摂津三島からの古代史探訪

邪馬台国の時代など古代史の重要地である高槻市から、諸説と伝承を頼りに史跡を巡り、歴史を学んでいます

古代出雲の史跡や神社を巡る2~ 荒神谷遺跡、加茂岩倉遺跡

2018年09月26日 | 出雲

 

出雲探索のパート2、今回は有名なあの青銅器遺跡を中心に掲載します。

まずは、その貴重な発掘品が常設展示されている、島根県立古代出雲歴史博物館の様子をご紹介。先の出雲大社の丁度東隣りです。館内に足を踏み入れると、早速ロビーで迎えてくれるのが、2000年に出雲大社本殿前で発見された「宇豆柱」。

 


ロビー中央にこんな感じで展示

 

直に見ると、さすがに太さと歴史の重みに感じ入りました。館内展示では、テレビでよく取り上げられる高層社殿の1/10模型の他、それより低めの各種予想模型が展示されています。

そして、この博物館のメインと言える、1984年に荒神谷遺跡で発見された出雲型銅剣の358本の展示が圧巻でした。往時の姿を再現したレプリカと共に全数展示の迫力。もちろん、続いて翌年に発見された銅矛、銅鐸もここにあります。



暗めの展示場に光るレプリカもきれいでした


発見時はビスケットを水に浸したような状態だったとか

 

そしてもう一カ所の青銅器遺跡、1996年に発見された加茂岩倉遺跡の銅鐸、39個も同じスペースで展示されてます。



 

これだけ多いと、他地域で発見されている銅鐸と同じ鋳型で作ったものも判明しているようで、最近出土したものでは、2015年淡路島松帆遺跡の銅鐸と兄弟関係の銅鐸が、荒神谷、加茂岩倉ともに存在している事がわかったそうです。その他でも、北陸、大阪、兵庫の銅鐸との兄弟関係がわかってる物もあったりで、古代出雲の大きな影響力を感じざるを得ません。


続いて、これらが見つかった現地も訪れました。まずは荒神谷遺跡。(見出し写真)駐車場から美しいハス池の横を少しあるいて、本当に山奥の陰みたいな所。素直に考えて、大事な物を隠してますよね。現場には発見当時を再現する為に、レプリカや発掘に使用した足場が再現されています。雰囲気はありますね。駐車場直ぐのところには荒神谷博物館があって、発掘作業のドキュメント映像が見れました。現物はここにはありません。


そしてもう一方の加茂岩倉遺跡。こちらは、駐車場からもっと遠かった。最後に結構な階段を登ってようやく発見現場に。



写真中央上の土色部分が現場

 

ここの展示は、土のように見えるものも全て、プラスチックによるレプリカ展示。まじかで触れるもので、正直展示としての雰囲気はもう一つ。「ここで発見されたのか!」と現地にいることに価値を見出しましょう。




加茂岩倉遺跡ガイダンスという小さな展示場もありますが、展示はレプリカです。

荒神谷遺跡の解説では、荒神谷、加茂岩倉で発掘された青銅器は、弥生時代中期、Ⅲ期~Ⅳ期の物だという事ですが、いつこれらが埋納されたのか?ですね。。。


最近は、テレビの歴史番組で出雲が取り上げられる機会もあり、「出雲は日本の中心であったはずだ」と、作家の方々が力説されたりしていますが、特に荒神谷での、これだけの物量の政治的な貴重品が、このように整然と埋納されているのを見れば、相当な規模の、強力に統率され、厳密に管理された組織、システムの社会が存在したと考えるのがごく素直だと思います。1984年に発見されて、いまだに明確な定説が存在しない事は残念です。


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