創世記23章1節である。「サラの生涯は百二十七年であった。これがサラの生きた年数である。」という。アブラハムがサラより十歳年上であるから(17・17)、このとき百三十七歳であった。また息子のイサクはアブラハムの百歳のときに生まれたのであったから(21・5)イサクは三十七歳であった。
最愛の妻というか、いろいろあったが、サラの忍耐を感謝するアブラハムの思いを記す意味で、恐らく、彼女の死のときを覚えて、その年齢を数えさせているのであろう。もう一つ、わざわざ歳を数えさせるのは、人はその「死」において、さすらいの人の成れの果を迎えるのではなく、さらに確固とした目標を目指していることを確認しているのである。その人の死においてこそ確かな永遠の資産の世継となっていることを現すのであった。彼女の百二十七年は世継と認定された記念の歳である。
2節である。「サラは、カナン地方のキルヤト・アルバ、すなわちヘブロンで死んだ。アブラハムは(来て)、サラのために胸を打ち、嘆き悲しんだ。」という。「キルヤト・アルバ」は、ヘブロンの元の地名である。もう一箇所聖書に出てくる。それはヨシュア記14・15、「ヘブロンはかつてキルヤト・アルバと呼ばれていたが、それはアナク人の中で最も偉大な人物アルバの名によるものであった。」と。この地名は人名から転化したもののようである。さらに民数記13・22、町の始りは「ヘブロン」という。
このとき、アブラハムが「胸を打ち嘆き悲しんだ」という。痛く悲しんだのであるが、原文では、「そして彼が行って(「ヤバー」)~」となっている。前章19節で、アブラハムが約40キロ南西の「ベエル・シェバに住んだ」というから、生活圏は広く、たぶん、出先から訃報を聞いて、ヘブロンまで戻ったようで、悲しみが大きい。
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