日本キリスト教会 大分中央教会

1517年、宗教改革による改革派信仰の伝統を引き継ぐ教会です。

牧 会 通 信

2018-05-29 00:46:55 | 大分中央ウィークリー

ダンテ著〈1265~1321〉の「神曲 地獄」編 20歌(その5) (原光訳、2000年、沖積舎)

◯ここで憐憫は死んでこそ生きるのだ、神の裁きを見て苦痛にめそめそする奴ほど卑劣なものがゐるだらうか?

 頭をまつすぐにしろ、まつすぐに、あいつを見ろ、テーベの眼の前であいつのために大地が裂け開いたのだ、それ

でみな絶叫した、

 どこへ堕ちる、アンフィアラオ? なぜ戦ひやめるのだ? と。だがあいつはあらゆるものを捕へて放さぬ、奈落の

ミノス(既出、第5歌・4「地獄の裁判官」)まで堕ちに堕ちたのだ。前回はここまで)

◯背を胸としてゐるあいつを見ろ、あまりにも前を見ようとしたので、後を見て逆行してゐるのだ。

 ティレシアを見ろ、交(つる)む蛇を打ち離して五体がすつかり変わり、男から女になつて見分けがつかなくなつた

のだが、

それから男の剛髭(こはひげ)を取戻す前に、絡み交(つる)む二匹の蛇をふたたび杖で打たねばならなかつたの

だ。(つづく)

◯本日、5月27日ペンテコステ後の「三位一体祝日」といいます。日本聖書協会の「聖書愛読暦」の主題は「祈り

の準備」である。聖書本文は、使徒言行録1章12~14節。その14節、「彼らは皆、婦人たちやイエスの母マリア

、またイエスの兄弟たちと心を合わせて熱心に祈っていた。」という。集まっていた人たちの中には、イエスの弟子の

十一人の名を数えることができる。欠けがえのない十二弟子の一人がいないという厳しさが伴っている。イスカリオ

テのユダがいないからである。従って14節の「心を合わせ熱心に祈っていた」とは、祈らざるを得ないからであっ

た。われわれの祈祷会の準備もしかり。祈るためではない。祈らざるを得ない。

写真は、5月母の日、舟橋市の娘から送られてきた、傘ブランカ21日撮。


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