(原 光訳 2000年、沖積舎)
ダンテの「神曲 地獄」編 第14歌(カッコ内は筆子、その12)
◯「いかなるものも入るのを拒まれぬ、あの門からここに入つてから、わたしがそなたに示した外のすべてのものの中で、
上に落ちてくる火をみんな消してしまふ、ここにある小川ほど注目すべきものは、一つとてそなたの眼は認めなかつたのだ。」
わたしの先達がかう言つたので、おかげでもりもり食べたくなつた食物を、気前よく与へてくれるやうに、わたしは頼んだ。(前回ここまで)
◯すると言つた、「海の真中に荒廃した国がある、そこはクレタ(南地中海の島)と呼ばれ、そこの王の支配下でかつて世界は純潔だつた。
そこにはイダ(クレタ島の中央)と呼ばれる山があり、かつては水と葉繁みで陽気だつたが、いまは老い古びたもののやうに荒廃してゐる。
レア(神話の神々の母)はかつてその山をわが子の信頼できる揺籃(ゆりかご)として選び、もつとよく隠すために、子が泣きだすと人人を叫ばせたものだ。 (つづく)
◯本日、2016年9月18日は、第三十八主日となる。日聖協「聖書愛読こよみ」は「二つの道」という主題。聖書は申命記30章15~20、その15節。「見よ、
わたしは今日、命と幸い、死と災いをあなたの前に置く。」という。わたしたちの目の前にある道は、たった二つだけである。キリスト教の歴史は大友宗麟から
数えても600年にも満たない。それゆえキリスト教人口は極めて少ない。今日人生80年といわれるが、人生の道はたった二つしかない。問題の中心は命の
道を歩く人は、ここにいるわれわれである。お金では買えない。感謝して歩きたい。
◯写真は、先週、13日(火)に九州中会ヤスクニ委員の内二人、島田善次委員長(左から二番目)と南茂昭夫は八女伝道所の祈祷会に招かれた。
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