石田明夫の「会津の歴史」

全国的な視野で見た戊辰・会津戦争の歴史です

会津の歴史37  角館にある葦名氏最後の城

2007年11月16日 | 会津の歴史

会津古城研究会長 石田 明夫

071110_075 会津を1289年から1589年まで400年間支配した葦名氏が、1603年に茨城県の江戸崎町から移り、葦名氏20代義広は(盛重と改名)角館へ移り義勝と名乗り、今の形となる城下町を築きました。角館はの基礎は、会津の葦名氏と伊南の河原田氏らの家臣が築いたのです。葦名氏の家臣が多く移り住み、今でも南会津町伊南の河原田家をはじめ多くの武家屋敷が残されてい 071110_071ます。また、会津若松市東山町にある天寧寺から分けられた、角館の天寧寺には、葦名氏三代の墓所があります。また、町の北側には、館があり、さらに北の戸沢氏居城であった古城山を葦名氏は、最後の居城としました。城跡は、土塁と平場で構成されるもので規模が大きい山城です。この城は、元和の一国一城令で破城されています。写真は大きくなります。

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