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合間の博物館旅日記

博物館を回りながら日本各地を旅をする過程の壮絶な日記。(2005.4-9月)
旅終了後は適当に随時更新の予定。

ここ数日

2012-05-29 03:46:04 | Weblog
木曜日から風邪をひいてしまい、土日は珍しく連休だったのだが、そんなわけでずっとうちで寝ていた。竹芝桟橋でやっていた「島じまん2012」というイベントにさかなクンもくるというので食指が動いたが、体調不良には勝てない。

最近全くお金がない。
会社の給料計算ミスで少しだけお金がかえってきたが、たまたま行ったパチンコで三万近く勝って(ルパン三世)、気をよくした数日後、同じルパンで四万近く負け、滞納してた住民税を払ったら今度は健康保険が払えないという始末でにっちもさっちもいかない。
仕方がないから三つのことをやめることにした。

一つは勿論パチンコ。もう一つは酒。酒は一見支出に関係なさそうだが、酒を飲むとつまみも買うので出費がかさむし、健康にもよくない。太るし。外で飲めばやはり金がかかる。
残る一つはゲーム。ここ半年ばかりずーっとハマっていて、休みの日には結構通っていた麻雀格闘倶楽部をスッパリとやめる。そうでもしないと生活がどうにもならない。
本当はCATVもやめた方が経済的にはいいのだが、入ってから少なからず映画を見たりして恩恵を受けてるのでこれは残しておく。
少しでも支出を押さえないとどーもならん。あと四か月後には引っ越してから丸二年で更新が控えてるが、その余裕もない。
何とかしてくれ。
まあリアルには、姉にでも相談するしかないのだが……。



先週の休みは北区の王子駅で配っていた探偵手帖を入手し、ミステリーウォーク2012をやってきた。これは内田康夫氏が西ヶ原に住んでいるとかで、探偵浅見光彦が登場する探偵手帖に書かれた短編小説のキーワードを探すという企画。自分も北区にもう50年近く住んでるが、しもふり銀座とかいう商店街は初めて行った。昔北区の銭湯を全制覇した時に、北区は隅から隅まで回ったと思ったが、ここは知らなかった。
まあこういうミステリーウォークとかなら交通費ぐらいで大してお金はかからない。

昨日、一昨日は風邪をひいた関係でほぼ家にいたが、テレビでは映画「インシテミル」や、シュワちゃんが妻子をテロで殺された消防士で、テロリストに復讐するというおバカ映画を見た。あと宮崎駿が演出した「名探偵ホームズ」を二本。これを見ると確かに宮崎駿は違うなとその質の高さに納得がいくが、それにしても誘拐された時あんなに優しかったハドソンさんが、ドーバー海峡(飛行機)の話ではモリアーティーの飛行機に躊躇なく銃を撃っていて、一転鬼と化しているのは、宮崎駿の中でどう整理がついてるだろうと疑問に思った。


このブログの前回の記事のコメントで、ゆめぎんがさんが門脇芳雄氏の訃報を伝えてくれた。
全く知らなかった。
二年前に「四百人一曲集」の編集の最中、脳梗塞で倒れたということも。
そもそも当時から自分はパラをやめていたので、原稿募集してることさえ知らなかったのだ。知っていたら記念に原稿の一つぐらい送っていたかも。

今年の全国大会は長野県松本市で七月にやるとか。そこで門脇氏の顕彰企画があるだろう。もっとも松本は近いとはいえ、泊まりがけでイベントに参加したら二万五千円はかかるだろう。
昔は何でもなかったそのくらいの金額が、今は捻出することさえ非常に困難なのは冒頭で説明した通りである。第一、詰将棋を離れた今となっては、今さら参加したところで話す言葉もないのだし…。


ここで珍しくブログの記事の予告。
当ブログは今から七年前に自転車で全国の博物館を回る企画を立てて出発する直前から始まり、半年に及ぶ旅が終わったあと、実に五年近く何の更新もなくほおっておかれ、約二年ほど前から時々身辺の周りの雑感を書いたりしている。その空白の五年間は、実は映画やドラマのエキストラなんかをして食っていたのだが、これを読む人は、この男はいきなり42にもなって日本を自転車で走ったりして、バッカじゃなかろか、と思ってるかもしれない。
実は自分が自転車で日本各地を走り始めたのは31歳の時。実に今から18年も前のことなのだ。
そのあたりのことに全く触れてないのも片手落ちなので、次回からしばらくは自分がいかにして自転車で旅をするようになったかをつらつらと書き連ねてみようと思う。このへんは何年も前に閉鎖してしまった自分のホームページでは触れているので、自分の古い友達には周知の事実だと思うが、合間妹子のハンドルネームしか知らない読者には初耳だろう。
結構面白い旅の話が満載である。

期待して待ってて下さい。

諸行無常

2012-05-15 02:52:04 | Weblog
人の訃報というものは当然のことながら突然やってくる。

今朝方だが漫画家の土田世紀の訃報を知った。
43歳。肝硬変とのこと。
昨日発売のスピリッツ紙上での小さな囲み記事で知ったのだが。
「俺節」や「編集王」「同じ月を見ている」など、熱い漫画を描く人でもあった。

合唱。(←歌ってどうする! 合掌だろう。ああ、変換ミスって嫌ね)

土田世紀と親交のあった漫画家の西原理恵子はなんと言ってるのであろうかと、
彼女のブログを見てみたら、「つっちー」と題された先月末頃の記事を見つけた。

いやそれよりも驚いたのは、われらが吾妻ひでおと対談をしていたのだ。
なんでも「アル中」が主題らしい。
画力対決でないのは残念だが。
ついに「アル中」をキーワードに二人が会ってしまったか。

感無量。

などと書いていたらついさっき、作家の吉村達也氏の訃報が入ってきた。
60歳。胃がんだという。

私は彼の作品を読んでいないのに、なぜ名前を知っているかというと
氏は有名な詰将棋作家だからである。
しかし会ったことはない。

さっそく氏の公式HPとやらを見ると、
数日前の「日記」に老猫の死去についての記事を見つけた。
すると本人は自分が癌であることを知らされていなかったのか、と疑問もわく。
まあそれはそれとして。

人の命などというものは誠にはかないものだ。

あらためて、

合掌。

映画「テルマエ・ロマエ」を見る

2012-05-01 00:48:20 | Weblog
久々に映画館に行った。

いつ以来かというと三谷監督の「ステキな金縛り」以来だ。
あの映画も残念な映画だったが、本作も同様に残念だった。

前半はいい。テンポも笑わせるところも秀逸だ。阿部寛がやっぱルシウス役にぴったりだ。

が、後半が駄目だ。
映画オリジナルの、妙に感動させようというか、シリアスなドラマ展開になって急に失速した。
眠気が襲う。退屈極まりない。
なんでこんなになっちゃったのかと残念だ。
最後まで「風呂」で押し切ればよかったのに。

なぜそんなに残念がるかというと、本作はうまくつくれば世界を驚かせる内容にできた映画だからだ。

日本人は風呂大好き民族だ。
とゆうことはわれわれは知っているけれども、
世界においてはあまり知られていない。

日本人留学生が海外のホームステイ先で毎日のように風呂に入ろうとするので、頭がおかしいのではないかと疑われカウンセリングに連れて行かれた。さいわいそこに日本人がいたので誤解が解けた、という嘘のような本当の話がある。

また、インターネットで「日本人は毎日風呂に入る」というのを読んだ韓国人が、「そんなことをしたら光熱費がかさんで仕方ないじゃないか、嘘つき!」と信用しなかったという話もある。
ことほど左様にわが日本民族はお風呂を愛してやまないのだが、それが他国の人には理解できない。

これは日本と外国の気候の違いなどもある。
たとえばインドなどはむちゃくちゃ暑いがカラッとしているので、シャワーを浴びるだけで十分だという。
日本のように熱いお湯にゆっくりつかりたい、というのは日本特有のじめじめした気候にマッチした欲求なのだ。
さらに日本は地震大国・火山大国でもある。
これは裏返せば温泉大国ということで、世界的に地震が多い日本列島に住む日本人が、温泉大好き民族だということはそれからも理解されよう。

だから「風呂」。この一点に絞って物語を展開すれば、世界にアピールできるコメディになったはず。そうなれば、阿部寛も上戸彩も、一躍世界スターに躍進できるチャンスがあったというのに…。

日本人が分かる銭湯のシーンも、もっと世界の人が分かるように丁寧に描きこんでほしかった。
さらに日本の入浴や湯屋の歴史も詳しく説明すれば、日本人にとっても「お風呂文化」がいかに世界に誇れるかを再認識させるチャンスになったはずなのだ。


以下、それを踏まえて、私だったらこう作るという案を紹介しよう。

まず、上戸彩は漫画家の卵という設定から、都内の銭湯の一人娘で、大学生という設定に変更する。
銭湯の番台に座らせれば、ルシウスとの対面がより自然だ。ショールームへはお客としていけばいい。
そうすることで、日本の銭湯の歴史や銭湯の現状なんかも観客に示すことができる。
コンセイサマのエピソード、ルシウスが女房を寝取られたり、バナナとワニのエピソードは煩雑なので省く。
銭湯にバイトに来ている男の子(実は北国の温泉旅館の一人息子)が、ぎっくり腰を起こして、療養のため実家に真美が送り届ける、ということにする。旅館で歓迎を受ける真美。
そこでまたルシウスと再会。ルシウスは温泉にいた年寄りたちから、温泉の効用(ぎっくり腰などの怪我にいい)や飲用にもなることを知る。
ルシウスはその直前に皇帝ハドリアヌスから遠征先の苦境(怪我人や毒水の被害)を相談されており、日本の温泉をヒントに、戦地で温泉を作れないかと考える。
そこで真美とルシウスが今度は古代ローマにタイムスリップ。
二人はハドリアヌスの許可を得て、マルクスや先輩技師アポロドロスらと一緒に戦地へ向かい、温泉建設を目指す。(このあたりは西遊記の三蔵法師一行ののり)
ケイオニウスの妨害もあるが、アントニヌスの協力で保養地も無事完成。
そのおかげで、ローマ軍大勝。ルシウスは褒美をもらう。
最終的な落ちは、日本に一人戻った真美が実家の銭湯を古代ローマ風に作り変え、銭湯は廃業を免れ商売繁盛という展開だ。

まあ上記はざっとしたガイドラインで、たとえば冒頭のローマ紹介のナレーションはイブさんにやらせたいとか、ショールームの女の子は柳原可奈子、そこにあとから来るイタリア人客にジローラモ。など小ネタも織り込みたい。
これなら日本の銭湯や温泉を紹介しながら、ルシウスと真美のロマンスも盛り込めるし、真美がラテン語を片言ながら話せることの自然さにもつながるだろう。


「おくりびと」や「お葬式」が、葬儀という斬新なテーマで映画を作ったように、「風呂」をテーマに映画にできたのに、本作は後半部分が風呂を離れ、変なタイムスリップもののメロドラマに変化してしまった。あくまで風呂で押し切れば、今年一番の快作となったであろう。

いやはや残念だ。

西原理恵子を断固支持しよう!

2012-03-28 04:09:02 | Weblog
なんかよく分かりませんが、西原理恵子がMXテレビの番組を首になったそうです。
理由は生放送中に「まんこ」と言ったから。
で、それについて起こった高須クリニックの社長がスポンサーを降板したとか。すでにスポンサー料は払っているそうですが。
で、そのことに同じ番組のレギュラーのマツコ・デラックスが「ルールを破ったのは西原さんだから」と噛み付いたらしい。

まあ、簡単に言うと、西原が正しい。

放送禁止用語というのは実に戦いの歴史だった。
大島渚やえいろくすけだとか、まあ一連の人々にとっては厄介な存在。
で、その放送禁止用語っておかしいだろって発言をする人々と、
ルールなんだから従わなきゃだめって人々の差は
実に相当な開きがある。

君はどっちを選択するかね?

ルールがおかしいという人と
ルールだから守らなきゃいかんという人

健全な社会を守るためにルールがある。最低限のルールは守るべき
というのがよく聞く話。
一見、正論だが
それだと、
「ルールに外れるのが悪くて、ルールさえ守ればよい」
つまりルール第一主義

そういうやつに限って
「○○は法律に違反していません」
とか言う。
「猫ひろしが何か法律に触れることをしましたか」
とか言う。
ルールさえ守ってればOKなのだと思っている。

道義的に正しいかどうかの判断をしない。できない。
おかしなルールを糾弾できない。
何故なら
考えることを放棄してるから。

そもそも西原はテレビなんかに出るべき存在じゃない。
あんなくだらないメディアに。
彼女がディズニーランドなんかを批判するのは当然。
それは彼女の著書を読んできた人間にはわかる。
鴨ちゃんがなぜ戦場カメラマンだったのか。
そのことも分からない輩は、
たとえばタレントのカツマタみたいにディズニーランド大好きっこになるのだ。
ラーメン大好きとかいってね。自分がいかに恥ずかしい人間かの自覚がなくてそんなこと言ってる。
脳みそが筋肉か何かでできてるような人畜無害のタレント。

「ルールを守れ」、一見正しいが
そこに潜む危険性は見過ごせない。

日の丸や君が代が嫌なら日本人をやめろとか日本から出てゆけとか公務員をやめろとか。
なぜそこで「日の丸」や「君が代」が駄目なのかという議論を展開しようとしない。

国家が国旗や国家に制定したからそれに従えと。
法律が決めたから。国会で代議士が決めたから。多数決で国民が投票したから。

では消費税を上げると国が決めればそれに従えと。
年金制度が崩壊しても国に従えと。
徴兵制度が復活してもそれに従えと。
そうゆうことと一緒だよ。
国が死ねって言えば死ぬの?
現に70年くらい前はそういう時代だった。「特攻」の時代ね。

一見、飛躍が大きいと思われるかもしれないがそんなことはありません。

3・11までは、日本国中全員がそろいもそろって「原発は安全、クリーンなエネルギー、事故など起こり得ない、原発に反対するなら電気を使うな」の大合唱だったではないですか。

いやー事故が起こるまでは危険が分からなかったじゃない、なんていってるやつはアホか!
そんなわけあるか!

ルールにのっとって思考停止して政府のいーなりになってきた代償がこれなんよ!

だから小さいことのようだけど西原の態度、行動、思考法を支持するんよ。

昔からいろんなことに戦ってきた西原。
高校の退学について。税務署とか、いろいろ。
正誤の基準は決して法律にはない。
ついでにいえば国家の中にもない。
国や民族が違えば正義の意味は反転するからね。

考え方は岡本太郎にも共通している。
自分の判断。自分の内なる声に従うしかない。

この件について断固、西原理恵子を支持するぞ!

「ポニョ考」から約2年

2012-03-27 04:35:31 | Weblog
このブログはもともと、7年くらい前の自転車による博物館めぐりをリアルタイムで伝えるために作られた。その後、4年くらい全く更新しないブランクがあり、3年くらい前から近況報告程度のネタで再開した。タイトルが「博物館旅日記」なのはそのせいで、現状の記事とタイトルが全くあってないのもそのためである。

誰が読んでいるのか、あるいは読んでいないのか全く分からないが、つい最近コメントが投稿され、見ると約2年前の一連の「崖の上のポニョ」に対する考察記事に対してである。2010年1月頃の投稿記事だ。

記事の内容を要約すると、「崖の上のポニョ」は宮崎駿が2020年問題を考慮して、悪くなる地球環境(特に地球温暖化問題による海面上昇や化石燃料の枯渇)に対して、ひそかにメッセージを隠したとんでもない映画だ、というもの。まあこの見方がどれだけ的を射ているかは、書いている自分自身も正直半信半疑なのだが、そう荒唐無稽な意見でもないと思うのだ。

ただ一ついえることは、3・11を経験した後では、ポニョは地上波では放送しづらくなったことだ。否が応でもあの海があふれるシーンは先の津波を連想させてしまう。子供も大人もトラウマになった津波を連想させる映画という、忌まわしき烙印を押されてしまった。ちょうどサザンオールスターズの「TSUNAMI」という曲が、そのタイトルから演奏不適当とされてしまったように……。

3・11後の知恵袋でも、ポニョのDVDが今までのように楽しめなくなった、という書き込みがあった。それに対し自分も、もともとあれは宮崎駿がメッセージを隠したディザスタームービーなのだから、恐ろしくて当然、という返答をした。それでも宮崎監督自身は、まさか本当に大地震から津波がくるとか、あるいはそれによって原発が大事故を起こすなどとは夢にも思ってはいなかったろう。ポニョが放送不適当になるなんて、全く彼にとっても誤算だったのだ。あれはあくまで地球温暖化による海面上昇を暗喩的に表したものだったのだから。

3・11を経験した宮崎は、いったい次に何を作るのか、作ろうとするのか興味深い。「借りぐらしのアリエッティ」であるとか、「コクリコ坂から」であるとか、そんなぬるいテーマの作品群で満足するはずはない。原発と、あるいは放射能と向き合ったテーマの作品が、様々な分野で作られていくはずなのだ。

そうでなければ芸術家でも、表現者でさえもない。その資格はない。


あれから一年

2012-03-09 22:22:25 | Weblog
あれから1年経ちました。いわずと知れた3・11からです。

この一年は日本人なら誰にとっても意味のある深い一年だったのではないか?
然るに、日本人の心理は、相変わらず臭い物に蓋か、「集団責任=無責任」の極みに陥っている。
そのいい例が「みんなでがんばろう、日本」とかいう標語。
ここちいい言葉を聞けば嫌な現実を忘れさせてくれるから。
目の前の危機や不安を一掃してほしいから現実から目をそらす。

そのいい例が「さいたさいた セシウムがさいた」という講演タイトルに対するバッシング。
講演の意味を考えない。現実にセシウムやプルトニウムがまかれてしまった現実より、
「被災者を不快にさせる」ことに感情的になるお馬鹿な人たち。
責められるべきはその詩を書いた外人なのか?

よく考えよう。本当に見つめるべきは何かを。
本当の敵は誰かを。真に問題にすべきは何なのかを。

「怪しいお米セシウムさん」の時も僕はこのブログに同じことを書いた。
あんなのはただの現場の一中年の悪ふざけに過ぎない。
本当に問題視すべきは、放射能をばら撒いたシステムそのものではないか?
目くらましの責任転嫁に乗せられてどうするのか?

先の講演タイトルに対するバッシングは、ついに集会そのものを中止に追い込んだ。
馬鹿な日本。馬鹿な日本人。
そんなことだから原発が事故起こすんだよ。
ってか、事故起こすような馬鹿な原発を全国に作っちゃったんだよ。

何の反省もないね。

日本人は障害者差別を亡くそうといって差別用語をメディアから駆逐した。
それだけじゃない。障害者をさらし者にする風潮はいかんというので、障害者そのものをメディアから消した。
ミゼット(こびと)プロレスがいい例だ。こびとも放送禁止用語だしね。
彼らは生活の場を奪われた。収入を絶たれた。障害者を差別するなと声を大にしていう連中が、実は障害者をいちばん傷つけていたという明白な構図だ。
アメリカでは彼らは身体の優位性により役者として働く場があるというのに。

そんな例は山のようにある。
セシウムという言葉がやだから、表面ばかりを気にしてその言葉や詩の持つ深みや本当の意味を知ろうとしない。そういう努力をしない。
講演の持つ意味を考えもせず、集会そのものを中止させてしまう。
バッカじゃなかろか。お前らは政府や東電の回し者か?

GKB47の件も同様。一度批判を受けるとやめてしまう。
あれ、いい宣伝になったじゃないか? 何で悪いのか? キャッチコピーなんて評判にならなければ無意味なんだ。その意味では「セシウムさいた」も同じ。

みんなが賛成する、「あーいいですね」なんてのは「どうでもいいですね」ってのと一緒。毒にも薬にもならないものは、存在価値がそもそもない。
ってなことをかの岡本太郎も言っている。
波風立てないキャッチコピーなんて意味はないのだ。

「何だ、これは!」と意見が対立し、問題提起するとこから真の議論は生まれる。
「みんなでがんばろう日本」なんて標語からは何も生まれない。ただの思考停止だ。

問題が起きたとき、批判を受けたとき。
なぜ、「俺が責任を取る」と、自らの正しさを正々堂々と主張する人間がいないのか?
腰抜けばかりか?
石原慎太郎や橋下徹や小泉純一郎が人気を取るのは、彼らの論調ではなく、批判をものともせず自分の意見を強く押し通す、強い父性をそこに感じるからだ。
私は彼らを評価しないが、日本人がそこになびくのはその故だろう。


あれから一年たった。
だが日本人は変わらない。
原発を作り続け、安全神話を嘘と金で塗り固めた人たちは誰も責任をとらず、ぬくぬくと同じ活動を続けている。

奇妙にゆがんだ愛国心を煽る風潮は目に余るほどに増殖中。
みんな自分が気持ちよくなりたいがために、日本や日本人を肯定する。
真に日本を憂う人間こそ、不正や不備を追及してきた。いつの時代も。
ちょうど、第二次大戦中に戦争反対を訴えた「非国民」と呼ばれた人たちがいた。
が、彼らが後の世に名誉を回復することはなく、戦争で死んだ英霊ばかりが尊ばれた。
「英霊」なるものを生み出したシステム自体を糾弾することもなく!


そろそろ怒りに任せて書いてきたこの駄文も終わらせよう。


不思議な世の中

2012-02-25 00:55:48 | Weblog
地下鉄の駅員が利用者の小学生に敬語を使っていた。何か気持ち悪い。
お客様だか何だか知らないが、自分よりはるか目下の子供に「ですます調」を使うのはやめてほしい。子供が勘違いして教育によくない。金を払っているから、サービスを利用しているから大の大人が丁寧語で喋るのだと思ってしまう。子供は社会の宝。ならばなおさらきちんと教育する必要があるのだ。

大阪の元知事で現市長の橋下だが、日の丸・君が代を学校の現場で強制するのはどうなんだろう。従わないのなら公務員をやめろというのは正論なのか? 民間企業でも社長の命令に従わないからといって辞めさせていいという法はない。そんなもの、労働組合が黙っていない。橋下は元弁護士なのだが、法律や憲法が分かっているのか? それらを捻じ曲げて自分らに都合のいいように解釈するディベートの達人というわけか?

彼がそんなに日の丸・君が代に拘泥する理由は別に彼がこちこちの愛国者だから、というわけではない。彼の発言を見て驚いた。小中高と日の丸や君が代について教わらなかったという。
日本にいてそんなことがあるのかと思った。
どうやら本当らしい。
私は昭和37年の東京生まれだが、日の丸はどの学校でも普通に掲揚していたし、君が代も当たり前に歌ってきた。それに対しあえて拒否反応を示す教師もいなかったように記憶する。
日の丸や君が代の忌まわしい過去に気づかされるのは、高校から大学にかけてだった。それも、学校や誰かから教わったというのではない。大きな書店に行ったら南京大虐殺とか、その種の本があって読んだ、というだけだ。
よく教科書の記載がどうとか言う。従軍慰安婦の記述がどうだと。言っちゃ悪いが、学校でそんなの習ったことないし、近現代史は時間がなくてほとんどはしょる感じでまともに学ばなかった。子供が教科書でモノを覚えると思ったら大きな間違いである。実際にはテレビや漫画や本や、その他のメディアで歴史を学ぶのだ。「教科書を考える会」とか「新しい歴史教科書を作る会」とかが真面目に議論してるのが気の毒に思えてならない。教科書に若者の思想を左右する、そんなパワーなんてない。教科書なんて、せいぜい落書きされるのが関の山だ。


ここで自分の家族について記そう。私の父は昭和二年生まれで、戦争には行かなかったが召集令状を受けた口だ。中島飛行場で働いていたこともあったという。
母は昭和九年生まれで、学童疎開の経験者である。いわば二人とも子供の頃に戦争を実際に経験した世代だ。
こうした世代が「国家」に対してどんな感情を抱くか? ちょっと考えれば分かりそうなものである。
明確に意見を聞いたことはないが、両親とも国家そのものを信用していないな、と感じた。前日まで教えてた教科書に墨を塗るような体験をした人たちが、国家やそれを象徴する君が代や日の丸、あるいは天皇を信奉できないのはむしろ当たり前だろう。そんなことを知らない平成世代の若者が、日本人なら日本を愛して当たり前、とかのたまうのである。

父に連れられて靖国神社の雄就館に行ったことがある。中学の頃だった。
なぜ、そんなとこに行ったかというと、すぐ近くの病院に父が入院していたせいである。
父は召集令状を受けた世代。雄就館で強烈に目に映ったのは、特攻に行くことが決まった若い兵隊の遺書だ。そこには、「お母さんお母さんお母さん……」という言葉が延々と連なっていた。
ああ、戦争は嫌なものだな。若者に死を強要する国家という化け物は嫌なものだな、と感じた。父は何もそれについて語らなかったが、そうした展示を見せたのはたぶん根底にそんな意図があったのだろう。
母とは、成人してからもよく話すことがあったが、「戦争だけは嫌だ」と常々言っていた。
よく自虐史観といい、自国の軍隊を持たないことが(自衛隊はどうみたって凄い軍隊だが)恥のように言ってる人が多い。憲法は改正ではなく破棄すべきと言う石原都知事がいい例だが、戦争は二度と御免だ、というのは、あの時代を体験した国民のほとんどが持った素直な感想だ。
逆に、戦争体験をしなかった石原慎太郎や小林よしのりあたりが、右的な発言を繰り返すのである。私は戦争の実態に学ぼうとしない小林よしのりの「戦争論」より、実際に悲惨な目にあった水木しげるの主張を断固支持する。

橋下が持ち出す「維新」とか「戦中八策」とかの掛け声も醜いからやめてほしい。坂本龍馬や高知県民に失礼だと思わないのか? 平成維新は新日本プロレスにあった平成維新軍だけで十分だ。

石原は憲法破棄には国民投票が有効だという。そのくせ、原発を破棄する気持ちは露ほどもなさそうだ。原発の危険性にはちっとも関心がなく、憲法の破棄にご執心である。こんな御仁が東京都知事に四選もしているのだから世も末だ。
「老兵は死なず、ただ消え去るのみ」
マッカーサーの言葉を反芻してさっさと政界からいなくなってほしい。


猫ひろしのこと

2012-02-11 06:08:13 | Weblog
大阪阿倍野で何の罪もないネパール人男性が、酔った男女四人組に暴行され死亡するという痛ましい事件があった。犯人は逮捕されたが、結局何年か実刑をくらうだけだろう。
何の落ち度もない無抵抗な人間を殺してしまうこんなキチガイどもこそ死刑にすべきだが、日本の法務大臣は死刑囚さえ死刑にしないアホタレどもなので全く期待できない。最近一番腹立った事件なので書いてみた。
里親から虐待目的で猫を譲り受けた男が詐欺の罪で逮捕されたが、こーいう馬鹿も併せて死刑でいい。全国の猫愛好者から有形無形の嫌がらせを受け続ければいいのだ。

猫といえばカンボジア国籍を取得してオリンピックを目指す猫ひろし。先のマラソンでは自己ベストを七分も縮め、二時間三十分台でゴールした。その努力は立派だが、そもそもオリンピックの特別枠が何のためにあるのか、考えたことがあるのか?
全ての陸上競技の中から一つだけ与えられた特別枠を、何が悲しくて他国の人間に譲り渡す必要があるのか? それはオリンピックの精神に反していないか? カンボジア国民がそれをどう受け止めるか? 相手の気持ちを考えたらとても褒められた行為ではないだろう。
周囲に意見をする奴はいなかったのか? 日本陸連やマラソン関係者は何も言わないのか? マスコミやジャーナリストはどうなんだ? 噛み付いてるのはワタミの社長だけか?

日本人は相手を思いやる心や、恥という概念を失ってしまったのか?
サッカーの選手が国籍を変えてワールドカップ出場を目指すのとは明らかに違う。また、当のカンボジアが国籍を与えたのだからいいではないか、というのも的外れだ。


敢えて言う。
猫ひろしよ。今からでも遅くないからオリンピック出場を辞退せよ。
それが人の道だ。

天下一将棋会2

2012-01-29 21:42:48 | Weblog
ゲーセンで例のごとく麻雀格闘倶楽部を打ち始めたのだが、何故か負けが込んでオーブをたくさん失ってしまい、黄龍レベルも7から5になってしまう。半ばヤケになって隣りにあった天下一将棋会2に座ってしまう。当然たくさん勝つ。

2局負ける。一つはうっかりして序盤早々に銀損したもの。さっさと投げる。
もう一つはコンピュータ相手の四枚落ちの下手。なめて適当に指したら飛車損して投了。
四枚落ちには必勝定跡があるだろう。下手の手だけ書くと、78歩56歩79角16歩15歩16香18飛17桂25桂14歩…。念の為58金66歩を突いて端に角が成り込んだら玉を79まで移動させると良い。端が確実に破れたらと金づくりに励む。必勝。

あと勝った将棋でも、うち三局は相手の必勝か勝勢だったのに、何故か相手が投了したのが二局。時間切れで勝ったのが一局。

しばらく麻雀はやめて将棋でも指してみるかな? あんまし気は進まんが……。

落語の話

2012-01-27 02:23:36 | Weblog
よく休みの日に午前中からゲームセンターに行く。ケーブルテレビの麻雀番組を見始めたのがきっかけで、麻雀格闘倶楽部熱に火がついてしまった。このゲームは8年くらい前からやっているけれど、お金が勿体ないと思い、カードを破棄してはまた購入する、なんてことを四、五回繰り返して来た。いつも朱雀の7段くらいまでは行くのだが、どうしても黄龍にはなれずじまいだった。ケーブルテレビの番組観戦が功を奏してか、今回初めて黄龍になることができた。
よく行くのが池袋のゲーセン。開店から13:30まで一台につき一回、クレジットが1000円まで倍になるのである。持ち点も五千点でなく一万点だ。これだと1000円で夕方まで遊べる。パチンコだと10分しか持たない金額だから遊ぶには効率がいい。ちなみにカラオケボックスだと飲み物入れて三時間くらい歌える。いい勝負だ。

この前も10時半頃にゲーセンに着いたら、対面の池袋演芸場に凄い列ができている。誰が出るのかと聞いてみたら、主任は小三治だという。小三治が出る時は平日でも開演前から行列ができるのだという。

思えば寄席に行かなくなって久しい。
初めて自分の意志で寄席に行ったのは大学の頃。20代半ばくらいまで結構足を運んだ。浅草、池袋、新宿……。
テープも買ったし図書館でも借りた。中でもお気に入りは先代の三遊亭金馬で、誰が何といっても金馬が一番うまいと思っていた。逆に先日亡くなった談志なんかは、一回も聞かなかった。

金馬の噺で特に好きなのは「藪入り」と「夢金」だ。見事だと思う。金馬は古臭い言い回しは現代の客に通じぬと見て、口語体に変えた。声色を使い分けたのは金馬のいわば専売特許だったが、これも彼の工夫である。古典を改作し、変えることに少しも躊躇しなかった。例えば「錦の袈裟」のサゲ。今の噺家は平気で「お寺をしくじる」とやるけれども、金馬は分かりづらいと思うから「袈裟返さないとお寺で小言言われちゃうよ」とやる。何よりも分かり易さを重視しているのだ。

さて。
そんな自分が寄席に通っていた時、もっとも衝撃を受け、かついっぺんでファンになった現役の噺家といえば、誰あろう川柳川柳である。かわやなぎせんりゅう。圓生の弟子だった人である。酒に酔った上での逸話は数知れず。寄席での出し物はほぼ「ガーコン」。軍歌を見事な声で歌う。
自分がかつて寄席に行っていた頃から、すでにパフィーの「これがあたしの生きる道」を歌っていたが、御歳81歳の今も精力的に寄席を回り歌い続けている。
小三治の話芸を楽しむのもいいが、81歳の川柳師匠の元気な高座を目に焼き付けるのは今のうちかもしれない。そう思うと、早く寄席に足を運ばねばと気ばかり焦るこの頃なのである。