日本キリスト教会 大分中央教会

1517年、宗教改革による改革派信仰の伝統を引き継ぐ教会です。

聖書研究

2016-03-08 23:02:47 | 大分中央ウィークリー

創世記22章16節である。「御使いは言った。『わたしは自らにかけて誓う、と主は言われる。あなたがこの事を行い、自分の独り子である自分の息子すら惜しまなかったので、~』」という。「わたしは自らにかけて誓う、~」といいます。神様には自分以上の確かなものはないのであられるから、「自分にかけて」といわれた。従って虚偽真性の誓いではなく、人の保障を与えて、人間を安心させるため、人間への配慮です。 

もう一つ、「自分の息子すら惜しまなかったので」とは、アブラハムの善行をたたえるのではない。神との交換取引ではない。神は恩寵として人に与えるお方です。「惜しまず施す豊かさ」(Ⅱコリ8・2)の、神への心の豊かな「惜しまなかった」です。信仰のわたしたちの世界は、神の恩寵が織り成す恵みの世界です。 

17節である。「あなたを豊に祝福し、あなたの子孫を天の星のように、海辺の砂のように増やそう。あなたの子孫は敵の城門を勝ち取る。」という。アブラハムの信仰に応える神は、神の恵みとして大いなる祝福と共に勝利の喜びに参与させられる。それが具体的に現れるのが、ここにいう「あなたの子孫は敵の城門を勝ち取る。」という。門は町に安全を与えるための要である。門はどこまでも平和を守る要である。 

もし門が破られると大きな敵を呼び込むことになる。反対に、門が安全に機能している限り町は平和なのである。それゆえ門が、町の安全の象徴的建造物であり、町全体の支配権を現すことになる。そこで「あなたの子孫は敵の城門を勝ち取る。」という。軍事力によってではない。信仰に応えて神が雄羊を用意されたようにして、一つまた一つと、「敵の城門を勝ち取る」神の勝利の世界を拡げていくことになる。


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