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合間の博物館旅日記

博物館を回りながら日本各地を旅をする過程の壮絶な日記。(2005.4-9月)
旅終了後は適当に随時更新の予定。

生き過ぎたり二十年

2010-02-02 12:58:01 | Weblog
ドラマ「JIN‐仁‐」で一番納得がいかなかったのは、龍馬がペニシリンを諸藩に売り歩こうとしたことだ。梅毒にかかっている志士たちにペニシリンを売れば、命が惜しくなって攘夷をやめ、日本人同士の馬鹿げた殺しあいはなくなるだろうという。南方も協力しようとするが、そもそも管理の難しいペニシリンが販売できるのかという疑問の上に、龍馬がそんなことにうつつをぬかしてたら、海援隊の設立も大政奉還もならなくなり、龍馬の龍馬たる所以がなくなってしまう。龍馬の暗殺を早めたため、無理矢理な展開にしたわけだ。
そもそも幕末の志士たちは、それぞれの立場で時代を変えようとしてたから、長生きしようなど毛ほどにも思ってなかったに違いない。
龍馬は33、中岡慎太郎は29歳で逝っている。新選組の隊士たちも早い。信長は「人生わずかに五十年」と歌ったが、明治の世になってもおおむね短命だった。
「坂の上の雲」の主人公たちは、秋山兄は71、弟は50、正岡子規は35で亡くなった。これが石川啄木となると、わずかに26。(ちなみに啄木の妻と二人の娘も、結核で後を追うように亡くなっている) 仁先生がペニシリンを作っても、結核ばかりは治せなかったように、長いこと不治の病だったわけだ。

戦争が始まると、人の命は驚くほど軽くなった。明日をも知れぬ日々を過ごした日本人。今のように、若いうちから老後の心配をして年金を積み立てるようになったのは、つい最近のことである。
タイトルに書いた「生き過ぎたり二十年」とは、大阪夏の陣を描いた屏風絵に描かれたカブキ者の刀に書いてあった文字。今で言えば暴走族のつなぎに「夜露死苦」と書いてあるようなものか。戦国時代の若者は命を軽んじて生きていた。今とは価値観も大きく異なっていたのだ。

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