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合間の博物館旅日記

博物館を回りながら日本各地を旅をする過程の壮絶な日記。(2005.4-9月)
旅終了後は適当に随時更新の予定。

ポニョ変身の謎

2010-01-22 19:03:04 | Weblog
ここからは「謎解き編」である。

ポニョは魚から半魚人、人間へと姿を変える。それはポニョ本人の魔力によるもの。宗介の血を舐めたのは、単なるきっかけでしかない。

物語の最後、ポニョと宗介がトンネルをくぐるシーンがある。ポニョは眠りに落ち、魔法は失われ、元のお魚に戻ってしまう。
あのトンネルが何を意味するのか。議論は分かれるところだ。人生における、立ち向かうべき困難の象徴、とか解釈はいろいろできそうだが、単純には、グランマンマーレの強大な魔力の前に、ポニョが眠らされた、と見ればいい。

ところで、宮崎アニメにおいて主人公が姿形を変えるのは本作にとどまらない。
前作「ハウルの動く城」では、ソフィが90才の老婆からみるみる若くなるシーンもある。最初は呪いによって老婆となったのに、ソフィの心のありようで老人にも少女にも姿を変えるのだ。

「千と千尋の神隠し」では、千尋が冒頭ブスーッとした顔をしてたのに、最後には可愛くなっている。「紅の豚」のポルコ・ロッソは、魔法によって豚に姿を変えた飛行機のりだ。豚でもカッコいい。見た目ではなく中身なのだ、とイケメンでなかった宮崎駿は伝えたかったのかもしれない。

そんな監督が唯一描いた美形男キャラが前述のハウルだ。自らの美しさを知り、髪の色を失敗しただけで死にたくなるハウル。そんな彼にソフィは泣きながら叫ぶ。
「あたしなんか、美しいことなんか一度もなかったのに!」

だが、彼女は十分奇麗なのだ。妹や母のような男に媚びた奇麗さはないが…。
この台詞を聞いて、本当にブスな観客の女性は、ソフィに、そして監督に十分な敵意を持ったに違いない。
いくら「人間は見た目じゃない、中身だ」と解いても、ラナやクラリス、シータといった美少女を描いて来たのは他ならぬ宮崎駿なのである。脇役はともかく、主役級は見た目も奇麗じゃないと、映画は客が入らないのだ。

漫画「風の谷のナウシカ」では、腐海のムシやムシ使い、巨神兵など、姿形の醜いものもナウシカは愛した。だがその表現が、万人に受け入れられないことも監督は知っていた。そこにアニメで初めて踏み込んだのがポニョなのだ。

宗介は半魚人のポニョも魚のポニョも受け入れる。そのハードルの高さがモンスターとしてのポニョだった。
果たして観客は、姿形にこだわるか? 多くのジブリファンへの、宮崎駿が差し出した踏み絵こそポニョの姿といえるのだ。

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