石田明夫の「会津の歴史」

全国的な視野で見た戊辰・会津戦争の歴史です

会津の歴史8 古代の村北瓦窯跡

2006年09月19日 | 会津の歴史

会津最古の窯跡 古代の瓦と須恵器を焼いた「村北瓦窯跡群」

福島県会津若松市大塚二丁目 国道49号線会津中央病院から5分 市史跡

会津古城研究会長 石田 明夫

060902_049 会津若松市の市街地北東、会津大塚山古墳の北側に位置するこの窯跡は、元、山口瓦窯跡と呼ばれていました。7世紀末から8世紀前半にかけての古代の瓦を焼いた窯跡と5基と須恵器(すえき)を焼いた窯跡1基の合計6基の窯跡群です。昭和46年6月に、居合(豊臣秀吉が名付けた)団地造成に伴い発掘調査が実施され「雷文縁複弁蓮華文軒丸瓦」が出土しています。ここで焼かれた瓦は、会津郡衙の会津若松市河東町の郡山遺跡から平瓦が出土しています。それ以外で遺跡への供給先は判明していません。

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