三連休でいい天気なんで連チャン。元気だ('◇')ゞ。
今日はきぬかけの路(金閣寺から仁和寺の県道)西側を攻めました。写真多めです。
仁和寺
886年 光孝天皇の勅願でに建て始められたが完成を見ずに翌年崩御。遺志を引き継いだ宇多天皇によって888年に落成。「西山御願寺」と称されたがやがて年号をとって仁和寺と号した。宇多天皇は出家後、仁和寺伽藍の西南に「御室」と呼ばれる僧坊を建てて住んだため「御室御所」の別称がある。その後も皇族や貴族の保護を受け明治時代に至るまで皇子や皇族が歴代の門跡を務め門跡寺院の筆頭として仏教各宗を統括していた。
重文 二王門
御殿(御室御所)
国宝 金堂
重文 五重塔
蓮華寺
1057年 に後冷泉天皇の勅願により藤原康基が開創。五智如来石像(大日如来、阿弥陀如来、釈迦如来、薬師如来、宝生如来)がある。五智如来とは大日如来を中心とし宇宙そのものを象徴したもので太陽のごとく万物を慈しみ知恵と五穀豊穣の功徳を表わす。
住吉大伴神社
創建不詳。平安京遷都に際して大伴氏が大和国から京の都に移った際その氏神として伴氏神社が祀られたものとされる。866年 応天門の変で伴善男が失脚し大伴氏の衰退を機に廃絶。大伴氏の没落後徳大寺家の領地となり平安時代末期には徳大寺家によって住吉神が祀られ住吉神社と改称。昭和期に入って再び大伴祖神を祀るべきという意見が強まったため1942年 天忍日命と道臣命が合祀され現行の住吉大伴神社と改称。
龍安寺
1450年 室町幕府の管領&守護大名で応仁の乱の東軍総帥でもあった細川勝元が創建した禅寺。「石庭」として知られる枯山水の方丈庭園で有名。1975年 エリザベス女王が来日時に龍安寺の拝観を希望し、石庭を絶賛したことが海外のマスコミでも報道され、世界各地での日本のZEN(禅)ブームと相俟って世界的にも知られるようになった。
石 庭
御朱印は4体で総計187。
おみやは仁和寺で9代目御朱印帳。今回はシンプルに朱色で菊の御紋。私も公家関係者として(まろの飼主)、もうちょっとちゃんとしなければ(・´з`・)