創世記23章12節である。「アブラハムは国の民の前で挨拶をし、」という。「国の民の前で」とは、7節と同じ状況である。「国の民であるヘトの人々に」挨拶したのであった。そのときは「ツォハルの子、エフロンにお願いして、あの方の畑の端にあるマクベラの洞穴を譲っていただきたいのです。」とお願いした時であった。今度は、相応の代価を払って譲っていただいたという公的なお礼という挨拶を述べるのであった。
「挨拶をし、」とは7節と同じ言葉であり、その言葉の直訳的意味は「ひれ伏す」である。今日でも公的な取引はこの形である。特に不動産に関してはそうである。また、ある特定(指定献金のような)の、高額な資産を動かすときもまた、このような公的な、丁寧な挨拶が必要。教会の場合は大会、中会、総会を開いて協議した結果を受けて実行するという形である。すべてを治める神に応える姿勢なのである。
13節である。「国の民の聞いているところで、エフロンに頼んだ。『わたしの願いを聞き入れてくださるなら、どうか、畑の代金を払わせてください。どうぞ、受け取ってください。そうすれば、亡くなった妻をあそこに葬ってやれます。』」という。「どうか、~を払わせてください。」とは、エフロンが使った「差し上げます」(11節「ナーターティ」)の言葉「与える」(「ナーサン」の完了形の)と全く同じ言葉「ナーターティ」である。相手エフロンが使った同じ言葉によって実に敬意を表している。
そのお値段をいくらご要求されても「お支払いします」という意味である。また同時にこの取引をどうしても成功させて、その地所を獲得したいという気持ちを伝えている。相当な高額を求められていたのであろう。その意味の決意といってよい。
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