日本キリスト教会 大分中央教会

1517年、宗教改革による改革派信仰の伝統を引き継ぐ教会です。

プロテスタントとカトリック

2016-03-08 23:06:10 | 大分中央ウィークリー

五、「教会とわたしたち」(352)

4.近代の教会の夜明け   ―宗教改革とその後―ツヴィングリ

 10月13日には1万3千の兵を集め、さらにベルン軍7000の兵力と合して体勢を立て直すのであるが、その一部6000の兵がツーク市の山ろくのグーベル修道院で無防備の夜営中、10月23日のこと、月明りを背にした、カトリック五州軍の一部636人の若者たちの夜襲を受け、チュウリヒ側800以上の死者を出して、この戦いは終結した。11月から様々な仲介活動が入り、翌年1月31日に第二和議(9か条)が成立し、その内容は第一カッペル戦役の第一和議を踏襲するものとされ、カトリックと改革教会を互いに町ごとに選んで尊重し合うというものであった(信徒の多い改革派優位の部分属地主義)。

この後は、ツヴィングリの後継者を(ここまで前回)だれにするかで議論が深められ、最終的には、人柄が謙遜で温厚なJ・ハインリヒ・ブリンガー(1504~75)が選ばれた。1531年に亡きツヴィングリの後継者として、チューリヒの大聖堂教会牧師になり、死ぬまで留まり、良くその職を務め、彼の大きな貢献は、ドイツ語圏スイスにおけるチューリッヒの聖餐論の神学的姿勢を崩すことなく、ジュネーヴのJ・カルヴァン(1509~64)の指導の下にあるフランス語圏スイスとも交流を密にして、スイス改革派の伝統を形成し、大陸各地やスコットランドのJ・ノックスなどのためにも安定的勢力としての改革派教会の力となった。(主な参考文献・宗教改革著作集第五巻・教分館1984年、出村彰編)


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