、今回のコロナは止めることができなかった。
 パンデミックになると、まずは交流が断たれる。グローバル社会の世界にあっては、日本経済もインバウンドという言葉があったように海外からのお客さんが経済を支えていた部分もある。日本は特に貿易立国であり、世界と繋がることで平衡のバランスを保っていた。それが絶たれたことで、見えない被害が多く出ている。そんな所からも、普段の平穏な時の生活のありがたさをしみじみと感じている。
 ここウズベキスタンでも、実際には感染初期にかなり広がっていたようだ。今は集団免疫が獲得されたとみえて、最近増えつつあるも、人々は落ち着いている。私たちも昨年今頃の急激な感染者増加の恐怖感に比べれば、今はかなり落ち着いている。
 世界では、感染者数には入っていないが、かなりの人々が病院に行かず、家でインフルエンザのように耐え忍んでいた人も多かったと思われる。前置きが長くなってしまったが、人々が動かなくなったメリットは何か?余計な会議や出張がなくなったことで、移動のエネルギー支出も抑えられた。以前は日帰り台湾出張などという人もいたが、それがいかにおかしなことであったことか、Zoomなどで行えばいいことだと、人々が気がついた。
 また生態系や食物連鎖などの環境の変化に感心を持つ人も増えたように思う。一見すると関係が見えないが、実は裏で密接な関係があったりする。コロナも、まだ断定はされていないが、コウモリやセンザンコウ、ハクビシンなどの、そもそも食べられない野生動物がSARSの時からも変わらずに市場に食べられる環境で入っていたこと、ペストなどもネズミから感染し、同時期に起こっていたが、ネズミなども捕食者であるフクロウやワシやトンビなどが住むことができる木も少なくなり、天敵が減ってしまったことなど、ホモ・サピエンスである人間が25万年前から生きているが、近年は自然に対して敬意を示さなくなり、何でも食べていいと勘違いしたこととも関係があるだろう。
 また人口が100億へ向かい増え続ける中で、2030年の表面化への人類に与えたファーストショックなのかもしれない。また常に変化する変異ウィルスがあるため、さらにやっかいだが、私は、自然と人間のバランスを保つためにも、人間はもっと自然を大切にしていく必要があるのではと考えている。その自然が、人間に大きな恵みとしていつも返してくれる。
 日本は四季折々、自然を大切にしてきたからこそ、海や山の自然からの恵みの恩恵を受けてきた。今、緑の基金のSDGSの貢献限定使途募金に応募しているが、なかなか集まらずに苦戦している。クラウドファンディングとは言っても、実際には完全な寄付であるが、どうか長い目で見て募金をして欲しいと思っている。
 http://www.green.or.jp/bokin/crowdfunding 将来は砂漠の自然からの薬としての恵みが返ってくると思っている。
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