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合間の博物館旅日記

博物館を回りながら日本各地を旅をする過程の壮絶な日記。(2005.4-9月)
旅終了後は適当に随時更新の予定。

「太陽の塔」は何故あんな形なのか?

2011-04-16 07:02:01 | Weblog
岡本太郎の傑作と言われる「太陽の塔」は、何故あんな形をしているのか?

他の岡本太郎の立体作品と少しも似ていない。敢えて言えば川崎市岡本太郎美術館のシンボルである「母の塔」にやや類似性は見られるものの、基本的には唯一にして無二、ユニークな形だ。両手を広げて社会や時代に向かい立つヒトの象徴。あるいは御神木。トーテムポール。いろいろあるけれども、忘れてならないのは、あれがいくらベラボーに大きくても、単なる芸術作品ではない、という事実である。

あれは建造物なのだ。
内部に「生命の樹」を秘めた、大阪万博のテーマ館という展示施設だった、ということ。
人は地下空間からエスカレーターで上にのぼり、塔の腕を伝って大屋根に着地し、最後は「母の塔」(さっきの奴とは別)を伝って地上へと降りる。だから顔の有無や首から上はともかく、形状的にはあんな形に収束せざるを得ないのだ。

人々は千里の丘に今なおそびえる異形の姿に騙される。確かにベラボーだ。丹下健三の大屋根をぶち抜いて、あたりを睥睨し、夜間には目から光線を発射していた、およそ近代とは正反対の造形。みんなが太郎の言動とその形に騙された。
が、太郎の真の狙いは内部空間にあった。


岡本太郎が万博のテーマプロデューサーを依頼された時、そもそもテーマ館を作るという発想はスタッフになかった。絵を一枚描いて、「これがテーマだ」と言うならそれでもいい――それほどまでにプロデューサーの人選に追い詰められていた。
太郎はかつての万博のように、広い敷地のあちこちに彫刻を配置するなどしてはピントがぼけてしまう、一ヵ所に集中した方がいい、と考えた。お祭広場の大屋根の模型を見ているうちに、どうしてもここに巨大なオブジェを突き立てて、真の「まつり」の広場にしたいと思うようになった。が、ここまでは芸術家の発想だ。

太郎には感情とともに理論がある。従来の万博という、産業や技術のみの展示なんて卑しい。人間そのものの存在を喜び訴えかけるものにできないか。
そこでこの巨大なオブジェをテーマ館という展示施設にして、人間たちを単細胞生物まで引き戻し、生命35億年の歴史を経過して現代の人間にまで生まれ変わらせる、そんな深遠な構想に到達したのである。いわば観音様の〈胎内巡り〉。さらには立山信仰における〈生まれ変わりの儀式〉に相当するものを来場者に経験させようとしたのだ。

太郎の企みはそれだけではない。かつてフランス万博あとに人間博物館の誕生を見た太郎は、日本にも人間博物館が必要だ、と考えた。そこで国家の潤沢な資金を使って、民俗学者を世界中に派遣し、仮面や神像などの本物を片っ端から集めて、「太陽の塔」の地下空間に展示した。万博は一過性のお祭りだが、あとに博物館を作ろうと企図したのだ。
ここが岡本太郎の凄いとこだ。発想し、人間を巻込み、説得し、実現させる。対立し、まともにぶつかりあいながら、いつの間にか好かれてしまう。「人たらし」の達人岡本太郎。
その意図は、国立民族学博物館という形で結実する。渋沢敬三が種をまき、岡本太郎が水と肥料をやったのがミンパクといえるだろう。


NHKドラマ「TAROの塔」は何かと評判がいいが、あそこに描かれた太郎はほんの一面であり、むしろ矮小化されている。

「縄文」との出会いを何故か脚本家は無視したが、芸術家や、さらには岡本太郎であることさえ超越し、全人間的に生きることを宣言した太郎の姿はあのドラマにはなかった。


人間、それも猛烈に生きる人間を目指したのが岡本太郎だ。
明確な理論に裏打ちされた感情の人、岡本太郎。そういう目で改めて「太陽の塔」の造形を見ると、ああこれは正しく太郎の姿だな、という気もしてくる。

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