上海花園飯館(別名:上海ホテルオークラ)正面玄関の扉を開けると「日本」があるような錯覚「いらっしゃいませ」の声。館内のレストランでは港区のオークラと同じ質の「ケーキ」が日本語で注文し食えた。22年前のことである。街行く人の多くはブルーの人民服を着ていて、毛皮のコートを来ているのは日本からの観光客位で現地の人は一斉に振り返る。
現在、上海人で年収2000万円を越える人は25万人いると言われている。ラン
ボルギーニに乗る若い上海人、町で振り返るのはいまや日本人に変わった。
上海花園飯館・利用する人の多くが中国内陸からの人達に変わった位で、経営姿勢は22年前と変わらない。落ち着きがあり、古き上海バイスキンの香りが高い。
律儀で格式のある建物と働く日本人幹部の自信に満ちたホスピタリティがある。
所要で港区のホテルオークラへいく、アメリカ人VIPの治療。東京を手始めに東南亜細亜の旅だと聞く。突然の坐骨神経痛とギックリ腰、「鍼灸の専門家」をとの要請で急患扱いで特別往診治療・約3時間で改善、トリートメント、歩けるようになる。
数年前にもこのシーズンに言ったことがあるが、その時も大きな雛壇にお雛様が鎮座していた。今日もそうだ。心安らぐ空間、落ち着いた匂うばかりの端午の節句。
支配人と話す、青木会長の治療を上海花園でした思い出話・当時「鬼」と言われた
牧野常務・今、社友という肩書きで週3回出勤とのこと、お元気だ。鬼に鍛えられた支配人が館内を歩くと、全てのホテル従業員に風が吹くよう。緊張が心地よい。
私は、23年前、国立上海医科大学と合作で日本人専用病院「逸仙会病院」を立ち上げたとき、花園飯館の大ホールでレセプションを行った。金がなかった・青木会長の一言「今時、日本人が中国人の軒先借りて病院つくる君達は面白い、昔の馬賊のようで愉快だ、大ホールは餞に只で貸してやろう、だが料理は原価が掛かっているのでそれだけは払え!」
魂が震えた。青木会長が青春の頃、満州国あたりの馬賊だったという「噂話」が本当に思えた。スピリチュアルな日本人でした。旅先での病気は心もとない。
中国大陸で病気したとき、我が「上海逸仙会病院」は力になるはず。
数千年の日本の伝統文化に支えられた頂点が今!その頂点に貴方も私も生きている
本来、スピリチュアルなライフスタイルが似合う日本人「相互扶助」の日本人
さあ!玄米粥を食って今日も明日も元気が一番!!
現在、上海人で年収2000万円を越える人は25万人いると言われている。ラン
ボルギーニに乗る若い上海人、町で振り返るのはいまや日本人に変わった。
上海花園飯館・利用する人の多くが中国内陸からの人達に変わった位で、経営姿勢は22年前と変わらない。落ち着きがあり、古き上海バイスキンの香りが高い。
律儀で格式のある建物と働く日本人幹部の自信に満ちたホスピタリティがある。
所要で港区のホテルオークラへいく、アメリカ人VIPの治療。東京を手始めに東南亜細亜の旅だと聞く。突然の坐骨神経痛とギックリ腰、「鍼灸の専門家」をとの要請で急患扱いで特別往診治療・約3時間で改善、トリートメント、歩けるようになる。
数年前にもこのシーズンに言ったことがあるが、その時も大きな雛壇にお雛様が鎮座していた。今日もそうだ。心安らぐ空間、落ち着いた匂うばかりの端午の節句。
支配人と話す、青木会長の治療を上海花園でした思い出話・当時「鬼」と言われた
牧野常務・今、社友という肩書きで週3回出勤とのこと、お元気だ。鬼に鍛えられた支配人が館内を歩くと、全てのホテル従業員に風が吹くよう。緊張が心地よい。
私は、23年前、国立上海医科大学と合作で日本人専用病院「逸仙会病院」を立ち上げたとき、花園飯館の大ホールでレセプションを行った。金がなかった・青木会長の一言「今時、日本人が中国人の軒先借りて病院つくる君達は面白い、昔の馬賊のようで愉快だ、大ホールは餞に只で貸してやろう、だが料理は原価が掛かっているのでそれだけは払え!」
魂が震えた。青木会長が青春の頃、満州国あたりの馬賊だったという「噂話」が本当に思えた。スピリチュアルな日本人でした。旅先での病気は心もとない。
中国大陸で病気したとき、我が「上海逸仙会病院」は力になるはず。
数千年の日本の伝統文化に支えられた頂点が今!その頂点に貴方も私も生きている
本来、スピリチュアルなライフスタイルが似合う日本人「相互扶助」の日本人
さあ!玄米粥を食って今日も明日も元気が一番!!