おこーんら!
じゃじゃーん!
たどり着いたのは
かの有名な
『松浦武四郎記念館』!!!!
……
………
って
いま
誰?
って思いましたね(笑)
かくいう私も
水曜の朝まで
その存在を知らなかったのですが(笑)
*
松浦武四郎さんは
江戸時代の探検家で
それまで蝦夷とよばれていた
北海道の名付け親 として有名な方
ことし北海道命名150周年らしく
彼の記事が (水曜朝の)新聞の隅に
のっていまして
何気なく見ていたら
なんだか素敵なエピソードがズラリ
↓
*16歳で『インドくらいまで行ってきま~す』と書き置き残し半分家出して独りで江戸へ(3か月後父親に強制送還(笑))
*その後日本全国をあるいて回る
*あるとき北からも外国攻めてくるかもだから蝦夷(北海道)のこともっと知っとかなきゃ!(自分にできることがしたい!)と個人で
蝦夷に何度も渡り アイヌの人と交流しながら地理&文化を学びまとめていく(それを自費出版したりして広くアイヌ文化を日本に知らす*挿絵とかも自分で描いたりして実に多才◎)
*その功績をみとめられ幕府から役人にスカウトされお仕事で蝦夷のさまざまをまとめていく
(ものすごく精巧な地図なんかも製作!ほんとに細かくて凄い!(写真))
(ただ、役人たちのアイヌの人の扱いの酷さに辟易して何度も上に告発するも認められず逆に煙たがられて命まで狙われたり!)
*で江戸時代おわって新政府から蝦夷の新しい呼び方を決めるよう言われ、幾とおりかの中から『北加伊道』が採用される
(政府に『加伊』を『海』になおされたが、
元は『加伊』は『この地に生まれし者』(=アイヌ民族)という意味があり『北加伊道』は
『北のこの地に生まれし者(アイヌの人)の土地』と意味があったそうな!あったかい!)
(しかも他の細かい地名も元のアイヌ言葉にちなんだものに決めたのも武四郎なのだそう!)
*でもそのあと政府のやりかたに ほとほと嫌けがさして辞職。晩年は地元の未開の山の探検をずっとつづけたそうな◎
…という人! (ざっくり(笑))
とにかく
『インド行ってきま~す』のくだりと
北加伊道の名前を 決める辺りが
とてもビビビときまして
ほとんど侵略みたいな感じで
虐げられてきたアイヌの人たちを
ちゃんと同じ人間として
人や文化を尊重して
さんざん 告発つっぱねられたあげく
きちんと
『北のこの地に生まれし者の土地』
という意味の『北加伊道』という名前に
決めさせられたし
地名も
(本当だったら名前なんか
適当に決めちゃわれそうなとこで)
きちんと 前もっての調査で 知った
正しい土地土地の名前を
アイヌの言葉で残した ってのが
もうなんだか
めちゃくちゃ
かっこいいし、優しい人だぁ なあ!と
感銘を受けたのであります
んで
その記事に
記念館が 三重松阪にあると書いてあり
お
こりゃあ (木)に出れば
行けるかもしれんぞ!
(↑すでに探検家の気持ち(笑))
となりまして
今回の記念館来館となったのでありました
(ふぅ!)
炎天下のなか
歩き続けて
やっとこたどり着いた
記念館は
規模は小さかったですが
当時の出版物など が
展示してあったりして
武四郎さんを(彼の思いを)
近くに感じることができて
本当に
行ってよかったなあ と 思える
そんな場所でありました
あ
ちなみに嵐の松本潤さん主演で
武四郎さんのドラマの製作
行われているらしいですよ(笑)
もし見かけたらぜしご覧あれ
もう
とにかく
旅に出るのに細かい理由はいらない のです
その場所にいかないと
わからないことや 感じられないこと
出会えない人が いるんだ(あるんだ)
と
改めて
おもわせていただいた
そんな
松浦武四郎記念館 なので
ありました
ほなちゃや