アラシャン通信(オイスカ阿拉善砂漠生態研究研修センター便り)

阿拉善からウズベキスタンのシルクロードの砂漠化防止活動配信。肉体疲労、更年期、男女不妊には日本最濃の薬味酒、遼伝来福酒!

井戸掘り機導入

2014-08-29 12:24:52 | 阿拉善センター関係
ウズベキスタンから戻り、7月に民生部の予算にてスーパー井戸掘り機を導入したが機械がようやく届いた。名付けて「スーパーガンダム君」これまでの井戸掘り機では玉石を砕くことは難しかったが、この機械では可能だ。また130mまで掘ることができる。また砂漠の砂地でも自走可能だ。この井戸掘り機にて50mほどの地表水のある場所を掘りながら植林を進めて行くことができる。早速来週から井戸掘り作業をすることができる。楽しみだ。
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

ウズベキスタンでの日本人

2014-08-29 11:21:08 | 現地情報
タシケントにて数ある中央アジアでの日本人墓地の一つへお墓参りをした。近くにある資料館にて館長のジャリル・スルタノフさんより映画をみせて頂き、またお話を伺った。ウズベキスタンにて国の代表的な建築物であるナヴォイ劇場をはじめ、ダムや水力発電所や送電線、工場、道路、アパートなどのさまざまなインフラは日本人の抑留者が一緒になって作り上げていたという。彼らは歌を歌いながら帰れない寂しさを噛み締めていたというが、空腹にも関わらず手抜きをしないで一生懸命に作業を行っていたという。また合間にゆりかごなどを作ってあげていて、その揺りかごは何人もの赤ちゃんがお世話になったということだった。こうした行為は現地の人からも尊敬されていて、その当時パンやリンゴなどの差し入れを受けていたようだ。その当時の人たちの苦労を思うと、捕虜としての作業でなく、自らの働きかけで仕事ができる今の時代は平和で幸せだと感じる。また、こうした勤勉でやさしいといわれる日本人像を作って頂いた人たちに感謝しなければならない。相手を思いやる気持ちと勤勉さが大切だということをここで学んだ。またここで考えたことは、日本にいると当たり前なのであまり意識しないと思われるが、日本資料館のジャリル館長がなぜ日本びいきなのか、その根底に日本の調和の文化である合気道をやっていたことに妙に納得した。こうした根底に日本文化がありとてもうれしかった。
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

文化交流

2014-08-28 01:41:28 | NPOグリーングラスロッツ
今回、グリーングラスロッツの皆様が日本の歌や踊りを披露してくれた。経済交流や緑化協力も大切だが、文化交流は子供達が生き生きとする。これは古今東西同じだ。ここウズベキスタンの文化はとても興味深く、いろいろな歌や踊り、楽器があり、民族や生活、料理は脂っこいが、こうした違いを楽しむということがとても面白い。相手が異なることを認めつつ、その異なる文化の中で日本の文化をどうやって伝えるかということもとても楽しく大切な活動だと感じた。
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

ウズベキスタンでの緑化活動

2014-08-28 01:25:50 | NPOグリーングラスロッツ
22日から27日(現地26日)までグリーングラスロッツ一行25名が内モンゴル合わせてこれまで7回も砂漠化した場所に植林と交流に来て頂いた。今回は初めてのウズベキスタン。ナヴォイ州にあるドンガラク村 (536名)にある第27小中学校(84名)と植林や播種、種付け、そして交流会を行った。特に24日の活動日は50℃という高温であった。今回は植林の前に交流自体が初めてであったが、そのような中でこちらの子供達はよく動き、興味津々で目を見開き、真剣そのものだった。水や苗畑を含め、スタートまでの課題は山積みであるが、今後の活動に期待が持てた。気候が暑くて厳しい環境の中で皆さん一生懸命でした。本当にありがとうございます。水や食あたりも厳しい中、参加者の皆様大変お疲れさまでした。食あたりの大変な経験も後々にきっと貴重な出発点として思い出に残られるでしょう(内モンゴルもスタート時は2時間炎天下で歩いたり無茶をしました)。サマルカンドも同じ西夏時代の銀川などと同じく1200年頃にチンギスハーンが破壊し、その後ティムールが再建したという説明であったが(名誉のためにいえば、ティムールもチンギスハーン次男のチャガタイと一緒にモンゴルから来た人です)。まさにかつてのロシアが灌漑で綿花栽培を進め、塩害により国を破壊したが、その後日本人が植林し荒廃した国土を再建したなんて後でいわれるのかなあなどと夢想していました。(この国ではグアンシーや名誉やお金でない真の評価がされると思う。頑張れば本当にそうなると考えている、塩害の改善策も進めている今、馬場君いよいよ出番ですよ)。
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

シルクロード

2014-08-22 23:20:40 | 現地情報
シルクロードとは絹の道といわれ、かつての中国、中央アジア、西アジア、ヨーロッパを結ぶ通商の道であったといわれる。これは中国から絹をヨーロッパへ運ぶ道という意味でヨーロッパ人によって命名されたとこれまで聞いていた。ところが中央アジアの現地に入るとその考えは変わった。シルクロードというのは絹の道という意味もあるが、実際には桑の道ではなかったのか?中国ではポプラが道の両側に列となって続いている景色が多いが、中央アジアでは、桑という乾燥にも強く産業にもなり絹を織ることができる樹木が道路脇に街路樹となって続いていた。これこそまさにシルクロードの景色だと直感した。この桑を元にしてカイコを育て絹にしている。ヨーロッパ人からみて、このカイコの道を通って来た際に、たくさんの絹製品がこのあたりからも流通されていたのではないか?それがシルクロードの意味だったのではないのか?(写真はどこまでも続く桑の道)。シルクロードの中心はサマルカンドだったともいわれ、実際に現地を見てみるといろいろな想像が広がって面白い。
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

ナヴォイ・オペラ・バレエ劇場

2014-08-20 11:13:22 | 現地情報
タシケントにいった際にぜひ見に行ってもらいたい場所がある。それは旧日本兵の抑留者が1947年に強制労働で造った1500人収容のナヴォイ・オペラ・バレエ劇場である。1966年の大地震の際にこの建物だけが残りウズベキスタン人を驚かせた。今はちょうど改修中で外からしか見られないが、誰もがその当時の過酷な環境下での緻密で精細な建築技術の高さ・デザインに驚くだろう。ここをみるといろいろと考えさせられることがある。当時の状況下では誰もが絶望的である中で、なぜ消極的ではなく積極的に造ったのか?「それはいいものを造ってやろう」「戦争では負けたけれども、いいものを私たちは造ることができる」という反骨精神の塊がこの建物の随所に見られるからだ。ここを訪れる誰もがきっと、日本人の得意分野は緻密で精細でいいものづくりを心から手を抜くことをしないということを再認識するだろう。しかしながら、このすばらしい文化はいつの間にか戦後69年でほとんどなくなってきてしまっている。新国立競技場しかり。神宮の森にこのデザインで緻密に例えば一つ一つの皆が寄せ書きするなどで寄付した心が入ったレンガなどで造った方が地震にも強いし神宮外苑の美しい森の景色に生える。いい建築というのは斬新という名のもとに派手な建築ではなく、こういう周囲の景観に合わせた建築のことをいうのだと思う。ただ、未来的ではないので時代には合わないという意見もあるだろうが。一部の業者が利益のために造るのではなく、オリンピックのために皆で作り上げる。そういった心の部分から再認識が皆様に必要だと思う。関係者の方はいちどタシケントまで来てぜひこの建物を見てほしい。そこには、食べ物も不十分で労働環境も最悪の中で、日本人がいいものを造ろうという心で作り上げた見事な建築がある。こうした建築は何十年、何百年経っても東京のシンボルである東京駅のように修理しながら皆の心に残り色あせないのだ。かつての日本には、例えば明治神宮の森を造る際に全国からたくさんの寄樹があったり、皆で作り上げるという文化があった。今回、2020年のオリンピックを皆で作り上げるという精神をもう一度学び直してほしい。
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

マクワ瓜売り

2014-08-19 12:27:54 | 現地情報
タシケントからキジルクム砂漠に行く途中、マクワ瓜売りに会った。今は夏休みで子供達も総出で手伝う。感心したのはこの国ではゴミが落ちていないことだった。早朝に掃除をするという。こちらの国のマクワ瓜やスイカは大きい。食べると大きいだけあり、甘いが少し大味かな。タシケントにいくと値段が倍になるということで、どの車もスイカやマクワ瓜を買っては満載して運んでいる。値段は一つ5000スムくらいだったが、いろいろあって基準がまだよくわからない。それにしてもここでは、両替すると大量の札束になるので札束を一々数えて渡すのは大変だ。カメラを持っていると一緒に写真を撮ろうといって、にぎやかにワイワイと撮った。会う人みな陽気な人たちだった。
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

木を植えたことのない人々

2014-08-19 03:18:32 | 現地情報
ウズベキスタンへ入り、直接キジルクム砂漠の村へ入り調査を行い、一度タシケントへ戻った。首都のタシケントは降雨量400mm前後だが、ここからキジルクム砂漠へ向かって行くと植生で見る限り100mm前後になる。このあたりで一番困っているのは水だ。こちらのナボイ州の村では2tの水で10$ほど掛かるため、植林をしようという発想すらない。ただ、水がないという訳ではなく井戸がないためだ。地表水の利用さえ進んでいない。ここで植林をするというと皆に笑われた。この反応もかつてアラシャンに入ったときと同じ反応だった。アラシャンでは「精神病」とも言われたので、それよりはましな反応かもしれない。そのアラシャンも10年たつと植林のための苗木の供給が追いつかない程になった。こちらでも梭梭の木は燃料に使われており、このままの状況が進めば、近い将来枯渇するだろう。今から植林をしないと将来は全ての木がなくなるというと、「ここでは将来のことはあまり考えないさ」という。こちらの人たちは楽観的なラテン系の素質があるようだ。彼らがいうに、こちらの地域でも伐採の制限をしているが、夜に盗伐などが行われており、ますますひどくなるばかりだという。今回、植林の思想と行動さえあれば、この地も緑に変わると確信した。24日から入るグリーングラスロッツの人たちはウズベキスタンの歴史になるかもしれない。苗木さえない地域では、まずは採種をさせ苗畑を作るところから始めなければならない。この地でも自然はいろいろなヒントを見せてくれる。ただ緑を利用するだけの人は自然からしっぺ返しを食らう。自然を守ろうと謙虚に行動を起こしていれば、その地は緑に変わる。人の住んでいない場所は荒廃地になっているが、人がいる場所は緑が生えている。人が自然を破壊をし、逆に発生もさせる。植林の思想と行動さえあれば、このスタンの地域もきっと緑の大地へと変わるだろう。
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

ウズベキスタンでの植林

2014-08-17 11:18:41 | 現地情報
今日からウズベキスタンへ植林に入ります。昨夜銀川からウルムチ経由、アスタナ航空にてカザフスタンのアルマティを経由しウズベキスタンのタシケントに入ります。阿拉善と環境は似たような砂漠ですが、言葉もウズベキ語で文化も違います。とても楽しみです。
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

国家環境部視察

2014-08-16 10:55:45 | 阿拉善センター関係
14日、15日と国家環境部の環境文化促進会一行6名が視察と取材に訪れました。また、私たちの阿拉善プロジェクトに民政部からの資金も頂ける運びとなりました。今後、この資金を全て利用して農牧民へあくまで自立のための栽培研修や植林を行います。センターも運営がぎりぎりで大変な時期を迎えていましたが、ほんのですが一息できますと思ったら、回る交通費などでギリギリの予算だ。さすが民生部、こうしたギリギリの金額を計算して渡すところは抜け目ない。ただ管理費が少し入るのでスタッフの給与の継続のみは見込めそうです。ありがとう、本当に感謝です。
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする