石田明夫の「会津の歴史」

全国的な視野で見た戊辰・会津戦争の歴史です

会津の歴史15 藤倉二階堂

2006年10月20日 | 会津の歴史

藤倉二階堂(延命寺地蔵堂) 昭和25年8月29日国重要文化財指定

会津古城研究会長 石田 明夫

会津若松市河東町倉橋字藤倉 磐越道会津若松ICから10分

1502_1 「藤倉二階堂」と呼ばれる延命寺は、『旧事雑考』によると、徳一によって大同二年(807)に草創したと伝えられる寺院です。恵日寺の子院でした。現在の延命寺地蔵堂は、「藤倉二階堂」と呼ばれ、建築手法から室町中期ごろに建てられたと推定される。桁(けた)行(ゆき)三間、梁間(はりま)三間、一重のもこし附、寄棟造り、本瓦葺でもとは茅(かや)葺(ぶ)きでした。寄棟造(よせむねづく)りの身舎の四面に切目(きりめ)縁(えん)を廻らし、その外側に四方各6本の円柱を建てて吹きぬけの廂間(ひさしま)となっています。外見から、裳こしを付けた形となっています。内部中央、方1間を鏡(かがみ)天井(てんじょう)とし、周囲を扇(おうぎ)垂木(たるき)で見せた化粧屋根裏となり、各組物などが禅宗(ぜんしゅう)様(よう)となっています。明治45年に解体修理がなされ、隣接する磐越西線の蒸気機関車の煙による火災を防止するため瓦葺きに改められています。厨子内(ずしない)には延命地蔵尊が安置されています。会津戦争では、藤倉集落は、西軍に火を付けられ焼失しましたが、二階堂だけが奇跡的に残ったものです。

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