@ON!

若造経営者のブログです。
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たまに仕事の話とサッカー話を書きます。

「ナントカ還元水」商標登録申請されていた

2007年05月30日 | @ONの日記
こんな事があるのか?

あの松岡大臣が生み出したナントカ還元水が商標登録されているではないか!
この馬鹿馬鹿しい人に座布団あげたい!

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「ナントカ還元水」商標登録申請されていた

松岡前農相の名前を一躍全国にとどろかせた迷フレーズ「ナントカ還元水」が、特許庁に商標登録出願されていたことが分かった。しかし、松岡氏の突然の悲報を受け、出願を担当した弁理士は「出願人は登録が認められても、登録料を払わないのではないか」と登録を辞退するとの見方を示しており、商品化の実現は厳しそうだ。

 「ナントカ還元水」のフレーズが初登場したのは今年3月5日。参院予算委員会で、松岡氏が高額な光熱水費について「ナントカ還元水とかいうものをつけている」と答弁し、一躍“流行語”となった。

 それから約2週間後の同20日、埼玉県に住む男性が特許庁に「何とか還元水」として商標登録を出願。区分は「電解水生成器、家庭用浄水器、家庭用電解還元水生成器、濾(ろ)過式浄水器、業務用浄水器」とされている。

 ただ、代理人として出願を担当した弁理士は「実際に商標登録が認められても(出願人は)登録の段階で登録料を払うことはないのではないか」と述べている。

 その理由として「出願した当時は、商品として商標を使用することを考えていたようだ。今回、おそらく登録は認められるだろうが、それまで半年以上かかる。その時期には、すでに言葉自体が忘れられているだろう」と説明した。

 もちろん、言葉の“生みの親”である松岡氏の自殺も、登録を踏みとどまる理由として「あると思う」と弁理士。現時点では「出願人から商標登録申請の取り消しなどを求める連絡は来ていない」という。

 どうやら「何とか還元水」の商品化が実現する可能性は低そうだ。「ヤフーオークション」などインターネットのオークションサイトでも、松岡氏が愛飲しているとうわさされた通称「ナントカ還元水」が出品されているが入札者は皆無。「ナントカ還元水」ブームは静かに終息へと向かっているようだ。

 ◆「美しい国日本」はNG 「流行語大賞」でも常連の政治家の発言は、しばしばビジネスチャンスを求める業者によって商標登録が出願される。松岡氏の任命責任が厳しく問われている安倍首相の掲げる「美しい国、日本。」も、大手ハム・ソーセージ会社が商標登録を出願中。一方で、神戸市の洋菓子店が昨年4月に出願した「美しい国日本」は、今年3月に登録を拒絶されている。また、2001年に小泉純一郎首相(当時)が所信表明演説で小林虎三郎の故事から引用して“流行語”となった「米百俵」は、その後多数の業者が商標登録を出願し、認められている。



足痛めた

2007年05月30日 | @ONの日記
昨日のフットサルで軽い捻挫と筋肉を打撲しちゃいました。
ゲーム中にコーチと接触プレーで左足首と左足すねの近くの筋肉を痛めてしまった。

捻挫はまだましでプレーにさほど支障はないかな
でも筋肉の打撲が結構痛い。
痛いのは我慢できるけど、筋肉の動きが鈍いのが気になる。
今週の優勝決定戦のプレーに支障が出なければいいけど・・。

あと3日で治るかな。

稲本がフランクフルトに移籍!

2007年05月30日 | SOCCER
今回はサッカーの話ですけど

高原が誘ったらしく稲本がフランクフルト(ドイツ)に移籍したらいです。
しかも移籍金0円だとか。

ブンデスリーガってWOWOWでしたっけ?
スカパー?
でもウルトラカフェでみればいいか!

うぉぉ楽しみだって!

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稲本、フランクフルト電撃移籍!高原と“黄金”タッグ

ドイツ1部リーグ・フランクフルトは29日、トルコのガラタサライからドイツW杯日本代表MF稲本潤一(27)を獲得したと発表した。イングランド、トルコと渡り歩いた稲本にとっては初のドイツ移籍。契約期間は2年で、プラス1年のオプション付き。新天地では、かつて“黄金世代”の一員として日本代表を率いたFW高原直泰(27)とゴールデンコンビを組む。

 日本が誇る守備的MFが、渡欧後6チーム目のユニホームに袖を通す。29日午後、フランクフルトで開かれた電撃移籍発表会見で、稲本は「非常にうれしいこと。ブンデスリーガというのは、自分のキャリアのステップアップだと思う。しっかり活躍したい」と晴れやかな表情で語った。

 2001年にG大阪からアーセナルへ渡って、5シーズンをイングランドでプレー。そして昨年のドイツW杯後、戦いの舞台をトルコに移し、今季はリーグ戦29試合中21試合に出場と奮闘した。

 しかし、ガラタサライ側は残留を希望した稲本との契約を延長せず、移籍が決定的に。そんな矢先にフランクフルトからオファー。稲本をドイツへと導いたのは高原だった。今季終了間際、フンケル監督は、来季に向けて中盤の強化を熱望。そこに高原が「稲本はどうか?」と進言し、フロントが約3週間半かけて調査し、移籍金ゼロでの獲得に至った。

 2人は1999年の世界ユース・ナイジェリア大会で準優勝し、世界を驚かせた日本の“黄金世代”の中心。ドイツW杯でも“共演”した。同一クラブでのプレーは初めてとなるが「高原とはユース時代から何度も一緒にプレーしているので、連係はうまくいくと思う。それを多くの得点につなげたい」と誓った。会見に同席したブルッフハーゲン会長は「中盤のどのポジションでもこなすと聞いているが、司令塔をやってもらおうと思っている」と話した。

 今回のキリン杯でイビチャ・オシム監督(66)は日本代表への招集を考えていたが、移籍問題と古傷である左ひ骨周辺の検査のため見送り。しかし、その実力は名将も認めている。稲本は新天地のフランクフルトから代表復帰を狙う。

 ◆稲本 潤一(いなもと・じゅんいち)1979年9月18日、鹿児島県生まれ。27歳。G大阪ユースから97年、17歳6か月の当時最年少でJリーグデビュー。99年、世界ユース選手権準優勝、2000年シドニー五輪ベスト8の原動力となった。01年にアーセナルへ移籍。翌年の日韓W杯で日本のベスト16進出に貢献。フラム、ウエストブロミッジ(WBA)、カーディフなどを経て、今季はガラタサライで21試合に出場した。181センチ、75キロ。