カジュアルジープでGo!Go!Go!

「われわれの一番大きい資源は、子供の心である。」by Walt Disney

京都 北野界隈 20151003

2015年10月03日 | 御朱印巡り

朝は涼しいけどまだそこそこ暑い! 今日は北野白梅町&西陣あたり。

地蔵院(椿寺)
726年 聖武天皇の勅願によって行基菩薩が摂津国の昆陽野池のほとりに建立した地蔵院が始まり。戦災で焼失したが足利義満が金閣寺建立の余財で再建し1589年に豊臣秀吉の命によって現在地に移る。書院の前庭には有名な「散り椿」があり、かつて豊臣秀吉の朝鮮侵略の際に加藤清正が朝鮮蔚山城から持ち帰って秀吉に献上し、さらに北野大茶会のときに地蔵院に献木された。

 

大将軍八神社
桓武天皇が平安建都の際に都城の方位守護神としたのが始まり。大将軍とは陰陽道にいう星神天大将軍で方位をつかさどる神。建築移動・旅行などに関し方除け、厄除けの神として伝えられる。

 

北野天満宮
遅くなったけど上娘高校受験お礼参り。菅原道真公をご祭神としておまつりする全国約1万2000社の天満宮、天神社の総本社。道真が無実の罪で配流された大宰府で没した後、都では落雷などの災害が相次いだ。没後20年目、朝廷は道真の左遷を撤回して官位を復し、正二位を贈った。多治比文子や太郎丸に託宣があり、それに基づいて947年朝廷によって道真を祀る社殿が造営された。現在の本殿は豊臣秀頼の寄進。

 

平野神社
794年 平安京遷都に伴い平城京の今木大神・久度大神・古開大神を遷座・勧請したのに始まる。神紋は桜で平安中期、花山天皇が境内に数千本の桜を植えたことに始まる。江戸時代には「平野の夜桜」として全国的にも桜の名所として知られ、桜の珍種が多く現在は50種約400本の桜が植えられている。

 

上七軒
室町時代に北野天満宮の再建の際に残った機材を使って7軒の茶店を建てた。これが「上七軒」の由来で、豊臣秀吉が北野で大茶会を開いた折に茶店側は団子を献上したところ大いに誉められて以来、また西陣の結びつきで花街としての繁栄を極める。毎年春になると上七軒歌舞練場で『北野をどり』が上演されて良い技芸を磨き披露している。

 

千本釈迦堂
1221年 求法上人義空(藤原秀衡の孫)によって創建された。本堂は洛中最古の木造建築。本堂の建立に関して大工の妻の「おかめ」に関する伝説が伝えられている。伝説から大工の信仰を得るようになり今日でも上棟式にはお多福(おかめ)の面を着けた御幣が飾られている。度重なる戦乱にも残った本堂とも結びつき厄除、招福のおかめ信仰につながっている。

 

釘抜地蔵(石像寺)
御朱印を頂くために数え年53周お堂の周りを歩かされる(O_o)。弘法大師が唐から持ち帰った石を刻んだとされる地蔵を祀る。この地蔵が、人々の身体や心の苦しみを抜き取るということから苦抜き(くぬき)地蔵、そして釘抜地蔵と呼ばれるようになった。あたしの心の釘も抜いてぇ~。

 

千本ゑんま堂(引接寺)
現世と冥土を行き来して閻魔王とも交流したという伝承のある小野篁が創建。なんてんたってご本尊が閻魔法王 。境内には花冠ごと散る珍しい桜「普賢象桜 」や、紫式部供養塔、京都の三大念佛狂言のひとつ「ゑんま堂狂言 」など見所もたくさんある。

 

今日の御朱印は7つで総計111。

おみやは億万長者予約券と京漬物老舗「近為(きんため)」のこの店ならではな漬け物。


最新の画像もっと見る

コメントを投稿