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合間の博物館旅日記

博物館を回りながら日本各地を旅をする過程の壮絶な日記。(2005.4-9月)
旅終了後は適当に随時更新の予定。

ドラマ「JIN‐仁‐」最終回を見て

2011-06-30 01:53:12 | Weblog
ああ、なんてベタなタイトルなんだ…。

それはそうと

これまで漫画とドラマの「JIN‐仁‐」について散々書いてきたわけで、今回も書かねばならないだろう。何しろ、「Yahooみんなの検定」で一人で仁関係の検定を四つも作っている私である。もっとも私の場合、原作漫画および村上もとかの大ファンで、ドラマに対しては極めて批判的な立場であることを明言しておかねばならない。

ちまたでは
良かった、感動した、号泣した、サイコー、後世に残したいドラマ
と絶賛の嵐だが、
その人たちと私の温度差は、タクラマカン砂漠とグリーンランドほどにある。
まあこれで泣けるなんて、便利でいらっしゃいますわね。オホホホホ。ってなもんで。

多分この人達は「ALWAYS 三丁目の夕日」でも大泣きしたクチなんだろう…。


前置きが長くなった。
最終回のことを書こう。

最終回のあの展開は半ば正確に予測していた。

恭太郎が上野戦争に参加し、咲がその煽りを受けて怪我。緑膿菌に感染し、仁がホスミシンを探す。
までは原作の展開と、一回前の予告から容易に予想できた。
このあと仁が何らかのトラブルに巻き込まれ、怪我をして現代にタイムスリップ。一話のシーン(手術~階段でのタイムスリップ)を繰り返す。

大方の原作を知ってる読者は、この後原作通りの展開を予測してたのではなかろうか?
が、自分は、仁(この場合包帯男の)は江戸に戻れず現代に取り残され、咲からの手紙を読んで号泣するところまで予測していた。

その理由は以下の三つ。
①製作スタッフの談話として漫画とは違うラストとなることが明言されていた。
②第二シーズンの冒頭に現代の仁が公園のベンチで手紙を読んで泣いているような映像があった。
③原作者村上もとか氏の話。

最後の③については少し説明を要する。
村上もとかが講師を勤める漫画の講義があり、その参加者が書いたブログを読んだのだ。その中で村上氏が「仁」の話題に触れ、
1 ドラマのプロットを見せられたがお涙頂戴的な終わり方であったので、漫画では変えたこと。
2 映画「トイ・ストーリー3」を見てハッピーエンドにしようと思ったこと。
が語られている。この証言は重要だ。

大方の視聴者は、原作が先に終ってることから、脚本家がそれを踏まえた上で、敢えて違うラストを採用した、と思っているだろう。

違う。
ドラマ化が決まった時点でエンディングも決められていた。(その時は2シーズンやる予定はなかったから、恐らく第一シーズンの最終回として考えられたはずだ)
勿論、咲が緑膿菌に感染し、仁がホスミシンを取りに現代へ戻るという設定は、村上氏から聞いていたのだろう。何しろ第一話の映像にはしっかりとホスミシンの瓶が映っている(はず)。
しかし脚本家はその先のラストを知らないので(当たり前だ。村上氏本人が決めてないのだから)、仁が現代に取り残され、咲と離れ離れになる悲恋モノのストーリーを採用した。
時代を越えて手紙で真意(「おしたい申しておりました」)を伝えるというのは、タイムスリップものではよくあるパターンだ。
さらにここで脚本家は反則技を使う。
「歴史の修正力」というのを拡大解釈し、「仁のいなかった幕末」を作り上げ、何故か仁友堂やペニシリンはあるものの、関係者全員が仁についての記憶を無くしている。文献にも写真にも南方仁の存在はどこにもない、という設定にしたのだ。
これには驚いた。だって無理あり過ぎでしょう。俺は一瞬、優秀なタイムパトロールがいて、彼らが関係者全員に接触し、記憶や証拠を消して歩いたのかと思ったよ。ならば恭太郎が偶然拾った薬を一か八か投与したら咲が助かった、という無茶苦茶な説明も、タイムパトロールの連中が咲を治療したあと恭太郎の記憶を改ざんしたと説明がつくからね。

で、咲だけは仁に対する想いが強いからか、顔と名前は忘れても、揚げ出し豆腐が好きな涙脆い先生と呼ばれる人がいて、自分はその人が好きだったことを微かに覚えている、というのだ。
顔も名前も思い出せないが好きだった…。う~ん、記憶喪失並みに重症ですね。
さらには、仁を現代で手術したのは別の先生で、仁は普通の洋服を着ていて、腫瘍も胎児じゃなかったと……。もう、何が何だかよく分からない。
で、仁は橘医院を突き止め、野風の子孫になる未来そっくりな女(名前も橘未来)から「揚げ出し豆腐はお好きですか?」という質問に「はい」と答えただけで、先祖から伝わる大事な手紙を(コピーでなしに)何故か貰っちゃうんだが……。

仁自身の江戸や龍馬についての記憶までやがて消えて行くことまで暗示されている。ホント、歴史の修正力って怖い。

っていうか、歴史の修正力って何なの!?
誰か具体的においらに説明してくれよ!



まあ興奮は収めて…。
この大事な人の記憶をなくしちゃうってのも、「アルジャーノンに花束を」や「私の頭の中の消しゴム」など、よくあるパターンです。

で話を元に戻すと、せっかく咲が残そうとした仁友堂は単なる医療結社扱いで咲の手元を離れ、彼女は産婆に毛の生えた程度の扱いで、女手一つで安寿を養女にし(ルロンさんはどした? 没落したか? それとも単に野風の体目当ての結婚だったのか?)、育てあげたわけである。かつては「ワルチン腫瘍」など、高度な医療知識を学んでいた筈なのに、あまりに淋しい展開だ。

思えば原作と違って、野風の子どもを進んで取り上げると言い出して産婆の勉強をしたのも彼女なら、第一シーズンの冒頭で大名行列を横切るため「産婆にございます」と嘘をついたのも彼女だ。この脚本家はよっぽど咲を産婆にしたかったのに違いない。


話はコロッと変わりますが、先日「もやもやサマーズ」を見てたら浅草の今戸神社が出てきた。
ここは招き猫発祥の地なのだが、同時に沖田総司終焉の地でもあるという。
ドラマでは出てこない沖田は原作では極めて重要な役どころ。彼が近藤が処刑されたことを知らずに手紙を待っていたのは漫画にもあるが史実通り。また、黒猫を斬ろうとしたのも実際のエピソードにあると知って、つくづく村上もとかの漫画は凄いと関心した。沖田が猫の車椅子を作るのは無論フィクションだが、幕末マニアや新選組マニアをも唸らせる展開ではないか。ここまでくると、やまなみさんを描いてくれとか、いやいや芹沢鴨を出してよとか注文したくなってくる。


えーと話が脱線したが、ドラマみたいな悲恋モノの終わり方と、年老いた仁と咲が二人並んで歩く漫画の最後と、どっちを選ぶかは見る側の自由だ。

つくづく、漫画の「JIN‐仁‐」は読み手を選ぶなあ、と思ってしまう。

(ああ……今回のブログはいつにも増してまとまりがない)

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