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合間の博物館旅日記

博物館を回りながら日本各地を旅をする過程の壮絶な日記。(2005.4-9月)
旅終了後は適当に随時更新の予定。

ブタがいた教室

2012-01-22 22:45:03 | Weblog
まだケーブルテレビを見ている。MOND-TVのパチンコ・麻雀番組とか、囲碁・将棋チャンネル、ヒストリーチャンネルやディスカバリーチャンネル、日本映画専門チャンネルにチャンネルNECO、スーパードラマTVなど。
映画では驚くほど古いのもたまにやっている。この間は白黒の「第五福竜丸」とかやっていて驚いた。

今は清純派で売っている吉高由里子がヌードになってSEXシーンを演じている「蛇にピアス」は、冒頭のスプリット・タンがグロくて見れず。録画も消してしまった。
ケーブルテレビのおかげで勝新、田宮二郎の「悪名」とか、松田優作の「蘇る金狼」「野獣死すべし」も見れたし、鈴木清順の「ツィゴイネルワイゼン」も録画できた。

柴咲コウ主演の「食堂かたつむり」は、「かもめ食堂」みたいなまったり系の映画かと思ったら違った。出だしから何か不快に感じたので調べてみると、何とペットとして飼っているブタを殺して食べる話だという。

有り得ない。


「ブタがいた教室」という映画があった。大阪の小学校であった実話を映画化したとか。
僕が卒業し、今は廃校となった赤羽台東小学校で撮影が行われた。が、映画は見ていないし、今後見る気もない。
ペットとして愛情をかけて育てた動物を殺して食べるなんて虫酸が走る。

ブタだから食べて良い。犬猫は食べちゃ駄目、ということではない。
愛情をかけた過程があったかどうかだ。

養豚場ではブタに名前は付けず、極力情が移るのを防ぐという。
この無責任な教師はそれをせずに、Pちゃんと名付けた。生徒も可愛がった。情が移る。そんなブタを殺して食えるか? この教師はペットを飼ったことがあるのか? 教育を口にしながら、自ら食肉業に携わる人の苦労をどれほど学んだのか? 単に生徒に深いトラウマを与えただけではないか?

私がもしこのクラスの子供だったら、多分この教師を刺している。

人間の命は他の動物よりも大事?
そんなのは嘘である。

私にとって私のペットはいわば子供同然であって、関係のない赤の他人より重要だ。
法律はそれを許さないかもしれないが、そんなのは関係ない。
ひとたび戦争となれば、敵国の人命は積極的に消費の対象となる。憎い相手、敵対する相手は、人間さえも殺すことが推奨され、我々はそこに良心の呵責を感じない。

愛情は種族を越えるし、時に無機物にも向けられる。あるいは神やイデオロギーのような概念も対象となる。

話はそれたけど、ペットのブタを食うというのは、自分の子を殺して食うのと同じである。

そんな奴はもう人ではない。

正月の過ごし方と体調

2012-01-06 22:41:09 | Weblog
2012年も既に一週間が経過しつつある。皆さまいかがお過ごしでしょう? のんびりと正月を過ごされた方も多かろうと思います。

私は大晦日、元日、二日といずれも仕事で、正月らしい食い物といえば餅を何枚かと、蒲鉾や伊達巻きを数切れ口にしただけ。テレビも、大晦日の「笑ってはいけない空港」を録画したものの、まだ全然見れていない。なんか正月らしい正月を経験せず正月がスルーした感じ。年賀状も郵便局から一通。まこれは例年一枚も出さない俺のせいなのだが…。

テレビで見たのは録画した元日の「爆笑レッドカーペット」とそれに続く「爆笑ヒットパレード」。
前者はニッチェという二人組の女性が面白かった。ネタは子役オーディション。勝新の物真似も絶品。
あとは柳原可奈子の声優ネタ。素晴らしい。柳原可奈子は最初にこの番組で見た時から注目してるし、ファン。なだぎや友近みたいな笑わすための一人コントではなく、周囲の状況まで目に浮かぶ完成された一人芝居となっている。つまりイッセー尾形の系列。いつの日かこの二人の共演を見たいものだ。

「爆笑ヒットパレード」にはほんとガッカリした。面白かったのは爆笑問題が出てきた午前中の漫才だけで、途中からネタをやらず女性タレントの相撲とかリアクションものとか、普段よくあるバラエティ番組と同じになってしまい最悪だった。
紳助がらみの社長のコメントといい、吉本は全く好きになれない。


巷ではすっかり風邪が流行っている。自分もずーっとひいているのだが、それよりも先月の頭から皮膚病に悩まされている。
最初はダニに噛まれたのかと思ったが、どうも違うようだ。
最初首のところが赤くなったかと思ったら、両手の肘の内側や手首周辺、指まで赤く腫れてしまった。その後、腹。左の股関節と部位が移動。医者に通い、塗り薬と飲み薬でだいぶ症状は改善されたが、気がついたら左のふくらはぎがポツポツと赤くなっている。かさぶたになっているのは痒くて掻いた跡であろう。

不思議なことに右のふくらはぎは何ともない。きれいなままである。
移動する部位といい、体の中に悪い寄生虫でもいるのではないか? 昔そんな症例をテレビで見た気がする。

今は痒いだけでそれ以上の実害はないのだが…。
全く困ったものだ。

大晦日に今年一年を振り返る

2011-12-31 22:56:37 | Weblog
大晦日である。

今年一年を振り返ってみたい。

去年の11月に引っ越して、今年の頭はようやく新居に落ち着いてきた感じで、久々の一人暮らしということもあり、今と違って何かと希望に満ちたスタートであった。
そんな自分を象徴するかのように、今年は岡本太郎生誕100年というイベントがあり、自分も久々に岡本太郎記念館に行っては本を買って読み耽ったり、NHKドラマ「TAROの塔」を楽しみに見たりしていた。
そして、国立近代美術館に太郎の企画展を見に行って帰ってきたまさにその時、例の大地震に出くわした。
自宅のテレビで見る信じられない津波の映像とそれに続く原発事故――。
自分の中で何かが壊れるような衝撃。
とても岡本太郎芸術に引き続き浸るような雰囲気ではなかった。

それに続いて放送されたのが「JIN-仁-」の第二シーズン。

そして、愛猫ナナちゃんの病気と死――。
原発事故とそれに続く猫の死は、自分の人生観に確実にダメージを与えた。もう、何のために生きたらいいのか分からない……。

地デジに切り替わったが、ケーブルテレビに建物が加入していたためテレビからの脱却はできず。むしろ逆にケーブルテレビに加入して、映画とか、より下世話な麻雀や将棋などの番組を見るはめになってしまった。

唯一期待していたドラマ「南極大陸」は全くの期待外れで、ケーブルテレビで麻雀番組を見始めた影響でアーケードゲームの「麻雀格闘倶楽部」に手を出し始める始末。

パチンコの方は全く不調で、お金がないためホールにも長いこと通ってない状態だ。

そうそう。夏の暑さに閉口してエアコンを買ったのも特記せねばならない。猫の医療費、エアコン……ただでさえ苦しい家計がより苦しくなってしまった。


ナナを失った今、何を目的に生きればいいのか……。
つらい日々を克服して生きる原動力が得られないでいる。
ケーブルテレビで見る番組とか麻雀格闘倶楽部のゲームで得る楽しみなど、結局は空しさでしかない。

宝くじで大金でも当たれば別だが、そもそもお金がないので年末ジャンボさえ買えなかったクチだ。

年齢も49になった。49は四重苦とも読める。
昔、東京ぼん太は「夢もチボーもない」と言ったが、自分の人生と、放射能に汚染され消費税も10%に上がるお先真っ暗な日本がダブって見え、それこそどうして生きたらいいものか途方に暮れる。
とゆうか、自分はそもそも生きることに消極的だったではないか。
取り敢えず生きている。楽しいから生きている。それだけでは、苦しみが楽しみを上回った場合、生きる意味を失ってしまう。

今年一年を振り返ってたら暗い話ばかりになってしまった。あるいは今こそ原点に帰って、太郎の精神が必要なのかもしれない。
岡本太郎は何故生きようとしたのだろう? 生きて何をしようとしたのだろう?
それはまさに生命の謳歌。人間である前に生き物として生きる喜びを発現しようとしたのだ。

俺は相変わらず太郎教の信者である。
今度川崎の美術館にでも赴いて、もう一度太郎の声を聞いてきた方がいいのかもしれない。

太郎なら今の日本と日本人にどんな言葉を投げ掛けるだろうか?

「南極大陸」終了

2011-12-20 02:52:34 | Weblog
ドラマ「南極大陸」が終了しました。
自分は七話までは見たけどあとはついていけんかった。別に犬が可愛そうだ、というんではなく、大の男たちが犬の安否しか気にしなくなってしまい、話のテーマが矮小化されてついていけなくなったのだ。

最後まで見たけど何が言いたいのかさっぱり分からないドラマだった。要約すると、「置き去りにされたワンコたちは健気に頑張ってきたけど、結局タロジロしか生き残りませんでした」ということになる。
戦後の日本の復興だとか、南極越冬隊の頑張りとかはどうでもよくて、犬の命ばかり……。

そんなに犬の命が重要なら、今現在数万等単位で失われている保健所で殺処分されている犬猫たちをどうにかしろよ!と言いたい。
それらに目をつぶって、というか無視して、南極の犬たちだけ取り上げてもバランス感覚として明らかにおかしいだろう。

結局倉持って何がしたかったの? ボツンヌーテンに上りたかったの? 犬を助けたかったの? よく分かんない人物像に終わってしまった。綾瀬はるかの存在意義も薄いし、仲間由紀恵にいたっては全くいないに等しい。人間ドラマが全くかけてない。
号泣したとかブログで書かれてるけど、単に犬がかわいそうで泣いただけで、そうゆうのは感動で流す涙とは違う。

先日書いた「淋しいのはおまえだけじゃない」と比較すると、まさに「月とスッポン」。このドラマ(「南極大陸」)を書いたやつは、いっぺん市川森一のシナリオ本を読み返した方がいいね。


それはそうと金正日が死にました。だから何、というわけじゃないけど、時代の流れだね。あの名物女子アナウンサーが五十日ばかりテレビに出てこなかったのは今回のことと何か関係あるんか? たとえば本当の金正日は病院に入院していて、重篤な状態に陥ったのがその五十日前で、アナウンサーは情報を知ってしまったばっかりに軟禁されていたとか。各地を精力的に回っていた金氏は実は影武者で、本人が亡くなったらお役ごめん。顔と指紋を潰されて闇に葬られるとか……。権力譲渡がうまくいったことを確認してから死亡を発表したとか、いろいろ推測はできる。
テレビで哀号している北朝鮮国民。本心から悲しんでいる奴は何割程度なんだろう。人に見られてるしカメラが映ってるから悲しみを大袈裟に表すしかしょうがないよね。将来的に「偉大な指導者様」の銅像を引きずり倒し、足蹴にして罵るような時代が朝鮮にもくるのだろうか?

それにしても、いまさら従軍慰安婦問題を持ち出してくる南の大統領。竹島問題といい、いらないのにどんどんやってくるK-POPとか韓国ドラマとか、もういいよ。さすがにウザイ。日本人は焼肉は好きだけど韓国人や文化はそんなに好きじゃない。一方で「過去を謝罪しろ」「金よこせ」とか言ってる。で、音楽やドラマの押し売り。当人たちはおかしいと思わんのか? ってかそんな商売成り立つはずないだろ!


今年もそろそろ正月がやってくる。ま、自分の仕事には盆も正月もないんだが、今から4年前はエキストラの仕事をしていて、大晦日には紅白に出て、一月一日には「爆笑ヒットパレード」の人文字をやった。どっちも楽しかった。あの頃がむしょうに懐かしい。
エキストラの仕事は、内容的には非常に楽しい。ギャラさえ生活できるレベルならいつまでもやっていたかったくらいだ。

そうそう、昨日の「南極大陸」の最終回では久しぶりに知っているエキストラの人が映っていた。まだやっていたのかと懐かしく思った。
エキストラはもう一年半やってない。辞めたも同然だ。まだ事務所からメールは届いたりするが。
まあエキストラの話は、辞めても、過去のことでも守秘義務があるので細かくは書けない。読者が一番知りたいことではあるだろうけどね。

無難な内容(番組以外の部分)に関してはおいおい書いていきたいと思うが。



私の選ぶ名作漫画ベスト3

2011-12-18 13:25:31 | Weblog
20代の頃、趣味でミニコミ誌を出していた。その時に「漫画」を特集したことがある。読者をはじめいろんな人にアンケートを募って、漫画のベスト10を選んで貰った。当然自分も書いた。あれから二十年以上経つが、ベスト3はほとんど変わっていない。


まずは第三位。

村上もとか「六三四の剣」

村上もとかといえばご存じ「JIN-仁-」の作者であり、代表作には戦前の日本や中国を舞台にした壮大な大河ロマン「龍-RON-」がある。本来ならこのどちらかを挙げるべきだろうが、敢えて「六三四の剣」を選んでみた。それは、主人公が一番身近に感じられる現代の少年だからだ。
小学生までの子供編と、高校生時代の青年編とで成立っている。ファンとしては、読み切りでいいから大人になった六三四(嵐子と結婚して子供もいる)と修羅の試合とか見たいものだが、「SLUM DUNK」の続編と同じで、作者にその気がないから実現は無理かもしれない。
名シーンもいろいろあるが、しいて挙げれば六三四の母が風戸美奈と全日本選手権の決勝で闘ったあと。優勝した風戸が佳代のところに来て「本当の勝者は夏木さんです」と言うところ。佳代はそれに答えず、にっこり笑って「生きるということは、どんな剣道の試合よりも厳しい戦い」だと伝えるのだ。
ある意味、剣道漫画を根本から否定するようなセリフで、村上もとかが本当に描きたかったのは「生きること」そのものなのだと思った。
世にはびこる凡百のエロ漫画・暴力漫画に比べ、なんと志の高い漫画であることだろう。



続いて第二位。

楳図かずお「漂流教室」

大和小学校の生徒全員が、校舎ごと人類が死滅し、砂漠化した未来の地球へタイムスリップするというSF作品である。
私は小学生の頃、ほぼリアルタイムで読んだ。
大人たちは早々にいなくなり、狂った挙げ句殺人鬼と化す若原先生や、暴力と略奪を繰り返す関谷など、子供の敵として登場する。
ただでさえ水や食糧が不足する上に、巨大な怪虫が現れたり、ペストが蔓延したり、未来人類が現れたり、挙げ句生徒同士が対立し殺し合いを始めたり……。作者は子供たちに過酷な環境を与え続ける。
それでも主人公たちは闘う。生きるために。その前向きさ、困難にあって協力し助け合う姿が素晴らしい。
さらには、現代に残された母の愛が奇跡を起こす。息子が死んでおらず未来に生きていると信ずる母親は、命をかけてわが子を救おうとするのだ。この漫画を見てこれに感動しない人間がいるだろいか!(それに比べて父親の愛情の何と希薄なことよ)

過去に何度か映画化・ドラマ化されているが、勿論原作の素晴らしさには遠く及ばない。
なお、アイドルのしょこたんこと中川翔子の芸名は、本作の主人公・高松翔に由来している。



いよいよ堂々の第一位は……。

飯森広一「ぼくの動物園日記」

70年代に週刊少年ジャンプに連載された。主人公はカバ園長として親しまれた西山としお。彼の上野動物園時代の飼育係の体験に基づいた作品である。基本的に一話完結だが、実話に基づいているせいか、感動的な物語に満ちている。

カバのザブ子が自分の命を犠牲にして子供を産むところ。初めて西山が担当したラクダのオヤジとの別れのシーン。ゾウのことを知ろうとして、ゾウに触れているうち、ゾウの背の上で眠ってしまった西山とそれを許したゾウ。わが子が死んだことが理解できず、いつまでも死んだ子猿を離さない母親。
人生を教えてくれる動物たちと、必死に頑張っている西山としおの両方がいい。

今の若者たちはその存在さえほとんど知らないだろう。実話化してほしい漫画でもあるが、大型の動物たちが多数必要なので、実際には難しいかもしれない。

喜劇駅前開運

2011-12-06 05:23:38 | Weblog
わたくし、生まれも育ちも東京赤羽です。赤羽台団地で産湯を使い、姓は合間、名は妹子。人呼んでフーレンのクマはタロジロの父親……。


えー、何だか分かりませんが、つい先日誕生日を迎えた私は、この世に生を受けて四十九年になりなんとしている。よくぞここまでおめおめと生き恥を晒してきたものだが、実はその大半を東京は赤羽という町で暮らしている。約半世紀に渡る町の変化を、実際に目にしてきたわけだ。
実際、赤羽の町は変わった。しかし、去るものは日々にうとしと言うけれど、過去の町並みの映像は記憶の底に放り込まれ、思い出そうとしても容易ではない。
そんな貴重な過去の赤羽を、映像として残してる映画があった。フランキー堺、森繁、伴淳三郎らが主演した「喜劇駅前開運」だ。1968年。実に私が6歳の頃の懐かしい赤羽の町並みだ。

映画の冒頭、赤羽駅周辺や団地群を俯瞰で撮っているのはかつて銀座アスターのあった西友の屋上からだろう。駅前に高い建物もなく、濃い青の京浜東北線が入線する様がよく見える。
映画の途中は全てスタジオのセットだが、森光子の働く鰻屋は今も残るまるますがモデルっぽい。映画のラストは再びロケに戻り、赤羽の馬鹿祭りの風景だ。まるますの前に櫓を組み盆踊り。ゴミ工場の煙突から出た煙のススで、出演者の顔が真っ黒になるというよく分からない落ちだ。
こうして今と当時を振り返っても、変わらないのはまるますくらいで、後のものは軒並み変わってしまった。赤羽台団地さえ今は一部しか残ってない。
残念だなあと思うのは荒川の映像もないことだ。岩淵水門とか土手の風景を撮影しても良さそうなものなのに……。
しかし何しろ40年以上も前の映画。出演者もことごとく鬼籍に入っている。例外は前述の森光子と、てんぷくトリオの伊東四郎ぐらいか。

今回ケーブルテレビから録画したわけだが、途中のドラマ部分はともかく、貴重な昔の映像は、明らかにかつてあった記憶を呼び起こすトリガーとなってくれた。
かつて赤羽にもこんなに素朴かつ活気にあふれた時代があったのだ。

時というものは往々にして残酷なものである。

南極大陸六話

2011-11-21 20:20:31 | Weblog
前回の予告を無視してまたも南極大陸ネタで行きます。

日本シリーズの関係で思いっきり時間ずれながらも、ほぼリアルタイムで録画しながら見ました。

クジラの遺骸の中でビバーク。ちゅうか遭難。
でもこのクジラどんだけでかいの? 博物館でクジラの骨格見たことあるけど人間なんかほとんど入れないよ。ピノキオかっ! 映画の「バロン」か!

でまあ、ほとんど死亡フラグ立ってる三人でしたが、犬が大活躍で助かりました。倉持外に出たらてっきり猛吹雪かと思ったらドピーカン。あれじゃ外の方が暖かいじゃん! 寝たら死ぬどころかお昼寝には暑いぐらいの陽気じゃ? 雪による照り返しはあるし。

で、話は進んでいよいよ犬とのお別れ。倉持が犬の首輪をいちいちきつく締め直すシーンは、見方によっちゃ犬の首締めてるように見えるよね。残酷や。

そうした演出が功を奏してか、視聴率が19%と持ち直したらしい。(いや多分、単に日本シリーズ効果だろう)

今後は全国の犬好きを号泣させる展開が待っているのか?
ま、俺は猫好きなんで犬は基本的にどーでもいい。世界初の南極越冬猫、オスの三毛猫タケシを登場させなかった時点で、この脚本家は自分の中でアウト。

それより、本当の第二次越冬隊隊長のご家族からクレームこんのかな、このドラマは……と、ついつい余計な心配をしてしまふ。

フィクションだからって何を書いてもいい、わけじゃないよね。

淋しいのはお前だけじゃない

2011-11-18 03:32:31 | Weblog
これまで自分はこのブログで「JIN-仁-」や「南極大陸」といったドラマに対してさんざんこきおろして来た。

では、そういうお前はいったいどんなドラマを見てきたのだ? 偉そうにいう資格があるのか? と思った読者もいるに違いない。
または、お前が推奨する一番のドラマは何か? とか。

過去にも名作と呼ばれたドラマはたくさんある。
山田太一の「ふぞろいの林檎たち」、倉本總の「前略おふくろ様」や「北の国から」。
あるいは「時間ですよ」や「寺内貫太郎一家」。
もっと遡って「どてらい男」や「細うで繁盛記」。「パパと呼ばないで」や「ありがとう」も名作だ。「探偵物語」「傷だらけの天使」もいい。

だが、ベスト1を挙げるなら市川森一脚本の「淋しいのはお前だけじゃない」を選ぼう。ファンの間で「さびおま」と略される傑作だ。

1982年のTBSドラマで、私は当時シナリオライターをも夢見る大学2年生であった。

このドラマの主人公は西田敏行演じる沼田というサラ金の取立て屋だ。彼の強烈な取立てにより、ある者は一家離散、ある者は自殺を図るという冷血漢。しかも泉ピン子演じる女房のよし江には暴力を振るうという最低男だ。まずこの設定が善人役の多い西田敏行には異色である。

ある時沼田は親会社の会長である国分というやくざから仕事を頼まれる。沼田の取立ての腕を見込んでの依頼だ。
国分の愛人(木の実ナナ)が大衆演劇の女形役者(梅沢富美男)と逃げ出した。潜伏先の温泉は分かっている。落とし前のため、二千万の借金(慰謝料)の証文に二人の捺印を取って来いというのだ。
温泉へと向かう沼田。ひなびた旅館で大衆演劇の芝居を見る。そこで彼には、子供のころの記憶が蘇る。貧しい家庭に育った沼田は、村に来た芝居が見たくてただで客席に潜り込む。見つかるが、芝居の座長はただで見ることを許してくれた。そればかりか、ハーシーの大判のチョコレートまでくれて……。その座長の娘こそ、逃亡した国分の愛人なのだ。
覚悟を決める二人を前に、沼田は義侠心を起こして二人を助けようとする。女が男を刺して殺してしまった。死体は山の中に埋めた。女は逃がした、と嘘の電話を国分に入れて……。
が、あっけなく嘘がばれた沼田は、二千万の借金の連帯保証人にされてしまう。
借金返済のため、彼らは花村月之丞一座を旗揚げするが、座員は一人も集まらない。
考えた挙句沼田は、彼の顧客だった、返済の滞っている連中をだまして、芝居の座員にしてしまう。かくして、二千万の借金の高額な利子を返していく、大衆演劇の素人集団の戦いが始まる……。

はっきり言って暗い内容だ。筋だけ見れば、これがコメディだと分からないかもしれない。
実際、演者は誰一人としてアチャラカな芝居をしていない。
西田敏行も泉ピン子も、やくざの国分を演じる財津一郎も、彼の冷酷な使いである西方役の尾藤イサオも、あるいは借金を背負った一連のメンバーも、みんなコメディアンの技量がある芸達者揃いだが、笑いを取るような芝居をしない。真剣に役を演じている。が、だからこそ芝居の総体として見ると見事な喜劇になっているのである。
映画「ステキな金縛り」で見えぬ犬と戯れるとか、時間を稼ぐために法廷で下手なタップを披露するとか、落ち武者の幽霊を見て驚くとか、動き自体が笑いを取るような、そんな類の芝居ではないのだ。
そこが喜劇として優れていると思うゆえんである。

最後、国分に追い詰められ、支配下におかれ、とうとう海外への巡業を言い渡される花村一座。行けば保険金をかけて殺される片道切符の地獄への巡礼旅。沼田は、航空券を金に代えて一座へ電話をする。
「国分を殺す」
「兄さん、何で殺すんだい? ハジキかい、ドスかい?」
「いや、ハジキもドスも使わねえ。芝居で殺す」
この沼田の台詞の格好いいこと!

この芝居が功を奏し、沼田らは借金の証文を取り戻した上に、お金も手に入れる。借金が焦げ付いていた座員たちも、全額を返済して晴れて自由の身となる。が、そのうちの一人(矢崎滋)は歩道橋の上で、萬田久子演じる妙子にこう言う。
「これでみんなばらばらになってしまう。僕は……借金が懐かしいよ」
「私、沼田さんにこう言われたことがあるの。淋しいのは、奥さんだけじゃありませんって。今は私があなたに同じことが言える。淋しいのは、あなただけじゃないのよ」
(ここらへん、全くのうろ覚えなのだが…)

ドラマの最後、よし江は自分が妊娠していることを明かす。それまでの貧乏暮らしから、当然おろすものだと思っている女房に沼田は言う。
「わざわざ授かったもん、おろすことねえよ」
「産んでいいの?」
うなずく沼田。
「産んでいいなら、私前みたいに殴られても我慢するよ」
「……もう、なぐらねえ」
よし江を抱きしめる沼田。

ああ、いいドラマだ。

こんな粗い筋書きではドラマの良さが何分の一も伝わらんと思う。
再放送もめったにされないがDVDにはなっているらしい。(自分は当時ベータだったビデオテープに撮っておいたのだが、当然見れない)


次回は私の選ぶ漫画のベスト3を紹介したい。

南極大陸(4話5話)感想

2011-11-16 05:37:12 | Weblog
どうも。
すっかり最近「南極大陸」づいている合間です。
日本、北朝鮮にサッカーで負けちゃいましたね。別にそんなことはどうだっていんですが…。


録りだめしていた「南極大陸」4話5話を見ました。
何でも初回22%を記録した視聴率はついに13%台にまでに落ち込み、キムタク神話崩壊とまで騒がれています。このブログでも盛んにリアリティにかけると指摘してまいりましたが、最近の二話はどうだったのか。

まず4話から。
犬のベックが腎臓病で死亡。カブースの火事と、展開は前回触れた通り。犬の食糧が流されて代わりにアザラシを捕ったのは、釣りに脚色。前回は「この変更は理解できる」と書きましたが、よく考えれば南極で危険を冒して釣りなどするはずがありません。第一、この時点では荷物の整理とか通路の作成など、やることが山のようにあります。釣りなんかしてる場合じゃないのです。基地からも遠く離れた海表面で越冬隊全員で釣り……。まあ有り得ませんね。
カブースの火事もドラマでは徹夜のあげく居眠りし起こしたことになってますが、史実はオーロラ観測を終えて眠る前に、不完全燃焼ぎみのストーブの煙突のススを掃除して外に捨てに行ったところ、床面にこぼれていた燃料などに引火したそうです。

最後に星野がアインシュタインに教わった言葉として「とにかくやってみなはれ。失敗を恐れてはいかん。人間は経験を積むために生きている」を伝えますが、どれも西堀栄三郎の名言ではあるものの、事実は「人のやらない新しいことをやりなさい」というのが本当です。

さて、第5話。
前回から半年後という設定。半年も南極でくらしている割には、隊員の外見に変化がないんですね。髪も髭も伸びてない。ちっとも山男らしくないんです。倉持も氷室も無精髭一つ生やしてない。彼らは調査研究や犬の世話より肌のお手入れに余念がないのでしょうか?
倉持は父親たち白瀬隊の写真を見ながらボツンヌーテンへの思いを募らせます。何でも父親の夢がボツンヌーテンへの登頂だったとか…。
有り得ない。
白瀬隊が上陸したのは昭和基地とは真反対の場所です。ボツンヌーテンは昭和基地からわずか二百キロの場所。昭和初期に倉持の父はボツンヌーテンの存在をどうやって知ったのでしょう?

氷室は犬ぞりでのボツンヌーテン登頂は危険過ぎると反対しますが、倉持が説得し、メンバーに加わります。彼らは何とか登頂に成功し、そのニュースは快挙として日本にも伝えられますが、これがなぜ快挙なのか視聴者にはよく分かりません。(実際、ボツンヌーテンへの調査を一番強く主張したのは何を隠そう西堀隊長ですが、彼をして「登頂したかどうかより、天測の方が大事」と言わしめています)

結局彼らは登頂には成功するものの、帰路犬塚が凍傷にかかり満足に犬ぞりを操作できず、また氷室がクレパスに落ちたことで足を負傷。やむなくクジラの遺骸の中に避難。犬の帰巣本能を信じて、避難場所を書いた地図を託しタロジロらを離します。
三人とも衰弱しあわや死亡? 救援の雪上車は間に合うのか! ってとこで終わりました。

ハッキリ言ってこの展開、がっくりきました。救助を待つなんて完全な遭難ではないですか。二百キロ……雪上車で何日かかりますか? どう考えても天候回復までビバークし、犬ぞりで移動すべきです。
遭難したわけですから「無謀だ」という氷室の主張は結果として正しかった、ということになります。計画に無理があった。そうなると星野隊長の「とにかくやってみなはれ」も単なる無責任な掛け声に堕してしまいます。遭難の責任は当然隊長にあります。

実際のボツンヌーテン探検は、中野・菊池・北村の三名により犬ぞりで行われ、登頂・天測の任務もまっとうし、無事基地に帰ってきました。三人の山男としての力量を信じていた西堀隊長は、安心して待っていれば良かったのです。(犬の負担を軽くするため、重い通信機は「どうせ通じないから」という理由で持っていきませんでした。まさに、ただ待っているだけだったのです)


こうまで史実を無残に変えられると、第一次南極越冬隊って無謀な素人集団の集まり?と誤解され兼ねません。何しろテレビは影響力ありますからね。腐っても天下のキムタク主演ドラマだし。

視聴率が振るわないのもこうした歴史の捏造(いくらフィクションとことわってるとはいえ)が作品にリアリティを与えないからでしょう。
さらには、登場人物の性格描写が不足しており人物に深みがありません。主人公の生い立ちは? 妻との馴れ初めは? 戦争には行ったの? 女房はどうして死んだの? それら回想シーンが一切ないので、主人公がどんな人物か分からず、ゆえに感情移入もできないのです。

しかもなんか氷室と倉持は見れば見るほど怪しい関係に見えてきます。友情を通り越して、もしかしてホモ?とでもいうような…。ボツンヌーテン山頂ではついに抱き合っちゃいましたからね。


この展開だと最終回まで見るのがキツくなりそう。ほんっと、この脚本家酷いです。極地とか雪山とか分った上で書いてるとは到底思えません。


キムタクの演技の軽さを批判する前に物語の甘さを追求するべきでしょう。


追記
久々に映画館に行って三谷幸喜の「ステキな金縛り」を見ました。前作より笑えないハズレ映画でした。残念!

テレビのこと

2011-11-10 05:46:40 | Weblog
南極大陸第四話はまだ見ていません。先週は仕事帰りで疲れており、見る気になれなかったので、録画していたモヤさまを見ました。休みの気力のある日に録画を見るつもり。
そうはいっても人のブログとかチェックしているので粗筋は分かる。

前回流されたのは予備の食糧とかで不足分を補うために釣りをしたとか。
「南極越冬記」では犬の食糧が流されたのでアザラシを18頭捕ったとある。今のご時世、アザラシを撃つのは可哀相とか、いろいろ問題があるからこの変更は理解できる。
犬のベックの腎臓病による死亡、カブースの火事は実際にあったこと。ただしどちらも越冬開始から5-6ヶ月後のこと。ドラマは史実を時系列を変えてやっている。
西堀隊長も、半年間寒さに負けずたびたび徹夜してとった貴重なオーロラ観測のデータが失われたことを何よりも嘆いていた。若い隊員たちの努力の成果だっただけに。(隊長は満足な観測機器が関係部署から借りられず、博物館行きみたいな物しかないことにも憤慨している。)
なお、ドラマでは若い犬係の犬塚がかなりヘタレみたいに描かれているが、モデルとなった北村隊員は実際にはそんなことはない。
次回ボツンヌーテン登頂に行くわけだが、これも史実では10月のことで、それ以前に南極大陸へは何回か雪上車などで探検を実施している。


ところで他のドラマでは「家政婦のミタ」が話題だ。内容はともかく、「家政婦は見た」のタイトルをもじった安易なタイトルはどうかと思う。
似た例では「アントキノイノチ」。感動もののお話らしいが、明らかに芸人のアントキノイノキのパクリではないか。作り手にプライドはないのか?
ドラマでは「11人もいる!」がそうで、有名な竹宮恵子のSFマンガ「11人いる」が元だろう。
そういえば、南極大陸の越冬隊員も「11人いる」。
これについては面白い話があって、文部省は費用などの関係からか、隊員は10人と限定していたそうだ。西堀栄三郎は人手が欲しかったので、「隊長は隊員ではない」という詭弁を使って11人を認めさせている。
また、一人増えてもいいように、靴やベッド、食糧なども実は12人分用意しておいた。全く彼の準備にはぬかりがない。


地上波はほとんど見ず、あとはケーブルテレビの日々。
MONDO-TVではもっぱら麻雀関係。二階堂亜樹という女流プロが美形で、すっかりファンになっている。
パチンコ関連ではライターのかおりっきぃがやはり可愛い。ヒラヤマンみたいに女の子女の子した感じではなく、さばさばした感じでそこは好感が持てる。二階堂プロも同じなのだが。
最近見始めたのは平日の夕方にやっている「乗り鉄」。2008年の番組らしいのだが、横見さんを初めて見た。自分は漫画「鉄子の旅」を全巻持っているのだが、やはり実物より漫画の方がいい。作家の菊池直絵はこの人と鉄でもないのによく旅を続けたと思う。
番組では鉄のアイドル木村裕子が出ている。パッと見、小さくて可愛いが、よく見ると顔はそんなに可愛くない。しかしこの番組は、鉄でなくても旅番組として普通に見れる。

あともっぱら見てるのはヒストリーチャンネル。宇宙系の教養番組も面白いが、アメリカお宝鑑定団とか、射撃王とか見た。射撃王では参加者が「22口径のライフルなんて女子供が撃つ銃だ」とか言っており、日本とアメリカの銃に関する考え方の差が明確に分かって興味深かった。

他に囲碁将棋チャンネル、日本映画専門チャンネルやチャンネルNEKOでやっている映画。アメリカのドラマなど。スパイ大作戦で日本を舞台にした回があるそうで、予告の映像だと日本人に扮したメンバーが、白塗りのちょんまげで、どう見てもばか殿メイクなのがおかしい。是非見たい物だ。