田舎のエプロンおばさんのエッセー集(アキのあしあと集)

日常の生活記録や認知症の主人を抱え奮闘する私の日々の記録をエッセー風にしました。

141  中学生

2006-04-26 11:26:52 | 孫の話題
4月23日長女1家が家族4人でやって来ました。
上の娘が4月から中学生になったのですが制服姿を見せにやって来たのです。
紺の制服に白線3本ネクタイは紺色、靴下は白。スニーカーは学校で決まって
いるのを履いてきました。恥ずかしそうにテレながら写真を撮らせてくれまし
た。母親も抜きそうな背丈!顔も急に大人びて見えます。小学校を卒業してか
ら1ケ月足らずですが成長がめまぐるしくただ驚くばかり!ソックスは1年生
の間は白を守らないと先輩に睨まれるそうです。2年生3年生になったら黒にな
るらしい!その心理、私にはよく分かりませんが先輩の威力は凄いです。
運動クラブはテニス部に入ると張り切っておりました。母親がテニスをやって
いる影響でしょう。新しい友達も出来夢と希望に燃えて中学生になった孫娘。
事故や事件に巻き込まれず楽しい中学生生活を送れる様婆ちゃんは祈るだけ!

 平成18年4月26日  記  孫が眩しく見えるエプロンおばさん

     

140  術後の主人

2006-04-23 08:19:26 | 認知症の夫を抱えて
19日主人が心筋梗塞を起こし救急車で入院。即時にカテーテルのバルーン
治療をして1晩ICUで拘束です。(動脈止血のため)ICUを出たらその
まま退院になりました。自宅が1番安心して安静が保てるだろう!と先生が
おしゃったけど・・・あ~あしかし安静が理解できません。
外に出ようとする毎に私が寝ていてくださいと!言うと終いには怒り出して
私を殴ろうとしました。興奮と怒りのため人相は変わり凄い形相でドアを2回
蹴散らしました。初めて私は主人を怖いと思いました。次の日は普通の服を
着せ自由にしたいようにして貰いました。するととても穏やかないつもの主人
が戻ってきました。認知症の人は・怒るとか!してはいけない!とか何事も
束縛がダメのようですね。今も犬とおしゃべりし幼子と遊び庭の草を取り平和
な時間が流れています。何時までもこの時間が続くことを願います。

  平成18年4月23日  記  穏やかな時間に囲まれたエプロンおばさん

     

139  3度目の発作

2006-04-20 15:24:51 | 認知症の夫を抱えて
主人が19日の朝けがた2時ころ2度目の心臓発作の後何事もなく起きてきて
食事をしたので私は安心して何時ものようにデイ・サービスに送り出しまし
た。10時に私もサークル活動へ出掛けておりました。その出先へ突然の電話!
主人が心臓発作で倒れ病院へ運んで治療しています。すぐ来て下さい!飛ん
で行きました。運ばれてきたときはショック状態でしたよ。救急車を呼んで
います、どこか行きたい病院ありますか?この前の病院はイヤです。
先生何処か?有りませんか?では私の後輩が産業医科大学で心臓専門でいま
す。認知症を分かって引き受けてくれるか?電話します。OKが出ました。
急いでください!7分後到着。大勢のスタッフがスタンバイ!すぐに処置が
始まり原因が分かりました、と先生が来られた。3本有る冠状動脈の1本が
完全に詰まっています。すぐにカテーテルでバルーンを入れた治療に入りま
す。3時間位経っただろうか?主人はICUへと運ばれる。1時間くらい経っ
たらICUへ家族が呼ばれた。本人は鼾をかいて寝ている。薬で眠らせてい
ます。動脈の止血が大事ですからその間手足を拘束させて下さい。
明日には一般病棟に移れると思います。もう安心して帰っていいですよ、他
の場所には梗塞はありませんでしたよ。先生を拝みながら帰ってきました。
あくる日入院の用意をして出ようとしたら病院より電話。一般病棟での安静
は無理なようですから退院したほうが本人も安心でしょう。私は慌てて退院
するために病院へと急ぐ。今回は原因も分かり治療も終わり安静にさえして
いればあの痛い発作は当分起こらない!うれしい限りです。
たずさわって下さった皆様有難うございました。

  平成18年4月19日   記   感謝の涙涙のエプロンおばさん

    


138  2度目の発作

2006-04-19 11:10:49 | 認知症の夫を抱えて
今朝夜中の2時過ぎ主人が又心臓の発作を起こしました。娘が言うには
心筋梗塞ではなく狭心症のような気がする!(娘は看護士)主人は私を起こし
「体がおかしい、痛い」と言います。「どこが痛いの?」「胸が(トントンと
胸を叩きながら)痛い」バックに入れているニトロールを舌の下に含ませて手
を握り額を撫ぜてあげてたら30分位したらそのまま寝てしまいました。ニトロ
ールが効いたのでしょう!しかし私は心配で眠れません!この前の発作より軽
かったけど確実に進行しているようです。1回目の発作から15日経っていまし
た。夜中のトイレに起きてからが悪くなるようです。救急車を呼んで病院に運
んでも治療は出来ず、これから先辛い日々が到来します。心の準備は出来てい
るのですが・・目の前で苦しむ主人をじ~と見ているのは堪らなく辛いけど・
一緒に苦しみ安心するように手をしっかり握ってやることしか出来ません。
夫は目覚めたら何時ものように鼻歌が出て犬の散歩も一緒に行きました。
今日も何事も無かったようにデイ・サービスに行きました。

平成18年4月19日   記  夫と共に病気と闘うエプロンおばさん

    


137  姪の結婚式

2006-04-17 12:47:25 | 認知症の夫を抱えて
4月16日博多のホテルで姪の結婚式がありました。お天気は良くて最高の
寿の日でした。主人を連れて電車に乗ったら博多に着くまで訳の分からん歌
を歌っています。不審な顔で車中の視線が此方へ。博多の地下街で昼食に入
りました。注文の天丼が来るまで又歌っています。天丼が来ても食べながら
歌っています。目の前のウエイトレスの人チラチラと流し目で見ては不思議
そうです。私も知らん振りして主人には好きにさせて自分はしっかりと全部
食べました。私が終わったら、主人はもういらん!と残しました。博多駅か
らタクシーで会場のホテルへ。中州の近くでした。新婦の控え室で時間まで
待っている間延々と歌は続きます。私の姉弟や親戚も始めて見る主人の状態!
みな驚いていました。「いつもこうなの?」「そう寝てる以外歌は続くよ」と
私。両家の親戚紹介のときも、歌が出た途端私が主人の膝をポンと叩きます。
びっくりして歌は止まります。知らん振りしている私を見て又歌は出ます。
ポンと膝を叩き歌は止まり又歌が出たらポンと叩く。何回これを繰り返した
ことか?新郎の親の兄弟は7人新婦の親の兄弟は8人多い親戚に長い長い紹介
は続きます!披露宴が始まれば自由です、少々歌って騒いでも困りません。
歌う以外は何の失敗もなく無事帰ってきました。疲れました!認知障害者を
人前に連れて行くのは大変ですが一緒に出席できて良かったです。何か行事
があるたびにこれが最後かも!と思います。歩ける間は連れて行こう!
今回もそんな思いでした。月末には姉の古希祝が待っています。
又一緒に行ってきます。

 平成18年4月17日 記 一緒に出席出来てよかったと思うエプロンおばさん

    

136  近況報告

2006-04-12 11:32:47 | 認知症の夫を抱えて
主人が退院して1週間が経ちました。今までのように毎日デイ・サービスに
通っています。俺は何処に行くのか?お前も一緒に行くのか?不安げに毎回聞
きます。先月私が入院している30日間はショートステイへ,それからはデイ・
サービス。そして4月に入って本人が入院(3日間)環境がころころ変わり混乱
しています。体のほうは大きな変化はまだ来ていません。夜になったらア~ア
今日も無事だった!朝目が覚めたらすぐ主人の顔を見てア~ア息している今日
も無事でありますように!1日1日生かされていることを実感しては神様に感
謝しております。最近は足が痛いとか両足が震える!じ~としていても小さく
震えているよ!と訴えています。何なんでしょうか?パーキンソンかな?
胸が痛いなら分かります。4月4日入院したのは狭心症か?心筋梗塞の疑いでし
たから。認知症で病気を理解出来ず治療が出来ない患者さんはどうしておられ
るのかしら?私は家で最後まで看取るつもりですが。娘は共倒れにならないか?
不安と言います先のことはその時にならないと分かりません。鹿児島の主人の
兄弟にも知らせていたほうが言いと娘は言いますが私はまだ早いと思いまだ何
も知らせていません。

平成18年4月12日  記  感謝の毎日・エプロンおばさん

   

135  認知障害者が倒れたら・・・パート2

2006-04-10 10:38:53 | 認知症の夫を抱えて
朝6時半私の携帯電話が鳴り出す、病院からだった。主人が酸素マスクをは
ずし点滴を抜いて心電図のモニターも外し帰ると騒いで裸足で院内を血だら
けにして歩き回って困っています。男の私でも手に負えません!抑制帯でベッ
トに固定してもよろしいですか?「ま~ご迷惑かけて申し訳ありません、固定
してください」それから私も身支度をして病院へと車を走らせる。7時半到着。
主人は両手と体計3ケ所くくられ哀れな姿!涙がこみ上げる。急いで抑制帯を
ほどき自由にしてあげる。ベットを起こし背中をさすり謝る私。手に箸を持た
せ朝食をさせようとするが右手が曲がらない!「どうしたんだろうか?手が痛
くて曲がらんよ」と訴える。救急車で運ばれたことも、暴れたことも、どうし
てここに居るのかさえも分からない!私は泣きながらご飯を食べさせる。
看護士さんが個室に入ってくれませんか?そして消灯まで家族の方が付き添っ
て下さい、病院では対処できません。検査の造影剤注入も20秒息を止める指示
も理解と協力が無理だから中止します。それなら家につれて帰るしかない。
治療も検査も出来ないなら家で自由に生活するほうが彼も人間らしく生きられ
る。狭心症なのか?心筋梗塞なのか?原因は分からないまま退院しました。
認知障害者が倒れたら最悪です。特に主人のように足腰が丈夫な認知症の人は
病気になったらアウトです。ただただ家が恋しくて家が1番憩いの場なんです。
人間らしく尊厳を持って生きる!彼は今73才!これ以上何を望むのでしょうか?
再発したらその時はその時です。退院後家族に囲まれ赤ちゃんと遊び犬と戯れ
嬉しそうにしている主人を見てこれで良かったと私も安堵しています。

  平成18年4月10日  記  覚悟は出来て安堵しているエプロンおばさん

     

134  認知障害者が倒れたら・・・パート1

2006-04-07 09:32:31 | 認知症の夫を抱えて
4月4日夜中12時主人がトイレから帰ってきて部屋の入口の畳の上で倒れた。
胸をとんとん叩き苦しがっている。
顔面蒼白冷や汗びっしょり額は氷のように冷たい。私は慌てて娘夫婦を呼んだ
「父さんが倒れた」すぐに駆けつけた2人。「お父さんどこが痛いの?」転げ
回って苦しがる主人!「血圧計持ってきて!」婿が走って持ってくる。
(娘は看護士)「だめだ計れない」「救急車呼んで!」婿がすぐ電話する。
私はただオロオロして主人の手を握っているだけ。「救急車すぐに来ますよ
お父さん頑張って!」婿の声でハット我に帰った私。バックに印鑑、保険書
老人医療書を入れて外の犬を繋ぎに走る。担架が部屋の中へ。酸素10リッター
の指示。「病院は任せてもらえますか?」「お願いします。」救急病院へ搬送
「今夜は循環器専門の先生が当直です、良かったですね~。」病院の表では
ドクター、ナース、医事局の人10名位が待っていて下さった。テキパキと
応急処置が進み、レントゲン、心電図、CTの映像が出来上がりやっと本人に
会えてドクターの説明を受けたのは午前3時近かった。「今の段階では狭心症
なのか?心筋梗塞か?分かりません。」「血管造影剤で詳しく調べないといけ
ません。」「主人は認知障害者でどこまで理解出来るかわかりません。」
「困りましたね~検査には患者さんの協力がなければ実施出来ません。」
「何処まで家族がこれからの治療を望まれるか?が問題ですね。」「取りあえ
ず5Fのハイケア室に入院しましょう。ここには必ず看護士が1名24時間常駐し
ていますから。」命には別状なかったがこれから先の検査、治療をどうするか?
重い宿題がのしかかり家路に向かう足は重い。
続きはパート2にて又書きます。

  平成18年4月7日  記  家路に向かう足が重いエプロンおばさん