田舎のエプロンおばさんのエッセー集(アキのあしあと集)

日常の生活記録や認知症の主人を抱え奮闘する私の日々の記録をエッセー風にしました。

7 日増しに強まる好奇心

2004-06-30 15:02:06 | 私の身辺
平成9年1月30日 朝日新聞 はなしの広場 かけ橋 掲載

 若い人が両手でポン、ポン、ポンとワープロを打っている。うらやましい。
私もやってみたい。と思う気持ちが日増しに強くなっていった。
思い切って安いのでも買おうかな?と言う気になった頃、家から古いワープロが
出てきた。娘が独身の頃使っていたものだ。時代遅れの代物で説明書も何処に
あるか分からない。しかしワープロはワープロだ。よし!これで練習して上手く
打てるようになったら新品を買えばよい。翌日重たいワープロを職場に持って
行き昼休みに若い人に教えてもらった。何とかやり方が少し分かってきた。
その夜4時間かけて娘に8行の手紙を打った。「あなたが置いて行ったワープロ
ありがとう。これで一生懸命勉強するからね」
60の手習いとはこの事をいうのだろう。新しい事への挑戦!好奇心!ファイト
と情熱!これが今年の私の目標です。

    註・・・あれから7年 今ではPCとデジカメの時代
 
  平成16年6月30日  記  新しいことへ挑戦するエプロンおばさん

    




6 明るく優しい孫娘「天使の声聞かせて」

2004-06-25 14:35:59 | 孫の話題
平成8年4月4日 朝日新聞 はなしの広場 かけ橋 掲載 

2歳になる孫娘がトイレに行きたい時は「ママおしっこでございまーすウンチ
でございまーす」と言いながら走って行くそうだ。おもちゃ箱をひっくりかえし
たまま・・片付けなさい!と叱られる と「ママ怒らないで!ママが怒ると
おめめから涙が出て止まらないの」と言ってポロポロ涙を流して泣くそうだ。
発想と言うか、表現と言うか、これが私には天使の声に聞こえてる。
母親もその声にハッと我に返り、ヒステリックに怒った自分を反省すると言う。
或る日テレビを付けっ放しで遊んでいたのでママがスイッチを切ろうとしたが
赤ちゃんを抱いていたので・・エイッとばかり足でリモコンのスイッチを押
した。すかさず「ママだめでしょうちゃんとお手手でしなきゃ」と怒られた
そうな。母親にはとても厳しい孫娘だけど赤ちゃんが大好きで「私の妹」と
言って可愛がる。お姉さんでしょう、と言うと、違う「私の妹」と必ず
訂正する。明るくて心優しい天使さん電話でいいから声を聞かせて!
おばあちゃんは逢いたくて!抱きたくて!チューをしたくてたまりまん。

   平成16年6月25日 記  天使さんへチューがしたいエプロンおばさん

 



5 孫と私(2人だけの)口紅の秘密

2004-06-20 14:20:57 | 孫の話題

平成8年2月22日 朝日新聞 はなしの広場 かけ橋 掲載
     
先日、娘の友人から電話をもらった。まどかちゃん(2歳の初孫)が遊びに
来た時「まどかちゃん大きくなったら学校にいくの?」と尋ねたら「学校には
行かない!大きくなったら口紅をつけるの!」と答えて皆をビックリさせて
大笑いだったと言う。私はドキッとして、まどかが、いじらしくなりました。 
実は口紅の話しには、まどかと私だけにしか通じない会話が 秘められていた
のです。昨年11月末から娘が2人目の出産で、まどかを連れて里帰り中。出勤
前の化粧をしている私のそばで、まどかは自分にも口紅をつけてと離れない。
時間がない出勤前のおばあちゃん、慌てて「大きくなったらつけていいから
今はダメよ、分かった?」と言うと こっくり頷いて「うん大きくなったら
つけるからね」この日を境に化粧していても口紅をつけて!と言わなくなった
まどか!それ以来ずーとこの思いを胸の中にしまっていたのだろう。
だから突然「大きくなって・・・」の質問に「口紅をつけるの」と自然に答が
でたのだろう。ますます、まどかが可愛くてメロメロのおばあちゃんになって
しまった。
 
   註 あの時のまどかも今はもう 小学校5年生。

 平成16年6月20日 記  メロメロになったエプロンおばさん

    


4 補助看

2004-06-18 14:01:14 | 私の身辺

    昭和59年7月24日 毎日新聞 女の気持ち 掲載

 看護婦さん!看護婦さん!と患者さんに呼ばれてハッとした。
周囲には誰もいない。恥じらいとテレで少し赤くなりながらやっと自分の事
だと気が付く。私の服装は看護婦さんと良く似ている。私は頭に三角布。
私の仕事は補助看。何をするかと言えば看護婦さんの助手受付事務の助手
その他院内の掃除洗濯、入院患者さんの配膳、時には自家用運転手と変身
して外に飛び出して走り回る。 事務長曰く「君の仕事は病院にとっていかに
重要なことか分かりますか?清潔、親切、 明るい雰囲気つくり、等々責任は
重いのだから仕事に誇りをもって頑張って下さい」と。この仕事に付いてまだ
半年足らずだが私はこの与えられた仕事が最高に気に入っ いるのである。
看護婦さんが時々私の事を「お母さん」と呼ぶ時がある。そうだ!私は病院の
母さんになろう。母さんの心がけで仕事にはげもうと思う。私が1番嬉しい時
は患者さんが元気に退院される姿を見送る時でる。1番辛いのは容態が悪化
して設備の整った大きい病院に転送する救急車を見送る時。朝眼が覚めたら
寝床の中で今日1日の仕事の予定を立てて見る。入院、退院、飛び入りの車
の運転・・中々予定通りに運ばない日が多いけれどその変化が又充実感を与
えてくれる。嬉々として職場へ出かける母の姿を我が娘達はどう受け止め何を
学んでくれるのだろうか?

  註 その後 平成15年12月15日 定年退職  お疲れさまでした

  平成16年6月18日   記  仕事が楽しいエプロンおばさん

    



3 しあわせ問答

2004-06-15 11:27:40 | 不良娘の成長
  昭和58年9月22日 毎日新聞 女の気持ち 掲載 

 或る日の事,高1の娘と私の会話。「母さん、家は平和すぎて波風がたたず
このままでは姉ちゃんと私大人になって困るよ」「冗談じゃないよ」「だってさ
家は父さんと母さん仲がいいしその中で育った私達が結婚して夫婦ケンカ、別居
離婚とかに発展した時どうしていいか分からんやないの。やっぱり不幸な家庭の
中で時々色んなトラブルを経験してたらさ自分がどうしたらいいか考える時間が
あるやん!だからたまにはケンカしてよ」「ちょっとお前頭がおかしいんやないの?
今頃から先の不幸を考える必要ないよ あんたの年なら夢や希望で胸膨らま
せてバラ色の人生を夢見るのが普通の女の子だよ。折角だけどおあいにく様、
父さんとケンカなんかしませんよ。 家は貧乏だけど仲良くやっていけてるから
最高やないの、両親に感謝しない!「でもね、母さん、私が結婚する相手は不幸
な家庭で育った男の人を選ぶよ」「なぜ?」「そうゆう人はきっと自分の家庭を
大事にすると思うから」言いたい事だけ言うと娘は自分の部屋に引き上げて行き
ました。ちょっと変わった娘ですが、娘のおかげで、私は結婚19年自分がいかに
幸せな妻であるかを教えられました。娘にとっては平凡すぎて、退屈な家庭でも
平凡万歳! 父さん有難う!

       娘の選んだ結婚相手は幸せな家庭の王子様でした。

  平成16年6月15日 記  感謝感謝のエプロンおばさん

   

2 天国のとうちゃんへ

2004-06-13 07:08:27 | 身内とペット
昭和58年8月29日 毎日新聞 女の気持ち 掲載

父ちゃん今も天国で人を笑わせていますか?人1倍明るくユ-モアを愛した
父ちゃん!初盆は貴方の子供8人とその家族総勢30人で賑やかに済ませました。 
精霊流しは花火をどんどん打ち上げて「じいちゃん、さよなら」と孫達が声を
からして叫び続けました。お気に召しましたか?明るくほがらかに人生の幕を
閉じた父ちゃん!あなたの偉大さと教えは子から孫へと僅かでも受け継がれる
事でしょう。お酒を愛した父ちゃんが酔ったときの自慢話は小学校PTA副会長
をした事と選挙投票日の1番乗りだったわね。1度だけ床屋の平田さんにして
やられたと悔やんでいたっけ。2人は実にいいライバルでした。4年毎に午前
4時頃からいい年の男2人が遅れてはならじと小走りで投票場へと向かう姿は
男のロマンだったのかしら。私が娘達をつれて実家へ行くと父ちゃんは
「ハロー」と言っては握手をし土産を貰っては「サンキュー」を連発して皆を
笑わせていましたね。5年間寝たっきりで床ずれやオムツかぶれで悩ませられて
いただろうその時までも!父ちゃんの部屋はたえず人が訪れいつも笑い声が聞こ
えていました。今では残された母ちゃん泣いてばかりです。
余りにも明るく賑やかな人が消えた今の寂しさ母ちゃんにはこたえているよ。
父ちゃん!天国の人だけじゃーなくたまには母ちゃんも笑わせて下さいナ。

      註・・・その後   平成11年9月 母没享年88歳

平成16年6日13日  記    父ちゃん子だったエプロンおばさん

    



1 家出宣言騒ぎ

2004-06-11 06:41:06 | 不良娘の成長

    昭和58年7月23日 毎日新聞 女の気持掲載

 我が家には高校2年と1年の娘がおります。姉の方は健全でほほえましい
高校生活 を送っています。下の娘は本人の希望する県立高校に合格し親孝行
してくれたと胸をなでおろしていたのですが、次から次へと問題を引き起こし
主人も私も頭を抱え込んでおります。その娘が数日前紙袋2つを持って家出を
宣言。学校もやめて働く。 父親の考えに付いていけないのでこの家に居るの
が面白くないと言うのです。主人は"そんなにイヤなら勝手にしろ!自分の力で
生きていけ"と突き放しました。 私は涙ながらに思いとどまる様に懇願しても
聞き入れません。父さんの頑固頭が直らない限り でて行く。そこで私も考え
ました。15歳のむすめ1人家を出すわけには行きません私も一緒に出て行きます。
姉の方は貴方が守って下さい、主人はア然として何も言えません。
驚いたのが当の娘です。母さんが家を出たらどうなるのよ姉ちゃんが可愛そう
やんかと泣き出したのです。結局娘の出した条件を飲んでその日はケリがつき
ました。
   ①あんまり細かい事をうるさく注意しないでほしい。
   ②友達の批判は絶対に止める事。
   ③とにかく外見はどうあろうとも中身まで腐った人間にはならないの
    で信じてほしいと言うものです。
だまって見守る事は辛い事ですが主人と私は娘が1日も早く目覚めてくれる事を
信じ待っております。
  
  註 その後 今現在同居しているのがその娘・・信じて良かった。
          
    平成16年6月11日  記  幸せなエプロンおばさん

   

   

はじめに

2004-06-01 08:22:13 | 私の身辺


 65歳になる熟女がふと立ち止まり自分の人生を振り返って見た時余りに
長く余りに短く今ここに座っているのが嘘みたい。
時の流れはかくも静かに音も無く全てを包み込んで今を刻んでいます。
平和で心安らぐ今残された余生の有意義で且つ価値ある過ごし方は?
「そうだ!自分の経験、考え方、対処の仕方、等々何かの形で残そう。」
自分の為、子の為、孫の為1人の女が、母が、祖母がどのような人生を
送ったかエッセーにして纏めて残そう!さあ~残り少ない脳細胞を酷使して・
ありのまま記憶を辿りタイムスリップしましよう。
記憶が薄れたり前後のずれがあるやも知れませんが・・・
その節はお許しを!

    
   平成16年6月1日  記   エプロンおばさん