
現在はたいへん小ぶりな境内になって鎮座していますが、すぐ横を曽我川が流れ、反対側には畝傍山の絶景をバックに田圃がひろがるという、絶好の立地に有ります。参拝した時は、丁度にわか雨が降ったかと思うとすぐに猛暑に見舞われる移り変わりの激しい時間帯でしたが、鬱蒼とした木々で雨宿りが出来たり、日差しをしっかり遮ってくれたりで、こんもりとした社叢には守っていただきました。
・この状況のため、見出し写真の構図になりました。すぐ横は曽我川が流れます
【ご祭神・ご由緒】
ご祭神は、鴨八重事代主神です。当社のご由緒は、牟佐坐神社と共に「日本書紀」の有名な場面によります。つまり、あの壬申の乱の戦況の中で、大海側の高市軍が金綱井に集結した時、大領の高市県主許梅が神がかりのようになって言うのに、「吾は高市社にいる事代主である。また牟佐社にいる生霊神である」といい、神の言葉として、「神武天皇の山稜に、馬や種々の武器を奉るがよい」と言った。さらに「吾は皇御孫命(大海人皇子)の前後に立って、不破までお送り申して帰った。今もまた官軍の中に立って護っている」と言った云々、の件です。
【鎮座地、比定】
近くの四条町には、こちらも御県社として地位が高かった高市御県神社がありますが、「日本書紀」の「高市社」が当社に確定されるのは、「出雲国造神賀詞」・・・・・・
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・境内
【高市御県神社(四条町)】
「延喜式」の名前では紛らわしいですが、河俣神社(高市御県坐鴨事代主神社)とは・・・・・・
【伝承の語る出雲国造神賀詞】
【高市県主の祖】
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