日本キリスト教会 大分中央教会

1517年、宗教改革による改革派信仰の伝統を引き継ぐ教会です。

牧 会 通 信

2016-09-21 15:31:06 | 大分中央ウィークリー

 (原 光訳 2000年、沖積舎)

ダンテの「神曲 地獄」編 第14歌(カッコ内は筆子、その12)

◯「いかなるものも入るのを拒まれぬ、あの門からここに入つてから、わたしがそなたに示した外のすべてのものの中で、

上に落ちてくる火をみんな消してしまふ、ここにある小川ほど注目すべきものは、一つとてそなたの眼は認めなかつたのだ。」

わたしの先達がかう言つたので、おかげでもりもり食べたくなつた食物を、気前よく与へてくれるやうに、わたしは頼んだ。(前回ここまで)

◯すると言つた、「海の真中に荒廃した国がある、そこはクレタ(南地中海の島)と呼ばれ、そこの王の支配下でかつて世界は純潔だつた。

  そこにはイダ(クレタ島の中央)と呼ばれる山があり、かつては水と葉繁みで陽気だつたが、いまは老い古びたもののやうに荒廃してゐる。

 レア(神話の神々の母)はかつてその山をわが子の信頼できる揺籃(ゆりかご)として選び、もつとよく隠すために、子が泣きだすと人人を叫ばせたものだ。  (つづく)

 

◯本日、2016年9月18日は、第三十八主日となる。日聖協「聖書愛読こよみ」は「二つの道」という主題。聖書は申命記30章15~20、その15節。「見よ、

わたしは今日、命と幸い、死と災いをあなたの前に置く。」という。わたしたちの目の前にある道は、たった二つだけである。キリスト教の歴史は大友宗麟から

数えても600年にも満たない。それゆえキリスト教人口は極めて少ない。今日人生80年といわれるが、人生の道はたった二つしかない。問題の中心は命の

道を歩く人は、ここにいるわれわれである。お金では買えない。感謝して歩きたい。 

◯写真は、先週、13日(火)に九州中会ヤスクニ委員の内二人、島田善次委員長(左から二番目)と南茂昭夫は八女伝道所の祈祷会に招かれた。


プロテスタントとカトリック

2016-09-13 22:02:03 | 大分中央ウィークリー

五、「教会とわたしたち」(379)近代から現代へ(宗教改革とその後)

はじめに近代への萌芽としてアウグスチヌス著「神の国」から引用(その19)

11 長短いずれにもせよ、すべての現世の生は同じように終わりを迎える。

たった一度だけ死ぬことによって、もはや死の恐れを持たなくなるよりも、たとえ多くの死の恐れの下においてであっても長生きする方を人々がずっと多く好むことを、わたしは知らないわけではない。しかし弱い肉体がそのような恐怖の下に戦き畏縮することと、理性的精神が慎重に考察し、恐れに打ち勝つこととは別事である。善き生涯の終わりである死を、悪しき(前回はここまで)ものと考えることはできない。死を悪とするのは、死の後に続くものである。

いずれにしても、必ず死ぬことに定められている者にとっては、どのような種類の死によって死ぬかではなく、その死によってどこへ行かねばならなくなるかが真の重大問題である。キリスト信者は犬の舌によってなめられていた貧者の死の方が、紫布の立派な衣に包まれて暮していた不信心な金持ちの死よりも、はるかに立派だったことを知っている(ルカ十六・十九以下) 。それを知っていれば、立派な生涯を終わった者が、死すべき人間に降りかかる死がどのような種類のものであろうと恐れるはずがあるだろうか。

12 死体の埋葬が出来ないとしても、それはキリスト信者にとって損失でない。

しかして、余り多くの死体があったので、そのすべてを埋葬することが不可能であった。~(つづく) (教団出版「神の国」出村彰訳1968


聖書研究

2016-09-13 21:56:34 | 大分中央ウィークリー

創世記24章1節である。「アブラハムは多くの日を重ね老人になり、主は何事においてもアブラハムに祝福をお与えになっていた。」という。18章11節に、ここと同じような表現があり、「アブラハムもサラも多くの日を重ねて老人になっており、」という。そのときは「アブラハムは百歳、サラは九十歳」(17・17)であった。 

それからサラは百二十七歳でその生涯を閉じた。アブラハムの生涯は百七十五年(25・7)であるから、サラと死別してから38年間生きた。その間にケトラと再婚して六人の子供をもうけている(25・2)から、ここで「アブラハムは多くの日を重ね老人になり」というのは、サラと死別してかなり早い1~2年後のことであろうか。「アブラハムに祝福」という言葉はここが始めてであるが、その全生涯が祝福されていたという意味である。早速、一人息子イサクの嫁探しの話が始まろうとしている。 

24章2節である。「アブラハムは家の全財産を任せている年寄りの僕に言った。『手をわたしの腿(もも)の間に入れ~』という。ここに出てくる「年寄りの僕」とは、「全財産を任せている」といわれているから、最も信任の厚い「僕」であったらしい。通説では15章2節のイサクが生まれるまで、アブラハム自身が跡継ぎはこの人と決めていた奴隷の子「ダマスコのエルエゼル」であろうとされている。 

相続権を自分から奪ったイサクのために働くため、アブラハムは誓約させるのである。その誓約の儀式が古代の儀式で、このモーセ五書が編集された前5世紀にはこの方法が存在しなかった。説明不十分のまま「手をわたしの腿の間に入れ~」(47・29にも)と。「腿」は男子割礼性器の象徴的表現で、厳粛な儀式であったと思われる。


牧 会 通 信

2016-09-13 21:49:34 | 大分中央ウィークリー

ダンテの「神曲 地獄」編 第14歌(カッコ内は筆子、その11) (原 光訳 2000年、沖積舎)

◯わたしらは黙つて歩いて、森から小川が噴き出てゐるところに着いたが、その血の赤はいまでも身の毛がよだつほどだ。

 娼婦たちが下の方で分ち合ふ、熱鉱泉(原語「プリカーメ」温泉の名称)から出る小川のやうに、この小川は熱砂を横切り下つてゐた。

 その底と左右の斜面と堤は石で出来てゐたので、そこが通路だとわたしは気づいた。(前回ここまで)

◯「いかなるものも入るのを拒まれぬ、あの門からここに入つてから、わたしがそなたに示した外のすべてのものの中で、

上に落ちてくる火をみんな消してしまふ、ここにある小川ほど注目すべきものは、一つとてそなたの眼は認めなかつたのだ。」

わたしの先達がかう言つたので、おかげでもりもり食べたくなつた食物を、気前よく与へてくれるやうに、わたしは頼んだ。(つづく)

 

◯本日、2016年9月11日は、第三十七主日となる。日聖協「聖書愛読こよみ」は「祈りの生活」という主題。聖書はマタイ6章5~8節、その7節。「また、あな

たがたが祈るときは、異邦人のようにくどくどと述べてはならない。」とあります。この「異邦人」を、あるカトリック教会の信徒がプロテスタントの信仰者に置き換

えて、プロテスタントの信徒が祈る自由祈祷が「くどくどと祈る」祈りであるといってカトリックの信徒は自由に祈らないといっていました。しかし「くどくど」は1時

間も2時間も祈り続ける祈りのこと。

 

◯写真は、先週、7日(水)に、九州中会伝道委員会として、委員の名古屋義弘と南茂昭夫の二人が長崎伝道所を問安して来ました。


プロテスタントとカトリック

2016-09-06 21:40:47 | 大分中央ウィークリー

五、「教会とわたしたち」(378)

近代から現代へ(宗教改革とその後)

はじめに近代への萌芽としてアウグスチヌス著「神の国」から引用(その18)

11 長短いずれにもせよ、すべての現世の生は同じように終わりを迎える。

しかしながら、多くのキリスト信者が、(前回はここまで)しかもさまざまの非道な方法で殺されたのも事実である。しかし、たとえ堪え難いことではあっても、死

は確かにすべて生あるものに共通の定めである。死んだ者は、すべて死すべくして死んだのである。長い短いこそあっても、すべての人生は同じように終わり

を迎える。終わりがやって来るそのときには、善・悪、長・短の違いはなくなるのである。どのような形の死によって人に一生に終止符が打たれようとも、一度

死んだ者がもはや二度と死ぬ必要がない以上は、いったいどれほどの違いがあろうか。この人生の浮沈において、すべての人はさまざまの形での、無数の

死の脅威と日々直面にしているのである。そのうちのどれが自分の上に振りかかるか、それはだれにもわからない。死によってその一つを耐え忍ぶ方が良い

か、それとも生きながらえてそのすべてを忍ぶ方が良いかわたしにはわからない。

たった一度だけ死ぬことによって、もはや死の恐れを持たなくなるよりも、たとえ多くの死の恐れの下においてであっても長生きする方を人々がずっと多く好む

ことを、わたしは知らないわけではない。しかし弱い肉体がそのような恐怖の下に戦き畏縮することと、理性的精神が慎重に考察し、恐れに打ち勝つこととは

別事である。善き生涯の終わりである死を、悪しき~ (つづく) (教団出版「神の国」出村彰訳1968