新・東京日記 ~ママチャリで行くわヨ!~

子育ても一段落し、だいぶ落ち着いてきた日々の備忘録。

宮城への旅

2013-09-24 | 家族

三連休は、娘っ子と一緒に宮城県へ。日曜に南三陸で仕事が入っていたので、前泊は松島、後泊は南三陸の歌津で宮城を満喫してきました。

土曜の午前中、息子の大学の入学式に出席し、帰宅。

午後に娘っこと一緒に仙台へ。東北本線に乗り換え、松島駅で下車。駅近くの民宿に辿りつきました。

これまでの南三陸出張では、仙台に泊まるのが通例だったのだけど、三連泊だから&(後でわかったのだけど)サザンオールスターズのライブが日曜だったからか、仙台中のホテルというホテルは全て満室。松島に泊まることになったのでした。

一緒に出張したのは二人の女性、AさんとBさん。Aさんは東北支援のカウンターパートなので、ここ2年以上、ガッツリと一緒に仕事をしており、東北に2人で訪れるのも数十回目。彼女は5歳と3歳のお子さんがいるのだが、うちの娘っ子を同伴できるときには、二人のお子さんを連れてくることもある。娘っ子はやたら面倒見がよくて、子どものお世話や相手をするのが大好きなスーパーお姉ちゃんだ。新幹線に乗り込むと、直ぐにベビーシッターに早変わりして、私とAさんは心おきなく打ち合わせに励めるのである。

今回は、Aさんはパートナー(パパ)がお休みなので子どもたちとお留守番。

今回初めてご一緒するBさん(産婦人科医)は、8歳から2歳まで4人のお嬢さんのお母さん&お腹の中にも赤ちゃんが。ので、一家まとめて一緒に行くことに。パートナー(パパ)も仕事が終わってから夜遅くに松島の民宿に合流してくれました。翌日は、朝、少し松島を見物。

そして、貸し切りバスで南三陸へ。私たちが仕事の間は、うちの娘っ子、Bさんのところ4人のガールズ、そしてパパさんたちは、近くのミニ動物園へ。娘っ子もチビちゃんたちを抱っこしたり、膝の上で本を読み聞かせたり、スーパーお姉ちゃんぶりを発揮した模様。パパさんから「助かりました―」と嬉しいお言葉。

地元の女性たち・ママたちも、東京から来た産婦人科の先生(経歴もグローバル)が、実は自分達と同じように日々、子どもの世話とか送り迎えとかご飯作りとかに走り回ったり、夜は寝かしつけるうちに一緒に寝落ちしちゃってたり、ということがわかるととても親近感を持ってくれる。仕事の終了時間にガールズたちがわらわらと、「ママァ~~~~」と駆け込んできて、Bさんに抱きつく様を見て、皆、目を細め、子どもたちに話しかけ、そこからまた会話が始まる。そうやって女性の繋がりが出来ていくのを見ると、なんだかじーーーんとするのである。

仕事終了後、バスで志津川の防災庁舎に寄り、手を合わせ、さんさん商店街でお買いもの。一番の目当ては、「ちばのり店」。このお店は、代々続く地元の海苔屋さん。60代の姉妹が営んでいる。店舗は防災庁舎のすぐ近くにあった。2011年3月11日に、店舗も海苔の加工をする工場も倉庫も自宅も、一切合財全て津波で流されてしまったという。ところがこの姉妹、直ぐに立ちあがり、店の再建に向けて動きだす。自分達で国の支援制度を調べあげ、その情報を持たない行政に発破をかけ、どうにか資金繰りに目途を立てて、現在再建中である。仮設店舗をさんさん商店街に、そして、工場は高台にプレハブを建てた。

今は、店はお姉さんが、工場は妹さんが切り盛りしている。7月に工場を訪ねた時、妹の公子さんからいろんなお話をうかがうことができた。

「身につけているものは、流されねェ。ってことなんですよ」

という言葉、一瞬、衣服や装飾品など物理的に身につけているものは流されないってことなのかと思った。実際、この姉妹は、その日に身につけていたもの以外、全て流されてしまったのだから。

ところが、公子さんが意味していたのは、

「教育とか、技術とか、知識とか、気概とか、そういうことです」

と。芸は身を助くではないけれど、一度身に付けたものは、地震が来ようが津波が来ようが、生きている限り流されないということ。それを実感したのだと言う。

「若い人は、英語とパソコン」

と断言された時には意外性に思わず噴き出してしまった。南三陸には世界中からたくさんの人たちが駆け付けてくれて、手伝ってくれ、勇気づけてくれた。もっともっとお礼を言いたいし、伝えたい事がたくさんあるのに、言葉の壁があって伝えられない。その時に「英語さえできれば!」と心から思ったのだそう。また、安否確認や情報収集に、インターネットがものすごく役に立ったというのだ。事業再建にも。沿岸部では携帯は皆持っているけど、パソコンの保有率は低く、インターネットや基本的なソフトを使いこなす人は少ないと発災直後から聞いていた。実際、それが雇用・起業促進の大きなハードルにはなっていたので、雇用・起業支援の前段として、各地でIT講座を開催したりした。公子さんも、パソコンやインターネットを活用するスキルは、非常に大きな力になり、これからの必須条件だと身に沁みて思ったとのこと。だから、「若い人は、英語とパソコン」。本当に説得力があります。

さらに、

「やっぱり、思いやりのある人、人の痛みがわかる人は最後まで倒れなかったね」とも。

威勢よく、わーわー大声で仕切ったりしていた人ほど、避難所生活が長引くにつれ、早々に体調を崩していったという。反対に、人のことを気にかけ、人の手助けをしていた人の方があの生活を乗り切れたと・・・。

公子さんに、「やはり、海苔は南三陸が一番ですか?」と聞くと、

「いや、有明海だね」

と。これも思わず噴き出してしまった。海苔の出来は毎年、気候や潮の流れによって、各所で違うらしい。南三陸の海苔が一番良いときもあるけれど、安定して質が高いのは有明海のものなんだと。その年の海苔の出来を吟味し、一番美味しい産地からとりよせ、加工して販売しているのである。

この時にお土産に頂いた海苔&、さんさん商店街の店舗で自分で買った海苔を東京に持って帰った所、あまりの美味しさにのけぞった・・・・。

娘っ子は、小さい頃から海苔好きで、つい最近までもスナックというとクッキーとかチョコレートではなく、「海苔」を持ち歩いていたほどの海苔マニア。一口食べて、「これはすごいね!」と悶絶状態・・・。家族・友人に配ったら、皆さんから大絶賛・・・。

娘っ子はとにかく味噌汁と海苔とご飯が好きなので、朝ご飯は毎朝、ちばのり店の海苔。その中でも、通好みといわれる「すっぴん一番海苔」がお気にいり。以来、南三陸に行くたびに、私は大量に海苔を購入して帰る。ある時など、さんさん商店街に着いた所で娘っ子から、

「千葉海苔店で、海苔を買うのを忘れないでください」

というメールが入り、のけぞったことも・・・。

今回、やっと、娘っ子の念願叶い、ちばのり店へ。嬉しそうに買い物し、千葉お姉さんと話をし、写真をとり、大満足。

このあと、仙台に帰る一行を見送り、娘っ子と私は歌津のニュー柏崎荘へ。車で送ってもらう道すがら、津波に削り取られた道路やガードレール、ひっくり帰った堤防を目の当たりにして、娘っ子も私も思わず無口に・・・・。女将さんによると、付近には11もの民宿・旅館があったのだけど、8軒が津波で流されてしまったとのこと。目の前に広がるのは、静かで美しい南三陸の海。映像で見た津波がここら辺一体を襲う様が、現地にいるとどうしても想像できません。

宿では海旬コースをお願いし、海の幸に舌鼓。娘と二人で、生ビールとコーラで乾杯し、ワイワイとミニ女子会になりました。デザートには、絆ロールケーキ。旅館のパティシエのくりちゃん特製のモカ味のロールケーキ、激うまでした!売店で購入し、冷凍ロールケーキをクール宅急便で自宅に送りました。通信販売でも買えるそうです。

ほろ酔い加減で部屋に戻り、八重の桜をみるも、途中で爆睡。9時から気を取り直して、半沢直樹最終回!いやー、娘と二人で手に汗握りながら見ました。舞台劇みたいだね。そのあと、眠りにつきましたが、半沢直樹風のプロットの悪夢を見てうなされました・・・。最近、ドラマ見てうなされること多し(^^ゞ

翌日は、女将さんに高速バスのバス停まで送ってもらい、仙台に出て、牛タン定食を食べ、街を散歩し、美味しい珈琲を飲んだりお店を覗いたりして夜の新幹線で帰京しました。楽しかった!


そして、時は経ち・・・

2013-09-19 | 家族

前回のエントリーは、2011年1月。ということは、かれこれ3年近く前ですね。

いつの間にか月日は経ち、息子は今年5月にハイスクールを卒業し、今秋から大学生。2年間、国際バカロレアのディプロマ・コースで鍛え抜かれ、その中で大学の学部で勉強してみたいことは見つかった様子。

本人は記憶に無いようですが、15歳から17歳までの約2年間はあの「ひたすら喋り続け」「美味しいものがあるとホイホイついて来た」息子も、「別にー」しか言わなくなり、食事の時だけ「いやいや」部屋から出てくるような状態に・・・・。まぁ、当然なんですが。高校卒業まで、いろいろやらかしてくれました。いろんなところで頭も下げました。私もちょっとやそっとじゃ動じない「肝っ玉オカン」に成長させてもらいました。。。。。

小4からずーっとエスカレーター式に通った学校の友人たちが世界中に旅立つのを見送った息子は、これからしばらく、Discover Japanに専念するそうです。これも国際バカロレアでの学びの成果。

娘っこは、すくすく成長して小学5年生。背は160cm近くになり、目線の高さが迫ってきたうえに、後ろ姿は立派なお嬢さん。忙しい上に忘れっぽいお母ちゃんに頼らずに、自分で出来ることは自分でやるという術を少しずつ身につけ、何でも自分でできる女の子に。私のDNAは微塵も見当たらず、時間割も宿題も提出物の準備も、相変わらず万全・・・・。運動神経も抜群だし、面倒見もよく、日々の行動は効率重視で段取りスト。。。。どこでも一目置かれる安定感・・・。ママ友たちからは、「N子ねえさん」と呼ばれております。

さて。これまでのエントリーを久々に読み返してみると、ほんとに、毎日が綱渡り。息子の弁当(17年作り続けましたが、やっと5月に解放されました・・・・!)、子どもたちの送り迎え、学校行事・・・・・・。

しかし、今年の夏休み、息子はバイトだサマーフェスだ卒業旅行だ送別会だで大忙し、娘っ子も友達とお祭り行ったり自分で経路と時刻表を検索して親戚の家に遊びに行ったりと、気がつくと私は家に1人でポツネン・・・・・。外出する気力も意欲も無く、1人でTV観ながら晩酌&食事という日が増えたのですわ・・・。こんな日が来るとは。。。

かつて、新卒で大学院に進学し、息子を出産し、働き始めた時には既に子持ちだった私にとって、「自分だけの時間」は夢のまた夢の幻だと思っていた・・・。が、その時がやってきました・・・・。「自分だけの時間」がどんどん増えて行くという・・・・。夢だったはずなのに、いざ、その時が来ると一抹の寂しさと取り残された感が・・・。こんなんじゃ、いかん。ムムム。

というワケで、人生、新たなフェーズに入りました。それを祝して(嘘)、ブログを再開してみます。


It's Show Time!~学びの原点~

2011-01-05 | 子育て

大家族で集まると、実家だろうが、旅行先だろうが、必ず娘と甥っ子が「ショー」をやってくれる。仕込みと練習のために、二人でず~~~っと部屋にこもっていてくれてるので、大人も楽ちん。最近の主な流れは、「ショーの予告アナウンスメント(時間と場所の告知)」→「チケット配布(くじ引きなどのお楽しみ券付きの場合も)」→「会場への誘導(いつもバアバは特別席)」→「パフォーマンス」→「カーテンコール」→「握手タイム(ディナーショーのように観客一人一人と握手してくれる笑)」→「観客の感想コメント(マイクを持って周ってくる)」→「退場」。

このショーが、当然ながら毎回バージョンアップしていくのである。私の記憶では、一番最初の「ショー」は、娘4歳、甥っ子3歳の時。確か、ハワイで「ルアウショー」を観た後に、それらしきものを再現したのだったと思う。ショーの内容もだけど、観客が拍手喝さいする会場の熱気のようなものにガツンとやられたようだ。それを覚えている範囲で再現したところ、大人たちから拍手喝さいを浴びて、どうやら味をしめたらしい。

アンパンマンに入れ込んでいる時期は、二人が色違いで持っている枕のカバーを外し、それを被って「梅ちゃん」「抹茶ちゃん」になりきっていきなり登場。会場を仰天、沸かせたものだ(笑)幼稚園に入ると、お遊戯会の演目や段取りが再現されるようになり、字が書けるようになるとプログラムやチケットを用意し始めた。小学校に上がると大道具や舞台装置に凝りだした上、劇もオリジナル・ストーリーで展開。最近では、弟夫婦が甥っこに買ってやった「マイクセット」(拍手音、ライティング、ドラム音も完備)を駆使して、司会進行にも余念が無い。

今年の夏休み、二人を連れて「サウンド・オブ・ミュージック」のミュージカルを観に行ったのだが、その直後の「ショー」では、しっかりとカーテン・コールを取り入れて、襖が何度も開いたり閉ったり、二人は拍手を浴び続けた。。。(笑)

そして、今年のクリスマスとお正月も毎晩「ショー」が。昨年は味噌っかすだったまなちゃん(3歳)も、しっかり固定メンバーとなり、立派に歌ったり、踊ったり、お辞儀したり、観客と握手したり。。。。さらに、12月のリトル・アンバサダーのホリデー・パーティで私が司会進行する様を見た甥っ子は、「あーちゃん、司会やって!!」と。プログラムと、どの音楽をどのタイミングでかけるかの指示書を渡され、リハーサルまで敢行(汗) クリスマスは「プレゼント、届くかな?」という劇が中心。お正月は、「嵐」の歌にオリジナルの振付けをしたダンスと歌がメインの出し物であった。

一体どこまで進化するのだろうか。。。。子どもたちは、それぞれが学校その他で見聞きしたこと、学んだことをフル活用し、二人でオリジナルバージョンを創り出す。それを大人たちに披露し、拍手喝さいを浴びる。その繰り返し。単純な事なんだけど、この積み重ねが二人にとって(そしてまなちゃんも)大切な学びのプロセスであり、チャレンジ精神の基盤になっているのかもしれない。

娘はチアダンスやら、スピーチ大会やら、司会やら、いろんな舞台に立つ機会があるのだけど、本当に度胸が据わっている。甥っ子も、リトル・アンバサダーのホリデーパーティで司会をする私、登壇してスピーチをする娘を見て、「あーちゃん、来年はぼくもマイク持ってお話したい」と小声で耳打ちしてきた。弟夫婦の話では、学校では結構引っ込み思案との事だったが、どっこい、チャレンジ精神に溢れているではないか!家の中で育んだ「自信」と「自尊心」は、外の世界に踏み出す原動力になるんだろうな。

娘、甥っこ、姪っこによる「ショー」を今年も楽しみにするとともに、家庭の外でも子どもたちがチャレンジできる場、それを大人が応援できる場を創っていきたいな~と思う。

 

 


正岡子規いろはカルタ:お正月の遊び

2011-01-04 | 家族

謹賀新年。

我が家は、毎年恒例で鎌倉の実家に長逗留。弟家族(夫婦+小1男子+3歳女児)や妹夫婦も入れ替わり立ち替わり泊ったり、食事に来たりで賑やかな毎日であった。

子どもたちの正月遊びの定番といえば、「カルタ」。娘と甥っ子が小学生にあがるあたりから、皆でカルタ遊びができるようになった。ので、昨年数十年ぶりに引っ張り出したのが「正岡子規のいろはカルタ」。今は亡き祖母が、故郷の松山で買ってきてくれたもので、我が家の冬休みの定番。私と妹と弟が、まだ娯楽の少なかった子ども時代に何度も何度も遊んだカルタである。

すべて子規の俳句なのだが、30年近く経ても、「音」や「絵札」が印象に残っている句がたくさんあるのが面白い。

 たとえば、かの有名な「柿食へば 鐘がなるなり、法隆寺」や、

「漱石がきて 虚子がきて 大晦日」

「松山や 秋より高き 天守閣」「春や昔 15万石の 城下かな」

などは、語呂と情景がシンプルかつ力強いだけあり、3人ともしっかり覚えていて、いつも取り合い になった人気札。

 言葉の響きがユニークで、意味はよくわからないけど三人で暗唱していたのが

「とまらんとす 蜻蛉(とんぼ)に動く 芒(すすき)かな」

「炉塞いで 書(ふみ)読む夜の 地震かな」

「句を閲(けみ)す ラムプの下や 柿二つ」

今読むと、子規が切り取った情景がふっと脳裏に浮かぶ。

 絵札が人気だったのは、

「蓮華草 われも一度は こどもなり」

「のら猫や 思ふがままに 恋ひわたる」

「赤き薔薇 白き薔薇皆 さみだるる」。

 きょうだい3人対決をやってみた。やっぱり、それぞれ得意な句があり、ちゃんと記憶しているから面白い。


なるほど、そういう意味だったのか。。と感慨深い句もいくつかある。

たとえば、子規が死の直前に詠んだ「糸瓜(へちま)咲いて 痰のつまりし 仏かな」。これが絶筆。

「若鮎や 二手になりて のぼりけり」春に若鮎が力強く川を上っていく様を捉えた句だが、一説には、自分が秋山真之、夏目漱石ら同級生たちとは異なる道を歩んでいく姿を重ね合わせているとも言われている。

「いくたびも 雪の深さを 尋ねけり」病魔に襲われ、根岸の家で寝たきりになった子規。雪が降ると、妹の律に何度もこう問いかけたと言う。

「鶏頭の14,5本も ありぬべし」彼の視界に入る小宇宙である「庭」の様子。鶏頭の鮮やかな赤い花が目に浮かぶ。

祖母や両親に読み手になってもらい、カルタ遊びに興じた子どもの頃。祖母も父も亡くなり、その代わりに新しい家族、次の世代の子どもたちと一緒に同じカルタで遊んでいることにしみじみと時の流れを感じた。

そして、大人になって改めて接する正岡子規の俳句。写生的な俳句、子規の心情と世界観が凝縮された俳句の数々に驚嘆したのだった。(2月には、家族全員で松山に法事に行ったのだが、私は一人で「正岡子規資料館」に行った。お勧めです。その後、子どもたちも一緒に夏目漱石や虚子らと句会を開いていた愚陀佛庵にも行ったのだけど、そのあとしばらくして豪雨で流れてしまったとか。。。。) 

それが去年のお正月。

今年はなんと!!娘と甥っ子の合作、手作りカルタが登場!!これにはたまげた。読み札も絵札も手作り。

自分たちで考えた読み札がユニークで、正月早々、爆笑の連続。

写実シリーズ

「いなりずし おすしやさんで 食べてみた」「レモンがすっぱい もういやだ」

「焼き芋食べたら へが ぷっぷ」「手相みて あらら あららと こまったよ」

ちょっとポエティックシリーズ

 「のらねこさん どこみて走っているの? まちかどよ」

「ラジオを聞いて ああニュース」

ダジャレシリーズ

「日本は 海におちて ジャッパーン」「桃食べて うしが もーもーもー」

家族登場シリーズ

「かずくんは せが高すぎ こまっちゃう」「まどふき かずくん まどがかり」

「ルミネで買い物 ああ ばあば」

 

さらには提言!?まで(笑)「くさった 食べ物 捨てようよ」

 

 基本的には同じ遊びなのに、毎年毎年、子どもたちの遊び方は進化する。カルタを作ろうという発想もすごいし、ひとつひとつ読み札も絵もよく考えてるなぁ~と思う。さらには、三歳児のまなちゃんも一緒に遊べるように「必ずまなちゃんがとる札」を決めようという工夫の仕方。そして、とれたら皆で大喝采。その時のまなちゃんの満面の笑みにまた一むわけで。まなちゃんもカルタの楽しさをしっかり心に刻み、来年はまたとれる札が増えていくのだろう。

お正月の遊びって、毎年同じように思えて実は変化を遂げているんだなぁと思った。そしてそれは、そっくりそのまま家族の歴史だったりする。


ハードルと私

2010-12-27 | 子育て

皆さまのご家庭には「暗黙の掟」というか、これは外しちゃヤバいという「暗黙のルール」というか、そんなものはありませんか?それを意識し始めるのは、家族以外に自分のネットワークが出来てきて、外も自由に歩けるようになって、自立への道を踏み出す思春期。家族との生活と、友達とのつきあいと、バランスをとらねばならなくなる時期だ。(と思う)

私にとっての高い高いハードルは、「日曜の夕食」と「大晦日」であった。父は新聞社勤めだったので、子どもたちが登校した後に起床・出社、連日深夜の帰宅、という日常。一つ屋根の下に住んでいながら顔を合わすのは日曜日だけだった。ので、日曜の夕飯が唯一、父と一緒の食事であった。母の料理にも気合いが入り、いつも豪勢。小学生の時はそれが嬉しかったものだが、中学生にもなれば、お酒が入ってテンションが高くなる父が鬱陶しくなり、日曜の夕食が段々嫌になった。が、「日曜の夕食だけは家族全員で」という暗黙の掟はおも~~~く私にのしかかり、大学時代にデートだ何だで遠出しても、夕飯の時間までにはどうにか帰宅したものだ。別に親から明示的に言われた訳でもないのに、大学を卒業して実家を出るまでついぞやこのハードルを越えることは出来なかったのであった。

大晦日も然り。レコード大賞そして紅白を家族全員、というか父と一緒に観るものだという「暗黙の掟」。しかし、このハードルは飛び越えかけた。大学1年の時に、友達のおうちにお邪魔して皆で一緒に海に初日の出を見に行くというイベントがあったのだ。一大決心をしてその予定を告げると、心なしか父の顔が悲しげに見えたので、「あ、なんか悪いな~~」と心を痛めたものだ。ところが、そこまでして見に行った初日の出、海岸はめっちゃくちゃ寒くて寒くて、「二度と来るもんかい!!」と心の中で悪態をつきまくっていた。しかも、お邪魔したおうちはとても上品で高尚な雰囲気のご家庭で、大家族のわさわさ感・ぐうたら感に慣れ切った私には新鮮ではあったけど、一抹の寂しさを覚える始末。

結局翌年からはまた、実家でぬくぬくと、台所で必死の形相でおせちを準備している母、バッコンバッコンとすごい音をたてるもちつき機、菓子をとりあってぎゃーぎゃー騒いでいる妹と弟、ソファに正座している祖母、そして、お酒が入って気分良くなったりつっかかってきたりする父、たまに存在を知らせるかのように階下からワンワン吠えるラビ(犬)という大家族的環境の中、おせちの手伝いを(嫌々)しながら、あーでもないこーでもないとTVにつっこみながら、皆で紅白を観る大晦日に戻ったのであった。

が、しかし。数年後、4歳下の妹と6歳下の弟はいとも軽々、というかさっさとこのハードルを飛び越えた。というか、彼らにとっては最初からハードルでもなんでも無かったんだろう。両親も両親でそれが当たり前、という態度。「え~~~~!?こ、これって、全然OKだったんだ。。。?ちっ、裏切られたぜ。。」と内心愕然としたものである。

この話を思い出したのは、花の15歳、友達と家族のバランスを取り始めた息子が、彼なりに「ハードル」を意識している様が随所に垣間見られるようになったからなのであった。ヤツも長男体質。よって「暗黙の了解」チックなハードルを設定している様子。それに対し、娘はハードルなんぞ軽々と飛び越えるか、蹴り倒すか、どっちかなんだろうなぁと既に予測できるのである。笑。

 


リトルアンバサダーの「ホリデー・イベント」の報告その2

2010-12-20 | 開発教育

ホリデー・イベント第二部。

第一部は、2度のクッキングクラスとホリデー・ビュッフェがコミなので参加費がかかりますが、第二部は完全無料。でも、竹村さんのアイデアがさく裂し、とても楽しめるプログラムになりました!

まずは、大使館の方々に登壇いただき、お国自慢大会ならぬ「ホリデーの過ごし方」トークショー

エチオピアは暦が違うので、クリスマスは1月。とか、ハンガリーでは「鯉」を食べる、とか。知ってました?

 

 

 

 

 

お次は、プレゼント交換。「Little Angels」というドミニカ共和国流でいこうと思ったのですが、人数が多いのと時間の関係で、簡略版。その後、子どもたちは、佐野料理長からのサプライズで、ホテルの厨房を見学に。大人たちも興味津津で、後に続いていました。

その間、エチオピア・テーブルでは、「コーヒー・セレモニー」が進行中。コーヒー豆をゆっくり、時間をかけて専用の鍋で 焙煎するところから始まるのです。立ち上ってくる香ばしい香りが、珈琲好きにはたまりません!

子どもたちも、エチオピアのコーヒー・レディのお手伝い。

 

 

 

 

 

 

メイン・ステージでは、ボサノバの生演奏が始まりました。子どもたちが厨房に行っている間、お父さんやお母さんたちがボサノバの演奏に酔いしれ、ちょっとしたデート気分!?といった様子でした。

 

 

 

 

 

 

 

お次はお待ちかねの抽選会

「スタンプラリー」が抽選券。Jリーガーのサイン入りユニフォーム・ボール、ホテルの宿泊券、エスプレッソ・マ シーンなど、豪華賞品がズラリ!

 

おおいに盛り上がりました!!!

 

 

そして、最後はカーニバル!どこからともなく、ディアボロ(悪魔)が登場し。。。。

ディアボロを風船で叩くと幸運が訪れるのだそうです。だから、子どもたちは追いまわして叩く叩く。。。

が、しかし。このやたら背が高いディアボロは、我が息子カズマなのであった。。。着ぐるみ初体験。照れながらも、なり切ってくれてるカズマ、最初は私も笑って見ていたが、中にはやたら激しく叩き続ける子どもたちが。「ほら、ピニャータ始まるから、あっちにいこ~~!」と促しても、一心不乱に叩き続ける。。。

もう少しで、私自身がホンモノの「ナマハゲ」になり、「悪い子はおらんかえ~~~~っ!!!!!」と子どもたちをとっちめるところであった(嘘)

 

 

カーニバルの締めは、ピニャータ(くす玉)

アメリカでも、子どもの誕生会の締めはいつもピニャータ。子どもたちが順番に棒でたたき、割れるとお菓子がたくさん降ってくるのである。これも、竹村さんのイニシアティブで、全部手作り。1週間以上前から仕込んであったのです。

 

案の定、子どもたちは超ワイルドに。床にざ~~っと降ってくるお菓子は、ものの数秒で子どもたちによってかき集められてしまうという修羅場状態(笑)

 

 

 

 

 

 

というとても楽しいプログラムになりました。

会場の外には、20以上の社会貢献団体(NGO、企業等)がブースを出展してくださり、子どもたちや大人たちが各ブースを回って活動内容についてお話を聴いたり、グッズを購入したりしていました。

 

私がいつもお世話になっているOxfam Japanさんも。。スタッフ・ブログで報告してくださっています。

私も後日(12月10日)、Oxfam Japanさん主催のセミナーに登壇させていただき、妊産婦の死亡率とジェンダーといった視点からミレニアム開発目標(MDGs)についてお話させていただきました。

 

 

 

 

 

 

とても楽しい一日でした。また来年も企画しますよ~~!!


リトルアンバサダーの「ホリデー・イベント」の報告その1

2010-12-20 | 開発教育

2月5日にリトルアンバサダーのクリスマス(ホリデー)イベントを開催しました。

会場は、東京プリンスホテルのプロヴィデンス・ホール。

広い会場の四隅には、クッキング・テーブル。それぞれ、ハンガリー、エチオピア、ブラジル、ドミニカ共和国のホリデー料理を作るためのテーブルです。そして、後方には、東京プリンスホテル特製のホリデー・ビュッフェ・テーブル!そう、とにかく、「食」の充実したパーティなのです!!もし私が一参加者だったら、子どもらと共に、前日から絶食したに違いない!

当日の流れは、こんな感じ↓

世界を知るアクティビティ:みんなで世界地図を作ろう!

まずは、クイズ形式で、世界の国の数と、スクリーンに映し出された世界地図上で日本の位置を確認。今日、駈けつけてくれた大使館の皆さんの国旗。これらの国は一体どこにあるの!?

 

次に、6色のロープで、フロアに6つの大陸を再現。その広さは実際の面積を表しています。そして、それぞれの人口比率に合わせた人数の子どもたちが、6つの大陸に分散します。アジアは人でいっぱい!オセアニアはたった1人。。。大使館スタッフの皆さんも、自分の大陸に分散。ドミニカ共和国のジョセリンさんはどこ?エチオピアのダウィットさんはどこ?と、みんなで探します。

ハンガリーやエチオピアなど、各国大使館の国々がそれぞれスクリーンの地図上のどこにあるかも確認。文字通り、


世界各地から日本に来ているんだね!ということを子どもたちは(大人も!?)実感しました。

来年に向けた試験的な試みでしたが、子どもたちの反応・反響に手ごたえを感じました。

 

クッキングタイム パートI:

エチオピアのクッキング・クラスで作ったのは、シチューと「インジェラ」。テフという穀物を発酵させたものをクレープ状に焼き、それでシチューや煮込みをくるくると巻いて食べる。主食です。酸味があります。

 

 

 

 

③ ホリデー・ビュッフェタイム(東京プリンスホテル佐野料理長と各国大使館のコラボで実現したインターナショナル・ホリデービュッフェ)

 

各国のホリデー・ディッシュから、パティシェ特製のスイーツまで、それはそれは充実した ビュッフェだったそうです。(私は司会ということで、泣く泣くお食事はパスでした。。。。ううう、残念!!)

子どもたちよりも、大人たちが大興奮!?とても美味しかったと大好評でした。(来年は食べたい!)

 


 

④ リトルアンバサダーたちによる2010年のイベント報告

ドミニカ共和国、エチオピア、ハンガリーのイベントに参加した子どもたちによるショート・スピーチ。

1.イベントに参加して一番楽しかったこと・面白かったこと、2.その国について家族やお友達に一番伝えたいと思ったこと、3.イベントに参加した後に何か自分でしてみたこと、という3つの点について、スピーチしてもらいました。発表の後は、各大使館の担当者の方に改めてご挨拶。三人とも堂々としたスピーチ。

夏休みに実際にハンガリーを訪れた子、エチオピアの昔話の本を図書館で借りて読んでみた子、ドミニカ共和国の公用語であるスペイン語をいくつか覚えてみた子、みんなそれぞれ、行動に移していることに感動しました。

← 私@司会中(どきどき)ナナコも登壇。

⑤ クッキングタイム パートII:

こちらはブラジル。「ハバナダ」づくり。


 

 

 

 

 

 

⑥ アフリカン・ミュージックの生演奏

 SEVENE Jazz African Companyのお二人による生演奏。

太鼓のリズムに子どもたちは思わず身体を揺らします。

 

夏休みの「ケニア・ウィーク」に参加した子どもたちが飛び入り参加!その時に覚えた「JAMBO BUWANA」を一緒に歌います。

さすがリトル・アンバサダー。歌詞もしっかり覚えているし、演奏に合わせて見事なセッション!

 

 

 

 

 

こうして2時間半近くに及ぶ第一部(有料プログラム)は大盛況のもと、終了しました!ほっ。

そして、次はそのまま第二部(無料)へ。そこから参加する方々もたくさんいました。(つづく)

 


International Women's Club Japan(IWCJ)の理事になりました

2010-12-19 | 開発教育

世界中の主要都市に、International Women's Clubという任意団体があります。

その都市に住む外国人女性たちの互助組織・コミュニティのようなもので、会員同士の交流や、その国について学ぶ文化活動、チャリティなどの社会貢献活動を中心に、各国で独自の活動を展開しているそうです。その日本版、International Women's Club Japan (IWCJ)を立ちあげたのが、竹村真紀子さん。まずは「日本の女性や子どもたちと、『日本の中の外国』である在京大使館との交流」からスタート。2009年から、大使館のシェフと協力して、その国の代表的なお料理の作り方を学び、一緒にクッキングするという活動を展開されてきました。最初のイベントは、竹村さんがかつて留学したハンガリー大使館とのコラボ・イベント。その後も、たくさんの大使館の協力を得て、「食文化」を中心とした、体験型のイベントを月に一回のペースで開催してこられました。

私がこのプログラムの事を知ったのは、竹村さんの息子さん(超イケメン)とうちの娘が学校のクラスが一緒というご縁から。ハンガリーのイベントのご案内をいただいたのです。「わ、楽しそう!美味しそうだし!」と思ったのだけど、予定が合わなくて参加は断念。その後もなかなかスケジュールが合わなかったのだが、やっとこさ7月のドミニカ共和国のイベントに参加。会場は、スポンサーでもある東京プリンスホテル。子どもたちは、ドミニカ共和国大使館の担当者の方々、東京プリンスの佐野料理長、そしてIWCJの理事で、ケータリング・シェフと飲食店のコンサルティングをされている寺脇加恵さんの指導で、ドミニカ共和国のお料理を楽しく、でも真剣に作りました。それから、ドミニカ共和国について調べてきたことを発表し合ったり、最後には彼の地のカーニバルの主役(!?)、悪魔のディアボロまで登場し、皆で音楽に合わせてホテルロビーを練り歩くなど、もりだくさんの内容。出来あがったお料理(フライドチキン、キドニービーンズの煮込みをかけたライス、サラダ、キャサバ芋のフライ、バナナチップス)がこれまた超美味しく、親も親で大大満足。帰りにもらったレシピを見ながら、後日我が家でも再現しました。

とても楽しい体験だったので、9月のエチオピア大使公邸でのイベントにも二人で奮って参加。なんといっても、エチオピアは、私がUNDP時代に6年間仕え、「ジェンダー」のイロハと仕事の仕方を徹底的に叩きこんでくれた上司、Asterの国なのだ。エチオピアは私自身も出張で訪れた事のあるし、子どもたちもAsterには本当に可愛がってもらったので、特別な国なのです。大使公邸では、コーヒー・セレモニーから始まり、まさにfull-fledgeのエチオピア・ディナーがふるまわれました。(ちなみに、コーヒーの発祥の地はエチオピアのKaffeというところだと言われており、私が人生で一番美味しいと思ったコーヒーは、エチオピアのとある村のカフェでいただいたカフェマキアート。。。。)食事はリビングルームにて、エチオピア式のピクニックスタイル。食べ方まで丁寧に教えていただきました。そのホスピタリティの深さに、改めて感動。しかも、大使館の担当官、DawitさんはAsterのお姉さん(外交官/大使)の下で働いていた!ということもわかり。。。。!しまいには、私は一参加者なのに、エチオピアの思い出を皆さまに語らせていただく機会までいただいてしまいました。

それがご縁で、竹村さんとランチ。私が「子どもたちが世界と日本のつながりやグローバル・イシューについて学べるような開発教育をやりたい。それから、グローバルな舞台で活躍するための視点やスキルを身につけられるようなプログラムをつくりたい」という思いをぶつけたところ、「IWCJを11月に財団化するので、是非一緒にやりましょう!」と意気投合。。竹村さんは竹村さんのこれまでのご経験から、子どもたちがクリエイティビティ、プレゼンテーション能力、リーダーシップスキルなどを身につけることの大切さを痛感していたとのこと。そこで、「リトル・アンバサダーをさらに発展させて、グローバル・キッズ育成プログラムを創りましょう!」と相成り、私も理事に就任したのでありました。

グローバル視点、多様性の受容、対話能力、リーダーシップ・スキルというのは、何も海外で活躍したい人だけに必要なのではなく、今後、日本国内で生きていく上でも必ずや身につけておいた方が良いassetだと思う。が、日本の学校教育でそれが身に着くかどうかは、はっきり言って甚だ疑問。だったら、自分たちの知見、経験、ネットワークを使ってやってしまえ!という発想です。

というわけで、①知る・体験する→②学ぶ→③行動するというスリーステップをベースにしたプログラムを展開し、子どもたちの視野と可能性を広げていけるような機会を提供できればと思っています。

その前段として、今月5日に東京プリンスホテルで、リトルアンバサダーのホリデー・イベントを大々的に開催しました。我が家も、私は総合司会、娘は2010年に行ったリトル・アンバサダー・イベントのプレゼンター(報告者)、そして、息子も会場ボランティア(通訳からかぶり物まで。。笑)と、一家総出。試験的に、「世界を知るアクティビティ」として、開発教育のエレメントを入れてみたのですが、これがとても盛り上がり、大好評。今後の展開に、大きな手ごたえを感じました。

詳しくは、次のエントリーで。


久しぶりに更新します

2010-12-19 | お仕事ネタ

4月にツイッターを始めて以来、とんと御無沙汰だったブログですが、超~~~久しぶりに更新します。

日本に帰国して以来、基本的にはフリーで仕事をしてきましたが、2007年10月から古巣の国連機関(ってUNDPなんだけど)の東京事務所にTICAD(アフリカ開発会議)担当の政策/アドボカシー・アドバイザーとして、一応パートタイムという形でご奉公。当初は半年という話だったのだけど、結局今年の4月末にやっと年季が明けました。最後の半年はほぼフルタイムに近い形で働いていたのだけど、ODAを取り巻く環境もだいぶ変わり、昨年の政権交代を機に有志で始めた「ODAを変える会」を通じて、マルチステークホルダーで議論を重ねるうちに、また、岡田外務大臣(当時)のリーダーシップの下にまとめあげられた外務省による改革案の議論を耳にするうちに、さらには、G8サミットやMDGsサミットのマス・メディアによるあまりに的外れな報道の仕方(=アジェンダではなく、政局中心。アジェンダも、大きな文脈を捉えてるとは言い難い)を目の当たりにするにつけ、自分の知見・時間・エネルギーを国際機関の日本事務所という場、政策議論を中心とした場で使う事に大きな徒労感を感じるようになってしまいました。

5月に完全にフリーに戻り、しばらく充電期間と称してゴロゴロしてましたが、漠然とやりたいと思っていたことが「充電中」の数々の出会いを経てビジョンとして、また事業案としてまとまってきました。そのうちの一つ「開発教育」は、既に始動しつつあり、来年1年をかけて本格的なプログラムに育てていくつもりです。「ジェンダー」も続きます。

ということで、来年は、ツイッター、ブログ、Facebookをうまくミックスさせて、色々なことを発信していきたいと思っています。


ツイッター

2010-05-22 | Weblog

ブログの更新がおろそかになっております。

ここしばらく、ツイッターで呟いています。コチラです。

ブログの方も、近々更新します。