古墳時代前期の前方後円墳 飯盛山古墳
会津古城研究会長 石田 明夫福島県会津若松市一箕町滝沢 市街地の北東部 磐越道会津若松ICから15分
会津若松市街地の北東に位置する戊辰戦争で白虎隊が自刃した飯盛山の山頂に位置するのが堂ヶ作山古墳。麓より150メートル高い標高368.5メートルの山頂に全長65メートルの前方後円墳と円墳が1基あります。前方部は、南西方向の会津盆地方面を向いています。墳丘は探査調査と測量が実施されています。古墳の形から、会津大塚山古墳より古い4世紀初頭と推定されています。主体部は未発掘で、未指定の古墳です。麓の住宅地からは白虎隊の墓北側から急なやぶの山道を徒歩20分です。また、この山は、戦国時代に山城として造りかえられています。そのため、古墳後円部がやや削平され、広くなっています。なぞのキリシタンと推定される洞窟も山頂近くにあります。 会津の歴史は「考古学から見た会津の歴史」へ