石田明夫の「会津の歴史」

全国的な視野で見た戊辰・会津戦争の歴史です

会津の歴史13 4世紀前半の堂ヶ作山古墳

2006年10月07日 | 会津の歴史

古墳時代前期の前方後円墳 堂ヶ作山古墳

会津古城研究会長 石田 明夫

福島県会津若松市一箕町滝沢 市街地の北東部  磐越道会津若松ICから15分

_067_1 会津若松市街地の北東に位置する戊辰戦争で白虎隊が自刃した飯盛山の北側に位置するのが堂ヶ作山古墳。麓より150メートル高い標高382.2メートルの山頂に全長84メートルの前方後円墳があります。前方部は、北西方向の盆地方面を向いています。墳丘は試掘調査が実施され、朱彩土器や古墳の形から、会津大塚山古墳より古い4世紀前半と推定されています。主体部は未発掘で、未指定の古墳です。麓の住宅地からは神社脇から急なやぶの山道を徒歩20分です。熊に注意。戊辰戦争の時、新政府軍は、慶応4年(1868)8月23日早朝、戸ノ口原で会津藩軍を簡単に撃破し、滝沢峠を進み、この山頂から会津盆地を眺め、若松城下の進攻ルートを決めています。

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